恋と初恋 ムスクと煙草
「……あ、うん。そう、修兄ちゃん。俺が中一の頃に引っ越した。……うん。大丈夫、修兄ちゃん一人暮らしだし、何も……。うん……うん……。わかった。じゃ……」
携帯を切ると、修兄ちゃんが飲みものを手に部屋に入って来た。
「おばさん、なんだって?」
床に座ってネクタイをゆるめながら、悪戯っぽい視線を向けてくる。俺が差し向かいのベッドに座っているせいで、修兄ちゃんは俺を見上げる形になっていた。
こうしていると、真っ直ぐ視線がかち合って、なんだか気恥ずかしくなる。
その目から逃れるように、さり気なく辺りを見回した。
1Kの修兄ちゃん部屋はモノトーンでまとまっていて、落ち着いた大人の部屋って感じだった。
本棚には、読むと頭が痛くなりそうな本がギッシリで、勉強してるんだなぁと妙に焦る。
「手土産持って行けって。一人暮らしの家に、家主と一緒に来たってのにさ。……つーか、もう家の中にいるっつってんのに、手土産って。話、聞いてるんだか聞いてないんだか」
向き直り、携帯をテーブルに放り出してそう言うと、修兄ちゃんは声を上げて笑った。
「そういうもんだよな、母ちゃんって。それから?」
「遅くなると迷惑だから、早めに帰って来いって」
「そっか。休みの日にでも挨拶に行かないとな。久し振りだし」
「手土産持って来てね。俺さ、玄六庵のみたらし団子がいーな」
玄六庵は老舗の和菓子店だ。中でもみたらし団子が有名だけど、老舗だけあって高い。
現に、俺も今まで二、三回くらいしか食べたことがない。
「何言ってんだ? お前。お前に食わすものなんざ、その辺の駄菓子屋のもんで十分だ」
「あ、ひっでー」
ひとしきり笑った後、修兄ちゃんは真顔に戻って改まった声で言った。
「学校は、どうだ?」
「え、どうしたの? いきなり改まっちゃって」
「これでも一応センセイだからな。自分の生徒のこと、把握しとかねーとな」
「キョーイク実習生のくせに」
「それでもさ」
からかう俺に修兄ちゃんは真摯な瞳を向けた。
金縛りにかかったみたいに体が固まる。思わず目を逸らして、俺は薄笑いを浮かべて答えた。
「えー……。楽しいよ。勉強とかテストとかは嫌だけど。それなりに、ね」
「それなりね。なんだ、俺の頃と大して変わらねーんだな。……しっかし、お前、その髪」
「え? なに?」
「長い。茶色い。教育指導の先生、何も言わねーの?」
烏龍茶を一口飲んで修兄ちゃんは微笑んだ。
「たまに言われるけど、シカト。皆もこんな感じだし。それよか、修兄ちゃんの髪の方がおかしいって。黒すぎ。初め見た時、吹くかと思った」
「仕方ないだろ。初日から怒られたくねーもん」
照れ笑いを浮かべて修兄ちゃんは言った。少し頬が赤い。
「でもさ、修兄ちゃんカッコいいよね。ウチの女子がキャーキャー言って大変」
「あぁ、なんか来てたなぁ。昼休み。勉強見て欲しいって言ってたくせに、どこに住んでるのとか彼女はいるのとか。そればっかり」
呆れ顔で言って、修兄ちゃんは小さく溜め息をついた。
「手ェ出さないでね。教育実習生の不祥事なんて、ウチの学校のメーヨに傷がつくから」
わざと冗談めかしてそう言うと、修兄ちゃんは優しく微笑んだ。
「それは無いよ。それに、ウチの学校に傷つく程の名誉ある訳ねーしな。……あの子達にも彼女いるって言っといたし」
「え……っ」
「え?」
思わず絶句してしまった俺を修兄ちゃんはきょとんとした顔で見上げた。
一瞬、静まり返る。微妙な空気。
俺は焦ってしどろもどろに言い訳した。
