『A』
Zeno
ニールが大臣の部屋に入ってから、数時間が経つ。この部屋の主は確か、多少はニールと面識があったはずだ。上手くいくと良いのだが……
やがて、ニールが出てきた。満足そうとは言わないが安堵の表情を浮かべていた。
「許可、取れたぜ。出発は1週間後になっちまったけどな。ゼノン。オレがいない間、アルバとディーを預かっといてくれないか?」
「1人で行くつもりか?危険だぞ。せっかくだ、2人も連れて行ってやれ。特にディーは久しぶりに父親に会いたがっているだろう。」
「そっか。そうだな。あいつらも連れてってやるか。」
ニールは歩き出す。俺もその隣を歩いた。
「ニール、あの装置についてどう思う?」
何となく尋ねてみると、ニールの表情が険しくなった。
「間違いない、あれはジェイドラ製だ。あの国の奴らが何か企んでるんだろう。ジェイドラ……厄介な事ばっかり起こるな、あの国。」
ニールはあの国を毛嫌いしている。彼の甥であるディーが1度、あの国の者の被害に遭っているからだ。
カラニヒュ誘拐事件。外国の貴族の子供が攫われ、ジェイドラのカラニヒュという地に集められた事件だ。ディーもその攫われた子供達の一人だった。15人の子供が攫われたが、酷い人体実験を受けさせられていたらしい。生存者はディーを含むたったの2人だった。首謀者の名はサディ=マドラ。研究内容がジェイドラ国王の目に留まったため逮捕されることはなく、その後も国王の支援のもと研究を続けたという。
「そういえば。あの時、ディーが変な事を言っていたな。『もう1人生きてる、おねえちゃんがまだいる』……だったか。もう1人の生存者は否定してたけど。」
「今となってはそれを確かめる術は無い。データも証拠も全部あの国王が揉み消したからな。それより、俺は去年起きた『アル・ヨシュムの大虐殺』が気になる。」
アル・ヨシュムの大虐殺。1年前、ジェイドラの都市アル・ヨシュムで毒ガスが撒かれる事件が起きた。市民の大半が亡くなり、首謀者である若き軍人イドリス=ベルク=ディアキールはその後処刑されたという。
「あの事件に使われた毒ガス、気にならないか?」
「まさか……コレ、じゃないだろうな?」
ニールは先程会議で出ていた装置を見せてくる。猛毒の液体を霧状にして散布する装置……
「可能性はある。」
隣で舌打ちの音が聞こえた。
D
ニールと家に帰ると、アルバが夕飯を作っている最中だった。
「アルバ、ただいま」
アルバは僕達を見ると爽やかに笑った。
「おかえり。腹減っただろ。もうそろそろご飯できるから、少し待っててくれ。」
「……えーと、アルバ……」
ニールを見ると、何やら気まずそうに俯いていた。
「ニール、おかえり。会議にはちゃんと間に合ったか?さっきはごめんな、迷惑かけて。」
「……アルバ、悪かった。」
気にしてないよ、と彼女は笑う。何かあったのだろうか?不思議に思っているとアルバと目が合った。彼女は誤魔化すようににっこり笑うだけだった。
夕飯の席で、ニールから来週実家に帰ると聞かされた。僕とアルバも一緒に連れて行ってくれるそうだ。久しぶりにお父さんに会える。お父さんに会ったら何をしようかな。ここでの暮らしの話をしようか、弓が上手くなった事を話そうか、それともアルバのことを紹介しようか。ウキウキしながら軽い足取りで廊下を歩く。
そこでアルバの部屋を通りかかったことに気づき、少し気になってそっと中の様子をうかがう。ほんの少しだけ、ドアを開ける……
「ディー?」
すぐに気づかれた。僕はドアを開けた。彼女は椅子に座って何かを読んでいた。
「どうしたんだ、私の部屋をこっそり見ようとしたようだが。」
「ちぇ、バレちゃった。……アルバの事が心配だったから。」
もし、この前の夢みたいに指を切ってたら。今朝みたいに苦しんでたら。そう思ったら覗かずにはいられなかったのだ。
「何も心配いらないのに。」
「本当に?じゃあ、今日は寝られそうなの?」
「ああ!そりゃあもうぐっすりと。」
アルバと暮らして分かった事がある。今みたいに彼女がニコニコ笑っている時は、大抵何かを誤魔化そうとしているのだ。
「……僕、今日だけ一緒に寝てあげてもいいよ。」
僕がそう言うと、アルバは目を見開いた。
「どうしたんだディー、1人で寝るのが怖いのか?」
「そうじゃないって言ってるでしょ!アルバが眠れなさそうだから、一緒にいてあげるの。」
人に触られるのは嫌いだけど、アルバが何を隠しているのかが知りたい。何より、彼女の傍にいてあげたい。駄目だと言われる前に、僕は彼女のベッドの中に潜り込んだ。
「しょうがないな。」
彼女は布団の上から僕を撫でる。細くて背の高い身体が布団に侵入してきた。
こうやって誰かと一緒に寝るのは久しぶりだ。隣で寝転がるアルバの黒髪が、僕の頬をくすぐる。
あれ?前にもこんな事があったような気がする。何だったっけ。大事な何かを忘れている気がするのに、思い出せない。その感覚さえも忘れてしまいそうな気がして、でも少しでも忘れたくなくて。
「……おねえちゃん」
『おねえちゃん』を呼んだ。そうだ、僕が怖くて眠れなかった時、『おねえちゃん』がこうして一緒に寝てくれたんだ。……でも、それって、誰だったっけ?
