カズミ編
「この世界はもうすぐ、死をも克服するよ。」
少女は6枚の白い羽で視界を包み込む。眼差しが割れたガラスのように屈折していて、そこに映る自分が無限に広がる。
「私は人間が持ってる無限の可能性が好きなの。あなたはどうなりたい?」
少女の問いに、自分はどう答えたか。分からないまま少年は夢から覚めた。
病室、ベッドの上。少年は自身が点滴に繋がれているのに気付いた。固まった身体の先に力を少しだけ入れて動かす。全身に違和感。動くには動くが、まるで自分の身体でないようだ。特に右腕。見ると、言い様もなく気持ちの悪い肉の塊がそこにあった。肉であるかも怪しいそれは、キャラメルと苔を混ぜ合わせたような見た目で蠢いている。鳥の羽根のようなものも混じっており、まるで鳥を咀嚼しているようだ。叫びたくても声が出ない。暴れようとして気付いたが、彼の身体は拘束具でベッドに縛りつけられていた。
「おはようさん」
この場には似つかわしくない、呑気な男の声。しばらくして、長髪の男が視界に入ってきた。紫の奇抜な髪を、お団子状にまとめている。
「早速で悪いけど、自分の名前と生年月日言える?」
「……ホシ・カズミ。203年11月3日。」
「じゃあ、今日の日付言える?」
「221年5月24日?」
「うん。合っているよ。」
ちらりと見えた名札には「ウツロ第2研究所 研究員 ネコダ・マサト」と書かれていた。
「ああ、失礼。僕は担当医のネコダです。」
カズミが「研究員じゃないんすか」と呟くと、ネコダは「どっちでもいいじゃないか」と返した。担当医。自分を治したのはネコダという男だということ。その事が、自分に起きた異変を思い出すきっかけとなった。
「そうだ、俺の腕、何でこんなことに、」
右腕とは認めたくない、醜い肉塊。すでに飲み込まれたのか、白い羽根は消えていた。
「ああ。その前に、ここに来るまでに何があったか覚えてるかい?」
そう言われて、カズミはここに来るまでの出来事を思い出す。正直、何が起こったのかは自分でも分からなかった。覚えているのは、自分が学校にいたこと。山奥の田舎の学校だ。突如轟音が起こり、身体が吹き飛ばされたこと。友達や教師の居場所も分からず、自らも瓦礫の下敷きになったこと……。
「君のいた学校が爆発した。原因は究明中。」
「待ってください、爆発って。じゃあ、俺の友達は?先生は?」
「残念だけど、生き残ったのは君1人だけだ。」
友達も、先生も、皆死んでしまったという事実を、カズミは受け入れられないでいた。そんなわけないだろとネコダに食ってかかろうとしたが、拘束具のせいでそれも叶わない。
「じゃあ!腕のこれはなんなんだよ!」
どんどんパニックになっていく。カズミは、身をよじりながら声を荒らげた。
「ああ、これ。気持ち悪いだろうけど、明日には普通の腕と変わらない見た目になってるから、安心して。」
「そうじゃねえよ!どうなってるんだよ!」
「体や臓器の損傷が激しくてね。奇跡的に『異界』の代替血液と臓器、義手が適合したから、それを移植したんだ。」
「異界」。ある日突然世界各地と異世界が繋がり、その研究をしていくうちに魔法とも呼ぶべき技術革新が起こったのだ。それらをまとめて「異界技術」と呼んでいるのは、カズミでも知っていた。しかし、まさかこんなにもグロテスクなものがあるとまでは思わなかったようだ。肉塊、もとい義手は薄い膜を張っていた。
「気持ち悪いと思うけど、異界技術なんてこんなもんだよ。明日までは腕は動かさないでね。」
「……はい」
あまりにもネコダが冷静に話すものだから、カズミは考えるのをやめた。
