恋と初恋 ムスクと煙草
放課後。
いつもなら瀬田と一緒に帰っていた。当たり前の日常。それを、今日は崩した。
「ごめん。瀬田。今日、先帰ってて」
「あれ? 何か用あんの?」
「うん……。少し」
歯切れの悪い俺をきょとんとした顔で見て、瀬田は頷いた。
「そっか。じゃ、また明日な」
「あぁ」
教室を出て行く瀬田の背中をぼんやり眺めながら、俺は自ら作った『用事』のことを考えていた。
用事。特に大した用では無い。ただ、懐かしかったってだけで。
実際、目が合ったのだって単なる偶然で。修兄ちゃんは俺のこと覚えていないかもしれない。いや、たとえ覚えていたとしても、わからないかもしれない。
だって、修兄ちゃんは中学生までの俺しか知らないんだから。
それでも、ひょっとしたら気付いているかもしれない。そう少し期待してしまう俺は、どこまでも馬鹿なんだと思う。
懐かしいって思っているのは俺だけなんだって思いたくない。『あの頃』を忘れて欲しくない。
……なんて。女々し過ぎて、本当に自分が嫌になる。
校門に寄りかかって、もう随分経つ。沈む夕陽が燃えるように赤くて眩しい。
後ろに伸びた影が真っ黒で、不意に自分は何をしているんだろうと思う。
ふと、昔を思い出す。
俺の家には古い蔵があって、二階の屋根裏には小さな部屋がある。
屋根裏部屋の秘密基地。そこを俺達は遊び場にしていた。
たしか、こんな夕暮れ時だった。
修兄ちゃんの顔が、夕陽に照らされて真っ赤に染まっていたのを覚えている。
きっと、俺の顔も同じだったと思う。いや、俺の方がずっと赤かったかもしれない。
震える指で唇に触れる。
あの日、俺は……。
「……こんな所でどうした。もう生徒は殆ど残ってないぞ」
ハッとして振り返ると、訝しげに自分を見つめる修兄ちゃんがいた。
一瞬、息が詰まりそうになる。
「……修、兄ちゃん」
たじろいで呟くと、修兄ちゃんは小さく息をついて弱く微笑んだ。
変わらない、眩しそうに目を細める、照れたような笑い方。
「久し振りだな。……エーシ」
エーシ。俺の名前。衛士。本当は『えいじ』と読むのに、修兄ちゃんはわざとエーシと呼んだ。こんな変な呼び方をするのは、修兄ちゃんだけだ。
懐かしい呼び声。涙が出そうになる。
「何、泣いてんだよ。カンドーの再会って程、離れていた訳じゃないだろ?」
思わず滲んだ涙を指で拭っている俺の頭を、修兄ちゃんは笑ってガシガシと乱暴に撫でた。
「だって、修兄ちゃん、目が合ってもすぐ逸らすし。ひっでーよな。なんか他人みたいで、俺傷ついちゃった」
「バカ。あの場面で何をどうすりゃいいっつーんだよ。こっちだって驚いたよ。まさか、お前がこの学校通ってたなんてな。それも、俺が受け持つクラスにいるって、どうよ。ありえねーって」
カラカラと笑って修兄ちゃんは言った。
二人で肩を並べて歩く帰り道。なんだか、昔に返ったみたいでくすぐったい。
「……気か?」
「え?」
しまった。昔を懐かしんでてて、修兄ちゃんの話を聞き逃してた。
振り向くと、修兄ちゃんは呆れたように小さく息を吐いて言い直した。
「駐車場までついて来る気かって」
「え? 駐車……って。あれ?」
言われて初めて気が付いた。いつもの帰り道から完全に逸れてしまっている。
つい、修兄ちゃんに合わせて歩いていたらしい。
「相変わらず、アホだな。デカくなっても変わってない」
クスクス笑って修兄ちゃんは言った。
俺はというと、からかわれた恥ずかしさと懐かしさで、悔しいんだか嬉しいんだか複雑な気持ち。顔が真っ赤になるのを感じながら、
「うるさいな」
と、小さく言い返すだけで精一杯だった。
「あ、そうだ。お前、まだ時間ある?」
「え? 別に暇だけど……なんで?」
俺の返事を聞いた修兄ちゃんは、満面の笑みを浮かべて、とんでもないことを言ってきた。
「せっかくこうして会えたんだ。俺のアパート来ないか?」
「え……」
