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カズミ編

 6月のことである。離島の大都会、ウツロ特区。繁華街から少し離れたところに、研究所が1軒。ウツロ第2研究所。
「おはよーございます!」
 背の高い少年、カズミはいつものように研究所に入る。
「おはよぉ」
 紫色の奇抜な髪の男、ネコダは机に突っ伏して寝ていた。
「あんたまたこんな所で寝て。風邪引いても知らねえぞ。」
 あーあーこんなに散らかして。カズミはぼやきながら、慣れた手つきでゴミを片付ける。
「よし、こんなもんか。朝飯食いに行くぞ!」
 右手にゴミ袋、左手にネコダの身体を抱え、彼は研究室を出た。

 ゴミを出した後は、いつものように研究所の食堂へと向かう。寝起きが悪いネコダを片手で抱えて歩くカズミの姿は、研究所内ではお馴染みになっていた。
 食堂に入ったカズミは、ネコダを座らせた後にキッチンへ向かう。研究所の食堂は終日開放されている。といっても、キッチンを使用する者はカズミを除いてあまりいない。戸棚にブロック型、またはゼリー状の栄養食が並んでおり、そこから各自好きなものを取って食べるのがウツロ研究所流だ。一方で、カズミの出身地であるミツバ区ではオーガニック食品や手作りの食事が徹底されていた。ネコダも栄養食より手作りの食事を好んでいたのもあり、助手兼雑用係であるカズミがネコダの食事を作ることになったのである。
「卵雑炊と大根の味噌汁、フルーツヨーグルト……カズ君ったら僕の胃の状態まで把握してくれてる……ありがたやぁ……」
「褒めても何もでねえぞ。」
 カズミはさっさと食事を済ませ、ボサボサのネコダの髪を整える。……またペンを簪代わりにしている。いっそ切ればいいのにと思いながら、持ち歩くようになったピンと髪ゴムでお団子状にまとめた。ここに来てから1ヶ月。カズミはすっかりこの自堕落人間のお世話係と化していた。
「……それで、どうだい?そろそろ1ヶ月経つけど、仕事楽しい?」
「楽ではあるな。難しい事も考えなくていい。忙しくはあるが、何だってそんなもんだろ。」
 掃除、洗濯、食事の用意、器具の洗浄・消毒など、カズミは雑用ばかり指示されていた。最初は「研究員の助手」として難しい事をやらされるのではと思っていたが、実際は簡単な作業であった。
「そうかい。それじゃあ仕事に慣れてきた君に、『護衛』の仕事を追加しようかな。」
 ネコダの護衛。それは、彼との契約事項に含まれていた内容だ。これまで彼は部屋にこもっていたため、その必要はなかった。
「護衛って。どっか行くのか?」
「そろそろサンプルの採取に挑戦してみようかと思っていてね。」
『おおー!ってことは、来るんだね!境界線に!』
 この世界は、こことは違う世界「異界」からの干渉により、文明が飛躍的に発展した。異界からは遺物と呼ばれる未知の物体が一方的に「異界ゲート」と呼ばれる場所に流れ着き、ウツロ区ではウツロ研究所が採取・解析・抽出・開発するのだそうだ。この中でウツロ第2研究所が担当するのは「生物分野の解析」であり、本来なら採取は別の部署が担当するはずであった。しかし、ネコダという狂研究者は特別であった。何しろ自分の脳に異界技術を施す、つまり自分自身で実験をしているのだ。その結果得た頭脳や彼自身の性格もあって、ネコダは採取から開発まで1人でやることを許可されていた。しかし、いくら頭脳が発達しているとはいえど、彼は非力である。異界ゲートには危険がつきものだそうで、彼が採取に行けた事は一度もないのだ。
「……そこで、俺の出番ってことか。」
「そう!僕がサンプルの採取をしている間、君は僕を守ってくれ。いざとなったらさっきみたいに僕ごと担いで逃げてくれ!」
「そんなに危険なのか?」
「そうだね。異界の生き物は、たった一声で人間を燃やしたり切り刻んだりできる。異界ゲートもそれなりの危険があると見て間違いないね。しかし、その危険を冒す価値が異界ゲートにはある!」
『そのとーりっ!ぜひおいで!面白いことがたっくさん!だよ!』
 ネコダは目を輝かせる。もしカズミが行かないと言っても、ネコダ1人で行ってしまいそうだ。
「分かったよ、行こう。」
 カズミがそう言うと、待ってましたとばかりにネコダは立ち上がった。