夜。カズミは何かを考えることも出来ずに微睡んでいた。起きているか寝ているか分からない状態が、何もかも吹き飛ばされたあの日の記憶を呼ぶ。ネコダは爆発って言ってたっけ。あっという間で何も感じなかったと思っていたが、耳や鼻はその時の様子を覚えていたようだ。言葉にならない自分の呻き声。煙や血の臭い。周りは意外と静かで、今になってそれが全滅のサインだと気付いた。カズミには家族がいない。友達と呼べる仲ではない友達も失った。どうして自分だけが生き残ってしまったのだろう。こんな腕になってでも生きる意味はあるのか。泣いても、拭うための手は動かせなかった。
ーーくすくす、大丈夫だよ。すぐに良くなるからね。
ついに幻聴まで聞こえやがったか。誰か、少女が笑うような声が聞こえる。誰かに見られているような気味の悪さ、羽毛に包まれているような暑さを感じながら、カズミは眠りについた。
次の朝には腕も身体も元通りになっており、痛み止めで抑えられる程度の痛みを残すのみとなっていた。拘束具を外しに来たネコダは馴れ馴れしくもカズミを「カズくん」と呼んできた。
「怪我はすっかり治っているね!我ながらよくやったもんだ。」
「ネコダ、さん。俺は……」
「ネコダでいいよ、君みたいな子どもに敬語使われるの、嫌なんだよね。」
「えっと。じゃあ、ネコダ。この後、俺、どうなるんだ?」
ネコダはばつの悪そうな顔をして目をそらす。普通に退院、というわけにはいかないらしい。
「あー……実はね。君に使った代替血液、臓器と義手、あれがちょっと特殊なやつでね。実験段階というか、何でか分からないけどうまくいっちゃったというか。」
「実験段階なのかよ!?」
「だって君ほぼ死んでたよ?異界技術と言えど、そんな状態の人間を治す方法は未だに確立されていない。なら、研究段階のものにかけるしかないよね?サンプルは使いきってしまったけど、君は確かに治った!それでいいじゃないか。」
ネコダが言うには、これからカズミは被験体として経過観察が必要なこと、カズミの体の大半が異界技術の代替であることから、「超人化」の可能性もあるということだ。
「超人」というのは、身体に異界技術を施した結果、読心術や飛行能力など、それこそ「魔法」のような特殊な能力を得た者のことを言う。田舎者のカズミはこの事をよく知らないが、都会ではヒーローのように扱われている「超人」もいれば、その能力を悪用して犯罪に走る者もいるという噂は聞いていた。
「かく言う僕も『超人』の仲間でね。アンプルを脳にぶっ刺してまさしく超人的な頭脳を手に入れたってワケ。おかげでこんな髪の色さ。」
自らの頭を指さして、ネコダは笑う。肩まで伸びた髪は鮮やかな紫色をしていた。
「最初はドブみたいに汚い虹色だったけど、今はまあキレイだし。気に入ってはいるかな。君のその腕も、昨日はグロかったけど、一晩経てばもう人間のソレと変わりなくなってるでしょ。いやあ、技術の進歩ってのは素晴らしいね。そのうちきっと……」
「死をも克服する。」
いいねそれ、とネコダは感心する。どうしてそんな言葉が出てきたのか、カズミには分からなかった。
「気に入った。君、僕の助手にならない?」
唐突の提案に、カズミは驚く。そんなカズミには目もくれず、ネコダはそばにあったタブレット型端末を眺めていた。
「君、剣道部にいたみたいだね。それと水泳部とボクシング部をかけ持ち……体力には困らなさそうだ。」
彼は本気のようだ。端末にはカズミの情報が入っているのだろうか。それにしても、研究員の助手とは何をすればいいのか。カズミは勘が効くが、頭は良くなかった。学校のテストでは赤点を連発し、部活を禁止されていたことも少なくない。研究員助手の仕事だなんて見当もつかなかった。