「お姉ちゃん?私の事か?」
「違う……と、思う。」
なんだ、と彼女は残念そうに呟く。断言できなかったのは何でだろうか。
「今からでもお姉ちゃんって呼んでくれていいんだぞ?」
「うー、そうじゃなくて……おやすみ!」
何だか照れくさくて、僕は布団を被った。
「……は、ふ、」
荒い息の音で、目が覚めた。僕のじゃない、アルバのだ。彼女はベッドの端でうずくまって必死に息を堪えていた。
「アルバ?……!」
暗くてよく見えないけれど、彼女の全身に黒い点のようなものがいっぱいできていた。
『痛い痛いと泣き叫ぶみんな』
その時、頭の中に何かが浮かんだ。映像。記憶?そうだ、これは悪い大人にさらわれていた時の記憶だ。僕の他にも子供たちがいて、みんな病気になっちゃったんだっけ。みんなも僕も、アルバと同じような黒いものができてたんだ。そして……
『パン、と音を立てて弾ける頭』
みんな、死んじゃった?そう、死んじゃった。この黒くて悪いもののせいだ。もしかして、アルバも……
気付いたら、彼女の身体にしがみついていた。
「ディー?」
「やだ、死んじゃやだ」
泣いてる場合じゃないだろ、何とかしないと。だけど、体が動かない。
「死なないよ。安心しな。」
「でも、そうだ、ニールを呼んで……」
「ニールでもどうにも出来ないだろうよ。いいから、放っておいてくれ。」
アルバは僕の頭を優しく撫でてくれる。でも、でもと繰り返していると、彼女は僕の手に触れた。
「じゃあ、手でも握っていてくれるか?少し心細いんだ。」
僕よりも長くて、だけど僕より細くて冷たい指。ただ握っているだけじゃ簡単にすり抜けてしまいそうで、僕は彼女の腕にしがみついた。……腕も、細かった。
「あはは、そこまでしなくていいよ。あんまり引っ付かれても困る。」
アルバは僕の手を腕から剥がす。僕は大人しく彼女の手だけ握った。
「うん、それでいい。何も怖い事は無いからな。ディーもちゃんと寝るんだぞ。」
そんな事言われても、怖いものは怖い。寝て起きたらアルバの頭が弾けてたなんて嫌だ。大好きな人がいなくなるのはもう嫌だ。考えただけで今すぐにでも抱きつきたくなる。それでも、眠気はやってくる。
「おやすみ」
優しい声を聴いて、骨のような手を握る。僕の体温で少しずつ温まっていく手に安心しながら、僕は目を閉じた。
Alba
「何でこうなったんだろうなぁ」
次の日の朝。兵士の訓練場にて。多くの兵士が見守る中、私は髭面の大男、ドーバッツァ団長と対峙していた。
私が握るは一振りの剣。訓練用で刃の無いものだ。一方、ドーバッツァが持っているのは本物の大斧。恐らく使い慣れたものだろう。武器も体格もあちらの方が上。まるでライオンとキツネ。圧倒的に不利?否、こんな僅かなハンデで私に勝つつもりでいるのか。
「可愛いものだなァ」
自然と口の端が吊りあがっていた。
ニールが大臣の部屋に入ってから、数時間が経つ。この部屋の主は確か、多少はニールと面識があったはずだ。上手くいくと良いのだが……
やがて、ニールが出てきた。満足そうとは言わないが安堵の表情を浮かべていた。
「許可、取れたぜ。出発は1週間後になっちまったけどな。ゼノン。オレがいない間、アルバとディーを預かっといてくれないか?」
「1人で行くつもりか?危険だぞ。せっかくだ、2人も連れて行ってやれ。特にディーは久しぶりに父親に会いたがっているだろう。」
「そっか。そうだな。あいつらも連れてってやるか。」
ニールは歩き出す。俺もその隣を歩いた。
「ニール、あの装置についてどう思う?」
何となく尋ねてみると、ニールの表情が険しくなった。
「間違いない、あれはジェイドラ製だ。あの国の奴らが何か企んでるんだろう。ジェイドラ……厄介な事ばっかり起こるな、あの国。」
ニールはあの国を毛嫌いしている。彼の甥であるディーが1度、あの国の者の被害に遭っているからだ。