「あ……、えと。彼女いるんだって思って。ちょっと、ビックリして」
顔が熱い。背中にじんわりと嫌な汗が滲んでいるのがわかる。
心臓なんてバクバクで。
それが、修兄ちゃんに「そういう」相手がいるのがショックだからなのか、本当の自分を悟られそうなのが怖いからなのか、自分でもわからなくて。
ただ、俺は訝しげに見つめてくる修兄ちゃんを見ながら、意味不明な言い訳を繰り返していた。
「どうした? お前、何か変だぞ」
「あ……いや……」
涙目になりながら言葉に詰まる俺を見て、修兄ちゃんは吹き出した。
「嘘だよ」
「え?」
「彼女いるの、嘘なんだ。……あ、そうだ。あの子達には内緒にしておいてくれよな。アピールしてくんのウザいから、そう言っといたんだ」
悪戯っぽくニヤリと笑って修兄ちゃんは言った。
俺はというと、呆気にとられて、ポカンとアホみたいに口を開けて修兄ちゃんを見つめるばかり。
少しして、ようやく声が出た。
「……あ。そ、そうなんだ」
「そうなんですよ」
「カッコいいのに。モテるでしょ」
「まぁね」
修兄ちゃんは余裕の表情でそう答えた。正直言って、ちょっとムカつく。
「そういうお前はどうなんだ?」
「え?」
「かーのーじょ。いるのか?」
不意に尋ねられ、胸のあたりがグッとなる。あまり訊かれたくない話題だ。
「……ううん。いないよ」
「でも、好きな子くらいはいるんだろ?」
胸が苦しくなる。こういう話題で思い浮かぶ顔がアイツだなんて。
普通の奴らみたいに盛り上がれない。「相手は誰?」そう訊かれるのが怖い。言えないし、言いたくない。
だから、いつもはぐらかしてた。
でも、今日の俺は何かおかしくて。妙に気分が高揚してて。
そのせいか、つい口が滑ってしまった。
「うん。……いるよ。でも、無理なんだ」
俯いてポツリと呟くと、修兄ちゃんはその言葉尻をとらえて、落ち着いた声で尋ねてきた。
携帯を切ると、修兄ちゃんが飲みものを手に部屋に入って来た。
「おばさん、なんだって?」
床に座ってネクタイをゆるめながら、悪戯っぽい視線を向けてくる。俺が差し向かいのベッドに座っているせいで、修兄ちゃんは俺を見上げる形になっていた。
こうしていると、真っ直ぐ視線がかち合って、なんだか気恥ずかしくなる。
その目から逃れるように、さり気なく辺りを見回した。
1Kの修兄ちゃん部屋はモノトーンでまとまっていて、落ち着いた大人の部屋って感じだった。
本棚には、読むと頭が痛くなりそうな本がギッシリで、勉強してるんだなぁと妙に焦る。
「手土産持って行けって。一人暮らしの家に、家主と一緒に来たってのにさ。……つーか、もう家の中にいるっつってんのに、手土産って。話、聞いてるんだか聞いてないんだか」
向き直り、携帯をテーブルに放り出してそう言うと、修兄ちゃんは声を上げて笑った。
「そういうもんだよな、母ちゃんって。それから?」
「遅くなると迷惑だから、早めに帰って来いって」
「そっか。休みの日にでも挨拶に行かないとな。久し振りだし」
「手土産持って来てね。俺さ、玄六庵のみたらし団子がいーな」
玄六庵は老舗の和菓子店だ。中でもみたらし団子が有名だけど、老舗だけあって高い。
現に、俺も今まで二、三回くらいしか食べたことがない。
「何言ってんだ? お前。お前に食わすものなんざ、その辺の駄菓子屋のもんで十分だ」
「あ、ひっでー」
ひとしきり笑った後、修兄ちゃんは真顔に戻って改まった声で言った。
「学校は、どうだ?」
「え、どうしたの? いきなり改まっちゃって」