「別に難しいことじゃないよ。助手と言うよりボディーガードと言った方が近いかもしれない。このご時世だ、何かと物騒でね。僕はそれほど体力がある方じゃないから、いざという時に僕を守ってくれる人が必要なのさ。それ以外にも雑用はやってもらうが、いずれにせよ頭を使う作業じゃないよ。このまま僕の監視下で被験体として静かに過ごしてもいいが、どうせなら体を動かせた方がいいだろう?」
どうやら、助手になってもならなくても彼とは長い付き合いになるのは変わらないらしい。それなら、彼の言う通り体を動かせた方が余計なことを考えずに済むかもしれない。カズミは頷いた。
「やるよ。」
「よし。手続きはこちらで進めておくから、ここにサインと印だけちょうだい。」
ネコダは書類を差し出す。ようやく自由になった右手でサインをし、拇印を押す。その書類には数多の契約事項が書かれていたのだが、カズミは読まなかった。彼の悲惨な運命を感じ取ったのか、どこかで少女の笑い声がした。
数時間にも及ぶ事情聴取ののち、カズミは病室で一人の時間を過ごしていた。大人しくしているのも癪ではあったが、また拘束具を着けられたらたまったものじゃない。
『病室って退屈なのね!』
視界の端に白い羽が見えたような気がする。傷が治ったとはいえ、まだ痛みも熱もあるのだ。それに、ついこの間まで通っていた学校まで爆発して。ショックで頭がおかしくなってしまっても不思議ではない。そう考えたのか、単に気付いていないだけなのか、気付く余裕もないのか。カズミは目を閉じた。
2日もすれば、体はすっかり良くなっていた。ネコダが代わりに手続きをしてくれたのだろう。カズミが回復したと分かると、すぐにネコダと共に病室を出ることができた。カズミが病院だと思っていたここは、病院ではなく研究所であったようだ。おそらく、ネコダの名札に書かれていた「ウツロ研究所」というのがここの名前だろう。
「ここはどこなんだ?」
カズミは辺りを見回しながら尋ねる。研究所の窓からは、田舎者のカズミが見た事のないような建物が見えた。
「ウツロ特区。『異界技術』の研究に特化した、離島の大都市さ。ウツロ特区はウツロ社の管理下にあって、ここは数多いウツロ社研究所の一つってワケ!」
ネコダはカズミにカードキーを渡す。そこには「ウツロ第2研究所 研究員助手 ホシ・カズミ」と書かれていた。
「俺がいたところとはだいぶ違うな。」
「地区によって特徴も文化も様々だからねえ。君のいた所は、自然を出来る限り残す方針だったかな。」
そんな事は学校で習ったような気もするが、あまり覚えていなかった。
ネコダは大きな扉の前でパネルを操作している。しばらくして、大きな音と共に扉が光った。
「そこにカードキーかざして。」
カードキーをかざして扉を開ける。
『お〜!ポータルだよ!これは!ここで見ることができるなんて!』
「ポータル?」
幻聴がまだ治っていないらしい。カズミはうっかりその言葉を繰り返してしまった。
「よく知ってるね。これは異界の『ポータル』と呼ばれる、瞬間移動の技術を使ったものだ。これのおかげで、数キロ離れた場所にもひとっ飛び、というワケさ。ちなみに、移動先は僕らの本拠地、『ウツロ第2研究所』だよ。」
ネコダについて行く形で扉を越える。山を登った時のような頭痛がカズミを襲った。しかし、きっと慣れるだろうと彼は気にも留めなかった。
しかし、ウツロ特区にポータルに研究所。初めて聞くたくさんの用語に、カズミの頭は圧迫されていた。別の意味で頭が痛くなりそうだ。本当に研究所の助手なんて出来るのだろうかと不安になってくる。
「ここが僕の研究室ね。さ、入って入って。」
ネコダに続いて中に入る。部屋の中は散らかっていた。壁一面には付箋がびっしりと貼られている。床には本やゴミ、書類が散らばっていて、けもの道のような隙間がかろうじて見えた。
