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『A』

Alba
 入団手続きと簡単な訓練で、今日の仕事は終わった。ニール達はまだ会議をしているようだ。先に帰って夕飯を作ろうかと思っていたら、ちょうどニールがやってきた。
「お、アルバ。一緒に帰ろうぜ。」
 ニールは爽やかな笑顔を向ける。断る理由も無いし、同行する事にした。
「今日もキツかったな。会議と訓練で頭も身体もクタクタだ。」
「大変だな。私も明日から忙しくなりそうだ。」
「お前はまだ見習いだから、むしろちょっと物足りないかもしれないぜ?」
 互いに気を遣って話してはいるが、度々黙り込む事があった。よく見ると、彼の表情は段々と暗くなっていた。
「今日も紫の森に行くのか?」
「!な、何を言って……」
「ゼノンから聞いたんだ。この前だって、紫の森に行くために家を抜け出そうとしたんだろ?」
 バレていたのか。何となくそんな気はしていたけれど、やっぱり気まずい。冷や汗が首筋を伝った。
「何でお前が紫の森に行っても平気なのかは聞かねえよ。どうせ『体質だ』とか言って誤魔化されるだけだろうしな。だが、森の外は……ここは、苦しいのか?オレ達の家は、お前の居場所にはなれないのか?」
 悲しそうな目。ここでどう取り繕っても、悪いようにしかならないだろう。そんな事は分かっているのに、私はその汚い口から言い訳を吐き出す。
「そういう意味じゃないんだ。まだここに来て日が浅いし、馴染むにはまだ早いって事だよ。ここだってなんだかんだ言って楽しくなってきてるし、ニールやディーやゼノンの事も信頼してる。でも……」
 そこまで言いかけて、何でもないと言ってやめた。これ以上は言うべきじゃない。これを言ったら、ニールに心を開いた事になってしまう。彼を信じるな。そう思っていたのに、ニールは続けろと言った。
「……ニール達以外は、私を避けようと、傷付けようとしてくる。街の人も、団長も、医者も。そりゃあ私は人型のストレンかもしれないさ。化け物かもしれないさ。見ただろ、ニール。私の体が黒くなるのを!ニール達だって、いつまで私に優しくしてくれるか分からないだろ。だから……そうだよ。逃げてるんだよ。毎晩あの森で快楽に溺れてるんだ。私はもう騎士団の一員なのに、情けないだろ。私は相応しくないんだよ。たるんでる。また見捨てられても仕方ない。一度丸坊主にして出直すべきだ。」
 頭がズキズキと痛む。ああ、これは私が誰かにずっと言われてきた事だ。誰か?誰だっけ?「そいつ」と不出来な自分への怒りが止まらないまま、私は誰に言われたかも分からない自己否定の言葉を吐き出す。感情を制御する方法なんて忘れてる。不安定で、突いたら崩れる砂の壁のよう。止まれ。止まってくれ。
「……」
 肩に手をかけられる。体が強張る。
「落ち着きなさい。」
 そう声をかけられ、背中をさすられる。私はそれに合わせて深呼吸した。
「オレは記憶喪失になった事もねぇし、お前の気持ちも分からねぇけどさ。……不安、なんだよな。お前がオレ達をそんなに信じてないのは分かる。周りの奴らがお前に冷たくしてるのも、分かる。何も分からなくて、誰も信じられなくて、それでも独りで何かをしようとしているのも、何となく。でもさ、そんな子を放っておけるかよ。お前が何であろうと関係ない、これはオレの性分だ。だから……あー、なんだ?こういう時に限って良い言葉が出ないんだよなぁ……」
 とにかく頼っとけと言って、ニールはずっと背中をさすってくれた。
「とりあえず、今言える事は……そうだな、ドーバッツァの奴には気をつけろよ。一昨日からお前の事で喧嘩してたんだよ。」
「一昨日帰りが遅かったのはそれが理由か。」