 大きなリュックを背負いながら、2人は異界ゲートの入り口に来ていた。そこは厳重な扉で覆われており、重装備の男女がいた。
「ネコダ研究員ですね。」
 重装備の男女はネコダ達を見つけると、敬礼をした。
「おはようございます。今日はよろしくね。こちらは警備部のリョータさんとエリカさん。採取に同行してくれるそうだ。」
「カズミです。よろしくお願いします。」
 互いに挨拶を交わす。ウツロ社の警備部とは主に武力を扱う部署の総称だそうだ。その仕事内容はウツロ特区の治安維持から異界ゲートの見回りまで多岐に渡る。研究所とは協力関係にあり、武器や防犯技術等を開発して提供しているらしい。
「さて、早速中に入ろうじゃないか。」
 ネコダの一言で、彼らは異界ゲートに足を踏み入れた。

 異界ゲート内は入り組んでおり、複数の作業員がいた。彼らはガラスのような金属のような、半透明で光沢のある鉱物を掘っていた。魔導体と呼ばれる物質で、異界技術の媒体として最初に使われたものであるとネコダは語る。魔導体を始めとした、採取するのに安全な素材は作業員たちに任せて、研究者たちは別のものを探すという。彼らの目的は、異界の生き物や「遺物」。異界の生物は、ネコダとカズミのいる第2研究所の専門分野である。「遺物」とは、異界の書物やカラクリのことである。異界ゲートにそれらがたまに落ちていることがあり、ネコダはそれを自力で解析できるのだそうだ。彼の類まれなる頭脳がなせる技だ、とリョータは評価した。
「……へえ、あなたもネコダ研究員に助けてもらったんだ。」
 異界ゲート内は作業員がいたこともあり、カズミが思っていたよりも和やかな雰囲気だった。
「あなたもってことは、エリカさんもですか。」
「ええ。異界生物との戦闘で顔に大怪我してね。でもネコダ研究員のおかげで傷痕も残らず治ったの!」
「はは、やめてくれよ。研究者として当然のことをしたまでさ。」
「そう謙遜しないでくださいよ。俺達、ネコダさんには感謝してるんだ。」
 ネコダは生活態度こそ自堕落極まりないが、それは昼夜問わず研究に没頭しているためである。数々の研究成果を出しているにも関わらず、それには全く興味を示さない。それらは知りたい事では無かった、とでも言うように、最低限の結果(それでも成果としては十分なものである)だけをまとめて次の研究に取り掛かるのだ。「僕にはやらなきゃいけない事がある」と、口癖のように言っていたのをカズミは思い出した。
 ふと目をやったところに、1冊の本があった。白く光る羽に埋もれている。
「これは……」
「ああ、これは異界の聖典だね。遺物の中ではありふれたものだけど、これは……新品の状態を保つ加工が施されている。いいね。1つ収穫だ。」
 ネコダはリュックに本を入れた。
 
 異界ゲートの中を進んでいくと、コウモリや鳥などの小さい動物や虫などがちらほら見えるようになった。ネコダの言った通り、どこからともなく炎を飛ばして攻撃してくるし、もちろん鋭い牙や爪を武器に飛びかかっても来る。
 リョータは刃付きの警棒で鳥を殴る。エリカは斧型の警棒を振り下ろす。ネコダはその後ろで死体となった動物を漁り、カズミはネコダに攻撃が来ないよう見張っていた。
「カズ君も自分専用の武器を持ってみるかい?」
 興味はある、とカズミは返した。良いの作ってもらおうか、とネコダは異界生物らの死体を漁りながら笑った。ちなみに、カズミが持っているのはただの金属バットだ。彼に特殊警棒を使う許可はまだ降りていないのだ。

 奥に進むにつれて、何人かいた作業員もいつの間にかいなくなっていた。危険エリアに入ったということらしい。 
「この異界ゲートってやつはどこまで続くんだ?」
「終わりは無いよ。本来はここは地下鉄として開通されたんだ。しかしある日突然異界と繋がって、本来の物理法則を無視して際限なく道を広げるようになってしまった。この道の果てには、何があるんだろうね。」
「異界じゃないのか?」
「そうかもしれないし、違うかもしれない。『異界』という存在は、ここに出没する生物や書物から推測された異空間にすぎないからね。」
 ネコダの難しい話を聞き流しながら、カズミは3人についていった。