『きたなーい!そりゃあ助手スカウトしたくなるよ!仕事第1号はこの部屋の掃除だよ!絶対!』
「あー、まあ、歩けそうなとこ見つけて。床のものは本以外踏んづけちゃっていいから。」
どこに何があるかも分からないような部屋で、ネコダは椅子を出してきた。座れということらしい。
「さて、とりあえずはお疲れ様。どうだい、ウツロ特区は。」
「ちょっとしか見てないが、なんか疲れたな。ついていけねえっていうか……。」
『こんなことで疲れてど〜するの!まだまだフシギはあるんだからね!』
そーかい、とネコダは笑う。彼はどこからかお菓子の入った箱を出してきた。
「好きなの取って食べな。」
カズミはその中からチョコレートを選んでつまむ。激甘だ。さっさと飲み込もうとしている間に、ネコダは熱々のコーヒーを出した。今来たばかりなのに、どこから、どうやって出したのだろうか。カズミがそれを考えている間に、ネコダは自分のコーヒーに砂糖を山ほど入れていた。ネコダという男は甘党なのだ。
「さて、これからの事を話そうか。」
「これからって、いつまでここで助手やってりゃいいんだ?」
「願望としてはずっとだけど、とりあえずは3ヶ月。君がいた養護施設には連絡を入れておいた。3ヶ月後、君が望むなら改めて契約を結ぼうか。」
カズミは頷いた。彼自身、施設にあまり良い記憶はなかった。帰る時間を遅くするために部活を掛け持ちしていたほどだ。ネコダの事は胡散臭いオッサンと思っているが、学校も無くなってしまったことだし、大した娯楽もないあの山に帰るよりは、ここでネコダの助手をしていた方が気晴らしにはなりそうだ。
『くすくす、楽しそうなことになってきたね♪』
白い羽の幻覚を視界の端に追いやりながら、カズミはネコダの手を取った。
少女は6枚の白い羽で視界を包み込む。眼差しが割れたガラスのように屈折していて、そこに映る自分が無限に広がる。
「私は人間が持ってる無限の可能性が好きなの。あなたはどうなりたい?」
少女の問いに、自分はどう答えたか。分からないまま少年は夢から覚めた。
病室、ベッドの上。少年は自身が点滴に繋がれているのに気付いた。固まった身体の先に力を少しだけ入れて動かす。全身に違和感。動くには動くが、まるで自分の身体でないようだ。特に右腕。見ると、言い様もなく気持ちの悪い肉の塊がそこにあった。肉であるかも怪しいそれは、キャラメルと苔を混ぜ合わせたような見た目で蠢いている。鳥の羽根のようなものも混じっており、まるで鳥を咀嚼しているようだ。叫びたくても声が出ない。暴れようとして気付いたが、彼の身体は拘束具でベッドに縛りつけられていた。
「おはようさん」
この場には似つかわしくない、呑気な男の声。しばらくして、長髪の男が視界に入ってきた。紫の奇抜な髪を、お団子状にまとめている。
「早速で悪いけど、自分の名前と生年月日言える?」
「……ホシ・カズミ。203年11月3日。」
「じゃあ、今日の日付言える?」
「221年5月24日?」
「うん。合っているよ。」
ちらりと見えた名札には「ウツロ第2研究所 研究員 ネコダ・マサト」と書かれていた。
「ああ、失礼。僕は担当医のネコダです。」
カズミが「研究員じゃないんすか」と呟くと、ネコダは「どっちでもいいじゃないか」と返した。担当医。自分を治したのはネコダという男だということ。その事が、自分に起きた異変を思い出すきっかけとなった。
「そうだ、俺の腕、何でこんなことに、」
右腕とは認めたくない、醜い肉塊。すでに飲み込まれたのか、白い羽根は消えていた。
「ああ。その前に、ここに来るまでに何があったか覚えてるかい?」
