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薄情と慕情

 在りし日に聞いたその言葉を、思い出せずにいる。
 珠を繰りながら吉継は思いを巡らせた。人が、羽をむしられた蛾のようにばらばらと落ちてゆく。戦場にこだます悲鳴。阿鼻叫喚。噎せ返るような血と臓腑の臭いが鼻につく。死せずとも、地獄などすぐ側にある。
 そう、すぐ側に。
 病んだ我に、ぬしらは何をした?
 我が、ぬしらに何をした?
 徐々に崩れゆく身体をひきずった我に、ぬしらは――。
「刑部! ここはもう終いだ!」
 最後の敵兵を斬り、三成は吉継を振り返って叫んだ。
「そうか」
 と、吉継は攻撃をやめる。見渡す限りの死体の山。そこに、敵も味方もない。
「簡単に死んでいくな」
 ぽつりと吉継は呟いた。そして自分の両手を見下ろす。
 あの日、竹中殿は何と言った? ――思い出せない。
「大丈夫か、刑部」歩み寄りながら、三成。
「何がだ?」
「思ったよりも戦が長引いた」
「……ああ、そうよな。心配いらぬ。我は、ほれ、ピンピンよ」
 わざと大袈裟に振る舞って吉継がそう言うと、三成は小さく息を吐き、
「なら、いい」
 と言って踵を返した。彼もまた、理不尽に不幸を背負わされた一人。吉継はその背を追いながら目を伏せた。
「三成よ」
「なんだ」
「何故ぬしは我のもとを離れなんだか。業病を患い、身体が朽ちてゆく我を疎み、距離を置く者は少なくはなかった。あまつさえ、千人斬りなどという馬鹿げた噂を吹聴する者まで現れる始末よ」
「フン。そういえば、そんなこともあったな」事も無げに三成は返す。
「それなのに、何故ぬしは……」
「愚問だな。病を患ったからといって、貴様の何が変わるというのだ。刑部」
 立ち止まって三成は言った。澄んだ瞳で吉継を見つめ、
「貴様は貴様だ。幼い頃から私と共に秀吉様のもとで働いた、紀之介だろう」
「……ああ」
「ならば、理由は一つで充分だ」
 そう言ってまた歩き出す。とっさに吉継は聞き返した。
「三成、理由とは?」
「貴様にしては珍しく察しが悪いな。やはり疲れているのではないか?」
「かもしれんな」
 振り返って、三成は吉継を見据えた。冷たい夜風が血生臭い空気をかきまぜる。少しの間沈黙が流れた。月にかかっていた雲が風に流されると、三成は凛とした声で短く言った。
「貴様が、貴様だからだ。刑部。それ以外に理由などない」
 瞬間、吉継は〝あの日〟に引き戻された。頭の中に半兵衛の声が甦る。

『……君にだってわかるはずだよ。僕はね、秀吉が統べるこの国の未来を見たいんだ』
『それは、やはり太閤殿のため、ということなのでは?』
『そうではない。それが、僕の夢だからだよ』
『夢……』
『誰でもない、僕自身のね。僕が僕である証といっても過言ではない。ここに生きたという……。大谷殿、貴殿はここに何を残す?』

――そういうことか。
 ふいに、笑いが込み上げてきた。
 額に手を当ててくつくつと笑う彼を見て、三成が不機嫌そうに顔をしかめる。
「ふざけるな、刑部。私は真面目に答えたんだぞ」
「すまん、すまん。いや、ぬしのことで笑ったのではない。我のことよ」
「どういうことだ」
「長いこと忘れていたことを、今ようやく思い出したのだ。胸につかえていたものが消え、心安らかになった途端、笑いが込み上げてな」
「忘れていたこと?」と、三成は訝しげに眉を寄せた。
「竹中殿の言葉よ。ぬしのお陰で思い出せたわ。感謝するぞ、三成」
「半兵衛様の? 刑部、半兵衛様は何を仰っていたのだ?」
 吉継は答えずに、「帰るぞ」と言って三成を追い越した。背後では喚き散らす彼の声が聞こえる。
 戦う理由など、取るに足らんものだ。地面に伏した屍を見て思う。皆が皆、そうではあるまいが、少なくとも……
「おい、刑部! 私を無視するな! そして答えろ! 半兵衛様は貴様に何を申されたのだ!」
「わかった、わかった。まったく、うるさい奴よ」
 振り返って、刑部は笑う。
 頭蓋の奥で半兵衛が問いかける。
『大谷殿、貴殿はここに何を残す?』
 まだ、わからぬ。が、少なくとも我は――。
「その前に、三成。ぬしに訊きたいことがある」
「なんだ」
「ぬしは何故戦う?」
「愚問を繰り返すな、刑部。家康に己の過ちを詫びさせ、その首を刎ねるためだ!」
 それを聞いて吉継は喉の奥で笑う。
「そうよな、そうよ。――ぬしは、それでいい」
 遠い、昔日の頃は太閤を、そして今は徳川を。理由は違えど、光に囚われていることには変わりない。だが、ぬしはそれでいい。それでこそ三成よ。
「己が己であるために。戦う理由はそれで充分よ。なァ、三成」
「なんのことだ」
「ぬしが聞きたがっていた竹中殿の言葉よ」
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