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恋と初恋 ムスクと煙草

 これが恋なのか、どうなのか。
 実際、俺にはわからなくて。……いや、普通に考えればおかしいことなんだ。
 アイツは、俺の親友。アイツも多分そう思ってくれているはず。
 それなのに、俺はというと。 
「斯波。おい、しーばー!!」
「うわっ」
 耳元で大声を出され、ビクリと肩が揺れた。とっさに声の方を向くと、瀬田が不満そうな顔でこちらを見ていた。
 瀬田芳春よしはる。俺の親友。……親友だった奴。俺の中では、もう過去形だ。
 今では……。
「ずーっと呼んでんのに。お前、無視すんだもん。やんなるよなー」
 俺の、好きかもしれない、奴。
「悪い悪い。ちょっと考え事」
「ふぅん?」
 悪戯っぽく答えて、瀬田は隣りの窓辺に寄りかかった。
 朝は、いつも教室の前の廊下でダベる。いつの間にか、そうなった。俺達の習慣。
 少し開いた窓から涼しい風が吹き込んで、瀬田の黒髪を撫でた。
「あー。毎日毎日、面倒だよなぁ」
 不意に鳴る心臓の高鳴りをかき消すように、俺はわざとダルそうな声を出した。
「確かに。勉強、テスト、勉強、テストの繰り返しだもんな」
 明るく笑って瀬田が返す。
「瀬田はいいよ。頭良いもん。俺なんかさー」
「別にそんなことないよ。俺、ボンミスよくするし」
「それでも、俺よか点数良いじゃん」
「斯波さ、テスト勉強してないだろ。いっつも」
「うん」
「だからだよ。バカ」
 何気ない会話。くだらない内容。当たり前の毎日が、俺にとっては目眩がおきそうなくらい嬉しいことだった。
 この日々を崩す必要なんて無いと、本気で思う。
 想いを告げなければ続いていける。続けていける。
 それでいい。
 瀬田は俺の親友。それでいいじゃないか。
 言葉にすれば現実になってしまう。真実は、必ずしも現実と一致しないということは、十七の俺にだってわかる。
 どうなるかわかってて、わざわざ真実を現実にすることなんて無いんだ。 
「静かにしろ、お前らー」
 朝のホームルーム。担任が名簿で教卓を叩いてそう言った。
「あー。今日から教育実習の先生が来るってのは、前話したよな。安彦やすひこ先生」
(安彦……?)
 担任の言葉に耳を疑った。忘れもしない名字。安彦。まさか、と思い戸口に目を凝らす。
 カツン、と靴音を響かせ、スーツ姿の男が入って来た。
 ハッと息を呑む。
「安彦修司です。担当は現国。これから約一ヵ月、宜しくお願いします」
 頭を下げて起き上がった彼と目が合った。瞬間、息が止まりそうになる。
 が、彼は涼しい顔で目を逸らし、遠くを見るように目を細めた。
 修兄ちゃん。
 そう彼を呼んでいた時もあった。
 ホームルームが終わって、すぐ一時限が始まるというのに女子が騒がしい。原因は、先程の教育実習生のルックスだ。
 スッキリとした顔立ちに大きな二重の目。この日の為に染め直したであろう、やけに真っ黒な髪。細身で高身長――大概の女子が喜びそうな必要条件を全て兼ね備えている。
「うるせーよ、女子。ギャーギャーギャーギャー」
「なによー。アンタ、安彦先生に嫉妬してんの? ゴリラみたいな顔してるくせに」
「……んだと、コラ!」
「無視無視。ねー、昼休み、安彦先生に勉強見てもらいに行こうよ」
「教育実習生の控え室ってどこだっけー」
「小会議室だと思うよ。二階の。ドアに貼紙してたもん」
 男のやっかみなんて、恋に恋する女子にとってはどうでもいいことだ。
 こういうのを黄色い声っていうのかな。俺にはピンク色に聞こえる。
 当たり前のように、男に恋する声。それに疑問を持たなくていい、疑問など持つ必要の無い、声。
「すっげーな、あの教育実習生」
 俺の席まで来て、瀬田が言った。騒がしい女子達を呆れた顔で眺めている。
「ヤスヒコ、だって。名前みたいな名字」
「あー……。そうだな」
 それは、彼自身も気にしていた。昔から。名前が二つ並んでるみたいだろ。そう言って照れ笑いを浮かべていた。
 初恋だった。
 その頃はまだわからなかったけど、あの気持ちは、多分そうだったんだと思う。
 家が近所だったから、四つ年上の修兄ちゃんはよく俺の面倒をみてくれていた。
 いつも一緒にいた。
 喧嘩もしたけど、本当に仲が良かった。兄弟のようだ、と言われたこともあった。
 お互い兄弟はいなかったから、ごっこ遊びのような感覚もあったと思う。
 俺が中学に上がるか上がらないかの頃に、秘密の経験をした。
 今となっては他愛も無いことだ。修兄ちゃんにとっては、単なる興味本位だったはず。
 ピンク色の声が遠くに聞こえる。少女達の脳天気な声。
 修兄ちゃんの目が気になった。
 俺と目が合って、すぐに逸らした、あの目。
 懐かしさなんてどこにも無い、冷たい瞳だった。
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