そう言われて、カズミはここに来るまでの出来事を思い出す。正直、何が起こったのかは自分でも分からなかった。覚えているのは、自分が学校にいたこと。山奥の田舎の学校だ。突如轟音が起こり、身体が吹き飛ばされたこと。友達や教師の居場所も分からず、自らも瓦礫の下敷きになったこと……。
「君のいた学校が爆発した。原因は究明中。」
「待ってください、爆発って。じゃあ、俺の友達は?先生は?」
「残念だけど、生き残ったのは君1人だけだ。」
友達も、先生も、皆死んでしまったという事実を、カズミは受け入れられないでいた。そんなわけないだろとネコダに食ってかかろうとしたが、拘束具のせいでそれも叶わない。
「じゃあ!腕のこれはなんなんだよ!」
どんどんパニックになっていく。カズミは、身をよじりながら声を荒らげた。
「ああ、これ。気持ち悪いだろうけど、明日には普通の腕と変わらない見た目になってるから、安心して。」
「そうじゃねえよ!どうなってるんだよ!」
「体や臓器の損傷が激しくてね。奇跡的に『異界』の代替血液と臓器、義手が適合したから、それを移植したんだ。」
「異界」。ある日突然世界各地と異世界が繋がり、その研究をしていくうちに魔法とも呼ぶべき技術革新が起こったのだ。それらをまとめて「異界技術」と呼んでいるのは、カズミでも知っていた。しかし、まさかこんなにもグロテスクなものがあるとまでは思わなかったようだ。肉塊、もとい義手は薄い膜を張っていた。
「気持ち悪いと思うけど、異界技術なんてこんなもんだよ。明日までは腕は動かさないでね。」
「……はい」
あまりにもネコダが冷静に話すものだから、カズミは考えるのをやめた。
夜。カズミは何かを考えることも出来ずに微睡んでいた。起きているか寝ているか分からない状態が、何もかも吹き飛ばされたあの日の記憶を呼ぶ。ネコダは爆発って言ってたっけ。あっという間で何も感じなかったと思っていたが、耳や鼻はその時の様子を覚えていたようだ。言葉にならない自分の呻き声。煙や血の臭い。周りは意外と静かで、今になってそれが全滅のサインだと気付いた。カズミには家族がいない。友達と呼べる仲ではない友達も失った。どうして自分だけが生き残ってしまったのだろう。こんな腕になってでも生きる意味はあるのか。泣いても、拭うための手は動かせなかった。
ーーくすくす、大丈夫だよ。すぐに良くなるからね。
ついに幻聴まで聞こえやがったか。誰か、少女が笑うような声が聞こえる。誰かに見られているような気味の悪さ、羽毛に包まれているような暑さを感じながら、カズミは眠りについた。
次の朝には腕も身体も元通りになっており、痛み止めで抑えられる程度の痛みを残すのみとなっていた。拘束具を外しに来たネコダは馴れ馴れしくもカズミを「カズくん」と呼んできた。
「怪我はすっかり治っているね!我ながらよくやったもんだ。」
「ネコダ、さん。俺は……」
「ネコダでいいよ、君みたいな子どもに敬語使われるの、嫌なんだよね。」
「えっと。じゃあ、ネコダ。この後、俺、どうなるんだ?」
ネコダはばつの悪そうな顔をして目をそらす。普通に退院、というわけにはいかないらしい。
「あー……実はね。君に使った代替血液、臓器と義手、あれがちょっと特殊なやつでね。実験段階というか、何でか分からないけどうまくいっちゃったというか。」
「実験段階なのかよ!?」
「だって君ほぼ死んでたよ?異界技術と言えど、そんな状態の人間を治す方法は未だに確立されていない。なら、研究段階のものにかけるしかないよね?サンプルは使いきってしまったけど、君は確かに治った!それでいいじゃないか。」
ネコダが言うには、これからカズミは被験体として経過観察が必要なこと、カズミの体の大半が異界技術の代替であることから、「超人化」の可能性もあるということだ。