 数日前までは私に鼻の下を伸ばしていた隊長が、私を殺そうとまでしてくる。この態度の急変の原因は何なのか。
「よしよし。アイツに何かされたら真っ先にオレかゼノンに言うんだぞ。」
「そうするよ。……それにしても、何でアイツは私に対してあんなに敵意を剥き出しにしているのだろうか。」
「何でだろうな。お前、記憶失くす前に何かしたんじゃねぇの?」
「してないしてない。多分。」
 その後ずっと、帰るまで何も話さなかった。
 
 家に着いてから少し経った後、ディーとゼノンが帰ってきた。
「おかえり。今夕飯作ってるから、待っててくれ。」
「俺も手伝う。」
 そう言ってゼノンは台所に立つ。強烈な視線を感じる。手伝うなんて口実で、本当は何か聞きたい事があるのだろうとすぐに分かった。
「入団おめでとう。家政婦兼兵士、か。大変だろう。」
「家賃代わりさ。ただでここに置いてもらってその上色々な物を買ってくれるんだ、その分働かないと。」
「そうか。家事はな、適当でいいぞ。あいつらは廊下に埃が積もってても気にしない。それに1人で何もかもやってたら、あいつらはお前がいないと何も出来なくなるからな。いずれここを出ていく事を考えているならば、それは避けたいだろう?」
「あはは、そうだな。」
 台詞を音読しているかのようなぎこちなさ。彼は好奇心は強いが、流石に「あの話題」をどう切り出せば良いのか分からないようだ。
「訊きたい事は分かってるよ。この身体のことだろ?」
「ああ。物分かりが良くて助かる。」
「もうごまかせないものなぁ。うーん、どこから話せば良いのやら。」
「じゃあ、こちらから質問するぞ。その腕はどうなっているんだ。」
 ゼノンは私の左腕を見る。先程千切れて、再生した左腕だ。
「私の体は、傷がすぐに治るんだ。傷や痣を負ってもすぐに消えるし、腕や脚を切り落とされても生えてくる。死ぬ程の傷を受けても生き返る。痛みは消えないがな。」
「そうか。腕は今も痛むか?」
「もう慣れたよ。大した事じゃない。」
 その返答にゼノンは何とも言えないような反応をしていたが、気にしない事にしたのだろう、「次の質問だ。」と続けた。
「傷がすぐに治るようになったのはいつからだ?初めてここに来た時点ではそうでなかっただろう。全身……特に背中に大怪我を負って、重症だったはずだ。」
「初めて気付いたのは、そうだな、ちょうどストレンが街で暴れたっていう騒ぎがあった後だ。」
「なるほど。……。」
「何だよ、ジロジロ見て。そこは嘘なんかついてないぞ。そりゃ、あいつに噛まれてないなんて嘘ついたのは悪かったが……」
「やはりあれは嘘だったか。」
 私は「ごめん」と言って、出来たばかりのシチューを盛り付けた。塩漬けサーモンとニンジンと豆のシチュー。隠し味に生姜と酢を少々。少し水っぽくさらっとした食感になってしまったが、これはこれで良いと思う。硬くて中身の詰まったパンによく合うだろうし、いつも酒ばっかり飲んでるニールには良い酔い醒ましになるだろう。
「毎日毎日、こんなに美味そうな飯を作るとは。……味見していいか?」
「いいよ。」
 彼は鍋に残っているシチューを小皿に少し取って、口に入れる。実はこれで4回目だ。
「うまい……」
 ゼノンは何回も頷いている。
「ゼノンが手伝ってくれたからだよ。ありがとうな。」
 私の心にも無いお世辞にも反応せず、彼はただ頷いている。
「ほら、料理が冷める前にニール達を呼んでこないと。おーい!」
 ご飯だぞ、と呼ぶとすぐにニールとディーが来た。少しの気まずさはあったが、皆は料理に舌鼓を打ってくれたみたいだ。おいしいおいしいという声の中、夕飯の時間を過ごした。
 