カラニヒュ誘拐事件。外国の貴族の子供が攫われ、ジェイドラのカラニヒュという地に集められた事件だ。ディーもその攫われた子供達の一人だった。15人の子供が攫われたが、酷い人体実験を受けさせられていたらしい。生存者はディーを含むたったの2人だった。首謀者の名はサディ=マドラ。研究内容がジェイドラ国王の目に留まったため逮捕されることはなく、その後も国王の支援のもと研究を続けたという。
「そういえば。あの時、ディーが変な事を言っていたな。『もう1人生きてる、おねえちゃんがまだいる』……だったか。もう1人の生存者は否定してたけど。」
「今となってはそれを確かめる術は無い。データも証拠も全部あの国王が揉み消したからな。それより、俺は去年起きた『アル・ヨシュムの大虐殺』が気になる。」
アル・ヨシュムの大虐殺。1年前、ジェイドラの都市アル・ヨシュムで毒ガスが撒かれる事件が起きた。市民の大半が亡くなり、首謀者である若き軍人イドリス=ベルク=ディアキールはその後処刑されたという。
「あの事件に使われた毒ガス、気にならないか?」
「まさか……コレ、じゃないだろうな?」
ニールは先程会議で出ていた装置を見せてくる。猛毒の液体を霧状にして散布する装置……
「可能性はある。」
隣で舌打ちの音が聞こえた。
D
ニールと家に帰ると、アルバが夕飯を作っている最中だった。
「アルバ、ただいま」
アルバは僕達を見ると爽やかに笑った。
「おかえり。腹減っただろ。もうそろそろご飯できるから、少し待っててくれ。」
「……えーと、アルバ……」
ニールを見ると、何やら気まずそうに俯いていた。
「ニール、おかえり。会議にはちゃんと間に合ったか?さっきはごめんな、迷惑かけて。」
「……アルバ、悪かった。」
気にしてないよ、と彼女は笑う。何かあったのだろうか?不思議に思っているとアルバと目が合った。彼女は誤魔化すようににっこり笑うだけだった。
夕飯の席で、ニールから来週実家に帰ると聞かされた。僕とアルバも一緒に連れて行ってくれるそうだ。久しぶりにお父さんに会える。お父さんに会ったら何をしようかな。ここでの暮らしの話をしようか、弓が上手くなった事を話そうか、それともアルバのことを紹介しようか。ウキウキしながら軽い足取りで廊下を歩く。
そこでアルバの部屋を通りかかったことに気づき、少し気になってそっと中の様子をうかがう。ほんの少しだけ、ドアを開ける……
「ディー?」
すぐに気づかれた。僕はドアを開けた。彼女は椅子に座って何かを読んでいた。
「どうしたんだ、私の部屋をこっそり見ようとしたようだが。」
「ちぇ、バレちゃった。……アルバの事が心配だったから。」
もし、この前の夢みたいに指を切ってたら。今朝みたいに苦しんでたら。そう思ったら覗かずにはいられなかったのだ。
「何も心配いらないのに。」
「本当に?じゃあ、今日は寝られそうなの?」
「ああ!そりゃあもうぐっすりと。」
アルバと暮らして分かった事がある。今みたいに彼女がニコニコ笑っている時は、大抵何かを誤魔化そうとしているのだ。
「……僕、今日だけ一緒に寝てあげてもいいよ。」
僕がそう言うと、アルバは目を見開いた。
「どうしたんだディー、1人で寝るのが怖いのか?」
「そうじゃないって言ってるでしょ!アルバが眠れなさそうだから、一緒にいてあげるの。」
人に触られるのは嫌いだけど、アルバが何を隠しているのかが知りたい。何より、彼女の傍にいてあげたい。駄目だと言われる前に、僕は彼女のベッドの中に潜り込んだ。
「しょうがないな。」
彼女は布団の上から僕を撫でる。細くて背の高い身体が布団に侵入してきた。
こうやって誰かと一緒に寝るのは久しぶりだ。隣で寝転がるアルバの黒髪が、僕の頬をくすぐる。
あれ?前にもこんな事があったような気がする。何だったっけ。大事な何かを忘れている気がするのに、思い出せない。その感覚さえも忘れてしまいそうな気がして、でも少しでも忘れたくなくて。
「……おねえちゃん」
『おねえちゃん』を呼んだ。そうだ、僕が怖くて眠れなかった時、『おねえちゃん』がこうして一緒に寝てくれたんだ。……でも、それって、誰だったっけ?