「超人」というのは、身体に異界技術を施した結果、読心術や飛行能力など、それこそ「魔法」のような特殊な能力を得た者のことを言う。田舎者のカズミはこの事をよく知らないが、都会ではヒーローのように扱われている「超人」もいれば、その能力を悪用して犯罪に走る者もいるという噂は聞いていた。
「かく言う僕も『超人』の仲間でね。アンプルを脳にぶっ刺してまさしく超人的な頭脳を手に入れたってワケ。おかげでこんな髪の色さ。」
自らの頭を指さして、ネコダは笑う。肩まで伸びた髪は鮮やかな紫色をしていた。
「最初はドブみたいに汚い虹色だったけど、今はまあキレイだし。気に入ってはいるかな。君のその腕も、昨日はグロかったけど、一晩経てばもう人間のソレと変わりなくなってるでしょ。いやあ、技術の進歩ってのは素晴らしいね。そのうちきっと……」
「死をも克服する。」
いいねそれ、とネコダは感心する。どうしてそんな言葉が出てきたのか、カズミには分からなかった。
「気に入った。君、僕の助手にならない?」
唐突の提案に、カズミは驚く。そんなカズミには目もくれず、ネコダはそばにあったタブレット型端末を眺めていた。
「君、剣道部にいたみたいだね。それと水泳部とボクシング部をかけ持ち……体力には困らなさそうだ。」
彼は本気のようだ。端末にはカズミの情報が入っているのだろうか。それにしても、研究員の助手とは何をすればいいのか。カズミは勘が効くが、頭は良くなかった。学校のテストでは赤点を連発し、部活を禁止されていたことも少なくない。研究員助手の仕事だなんて見当もつかなかった。
「別に難しいことじゃないよ。助手と言うよりボディーガードと言った方が近いかもしれない。このご時世だ、何かと物騒でね。僕はそれほど体力がある方じゃないから、いざという時に僕を守ってくれる人が必要なのさ。それ以外にも雑用はやってもらうが、いずれにせよ頭を使う作業じゃないよ。このまま僕の監視下で被験体として静かに過ごしてもいいが、どうせなら体を動かせた方がいいだろう?」
どうやら、助手になってもならなくても彼とは長い付き合いになるのは変わらないらしい。それなら、彼の言う通り体を動かせた方が余計なことを考えずに済むかもしれない。カズミは頷いた。
「やるよ。」
「よし。手続きはこちらで進めておくから、ここにサインと印だけちょうだい。」
ネコダは書類を差し出す。ようやく自由になった右手でサインをし、拇印を押す。その書類には数多の契約事項が書かれていたのだが、カズミは読まなかった。彼の悲惨な運命を感じ取ったのか、どこかで少女の笑い声がした。
数時間にも及ぶ事情聴取ののち、カズミは病室で一人の時間を過ごしていた。大人しくしているのも癪ではあったが、また拘束具を着けられたらたまったものじゃない。
『病室って退屈なのね!』
視界の端に白い羽が見えたような気がする。傷が治ったとはいえ、まだ痛みも熱もあるのだ。それに、ついこの間まで通っていた学校まで爆発して。ショックで頭がおかしくなってしまっても不思議ではない。そう考えたのか、単に気付いていないだけなのか、気付く余裕もないのか。カズミは目を閉じた。
2日もすれば、体はすっかり良くなっていた。ネコダが代わりに手続きをしてくれたのだろう。カズミが回復したと分かると、すぐにネコダと共に病室を出ることができた。カズミが病院だと思っていたここは、病院ではなく研究所であったようだ。おそらく、ネコダの名札に書かれていた「ウツロ研究所」というのがここの名前だろう。
「ここはどこなんだ?」
カズミは辺りを見回しながら尋ねる。研究所の窓からは、田舎者のカズミが見た事のないような建物が見えた。