「みんな、気を付けて。」
 ネコダはタブレット型端末を見て険しい顔をしている。レーダー探知機が搭載されているようで、奥に複数の大きなエネルギー体を示していた。彼らは身構えるが、奥からはボロボロの服を纏った人が現れただけだった。
「ただの人よ。誤作動じゃーー」
「 」
 その人物はエリカに近付くと何か言葉を発した。その瞬間、赤い光がエリカを殴った。
「!!」
 エリカは横に吹っ飛び、壁に叩きつけられる。大きくへこんだその壁には、潰れた血肉の塊があった。それがエリカだと理解する間もなく、彼らは臨戦態勢に入った。
 カズミにだけは、「それ」の頭や周囲に何か光のようなものが見えていた。非常灯を思わせる、赤い光だ。
『見える?隠者の魔力の光が。赤い光は悪意の塊。一度目をつけられたら、逃げても逃げても追いかけてくるよ。』
 リョータは刃付き警棒を手に、「それ」に斬りかかる。
「カズミ!ネコダさんを連れて逃げろ!」
 そう言われる前にカズミはネコダを担いで走ろうとした、が、目の前には赤い光の壁がそびえ立っていた。通ろうとしても、何故か進めない。
「駄目だ、見えない壁がある。あいつのしわざか?どうやら立ち向かうしかないようだね。」
 ネコダは拳銃のようなものを構える。その表情には不安が残っていた。
 リョータの首が飛ぶ。脊髄ごと引っこ抜かれた首が転がった。
『あーあ、ピンチだね!私の力が必要かな!?』
 こんな時にも聞こえる幻聴。カズミはいらついて、つい叫んでしまった。
「うるせえよ!どうにかできるもんならしろよ!」
 うふふ、という声とともに羽毛の幻覚がひらひらと舞う。 
『しょうがないなあ。魔力を打ち破る力をあげる。オマケで馬鹿力もセットだよ!』 
 その瞬間、カズミの両腕に何か暖かいものが宿る。今なら何でも壊せる気がする。金属バットを構え、バットに力を注ぎ込むように念じる。そうするとバットが、宝石のように屈折した光を放つようになった。
 そのままバットを「それ」へ振り下ろすと、叫ぶ間もなく「それ」の頭は粉砕された。
「はーっ、はーっ……」
 肉が潰れた嫌な感触が伝わる。人型のものを殺してしまった罪悪感がカズミを襲った。
「何だい、その力は?」
 ネコダはカズミを、信じられないものを見るような目で見る。しかしそこに恐れは無い。むしろ、好奇心に溢れた顔だ。
「先月の異界技術による超人化か?やはりあの代替肉は特別だった。遺跡から狩ってきた甲斐があったーー」
 ネコダは顔を上げ、道の奥を見つめている。その視線の先には、奇妙な服を着た男がいた。心臓の辺りが黄色く光っている。
『黄色い光は生者の証。あっちの世界から来た一般人だね。』
「彼は間違いなく異界人……こちらの世界に迷い込んだ人間だ。少なくとも敵意は無いようだね。」
 ネコダが言うなら間違いない。カズミはその人に声をかけることにした。
「おーい!」
「莠コ縺具シ?」
 どうやら異界とこちらの世界では扱う言語も違うようだ。男が何を言っているのか、カズミには理解できなかった。
「縺薙%縺ッ縺ゥ縺薙〒縺吶°?縺ゅ↑縺溘……」
「落ち着けって。何を言ってるか分かんねぇよーー」
 プシュ、と何かが弾ける音がする。それと同時に、男の体が跳ねた。「それ」は泡を吹いて痙攣し、やがて動かなくなった。音のした方向には、ネコダが。彼は拳銃のようなものを男に向けていた。
「カズ君、これを運んでもらえるかな。……はは、安心して。ただの麻酔銃だよ。異界人専用のね。これは大事な『サンプル』だもの。死なれたら困る。」
 ネコダはナイフで男の舌を切り取り、袋に入れる。血が出たが、ネコダは傷口を携帯型電気ごてで焼いた。
「お、おい、ネコダ、何やって、」
「何って。異界人はたった一声で人を燃やしたり切り刻んだりできるんだよ。喋れないようにしておかないと。……まさか可哀想だと思ってる?どうせこっち側に来た異界人は長くは生きられないよ。どうせ死ぬなら、ちゃんと有効活用してあげないとね。さ、運んで。」
 あまりにも平然と言うから、カズミはそれに従ってしまった。先ほどの「隠者」の死体と共に、担いでいった。

