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護り語り

 近侍の仕事をようやく終えた石切丸が、自室に戻ろうと手入れ部屋の側を通ると妙な囁き声が聞こえた。
 夜はとうに更けている。
 立ち止まって耳を澄ましてみると、ひとつの声しか聞こえない。石切丸は眉根を寄せた。今日最後に手入れ部屋へ入ったのは平野藤四郎と五虎退だ。しかし、平野の方は既に主への挨拶も済ませ、自室に戻っている。となれば、残るのは五虎退だが、これも深手を負ったのは彼が従えている虎の方で、五虎退自身はかすり傷程度で済んでいる。だから、今手入れ部屋に入っているのは負傷した虎のみのはずだが――。
 石切丸はそっと手入れ部屋へ足を踏み入れた。五虎退の虎は鳴狐の狐のように喋りはしない。が、あれらもまた、自分達と同じ付喪神なのだ。ひょっとしたら、人目のつかないところでは話すこともあるのかもしれない。初めはそう思っていた。しかし、声が近付くにつれ、それが単なる妄想であることがわかった。
 声の主は五虎退だった。
「ぴーひゃらら、ぴーひゃらら。お爺さんの踊りにつられて、鬼達も踊り始めました。こうして、呑気なお爺さんと鬼達はとても楽しく……」
 独り言ではなく、どうやら物語を読んでいるらしい。
「夜更かしはいけないね」
「うわ!」
 障子戸から顔を出して石切丸が声をかけると、五虎退の背中がビクリと跳ねた。ややして、本を胸に抱えた五虎退がおそるおそる振り返る。
「石切丸さん……」
「もう遅いから早く寝なさい」
「はい。……でも」
 と、五虎退は表情を曇らせて向き直った。視線の先には二匹の虎がいた。布団の上でうずくまり、大人しく職人達の治療を受けている。
「僕をかばって怪我したんです」
 ぽつりと呟くようにそう言うと、五虎退は本を抱きしめる手に力を込めた。
「ついていてやりたい気持ちはわかるけれどね。それで君が疲労を残しては元も子もないよ」
「はい……」
 小さく答えつつも、五虎退に動く気配はない。仕方ないな、と石切丸は息を吐き、中に入って障子戸を閉めた。さり気なく辺りを見回すと、五虎退の傍らで三匹の虎達が重なり合って眠っているのが見えた。起こさないように、抑え気味の声で尋ねる。
「本を読んでいたのかい?」
「は、はい」
「ひょっとして、そこの虎に聞かせていたのかな」
 すると、五虎退は俯いて黙り込んだ。白い耳たぶが少しずつ朱色に染まってゆく。
「……おかしい、ですよね。やっぱり」
 消え入りそうな声でそう言った。
「だけど、寝る前にお話を聞くと楽しい夢を見られるんです。主様のお話を聞いた夜はいつもそうだったから……。だから、僕も虎達に……」
「お話を聞かせていた、と」
 五虎退はコクリと頷いた。
 なるほど。石切丸は、主が短刀達と交流を深めようと就寝前に物語を語って聞かせていることを思い出した。審神者の仕事は深夜にまで及ぶことがよくあるため回数はさほど多くはないが、お互いに良い気分転換になっているらしい。とはいえ、主は生まれつき殆ど目が見えないため、本を読むことができず、物語の殆どは彼の創作になっているようだ。いつのことだったか、ウサギ型のロケットを開発した爺さんがかぐや姫に会いに婆さんと共に月へ旅立った話をしていた、と山姥切国広が呆れたように言っていたのを聞いたことがある。
 彼の辟易した表情を思い浮かべながら、五虎退に目をやる。か細い両腕に抱えられていた本の表紙には『こぶとりじいさん』と書かれていた。
「怪我をした夜は、とても痛くて、怖くて、不安だから……。そういうのが少しでも無くなればいいなって、思って」
 行灯の光が柔らかく揺らいでいる。2205年という現在に於いては既に存在しない照明器具だが、生活様式を古い刀剣達に合わせている本丸ではごく当たり前に使用されている。しかし、本物の蝋燭は使われておらず、それに似た光が灯されているだけだった。
「事情はわかった。けれど、やはり君は休むべきだ。怪我が軽かったとはいえ、君だって戦に赴いたのだからね」
「…………」
「虎達が早く良くなるように祈祷をしてあげよう。それなら安心だろう?」
 押し黙る五虎退に根負けして、石切丸は言った。すると、五虎退は勢い良く顔を上げ、
「いいんです、か?」
「もちろん。だから、君は部屋に戻ってゆっくり休むといい」
 石切丸は口元に笑みを湛え、鷹揚に頷いた。しかし、遠慮がちな五虎退らしく、彼は虎と石切丸とを何度も交互に見た。もう一度石切丸が頷くと、ようやく納得したのか、五虎退は体ごと石切丸の方を向いて深々と頭を下げた。
「虎達のこと、よろしくお願いします」
 それから、五虎退は眠っていた三匹を抱えて手入れ部屋から出て行った。本人も随分と睡魔と闘っていたのだろう、部屋を出る彼の足元は危なっかしいほどにもつれていた。
 五虎退がいなくなったことを察して目を開けた二匹の虎の頭を優しく撫で、石切丸は静かに言った。
「お前達の『友達』は、実に優しい子だね」
 答えるように虎は小さく鳴き、そして再び目を閉じた。