 夕飯の支度の後、私は自室でゼノンと話していた。内容は料理中の話の延長線。痛みはどうだ、だの、黒い血がどうだ、だの。話しているだけでは限界があったのか、とうとうこんな事を言い出した。
「アルバ、やましい気持ちなどこれっぽっちも無いが……身体に触れてもいいか。」
「あなたも医者の真似事か。……いいよ。」
 彼は私の首や額や髪に触り、口内と目をじっと見ている。兜を脱いだ男の顔には、好奇心が滲み出ていた。恐れも軽蔑も企みも下心も無い、ただただ純粋に知りたいという気持ち。それがあの医者どもと違って、何故か信用できた。
「熱は無い。瞳孔には問題は無いが、白目にホクロのような黒い点が出来ているな。右に1つ、左に2つ。どれも瞼を大きく上げなければ見えない位置にある。あとは、舌と口内に大小の黒斑がいくつかある。顔にはできていないが、うなじの辺りに大きめのホクロが2つある。」
「そうなのか?」
「ああ。うなじにあるものを除いて、これらは外からはあまり見えない位置にある。見た目に関しては今のところは心配する必要はないと言っていいだろう。ただ……これがトカゲ病の症状であるかどうかは断定できないな。ただのホクロかもしれないし、違う病気の可能性もある。あとは、血管が黒いな。もちろん赤や青の血管もあるが。」
「血が黒いんじゃないのか。左腕を切り落とされた時も黒い血が混ざってただろ。」
 ストレンと同じ、黒い血。私の中で不安がどんどん膨らんでいく。
「ほくろや黒い斑点、黒い痣、黒い血管があちこちにある。顔よりも明らかに多い。トカゲ病の症状の一つと言っても良いだろう。それに、肌が綺麗すぎる。今日はアイツと戦ったのだ、傷の1つくらいあるはずなんだが。あとは……失礼に感じるかもしれないが、一般的な女性の体型とはだいぶ異なっている。身体が細すぎるのもそうだが、全体的に骨ばっている。」
「女らしくないってことか?」
「ああ。端的に言えばそうなるな。男らしいとも言えないが……。あまり傾向が強く出ている訳でもないから、気を悪くしないでくれ。」
 女らしくないと言われ、ショックを受けるどころか何故か安堵している自分がいる。そういえば、ここに来てから月のものが一度も来ていない。私がその存在を知っているということは、以前は来ていたのだろうか。
「だいたい、分かった。私でも知らない事もあった。ありがとう。」
 少し上の空になりながらも、返事をする。ゼノンを見ると、心配そうな目で私を見ていた。
「……アルバ、座れ。」
 何故か椅子に座らされる。どうしたのだろうと思っていたら、ゼノンは布を取って私に向かって放り投げた。
「拭け。」
 気付いたら、全身水を被ったかのように汗が出ていた。ベタベタして気持ち悪い。
「顔色も悪い。今日は横になって休め。」
「……分かった。ありがとう。」
「話したくない事まで問いただして悪かった。もう寝るか?」
「ううん。まだ寝たくない。水浴びしたくなってきた。」
「お前、本当に水浴びが好きだな。毎朝毎晩、よくやるよ。アズメールじゃ3日に1度入れば多い方だぞ。」
「……汚れてるのが嫌だから。」
「そうか。風邪ひくなよ。おやすみ。」
 おやすみと返事をして、ゼノンを見送った。
 
Zeno
 アルバの部屋を出た後も、俺はまだニールの家に留まっていた。何となく、まだ自宅には帰りたくない。思考がまとまらない。アルバの身体は、明らかに異常だ。俺達にとって害になる存在かとか、そんなレベルではない。単純に心配なだけではないかと訊ねられたら何も反論できないが、どうしても気になって仕方なかった。似た症状のトカゲ病患者なら何人も見てきた。だが、その誰もが死にかけか発狂寸前だったのだ。あんなに動ける患者は見たことがない。彼女も同じように苦しんでいるのだろうか?