 異界ゲートを出ると、すぐにネコダは警備部に連絡を入れた。リョータとエリカの件を伝える為だ。連絡が入った後は回収班が彼らの遺体を回収するという。異界ゲートでこのような死人は珍しくない。運が良ければ蘇生できるかもしれないね、とネコダは言っていた。
「あっ、ネコダさん!おかえりなさい!」
 研究所に帰ると何人かの研究員がカズミたちを出迎えてくれた。体力の無いネコダが異界ゲートに行ったものだから、心配していたそうだ。
「おや、それは?」
 研究員の1人が男を指差す。カズミにはそれが何か恐ろしくて言う事ができなかった。しかし、ネコダは違うようだ。
「なんとなんと、異界人を生け捕りにしてきました!」
 しばしの沈黙。研究者同士で顔を見合う。大丈夫なのか、と言う声も聞こえた。それはそうだ。住む世界が違えど同じ人間なのだからーー
「大丈夫だよ。ちゃんと処理済みだ。麻酔銃もしっかり効いたし、仮死状態になってるはずだ。」
 安堵のため息。拍手。おおっと歓声をあげる者すらいる。
「これで研究も1歩進むぞ!」
「研究予算が増える!やれる事が増えます〜!」
 笑顔が溢れる。誰も異界人の安否を心配する者は、いない。
「これもカズ君が助けてくれたおかげだね。みんな、カズ君に拍手!」
 拍手が巻き起こる。皆が喜ぶから、カズミもつられて引きつった笑いを浮かべた。

 自室に戻った後、カズミは頭を抱えていた。あの男はこれからどうなるのだろうか。舌を切られ、仮死状態にもされ、検体として解剖でもされるのだろうか。恐ろしい。研究員たちの態度も恐ろしい。何だあれは。異界人を解剖するのが普通なのか?
『やっぱりこの世界の人間って素晴らしい!向上心が爆上がりっていうか!』
「どこが素晴らしいんだよ!イカれてやがる!」
 また幻聴に反応してしまった。しかも、見ないようにしていた幻覚に目を向けてしまった。
 
『やっとこっちを見たね。』
 
 視線の先には、天使がいた。6枚の真っ白な翼で浮かぶ少女。万華鏡のように煌めく虹色の瞳がカズミを見下ろしていた。
『私は「豊かな調べ」。元々はあっちの世界の神様だったんだけど、飽きてきたからこっちの人間の味方をすることにしたの!』
 ふわふわと羽が浮く。結われた金髪が揺れる。
『ネコダがカズミに私を降ろして、カズミが私を見てくれたから、私はここに来ることができたの。』 
 聞きたいことはたくさんあった。
「降ろしたって、何だよ?」
『だって使ったでしょ?眷属の肉。』
 思い出すのは1ヶ月前のあの日。右腕や臓器にあの醜い肉塊を移植された日だ。
『それじゃ、ちょっとこの世界を見てこようかな!「豊かな調べ」はいつでもあなたの事を見守ってるからね。これからよろしくね。チュッチュッ!』
 天使、いや、「豊かな調べ」は投げキッスをしたかと思えば窓をすり抜けて飛んで行ってしまった。これは夢なのだろうか。全部悪い夢に違いない。寝て覚めればいつもの雑用係に元通りだ。やっぱり、考えるのはやめよう。いつも通り、何も考えずに日々を過ごそうーー

「ふふ、ふふふ……」
 ネコダは時折笑みを浮かべながら、メスを片手に男の体を調べていた。ネコダが開発した異界人専用麻酔銃のおかげで、目の前の異界人は生命活動こそすれど、二度と動くことも喋ることもない。今回の採取は、まさに宝の山だった。異界人の脳味噌から記憶を探る事もネコダには容易い。「これ」は各地を転々と旅する呪術師だったそうだ。ネコダの目標に1歩1歩近づいているのを感じる。
「君にさえ会えれば何もかもどうだっていいんだ。もうすぐ会えるからね。」
 引き出しの中には、セーラー服を着た少女の写真があった。
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