胸が鳴った。
いつもなら瀬田と一緒に帰っていた。当たり前の日常。それを、今日は崩した。
「ごめん。瀬田。今日、先帰ってて」
「あれ? 何か用あんの?」
「うん……。少し」
歯切れの悪い俺をきょとんとした顔で見て、瀬田は頷いた。
「そっか。じゃ、また明日な」
「あぁ」
教室を出て行く瀬田の背中をぼんやり眺めながら、俺は自ら作った『用事』のことを考えていた。
用事。特に大した用では無い。ただ、懐かしかったってだけで。
実際、目が合ったのだって単なる偶然で。修兄ちゃんは俺のこと覚えていないかもしれない。いや、たとえ覚えていたとしても、わからないかもしれない。
だって、修兄ちゃんは中学生までの俺しか知らないんだから。
それでも、ひょっとしたら気付いているかもしれない。そう少し期待してしまう俺は、どこまでも馬鹿なんだと思う。
懐かしいって思っているのは俺だけなんだって思いたくない。『あの頃』を忘れて欲しくない。
……なんて。女々し過ぎて、本当に自分が嫌になる。
校門に寄りかかって、もう随分経つ。沈む夕陽が燃えるように赤くて眩しい。
後ろに伸びた影が真っ黒で、不意に自分は何をしているんだろうと思う。
ふと、昔を思い出す。
俺の家には古い蔵があって、二階の屋根裏には小さな部屋がある。
屋根裏部屋の秘密基地。そこを俺達は遊び場にしていた。
たしか、こんな夕暮れ時だった。
修兄ちゃんの顔が、夕陽に照らされて真っ赤に染まっていたのを覚えている。
きっと、俺の顔も同じだったと思う。いや、俺の方がずっと赤かったかもしれない。
震える指で唇に触れる。
あの日、俺は……。
「……こんな所でどうした。もう生徒は殆ど残ってないぞ」
ハッとして振り返ると、訝しげに自分を見つめる修兄ちゃんがいた。
一瞬、息が詰まりそうになる。
「……修、兄ちゃん」
たじろいで呟くと、修兄ちゃんは小さく息をついて弱く微笑んだ。
変わらない、眩しそうに目を細める、照れたような笑い方。
「久し振りだな。……エーシ」
エーシ。俺の名前。衛士。本当は『えいじ』と読むのに、修兄ちゃんはわざとエーシと呼んだ。こんな変な呼び方をするのは、修兄ちゃんだけだ。
懐かしい呼び声。涙が出そうになる。
「何、泣いてんだよ。カンドーの再会って程、離れていた訳じゃないだろ?」
思わず滲んだ涙を指で拭っている俺の頭を、修兄ちゃんは笑ってガシガシと乱暴に撫でた。
「だって、修兄ちゃん、目が合ってもすぐ逸らすし。ひっでーよな。なんか他人みたいで、俺傷ついちゃった」
「バカ。あの場面で何をどうすりゃいいっつーんだよ。こっちだって驚いたよ。まさか、お前がこの学校通ってたなんてな。それも、俺が受け持つクラスにいるって、どうよ。ありえねーって」
カラカラと笑って修兄ちゃんは言った。
二人で肩を並べて歩く帰り道。なんだか、昔に返ったみたいでくすぐったい。
「……気か?」
「え?」
しまった。昔を懐かしんでてて、修兄ちゃんの話を聞き逃してた。
振り向くと、修兄ちゃんは呆れたように小さく息を吐いて言い直した。
「駐車場までついて来る気かって」
「え? 駐車……って。あれ?」
言われて初めて気が付いた。いつもの帰り道から完全に逸れてしまっている。
つい、修兄ちゃんに合わせて歩いていたらしい。
「相変わらず、アホだな。デカくなっても変わってない」
クスクス笑って修兄ちゃんは言った。
俺はというと、からかわれた恥ずかしさと懐かしさで、悔しいんだか嬉しいんだか複雑な気持ち。顔が真っ赤になるのを感じながら、
「うるさいな」
と、小さく言い返すだけで精一杯だった。
「あ、そうだ。お前、まだ時間ある?」
「え? 別に暇だけど……なんで?」
俺の返事を聞いた修兄ちゃんは、満面の笑みを浮かべて、とんでもないことを言ってきた。
「せっかくこうして会えたんだ。俺のアパート来ないか?」
「え……」
胸が鳴った。