「あ、ゼノン。」
 悩みながら歩いていると、アルバと出会った。濡れた肌に薄い服が貼り付いて、肋骨が浮き出た身体が見える。乞食のような細い身体だ。背が高い分、余計にアンバランスに見える。
「さっきは悪かったな。ゼノンも水浴びか?……っくしゅ!」
「冷えに気をつけろ。ちゃんと拭け。」
 布でゴシゴシと髪を拭いてやる。アルバはくすぐったそうに笑っていた。
「俺は散歩だよ。まだ家に帰る気になれなくてな。お前はこんな時間まで水浴びしてたのか?」
「ああ。……何回洗っても臭いと汚れが取れなくって。それに、すごく暑いから。」
 匂いを嗅いでみるが、特に何も匂わない。特に目立った汚れも無いようだ。それに、今夜は特に冷える。暑いだなんてありえない。
「お前、最近髪が傷んでるんじゃないか?洗い過ぎのせいだぞ、それ。」
「うっ、人が気にしてる事を……。体質のおかげで肌荒れ知らずだけど髪は治らないんだよな。」
「分かってるなら生活態度を見直せ。どうせ飯もそんなに食ってないし寝てもないんだろ。今日の夕飯も少なかったの、知ってるぞ。お前、せっかくそんなに整った顔と長い手足を持ってるんだ、磨かなけりゃ損だぞ。」
「ゼノンってやけにそういうのにこだわるよな。」
「まぁな。とにかく飯を食え。ちゃんと寝ろ。」
「……それ、前にすごく聞いた事がある気がするな……。」
「お前、記憶を失くす前もそんなに不摂政だったのか。」
 さすがに呆れた。恐らく、いや、確実にトカゲ病の影響や精神的な負担もあるのだろうが、彼女の生活習慣は見直さなければならない。
「もう寝なさい。」
「……うん」
 不服そうにしているアルバを部屋へと送る。眠れそうか?と訊くと、寝ないとダメだろ、と返ってきた。
 
Alba
『ゆっくり、ゆっくり。脚をのこぎりで切られる。ぎり、ぐちゃ。肉を削る音と血の音が暗い部屋の中に響く。
 のこぎりが骨に到達する。痛くて痛くて、私は失禁してしまった。汚いと言われて、「さdぃさササさまま」に顔を殴られた。そして、脚の付け根に釘を思いっきり刺された。
「ごめんなざい、ごめんなざいぃ!」
 私は必死で泣き叫びながら謝る。だけどのこぎりは止まってくれない。釘も抜いてくれない。
 「Rぇぐ」、「Dぃー」、たすけてよ。友達の名前を何度も何度も心の中で呼ぶ。一緒に「あの洞窟」に閉じ込められていた友達。私と違って、家族に見つけてもらえて、家に帰る事ができた子達。何で、何で私は誰にも助けてもらえなかったんだろう。友達は私を忘れた。家族は私を売った。もう私には誰もいない。
 とうとう脚が切断された。でも、その傷口から少しずつ脚が再生する。白衣の男がのこぎりを構えるのを見て、また脚を切られるのかと諦めた。脚が再生しきって、再びのこぎりの刃が私の脚に触れた時……』
 のこぎりの刃が私の脚に触れた時、目が覚めた。
 
 寝汗と涙でぐしゃぐしゃに濡れたシーツ。頭が揺れる感覚。夢の中だけだったはずの脚の痛みは消えず、ずっと痙攣している。もう、嫌。心が折れそうになる。思い出すのは痛く苦しい事ばかり。分かっていくのは辛い事実ばかり。思い出せないけれど、私はたくさんのトラウマに縛りつけられているんだ。今だって、「何か」を恐れて弱音一つ吐けやしない。誰も、何も頼れない。頼ってしまえば「誰か」に罵られるから。
 私はきっと、あの夢の中でされたような事を何回も経験しているんだ。今でさえ発狂してしまいそうなのに、全部思い出したら私は壊れてしまう。壊れる?壊れてしまったら、どうなる?分からない。
「……どうでもいいか」
 段々と心が冷めていく。苦しくて、痛くて、焦っているはずなのに。「誰か」が「私」を動かしているように、感情と行動が切り離されていく。「私」の心に「誰か」が混ざっていく。だけど、焦ってはいない。とても、静かだ。
『よく考えろよ。今までお前が受けた仕打ちに比べたら今日腕を切られた事なんて些細な事だろ。』
 誰かが私に話しかける。それを聞くと頭の中が空っぽになる。何もない空間は、白くて虚しいだけ。
『お前は、何をどうしようと考えていた?何を考えようと無意味だ。お前はただ■■に任せて手を動かせば良い。そうやって、考えるのをやめたら楽になる。鈍感にならねば。正気を保たなければ。』
 何に、任せるんだっけ。ほぼ消えている意識の中、ぼんやりと私は思う。分からないけれど、重要じゃない。そんな事はどうでもいい。考えても、私がこれからもこうやって苦しむ事は変わらない。痛みも苦しみも、意識の外へ追いやってしまおう。
「アヒァ、ハ、クヒヒヒヒヒ……」
 私は笑える。笑えるなら大丈夫。悲鳴も笑い声に変えて誤魔化してしまおう。そうして、私は目を閉じた。
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