『A』
Alba
それから1ヶ月ほど経った後の事だ。
人目を避け、あるかどうかも気づかない路地裏へと入る。私の隣には1人の男がいた。ここの流行りなのか街中でよく見かけるようなラフな服を着ているが、モコモコとした首飾りや鎖を巻き付けたようなブレスレットなど所々でこだわりが見える。その高い背と鋭い目に反してとても親しみやすい印象を受ける。
「よし、ここら辺でいいだろう」
彼はここで立ち止まる。
「悪いな、アルバちゃん。2人っきりで話したかったからさぁ」
「はいはい。ほら、今日のだ。」
私はカゴと皮の袋を渡す。カゴの中には紫の森にいたトカゲの死骸、袋には紫の森で生えていた植物が入っていた。
数日前、紫の森の近くで出会った男。名前は明かさぬが、彼は遠い国から来た商人なのだそうだ。最近そこで異常な現象が起きたのだが、彼の友人がその現象と紫の森との類似性に気付いた。そうして、ここ、アズメールでの調査を開始したのだそうだ。しかし紫の森には毒の霧が立ちこめていて入る事はできない。どうしようか悩んでいた時にちょうど私が森から出てきたのを見たのだという。彼は私を見るとすぐに行動に移した。私を呼び止め、交渉を持ちかけたのだ。彼は私がストレンを調べていること、そして採った物を解析する力は無いことを見抜いていた。……ついでに言うと、私に自由に使える金が無いことも。その上で彼は私が採ったものをこちらに売るよう提案した。ちょっとした金と彼の友人が研究したデータと引き換えに、だ。怪しいところはあったが、この試料を持て余していたのは確かだ。私にこれを調べる技術や知識がないかぎり渡そうが渡すまいが変わらない。私はこの誘いに乗った。そして、その日から毎日紫の森に通い、帰りに彼がいれば取引をしていたのだ。彼に会うのは週に1度くらいだろうか?そして、今日も私は紫の森から帰ってきてこの男に会った。人気のない所で話したいと言われた時は戸惑ったが、それでも取引は止められない。
「ありがとよ。アルバちゃん、アンタのおかげでまたストレンの事はだいたい分かったぜ。ほらよ、報酬だ。」
拳ほどの袋にパンパンに詰まった金貨と紙の束を受け取る。金とストレンに関する情報。まさしく、私が欲していたものだ。金に関してはいつもより多いようだ。
「いつもより多くないか?」
「いくらか上乗せしといたよ。アンタ、オレが思った以上に働いてくれたからなぁ。それにオレもアンタの事は気に入ってんだ。アルバちゃんみたいな健気な子、オレ大好きだぜぇ?」
「分かった分かった」
「お?さては本気にしてねぇな?言っとくが世辞なんかじゃねぇぜ。情報の為とはいえ、危険なとこまで行って頑張っちゃって。それにアルバちゃん自身本当に綺麗だ。髪はツヤツヤで真っ黒で……濡れたカラスの羽根って見た事あるかぁ?まさにこんな感じで美しいんだよ。それに、こんなに深くて綺麗な緑色の目は見た事ない。まるで夜の森に射した光のような……まさに夜明けだ。」
「えっ、あ……うぅ」
この男は事あるごとに口説いてくるので調子が狂う。褒められるのはあまり慣れていない。私が目を逸らすと、「照れた顔もかわいいねぇ」と茶化してくる。
「まいったな、そういう顔もっと見たくなっちまう。……ところで」
そう言って男は私に耳打ちする。官能的で甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「アルバちゃん、さっきアンタのことつけてた奴がいたんだが気付いてたかぁ?ありゃここの兵士だな。」
「!!」
思わず私は振り返る。後ろには誰もいなかった。
「安心しな、テキトーに撒いといたから。」
男は囁き続ける。赤毛混じりの黒髪が私の首に当たる。彼の匂いで頭がぼうっとする。気づけば私の身体は彼の腕に支えられていた。
「……アルバちゃん、帰ったらしばらく休みな。アンタがどんな体質してるのか知らねぇけど、あそこは人間にとってもストレンにとっても毒なんだ。実際、アンタふらふらだぜ。アルバちゃんがいくら大丈夫って思っててもカラダは正直なの。分かる?」
「あ、ああ……」
「よぅし良い子だ」