「これでも一応センセイだからな。自分の生徒のこと、把握しとかねーとな」
「キョーイク実習生のくせに」
「それでもさ」
からかう俺に修兄ちゃんは真摯な瞳を向けた。
金縛りにかかったみたいに体が固まる。思わず目を逸らして、俺は薄笑いを浮かべて答えた。
「えー……。楽しいよ。勉強とかテストとかは嫌だけど。それなりに、ね」
「それなりね。なんだ、俺の頃と大して変わらねーんだな。……しっかし、お前、その髪」
「え? なに?」
「長い。茶色い。教育指導の先生、何も言わねーの?」
烏龍茶を一口飲んで修兄ちゃんは微笑んだ。
「たまに言われるけど、シカト。皆もこんな感じだし。それよか、修兄ちゃんの髪の方がおかしいって。黒すぎ。初め見た時、吹くかと思った」
「仕方ないだろ。初日から怒られたくねーもん」
照れ笑いを浮かべて修兄ちゃんは言った。少し頬が赤い。
「でもさ、修兄ちゃんカッコいいよね。ウチの女子がキャーキャー言って大変」
「あぁ、なんか来てたなぁ。昼休み。勉強見て欲しいって言ってたくせに、どこに住んでるのとか彼女はいるのとか。そればっかり」
呆れ顔で言って、修兄ちゃんは小さく溜め息をついた。
「手ェ出さないでね。教育実習生の不祥事なんて、ウチの学校のメーヨに傷がつくから」
わざと冗談めかしてそう言うと、修兄ちゃんは優しく微笑んだ。
「それは無いよ。それに、ウチの学校に傷つく程の名誉ある訳ねーしな。……あの子達にも彼女いるって言っといたし」
「え……っ」
「え?」
思わず絶句してしまった俺を修兄ちゃんはきょとんとした顔で見上げた。
一瞬、静まり返る。微妙な空気。
俺は焦ってしどろもどろに言い訳した。
「あ……、えと。彼女いるんだって思って。ちょっと、ビックリして」
顔が熱い。背中にじんわりと嫌な汗が滲んでいるのがわかる。
心臓なんてバクバクで。
それが、修兄ちゃんに「そういう」相手がいるのがショックだからなのか、本当の自分を悟られそうなのが怖いからなのか、自分でもわからなくて。
ただ、俺は訝しげに見つめてくる修兄ちゃんを見ながら、意味不明な言い訳を繰り返していた。
「どうした? お前、何か変だぞ」
「あ……いや……」
涙目になりながら言葉に詰まる俺を見て、修兄ちゃんは吹き出した。
「嘘だよ」
「え?」
「彼女いるの、嘘なんだ。……あ、そうだ。あの子達には内緒にしておいてくれよな。アピールしてくんのウザいから、そう言っといたんだ」
悪戯っぽくニヤリと笑って修兄ちゃんは言った。
俺はというと、呆気にとられて、ポカンとアホみたいに口を開けて修兄ちゃんを見つめるばかり。
少しして、ようやく声が出た。
「……あ。そ、そうなんだ」
「そうなんですよ」
「カッコいいのに。モテるでしょ」
「まぁね」
修兄ちゃんは余裕の表情でそう答えた。正直言って、ちょっとムカつく。
「そういうお前はどうなんだ?」
「え?」
「かーのーじょ。いるのか?」
不意に尋ねられ、胸のあたりがグッとなる。あまり訊かれたくない話題だ。
「……ううん。いないよ」
「でも、好きな子くらいはいるんだろ?」
胸が苦しくなる。こういう話題で思い浮かぶ顔がアイツだなんて。
普通の奴らみたいに盛り上がれない。「相手は誰?」そう訊かれるのが怖い。言えないし、言いたくない。
だから、いつもはぐらかしてた。
でも、今日の俺は何かおかしくて。妙に気分が高揚してて。
そのせいか、つい口が滑ってしまった。
「うん。……いるよ。でも、無理なんだ」
俯いてポツリと呟くと、修兄ちゃんはその言葉尻をとらえて、落ち着いた声で尋ねてきた。