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ファーストキスの行方



昨日は最悪な一日であった。
他里から引っ越してきた私は、初日の生意気な態度が良くなかったのと少し目立つ髪色のせいで、男の子達の揶揄いの対象として突っかかれては喧嘩の日々を過ごしていた。
いつものように少年たちをボコボコにした後、背後からパキリと木が軋む音が鳴った。

「誰!?」

音が聞こえた方に目を向けると木の上から少年がこちらを見ていた。

ああ、波風ミナト。あんたもついに私に喧嘩を売るつもり?

「なに見てるってばね!あんたも私に何か文句あるの!?」

そう言いながら私はミナトに近づく。

波風ミナト。何故だかいつも少年達と喧嘩をしている時によく見かける。
虐めてくるわけでもないが、助けてくれるわけでもない。気がつくといつも離れた木の影からこちらを見ている。高みの見物でもしているのだろうか。それとも、私の力量を品定めしているのであろうか。どちらにしろ嫌なやつだ。

「そこから降りてきなさい。相手になってやるってばね」

いい加減コイツの存在にも思うところがあったので、これは喧嘩をするいい機会かもしれない。

波風ミナトは座学も忍術も体術もアカデミーではトップだった。一度だけ授業で波風ミナトと手合わせをした事がある。が、悔しいことに負けてしまった。
ヤツは私が得意とする投げ技をヒラリと避けたかと思うと、スルリと背後に回り込んで手刀を首元に添えた。あまりの早技に私は何が起こったのかわからなかった。「そこまで」と先生の声がかかる。
「うおお、すげー!ミナト」と歓喜の声が上がるのと同時に「調子に乗るからだぞハバネロ」私への誹謗中傷の声も聞こえた。誰が見ても波風ミナトの完全勝利であった。
波風ミナトは爽やかに笑顔を浮かべると和解の印を私に向けた。屈辱だ。攻撃さえもされないのか。先程の手合わせなんて、なんて事ないよ、というようなへらへらとした笑みを浮かべるコイツに心底腹が立った。
体術は今まで負けたことは無かったし、一番自信があっただけに悔しさが渦巻く。いつか絶対コイツを地面にはっ倒してやる。そんなことを思いながら私は和解の印を契った。

確かに地面にはっ倒してやるとは思った。
しかし何故こんな形で実現するのか。

倒れたミナト上に馬乗りに乗っている私。
これが喧嘩の末に波風ミナトを倒した姿ならどれほどよかっただろう。
口内にはじわじわと鉄の味が広がっていく。何故?さっきぶつかった時に切ったから。何処に?波風ミナトの口元に。つまり?私は波風ミナトと……。
そう気がついて思わず口元に手を置いた。カッと顔から火が出そうなほどに急激に体温が上昇する。
最悪だ。なんでよりによってコイツと。

「あ、あの。クシナ……」

地面から声が聞こえた。声のする方へ顔を向けるといつも通りの冷静な顔をした波風ミナトがいた。そう、その顔。私はアンタのその顔が嫌いだ。
なんでも無いように飄々としているその顔が。クールになんでも完璧にこなして、感情を見せてこないその顔が。
これじゃあまるでさっきの事も、私だけが意識しているみたいじゃない。

私はどうしてだか溢れてくる涙を抑えるのに必死だった。そして溢れそうになる涙を波風ミナトに見られたくなくて一言も発する事なくその場から走り去った。
ポロポロと涙が頬を伝う。悲しいのか、悔しいのか、腹が立つのか、はたまた別の感情なのか、それとも全てなのか。わからないけれど涙が出た。
口の中は血の味と頬から伝う涙が混ざってしょっぱかった。
ああ、ファーストキスくらい好きな人としたかった。なんて最悪な日なんだろう。
 

次の日、きっと少年達に波風ミナトとのキスのことで揶揄われるだろう。そう思っていたのだが何故だか絡まれることはなかった。

「クシナ」

しかし今、世界で話したくない人物No. 1のアイツが私に絡んできた。

「なによ」

流石に穏健派な波風ミナトも昨日の今日。ほか男子達と一緒で私を罵倒しにきたのかもしれない。「ファーストキスだったんだぞ!どうしてくれるんだ!」と怒るのだろうか。いや、そもそもファーストキスだったかは不明だが。……そんなことはどうでも良い。

