不機嫌ダーリン
「もう、いい加減機嫌直すってばね!」
そう言うとクシナはベット端でミノムシのように布団にくるまっているミナトを揺さぶった。
ギシギシとベットのスプリングが大きく軋む程の手荒な呼びかけに、ミナトは渋々といった感じで布団の中から顔を出すと何か言いたげな顔でクシナをジッと見つめる。
「まだイジけてるの?」
「……別に、イジけてなんか無いよ」
「はい嘘!不満ですって顔に書いてあるってばね!」
ミナトはクシナから不服な顔をしていると言われるとそのことに否定も肯定もせず先程と同様に頭まですっぽりと布団被る。
どうやらミナトはこのまま黙秘を行使するようだ。
またしてもミノムシのように丸まったミナトを見て、クシナはふぅとため息を吐く。
こうなってしまったミナトの機嫌が直るまでは時間が掛かる。長い間ミナトと一緒にいるクシナはその事を嫌というほど知っていた。
普段は穏やかで寛大な心の持ち主であるミナトが露骨に不機嫌な態度を取るのはかなり珍しい。
何故こんなにもミナトの機嫌が悪いのか。
それは数十分前に交わしたクシナとの会話が原因であった。
*
夜の支度を済ませて後は寝るだけになった二人は少し大きめのクイーンサイズのベットに入ると、日課である今日1日の出来事をお互いに報告しあっていた。
報告と言っても重要な話ではなく、新しくできたご飯屋さんが美味しかった、ご近所さんが犬を飼い始めたらしい、もうそろそろ川辺の桜が咲く頃だね、という本当に小さな他愛もない出来事の話だ。
そんな些細な話ではあるが、火影として忙しい日々を送っているミナトは就寝する僅かな時間をクシナとの夫婦のコミュニケーションの一つとして大事にしていた。
「お隣の娘さん、結婚したんだって」
「へぇ、そうなんだ。おめでたいね」
今日もいつものようにクシナとミナトは他愛のない話をする。
「うん。それがその娘さん、家の決めた許嫁じゃない相手と結婚するって聞かなかったらしくてね、もう少しで駆け落ちしようとしてたみたい」
「そりゃ大変だ」
「でも結局、お隣さんのお父様も娘さんの駄々に渋々折れたみたいで結婚は認めてくれたそうよ」
お隣さんは厳つい顔をしてるのに娘さんには弱いのよねぇ、とクシナはクスクスと笑う。
木ノ葉ではほんの数年前に比べて家の決めた許嫁と結婚するよりも、自由恋愛で結婚する者が増えてきている。
それは長引く大戦が終わった事により子供を残す為に家から早く結婚を強いられる事が減った事と、火影に就任したミナトが大恋愛の末にクシナと結婚を果たしたというのが大きな理由の一つであった。
若者の間では二人の存在は憧れのようで、自由恋愛で結婚する事が若い忍びの間で流行りになりつつある。
「お隣のお父様と娘さんの言い合いが家にまで聞こえてきて凄かったんだから!私、娘さんをこっそり応援しててね、二人の喧嘩に危うく乱入しかけたってばね!」
その時のことを思い出したのかクシナは熱がこもった話し方をする。
ミナトは今にも親子の喧嘩に乱入してしまいそうなクシナを思い浮かべて思わず笑った。
「うふふ、懐かしいなぁ。私も父様と大喧嘩したことがあったっけ」
「へぇ、どんな?」
幼少期の事を思い出しているのだろう。クシナは目線を天井に向け口元を緩ませた。
「確かあの日は……父様に連れられて親類の家に行く途中だったわ。父様が私を連れて出掛けるなんて滅多に無い事だったから…私は不思議に思って父様に訪ねたの『何しに行くの?』って……」
クシナは朧げな記憶をかき集めながらポツリポツリと口を開く。
「そしたら父様は『今からクシナは許嫁に会うんだよ』なんて言い出してね。私、そんな事全く知らなかったからびっくりしちゃって。もう家には帰れんないんだ、どうしようって勘違いして『結婚なんて絶対にするもんかー!』って逃亡しちゃったの!」
そして父と娘の追いかけっこが始まり、大喧嘩の末にクシナの父は許嫁と対面させるをその日は諦めたという。
クシナはすごい形相で追いかけてくる父の顔を思い出したのか一人クスクスと笑っている。
「その後も何度か許嫁と会う機会はあったんだけど、その度に逃げ出してやったわ!」
得意げに笑う大人のクシナを通して、悪戯が成功した幼少期のクシナが垣間見える。きっと大層親に世話を焼かせたおてんば娘だったのだろう。
ニコニコと笑っているクシナとは対象的に、ミナトは口を真一文字に結んでいる。
「……クシナ、」
「なに?」
クシナを見つめて数秒、ミナトは恐る恐る口を開く。