「お姉ちゃん?私の事か?」
「違う……と、思う。」
なんだ、と彼女は残念そうに呟く。断言できなかったのは何でだろうか。
「今からでもお姉ちゃんって呼んでくれていいんだぞ?」
「うー、そうじゃなくて……おやすみ!」
何だか照れくさくて、僕は布団を被った。
「……は、ふ、」
荒い息の音で、目が覚めた。僕のじゃない、アルバのだ。彼女はベッドの端でうずくまって必死に息を堪えていた。
「アルバ?……!」
暗くてよく見えないけれど、彼女の全身に黒い点のようなものがいっぱいできていた。
『痛い痛いと泣き叫ぶみんな』
その時、頭の中に何かが浮かんだ。映像。記憶?そうだ、これは悪い大人にさらわれていた時の記憶だ。僕の他にも子供たちがいて、みんな病気になっちゃったんだっけ。みんなも僕も、アルバと同じような黒いものができてたんだ。そして……
『パン、と音を立てて弾ける頭』
みんな、死んじゃった?そう、死んじゃった。この黒くて悪いもののせいだ。もしかして、アルバも……
気付いたら、彼女の身体にしがみついていた。
「ディー?」
「やだ、死んじゃやだ」
泣いてる場合じゃないだろ、何とかしないと。だけど、体が動かない。
「死なないよ。安心しな。」
「でも、そうだ、ニールを呼んで……」
「ニールでもどうにも出来ないだろうよ。いいから、放っておいてくれ。」
アルバは僕の頭を優しく撫でてくれる。でも、でもと繰り返していると、彼女は僕の手に触れた。
「じゃあ、手でも握っていてくれるか?少し心細いんだ。」
僕よりも長くて、だけど僕より細くて冷たい指。ただ握っているだけじゃ簡単にすり抜けてしまいそうで、僕は彼女の腕にしがみついた。……腕も、細かった。
「あはは、そこまでしなくていいよ。あんまり引っ付かれても困る。」
アルバは僕の手を腕から剥がす。僕は大人しく彼女の手だけ握った。
「うん、それでいい。何も怖い事は無いからな。ディーもちゃんと寝るんだぞ。」
そんな事言われても、怖いものは怖い。寝て起きたらアルバの頭が弾けてたなんて嫌だ。大好きな人がいなくなるのはもう嫌だ。考えただけで今すぐにでも抱きつきたくなる。それでも、眠気はやってくる。
「おやすみ」
優しい声を聴いて、骨のような手を握る。僕の体温で少しずつ温まっていく手に安心しながら、僕は目を閉じた。
Alba
「何でこうなったんだろうなぁ」
次の日の朝。兵士の訓練場にて。多くの兵士が見守る中、私は髭面の大男、ドーバッツァ団長と対峙していた。
私が握るは一振りの剣。訓練用で刃の無いものだ。一方、ドーバッツァが持っているのは本物の大斧。恐らく使い慣れたものだろう。武器も体格もあちらの方が上。まるでライオンとキツネ。圧倒的に不利?否、こんな僅かなハンデで私に勝つつもりでいるのか。
「可愛いものだなァ」
自然と口の端が吊りあがっていた。