いつでも攻撃が飛んできて良いように胸の前に腕を構える。きっと今回の喧嘩は今までのものとは桁が違う戦いになるだろう。あの波風ミナトだ。良くて相打ち。敗北覚悟だ。初の黒星になるかもしれない。思わずゴクリと唾を飲む。


「ごめん」



「……え?」

てっきり攻撃を仕掛けてくるだろうと覚悟をしてので、ペコリと頭を下げて謝罪言葉を告げる波風ミナトに私は混乱した。
謝って油断させようっていうの?そう思いながら構える腕を緩めない。しかしいつまで経っても攻撃はこない。
へぇ、コイツってツムジ二つあるんだ。なんてどうでも良いことを考える頃には胸の前で構えていた腕を下ろしていた。

「……何で、アンタが謝るのよ」

どうして?波風ミナトが謝る必要性が全くわからない。むしろコイツは怒っても良い立場の人間だ。
悪いのは私に蹴りを入れた少年と、不意打ちを避けられなかった私だ。

今にして思うと波風ミナトは不意打ちにやられた私を倒れないように支えてくれていたように思う。まぁ、だから一緒に倒れたのだけど。

「アレは事故よ!事故!お互いなかったことにしましょう?」

そうだ。お互い無かったことにしてしまおう。辛いことは忘れてしまえば良い。ファーストキスはもう二度は出来ないけれど、それはコイツも同じだ。まぁ、こいつがファーストキスかわからないけど。こういうのは痛み分けだ!
申し訳なさと少しの寂しさを感じて。平然を取り繕って告げた。


「……よくない」


小さな声だけどミナトの呟きは私の耳に届いた。


「ファーストキスって女の子にとって特別だって聞いたんだ。だから……」

なんだ、コイツなりに責任を感じていたのか。
確かに気にしてないといえば嘘になる。けど、私がいつまでも落ち込んでると、きっとコイツもずっと気にしてしまうだろう。
だから、その後の続きがミナトの口からなかなか出てこない。
その言葉の続きが出たら、もういいのだ、私は大丈夫だと言ってやろう。

ミナトはやっと決心したのか私を見る。


「もう一度、ファーストキスをやり直したいんだ!」

「ふぇ!?」

キリリと顔を引き締めてミナトは告げる。きっとこれが世間ではキメ顔というものだろう。
スマートに言ったようだが、波風ミナト!オマエは何を言ってるんだ!思わず変な声が出てしまったじゃないか!

「み、ミナト、落ち着くってばねッ!」

「僕は冷静だよ。クシナ」

どこがだよッ!!!何をどう間違えたらファーストキスをやり直そうだなんて話になるんだ!コイツ今、真面目な顔してとんでもない事を言ったぞ!?
……いや、私こそ冷静になりなさいクシナ。もしかしたらコイツなりに申し訳ないと色々考えてきてくれた結果がこれなのかもしれない。……?

「いや、ホントに気にしなくていいから!お互い犬に噛まれたと思って忘れましょう?」

「君が良くても、オレが納得できないんだ!」

「エエッ!?」 

そっち!?もしかして僕のファーストキスを奪った責任を取れっていうこと??!?
落ち着け落ち着け、うん。きっと波風ミナトもあんなのがファーストキスだったのが嫌だったのかもしれない。そうだきっとそう。

……いやいやいや、やっぱりおかしいでしょ。しかもなんで私!?

波風ミナトの斜め上からの発言に私の脳内は既にキャパオーバーで、上手く頭の処理ができない。

チラリとミナトを見ると決意は硬いようで、とてもおふざけで言っているようには見えなかった。

し、仕方ない…元はと言えば私があの時攻撃を避けていればコイツのファーストキスを奪わずに済んだんだ。
クッ、、しっかり責任は取るってばね……!!!