◆◇◆◇◆◇◆

 石切丸の祈祷の効果もあってか、翌朝、虎達はすっかり元気を取り戻した。が、その数日後、今度は石切丸自身が負傷してしまった。
 重傷とまでは言わないまでも傷は深く、手入れ部屋にしばらく籠ることになった。
――まさか、あんなにも素早い槍がいるなんてね。
 仰向けに寝たまま重い息を吐く。高速で繰り出された槍の攻撃をかわすことができなかった。相手が検非違使であれ遡行軍であれ、油断など一切していない。が……。
 石切丸は何度目かの溜め息をついた。ゆっくりと右腕を上げて握り拳を作ってみる。僅かに痛みが走った。
 とっさの判断に身体が追いついていなかったのは確かだ。だいぶ人間の身体に慣れてきたように思っていたが、まだまだ経験を積まなくてはならないらしい。拳を軽く自分の額にぶつけ、石切丸は自嘲気味に笑った。傷を負った時の情景がありありと脳裏に浮かんだ。手が小刻みに震えている。身体を失うかもしれない恐怖までは、どうにも慣れそうにない。
 その時、ふいに障子戸の向こう側から声をかけられた。
「石切丸さん、怪我の具合はどうですか?」
 五虎退だった。昼下がりの陽光を浴びた細い影が障子戸に映っている。
「心配するほどのことではないよ。すぐに治るさ」
 石切丸が気を取り直して笑って答えると、すぐさま緊張した声が飛んできた。
「あ、あの! お部屋に入ってもいいですか?」
「別に構わないけれど……。どうしたんだい? 主から何か言伝でも?」
「い、いえ、そういうわけではないんですけど」
 と口籠りながら、五虎退は部屋の中に入った。珍しく虎がいない。
「こんな格好ですまないね。体中が痛くてね、簡単には起き上れないんだ」
「いえ! 石切丸さんは怪我をされているんですから……。僕のことは気にしないで下さい」
 言って、五虎退は石切丸の側で正座した。
「虎達の姿が見えないようだが」
「庭でみんなと遊んでます」
「君は遊ばないのかい?」
「僕は、その……」
 五虎退は言い澱んで、もじもじと両膝をさすった。何事だろう、と石切丸は訝しく思った。昼餉ならきちんと全て平らげた。主から何か指示されたようでもない。それ以外で、彼が手入れ部屋を訪れる理由は……と考え始めた時、突然、五虎退は意を決したように顔を上げた。
「あの! 僕に何かしてほしいことってありますか?」
「……え?」
 虚を衝かれ、一瞬頭の中が真っ白になった。その反応に慌てたのか、五虎退は頬を一層紅潮させて、
「い、石切丸さんには、以前虎のことでお世話になったから……。その、今度は僕が何かのお役に立てたらなって、そう思って……。あ、あの! でも、ご迷惑なら下がります。すみません……」
 涙ぐみながら頭を下げた。唐突に話が始まり、唐突に話が終わった。静まり返った室内に鳥達の声が微かに聞こえてくる。障子戸を通して差し込む陽の光は柔らかで、石切丸はそっと目を眇めた。
「話を聞かせてもらえるかな」
「え?」
「こうして寝ているだけっていうのは退屈でね。ちょうど物語でも聞きたい気分だったんだ」
 五虎退はわずかに目を見開いた。相変わらず指先をもじもじと絡ませながら、
「どういうお話がいいですか? 何冊か本を見繕ってきます」
「いや、君が覚えている話でいい」
「僕が……ですか? で、でも、僕、そんなにたくさんは覚えていなくて……。それに、覚えているのだってどれも短いお話ばかりですし」
「それでいい。君の好きな物語を聞かせてくれ」
 やや間が空いた。五虎退は逡巡するようにしばらく瞳を巡らせていたが、やがて小さく頷くと震える唇を開いて語り始めた。
「むかし、むかし、あるところに一休さんという小僧さんがおりました。一休さんのとんちは巷でも評判で、その評判を聞きつけた殿様が……」
 物語を紡いだ優しい声が穏やかに流れてゆく。
 外では鳥達が風と遊んでいる。それらに紛れて聞こえてくるのは短刀達の笑い声か。
 石切丸は口元に笑みを浮かべ、静かに瞼を閉じた。
 再び脳裏に像が浮かんでくるが、それは既に虎の屏風を前にした小僧の姿に変わっていた。
「それでは、屏風から虎を追い出して下さい。すぐにでもこの縄で縛ってごらんにいれます!」
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