何故だろう、彼の言う事はすんなりと頭に入ってくるのだ。胸が高鳴る。顔が熱い。匂いにくらくらする。彼の赤毛が目に焼き付く。
「よーしよーし、ゆっくり休みな?ほら、ぎゅってすると落ち着くだろ。なんならオレとこのまま……」
確かに彼の腕の中は心地よい。ずっと抱かれていたくなる。だけれど、時間を無駄にはしていられない。私は足に力を込めた。
「私、行かなきゃ……」
「そうか、残念だ。だが、本当にいいのかぁ?目がとろんってしてるぜ。オレともっといたいって思ってるんじゃないかぁ?」
彼は腕を緩めようともしない。私は腕にも力を込めた。
「は、早く……帰らなければ……」
「む、そこまでして帰りたいの?悲しいなぁ」
男はそれでも動じない。私は彼の腕を掴み、きつめに睨んだ。
「早く帰してくれ」
それを見て彼はぱっと手を離した。
「悪いね、調子に乗りすぎた。アルバちゃんは早く帰って休まないといけねぇんだったな。……じゃあな、アルバちゃん。愛してるぜ。」
彼は私の額にキスをして、路地裏を歩いていく。男が角を曲がったのを最後に、姿は見えなくなった。
いつもは不自然じゃないようにと買い物をしてニール達の家へと戻るのだが、今日はそれも忘れてしまった。この胸の高鳴りを消したくて、彼の残り香を誤魔化したくて。散々歩き回ったがとうとう家まで着いてしまった。
家に帰ると、ディーが机に突っ伏して眠っていた。ふわふわとした金髪が彼の寝息に合わせて動く。相変わらず毛玉のようにふわふわだ。触りたいという欲求に耐えきれず、とうとう私は彼の髪に触れてしまった。その瞬間、ディーの体がビクリと跳ねた。
「!!?」
ディーは飛び退く。だが、私を見るとほっと息を吐いた。
「どうしたんだディー、そんなにびっくりして……」
もしかして触られるのが嫌だったのだろうか。
「ううん、なんでもない。アルバだったらいいの。」
彼は私の手を自らの頭に当てる。触っていいということだろうか。むしろ触れと?それなら応えるとしよう。私は彼の頭を撫でた。この前したように、髪の毛の表面を触れるか触れないかくらいにそっと触れる。以前はディーの「怖い夢」を忘れさせるために抱きしめてあげたのだったか。あの時はとにかくディーに元気を出してもらおうと思っていたのだが、今はただ彼の頭に触れているだけだ。何も考えてない分、細くふわふわとした金髪の感触が指に伝わってくる。
「……?」
指を少しだけ沈めると、何か柔らかいものに当たった。毛の生えた分厚い皮膚のようなテクスチャだが、髪でも頭皮でもない。まるで犬の耳のような。髪に埋もれたそれは、指でなぞってみるとぴくりと動いた。視線を少し下げると、ディーが不安げに私を見ていた。さてはこれに触れられたくなかったのか。ならば触れるべきじゃないな。私は手を彼の頭頂から後頭部へ滑らせた。ディーは何か言いたげに私を見つめるが、目が合うと誤魔化すように笑みを浮かべた。
「……えへへへ」
先程よりも表情が柔らかい。まだまだ甘えたいお年頃のだろうか?私は彼の身体を引き寄せて抱きしめた。
「あ、アルバ。それは恥ずかしいよ。」
ディーはすぐに顔を上げる。
「ふふ、そうか。すまない。」
もー、と彼は赤くなった頬を膨らませる。だが、彼は何かに気付いたように私の体をじろじろと見始めた。
「アルバの匂い、いつもと違う?」
「匂い?」
「香水みたいな……それに、なんかどこかで嗅いだような……」
あの商人の男の匂いか?それとも、まさか紫の森の霧の匂い?私はすぐに誤魔化そうと笑った。
「ここに帰る途中でナンパにあって。香水がキツい人だったからなぁ」
「そっか!大丈夫だった?」
大丈夫だと笑って返事をしてみせると、彼は安堵の表情を浮かべた。
「そうだ、ディー。今日はずいぶん早く帰ってきたんだな。ニールはまだ仕事か?」
これ以上つっこまれた話をされてはたまらない。私は話を逸らした。
「うん、今日はもう帰れってゼノンに言われたの。見習い兵士みんなに言って回ってたから、今頃上の兵士さん達だけで何かしてるんじゃないかな?でもそろそろ帰ってくると思うよ!」
その言葉に合わせるかのように、外から足音が聞こえた。ニールだ!とディーはドアに駆け寄る。開いた扉の向こうにいたのは、ニールでなくゼノンだった。