「……許嫁、いたの……?」
「え?いたけど?」
ドカンと雷に撃たれたかのような衝撃がミナトに走った。
「俺、それ初耳なんだけど……」
「え?だってミナトに話したことないもの」
キョトンとした顔で答えるクシナはミナトの地雷を踏み抜いたことに気付かない。
*
「もう!ミナトなんか知らない!」
クシナは予備の布団を箪笥から取り出すと照明を常夜灯に切り替え、ドサリとベットに寝転がった。
ミナトは相変わらずミノムシのように布団に丸まって背を向けている。
あれから急に機嫌が悪くなったミナトは何を言っても反応がイマイチで、2人は少し言い合いをしてしまった。気がついたらこの有様だ。
クシナは毛布の塊に目を向ける。
先程までは隣でお互いの温もりを分け合っていたからだろうか。どうしてか少しだけ肌寒い。
箪笥から出した布団が薄かったかと考えてみたけれどきっとそう言うことじゃないんだとクシナにはわかっている。
「ミナト、もう寝た?」
ミナトの返事はない。部屋にはただ無機質な時計の音がカチカチと聞こえるだけだ。
「悪かったわよ。許嫁の事、言わなかったの……」
クシナは半ば独り言のように話を続けた。
「だって六歳の頃の話よ?……それに、許嫁の話は七歳の頃には無くなったし」
覇気のないクシナの声に反応したのか、ミナトはピクリと身動いだ。
その先の事は聞かなくてもわかる。
────クシナの木ノ葉行きが決まったから
ミナトは布団からごそりと顔を出し体の向きを変えてクシナを見つめる。常夜灯の僅かな灯に照らされた二つの瞳がミナトを捉えて離さない。
ミナトもクシナも一言も発することは無い。言葉を交わさなくてもお互い気持ちがわかってしまうから。
ミナトはそっとクシナを抱きしめるとクシナもミナトの背に腕を回した。
クシナが人柱力に選ばれなければ。
家族と離れる事も、里を無くし一族の生き残りになってしまう事も、大切な人と引き換えに人身御供になる事も、無かったかもしれない。
一人の女の子として幸せになれてたかもしれない。
でも、
木ノ葉に来なければ、俺とは────
本当はミナトだってわかっている。
忍びの世界で血統を護っていくのがどれほど大切なことなのか。その中で一族内で婚姻を結ぶ事が必要不可欠な事を。
うちは一族や日向一族が代々血継限界を護ってきたように。強い生命力と特殊な封印術を絶やさぬよう、うずまき一族だって血統を護ってきた。
わかっている。
クシナは渦潮の里の中でも純潔で、
何の血統も持たないミナトが一緒になるなんて本来ならばありえない。
それをわかっているからこそ、何もしないでクシナの許嫁になれる相手が憎らしい。そして何より心底羨ましいと思う。
そしてそれを捻じ曲げるイレギュラーが発生した。
それがクシナを苦しめる
クシナを木ノ葉に、ミナトに手繰り寄せたのは皮肉なことに九尾だった。
「羨ましいよ……」
君を不幸にしないで隣に立てる人が。
顔も名前も知らない。今は生きているのかもわからない人間に嫉妬してしまうなんて。
「ミナトったらバカね」
少し呆れたような声でクスリとクシナは笑う。
「私、木ノ葉に来たこと後悔した事ないわ。だってミナトに会えたんだもの」
耳元で囁くクシナの声は少しだけこそばゆくて、そして泣きそうになるくらい優しい。
ミナトは息が詰まりそうになるほど、ギュッとクシナを掻き抱いた。
クシナはいつだってミナトに欲しい言葉をくれる。
クシナの赤く長い髪を優しくすきながらミナトはキスの雨を降らせる。
クシナの隣に立つには途方もない努力が必要だった。
天才だと謳われたミナトでさえ、血反吐を吐くような思いをした。何度も挫けそうになり、諦めようとさえ思った事もある。
ただ好きな子を守りたい。それだけなのに、どうしてこんなにも難しいのか。
九尾、火影、里の陰謀。複雑に絡まり合っている糸を解くにはたくさんの努力と技量、時間を費やした。
────たとえイレギュラーが発生していたとしても、この赤い髪を手繰り寄せたのは俺だ。
この場所は誰にも渡さない────
先程まで温かい瞳をしていたミナトが焼けるような視線に変わったことに気づき、今日は寝かせてもらえないのだとクシナは察する。
ミナトの首に腕を回してクシナはミナトの口に優しくキスをした。
「まったく手のかかる旦那さんだってばね」
Fin
2021/09/05
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