「ウツロ特区。『異界技術』の研究に特化した、離島の大都市さ。ウツロ特区はウツロ社の管理下にあって、ここは数多いウツロ社研究所の一つってワケ!」
ネコダはカズミにカードキーを渡す。そこには「ウツロ第2研究所 研究員助手 ホシ・カズミ」と書かれていた。
「俺がいたところとはだいぶ違うな。」
「地区によって特徴も文化も様々だからねえ。君のいた所は、自然を出来る限り残す方針だったかな。」
そんな事は学校で習ったような気もするが、あまり覚えていなかった。
ネコダは大きな扉の前でパネルを操作している。しばらくして、大きな音と共に扉が光った。
「そこにカードキーかざして。」
カードキーをかざして扉を開ける。
『お〜!ポータルだよ!これは!ここで見ることができるなんて!』
「ポータル?」
幻聴がまだ治っていないらしい。カズミはうっかりその言葉を繰り返してしまった。
「よく知ってるね。これは異界の『ポータル』と呼ばれる、瞬間移動の技術を使ったものだ。これのおかげで、数キロ離れた場所にもひとっ飛び、というワケさ。ちなみに、移動先は僕らの本拠地、『ウツロ第2研究所』だよ。」
ネコダについて行く形で扉を越える。山を登った時のような頭痛がカズミを襲った。しかし、きっと慣れるだろうと彼は気にも留めなかった。
しかし、ウツロ特区にポータルに研究所。初めて聞くたくさんの用語に、カズミの頭は圧迫されていた。別の意味で頭が痛くなりそうだ。本当に研究所の助手なんて出来るのだろうかと不安になってくる。
「ここが僕の研究室ね。さ、入って入って。」
ネコダに続いて中に入る。部屋の中は散らかっていた。壁一面には付箋がびっしりと貼られている。床には本やゴミ、書類が散らばっていて、けもの道のような隙間がかろうじて見えた。
『きたなーい!そりゃあ助手スカウトしたくなるよ!仕事第1号はこの部屋の掃除だよ!絶対!』
「あー、まあ、歩けそうなとこ見つけて。床のものは本以外踏んづけちゃっていいから。」
どこに何があるかも分からないような部屋で、ネコダは椅子を出してきた。座れということらしい。
「さて、とりあえずはお疲れ様。どうだい、ウツロ特区は。」
「ちょっとしか見てないが、なんか疲れたな。ついていけねえっていうか……。」
『こんなことで疲れてど〜するの!まだまだフシギはあるんだからね!』
そーかい、とネコダは笑う。彼はどこからかお菓子の入った箱を出してきた。
「好きなの取って食べな。」
カズミはその中からチョコレートを選んでつまむ。激甘だ。さっさと飲み込もうとしている間に、ネコダは熱々のコーヒーを出した。今来たばかりなのに、どこから、どうやって出したのだろうか。カズミがそれを考えている間に、ネコダは自分のコーヒーに砂糖を山ほど入れていた。ネコダという男は甘党なのだ。
「さて、これからの事を話そうか。」
「これからって、いつまでここで助手やってりゃいいんだ?」
「願望としてはずっとだけど、とりあえずは3ヶ月。君がいた養護施設には連絡を入れておいた。3ヶ月後、君が望むなら改めて契約を結ぼうか。」
カズミは頷いた。彼自身、施設にあまり良い記憶はなかった。帰る時間を遅くするために部活を掛け持ちしていたほどだ。ネコダの事は胡散臭いオッサンと思っているが、学校も無くなってしまったことだし、大した娯楽もないあの山に帰るよりは、ここでネコダの助手をしていた方が気晴らしにはなりそうだ。
『くすくす、楽しそうなことになってきたね♪』
白い羽の幻覚を視界の端に追いやりながら、カズミはネコダの手を取った。
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