それから1ヶ月ほど経った後の事だ。
人目を避け、あるかどうかも気づかない路地裏へと入る。私の隣には1人の男がいた。ここの流行りなのか街中でよく見かけるようなラフな服を着ているが、モコモコとした首飾りや鎖を巻き付けたようなブレスレットなど所々でこだわりが見える。その高い背と鋭い目に反してとても親しみやすい印象を受ける。
「よし、ここら辺でいいだろう」
彼はここで立ち止まる。
「悪いな、アルバちゃん。2人っきりで話したかったからさぁ」
「はいはい。ほら、今日のだ。」
私はカゴと皮の袋を渡す。カゴの中には紫の森にいたトカゲの死骸、袋には紫の森で生えていた植物が入っていた。
数日前、紫の森の近くで出会った男。名前は明かさぬが、彼は遠い国から来た商人なのだそうだ。最近そこで異常な現象が起きたのだが、彼の友人がその現象と紫の森との類似性に気付いた。そうして、ここ、アズメールでの調査を開始したのだそうだ。しかし紫の森には毒の霧が立ちこめていて入る事はできない。どうしようか悩んでいた時にちょうど私が森から出てきたのを見たのだという。彼は私を見るとすぐに行動に移した。私を呼び止め、交渉を持ちかけたのだ。彼は私がストレンを調べていること、そして採った物を解析する力は無いことを見抜いていた。……ついでに言うと、私に自由に使える金が無いことも。その上で彼は私が採ったものをこちらに売るよう提案した。ちょっとした金と彼の友人が研究したデータと引き換えに、だ。怪しいところはあったが、この試料を持て余していたのは確かだ。私にこれを調べる技術や知識がないかぎり渡そうが渡すまいが変わらない。私はこの誘いに乗った。そして、その日から毎日紫の森に通い、帰りに彼がいれば取引をしていたのだ。彼に会うのは週に1度くらいだろうか?そして、今日も私は紫の森から帰ってきてこの男に会った。人気のない所で話したいと言われた時は戸惑ったが、それでも取引は止められない。
「ありがとよ。アルバちゃん、アンタのおかげでまたストレンの事はだいたい分かったぜ。ほらよ、報酬だ。」
拳ほどの袋にパンパンに詰まった金貨と紙の束を受け取る。金とストレンに関する情報。まさしく、私が欲していたものだ。金に関してはいつもより多いようだ。
「いつもより多くないか?」
「いくらか上乗せしといたよ。アンタ、オレが思った以上に働いてくれたからなぁ。それにオレもアンタの事は気に入ってんだ。アルバちゃんみたいな健気な子、オレ大好きだぜぇ?」
「分かった分かった」
「お?さては本気にしてねぇな?言っとくが世辞なんかじゃねぇぜ。情報の為とはいえ、危険なとこまで行って頑張っちゃって。それにアルバちゃん自身本当に綺麗だ。髪はツヤツヤで真っ黒で……濡れたカラスの羽根って見た事あるかぁ?まさにこんな感じで美しいんだよ。それに、こんなに深くて綺麗な緑色の目は見た事ない。まるで夜の森に射した光のような……まさに夜明けだ。」
「えっ、あ……うぅ」
この男は事あるごとに口説いてくるので調子が狂う。褒められるのはあまり慣れていない。私が目を逸らすと、「照れた顔もかわいいねぇ」と茶化してくる。
「まいったな、そういう顔もっと見たくなっちまう。……ところで」
そう言って男は私に耳打ちする。官能的で甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「アルバちゃん、さっきアンタのことつけてた奴がいたんだが気付いてたかぁ?ありゃここの兵士だな。」
「!!」
思わず私は振り返る。後ろには誰もいなかった。
「安心しな、テキトーに撒いといたから。」
男は囁き続ける。赤毛混じりの黒髪が私の首に当たる。彼の匂いで頭がぼうっとする。気づけば私の身体は彼の腕に支えられていた。
「……アルバちゃん、帰ったらしばらく休みな。アンタがどんな体質してるのか知らねぇけど、あそこは人間にとってもストレンにとっても毒なんだ。実際、アンタふらふらだぜ。アルバちゃんがいくら大丈夫って思っててもカラダは正直なの。分かる?」
「あ、ああ……」
「よぅし良い子だ」
何故だろう、彼の言う事はすんなりと頭に入ってくるのだ。胸が高鳴る。顔が熱い。匂いにくらくらする。彼の赤毛が目に焼き付く。