「や、やるならさっさとやりなさいよッ!!?!」

「う、うん!!?」

険しい顔だった波風ミナトは私の同意の言葉を聞くと驚いた顔をした後、パァアっと効果音がつきそうな顔をして返事をした。
さぁ、一思いにやれ!とミナトに向き直る。女は度胸だ。

「クシナ、目を閉じて」

私は言われた通りに目を閉じる。
もうキスでも何でもドンとこいっ!!!ヤケクソだ。
ガシリと両肩をミナトから掴まれる。
そんなことしなくても逃げないわよ!なんて軽口を叩けるほど今の私には余裕はない。
触れたミナトの掌にギュッと力が入っていくのがわかる。ミナトの体温で火傷してしまうんじゃないかと思うほどにミナトの熱を感じた。

目を閉じているせいか、普段よりドクドクと早い心音が嫌というほど大きく聞こえる。
まるで時限爆弾の秒数を刻むかのような鼓動。こんなの恥ずかしくて爆発してしまう。
























しかし待てども待てどもキスはこない。












どれくらい目を瞑っていたかわからないが体感では5分くらい経ったように思う。



あれ?




一体どう言うこと?




もしかして「うそでした〜」とか言うオチじゃないでしょうね!?


気になって目を開くと真っ赤になった波風ミナトがいた。



え、えええ!?ここまできて怖気付くんかい!!
さっきまでの意気込みはどうしたのよ!


「もういいってばね!私が責任とってやる!!」

「え!?」

私はミナトの顎ガシッと掴むと勢いよくキスをした。


ガチリ


「「ッ〜〜〜!?!!」」



勢いが良すぎたせいで歯と歯が思いっきりぶつかった音がした。
あまりの痛さに2人とも地面にひれ伏す。

痛い……!痛すぎるってばね!
隣を見ると口を押さえてピクピクと転がっているミナトが見えた。


────いつか地面にコイツをはっ倒してやる!


なんていつか思ったなぁ、と倒れているミナトを見て思い出した。これは実質私が倒しているということで良いのだろうか。
そんな呑気なことを考えていると口内に血の味が広がっていく。きっとどこかを切ってしまったのだろう。
昨日と同じだ。ファーストキスどころかセカンドキスまで大失敗するなんて……。

怒りとか、悲しいとか、そんなんじゃなくてふつふつと可笑しさが込み上げてくる。
ファーストキスもセカンドキスも私とミナトは血の味だ。
なんだかおかしくなって笑ってしまった。

「っぷ……あははは!ぐぁははは!」


なんだ、これ。二人して一体何やってるんだろう。というかファーストキスをやり直したいって何?私が責任をとってやる!って馬鹿?二人とも血迷いすぎて傑作選だ。
今考えれば涙が出るくらいおかしかった。
最初はポカンとしていたミナトだが、私につられて笑い出した。



二人して地面に寝転がり空を見上げる。
どこまでも広がる青い空は雲ひとつ無くすっきりと晴れ渡っている。
こんな大空の下では私の悩みなんて、きっとちっぽけにすぎなんだろう。



「ファーストキスってレモン味なんだって」

なんの脈略もなくミナトが言葉を紡ぐ。

「ふーん。だったらそれは嘘っぱちだってばね!」

甘酸っぱいどころか口内に広がるのは鉄の味。なんなら流した涙で少しだけしょっぱい気もする。

それにファーストキスを失敗した私たちにはそんなこと一生わかりっこない。初めては何事も一度しかないのだから。


「ねぇ、クシナ」

「なに?」


ミナトに顔を向けると先程とは違い真剣な顔をしていた。こいつの瞳がこんなにも青い目をしていたなんて知らなかった。
青く燃える炎のように、私を捉えて離さない。

逃げられない。何故だかそう思った。

そっと目を閉じる。
感じるのは私とミナトの息遣いだけ。




そっと触れた唇。


「やっぱりレモン味なんて嘘」

私がそう言うと、ミナトはそうだねと笑った。
口内に広がるのは血の味だ。

でもこれってサードキス?もう何だっていいや。





ファーストキスはレモンの味がするらしい。

だけど絶対嘘ね。
だってこんなにも優しくて温かい温もりが酸っぱいだけのはずがないもの。

ファーストキスを失敗した私たちには確かめる術はないのだけれど。
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