「よーしよーし、ゆっくり休みな?ほら、ぎゅってすると落ち着くだろ。なんならオレとこのまま……」
確かに彼の腕の中は心地よい。ずっと抱かれていたくなる。だけれど、時間を無駄にはしていられない。私は足に力を込めた。
「私、行かなきゃ……」
「そうか、残念だ。だが、本当にいいのかぁ?目がとろんってしてるぜ。オレともっといたいって思ってるんじゃないかぁ?」
彼は腕を緩めようともしない。私は腕にも力を込めた。
「は、早く……帰らなければ……」
「む、そこまでして帰りたいの?悲しいなぁ」
男はそれでも動じない。私は彼の腕を掴み、きつめに睨んだ。
「早く帰してくれ」
それを見て彼はぱっと手を離した。
「悪いね、調子に乗りすぎた。アルバちゃんは早く帰って休まないといけねぇんだったな。……じゃあな、アルバちゃん。愛してるぜ。」
彼は私の額にキスをして、路地裏を歩いていく。男が角を曲がったのを最後に、姿は見えなくなった。
いつもは不自然じゃないようにと買い物をしてニール達の家へと戻るのだが、今日はそれも忘れてしまった。この胸の高鳴りを消したくて、彼の残り香を誤魔化したくて。散々歩き回ったがとうとう家まで着いてしまった。
家に帰ると、ディーが机に突っ伏して眠っていた。ふわふわとした金髪が彼の寝息に合わせて動く。相変わらず毛玉のようにふわふわだ。触りたいという欲求に耐えきれず、とうとう私は彼の髪に触れてしまった。その瞬間、ディーの体がビクリと跳ねた。
「!!?」
ディーは飛び退く。だが、私を見るとほっと息を吐いた。
「どうしたんだディー、そんなにびっくりして……」
もしかして触られるのが嫌だったのだろうか。
「ううん、なんでもない。アルバだったらいいの。」
彼は私の手を自らの頭に当てる。触っていいということだろうか。むしろ触れと?それなら応えるとしよう。私は彼の頭を撫でた。この前したように、髪の毛の表面を触れるか触れないかくらいにそっと触れる。以前はディーの「怖い夢」を忘れさせるために抱きしめてあげたのだったか。あの時はとにかくディーに元気を出してもらおうと思っていたのだが、今はただ彼の頭に触れているだけだ。何も考えてない分、細くふわふわとした金髪の感触が指に伝わってくる。
「……?」
指を少しだけ沈めると、何か柔らかいものに当たった。毛の生えた分厚い皮膚のようなテクスチャだが、髪でも頭皮でもない。まるで犬の耳のような。髪に埋もれたそれは、指でなぞってみるとぴくりと動いた。視線を少し下げると、ディーが不安げに私を見ていた。さてはこれに触れられたくなかったのか。ならば触れるべきじゃないな。私は手を彼の頭頂から後頭部へ滑らせた。ディーは何か言いたげに私を見つめるが、目が合うと誤魔化すように笑みを浮かべた。
「……えへへへ」
先程よりも表情が柔らかい。まだまだ甘えたいお年頃のだろうか?私は彼の身体を引き寄せて抱きしめた。
「あ、アルバ。それは恥ずかしいよ。」
ディーはすぐに顔を上げる。
「ふふ、そうか。すまない。」
もー、と彼は赤くなった頬を膨らませる。だが、彼は何かに気付いたように私の体をじろじろと見始めた。
「アルバの匂い、いつもと違う?」
「匂い?」
「香水みたいな……それに、なんかどこかで嗅いだような……」
あの商人の男の匂いか?それとも、まさか紫の森の霧の匂い?私はすぐに誤魔化そうと笑った。
「ここに帰る途中でナンパにあって。香水がキツい人だったからなぁ」
「そっか!大丈夫だった?」
大丈夫だと笑って返事をしてみせると、彼は安堵の表情を浮かべた。
「そうだ、ディー。今日はずいぶん早く帰ってきたんだな。ニールはまだ仕事か?」
これ以上つっこまれた話をされてはたまらない。私は話を逸らした。
「うん、今日はもう帰れってゼノンに言われたの。見習い兵士みんなに言って回ってたから、今頃上の兵士さん達だけで何かしてるんじゃないかな?でもそろそろ帰ってくると思うよ!」
その言葉に合わせるかのように、外から足音が聞こえた。ニールだ!とディーはドアに駆け寄る。開いた扉の向こうにいたのは、ニールでなくゼノンだった。
