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『A』

Neal
 今日の仕事はストレンの調査だ。調査といっても、他の兵士たちが調べてきたものをただまとめるだけのデスクワークなのだが。嫌がらせのつもりか団長に書類の山を押し付けられた。これをすべて読んでまとめなければならないのかと思うと頭が痛む。まずはざっと読みながら重要そうなところにペンで印をつける。現地での調査結果。ストレンに関する噂。外国で起きた異常現象と関連づける説。トカゲ病の実験結果……なかなかバリエーションに富んだ書類たちだ。自分はまずストレンについてまとめるところから始めた。
 ストレンは数ヶ月前に現れた正体不明の生物。生態系も不明だが、紫の森から来て生活していることが分かっている。形も様々で、犬の形をしたものもいれば樹の形をしたものもいる。先日街で暴れたストレンは巨大な人型だったか。ストレンの原型は小さなトカゲの姿をしているという。トカゲが突然巨大化したという目撃情報がいくつか入っている。そのトカゲの特徴はドス黒い血液と「共食い」をすること。ストレンの体液には毒性があり、触れると激痛が走り発狂し、最悪死に至る。これは紫の森の霧が原因で発症する「トカゲ病」と同じ症状であることが判明した。触れるだけで痛みが走るのだ、それを摂取しても同じ事が起きるに違いない。それなのにストレンは「共食い」をする。餌があってもそっちのけで毒であるはずの体液を積極的に取り入れるのだ。理由は分からないが、苦しむ様子は無い以上「ストレンはトカゲ病にならない」ということだけははっきりとしている。さて、ストレンがトカゲ病や紫の森と関係がある以上、紫の森の調査も必須だ。だが我々では紫の森に入る事は出来ない。そこには毒の霧が立ち込めていて、それを吸うとトカゲ病になってしまうのだ。霧は奥に行くほど深くなるらしく、森に入った者は二度と帰ってくることはなかった。……1人を除いて。
 アルバ。紫の森の入り口付近で倒れていた女性だ。靴や服には見たことの無い植物や紫色の泥が付着していたことから、誰も行ったことのない奥から来たのだろうということが推測できる。ディーが発見し自分の家まで連れてきたのだが、他に大勢の人が彼女が倒れているのを見ていたようだ。その時からアルバの事は噂になっていたらしい。そして、先日の事件。巨大なストレンが街を破壊した。その際にストレンを倒したのが、他でもないアルバだったという。彼女は毒であるはずの返り血を浴びても平気だったそうで、共食いを好むストレンに腕を噛まれたという話もある。これらが真実なら彼女が人型のストレンであるという噂は当たっているのかもしれない。が、彼女は腕を噛まれた事に関しては否定しているし、腕に噛み傷などなかった。これは一体どういう事なのだろうか。それを知る為には、やはりアルバの協力が必要だ。だが彼女はそう簡単に力を貸してくれるだろうか?事情を聞いて、もし彼女が本当にストレンだったとしたら診断や実験にも協力してもらって。その「協力」に苦痛を伴わないものはないとは言いきれない。彼女に何らかのダメージを与える事になってしまったら?そう考えていると、誰かが部屋に入ってきた。
「仕事中失礼する」
 鎧に身を包んだ兵士。この声はゼノンだ。
「お、どうした?」
「アイツに資料の追加を頼まれたものでな」
 そう言って彼は紙の束を机に置く。アイツ、とは団長だろう。やっと大体まとまってきたというのに、これはもう間違いなく嫌がらせだ。
「なぁニール、アルバはどこにいる?連れてくるよう言われてな。」
「家じゃねぇの?」
 彼は首を横に振る。家にいないとしたら買い物だろうか?彼女は食料の調達のために1日1回は外に出ている。だから少しくらい家にいなくても不思議ではないのだが……嫌な予感がする。
「……外を探してくる」
 ゼノンは急ぎ足で部屋を出る。彼も妙に思ったのだろう。自分も探したかったが、仕事も終わってないのにあの団長が帰してくれるとは思わない。もやもやとしたものを抱えながら、ペンを進めた。
 
Alba
 人目につかない道を選びながら、紫の森へと足を踏み入れる。森の中は紫色の霧が立ち込め、植物や地面までもが紫色に染まっていた。全てが紫色で、目が痛い。目だけじゃない、全身がちくちくと痛む。おそらくこの霧のせいだろう。だが、耐えられない痛みじゃない。私はさらに進んだ。
 やがて、森の一番奥と思われる場所に着いた。明らかに人の物だと分かる骨。互いの尻尾を食いちぎるトカゲ。蠢く泥の塊のようなもの……あらゆるものが奇妙で、おぞましい。そのはずなのに、何故か怖くない。それどころか、安心する。先程の痛みも、今までの苦痛もすっと消えていく。体が軽い。
「あは……あは、はぁ」
 思わず笑みがこぼれる。その場に座り込み、溢れ出る多幸感に身を震わせる。痛みがなくなるのがこんなに気持ちよくて幸せだなんて。
 ふと下を見ると、トカゲがいた。だらんと垂れ下がった私の手に食いついて、指を齧っている。肉は齧られたそばから元に戻り、トカゲは無限に私の肉を食べ続ける。気がつくと1匹だけ食べていたのが6匹ほどに増えていた。だが、痛みは全くなかった。むしろくすぐったいと思えてしまう。もぐもぐ、とトカゲはひたすら私を食べている。そこでふと気になったのが、このトカゲの味だ。私はこいつの尻尾を引きちぎり、それを口に入れた。……おいしい。とても甘くて、柔らかくて。今まで食べたもので1番おいしかった。
 空を見上げると太陽が見えた。そうだ、
私がここに来た目的は何だ?トカゲを食べる為ではない、ここを調べるためだ。私はそれを思い出し、震える手でトカゲの一部と植物と土を採取して来た道を戻った。
 私がここに来たのは、ストレンについて、そしてそれと深い関わりをもつであろう私の記憶について調べるためだ。思い出すのが怖いなんて言っている場合じゃない。私が人型のストレンだなんて言われている以上、ここには長くいられない。それどころか、化け物として捕らえられる可能性もある。この先生きていられるかも分からない。それまでに自分の記憶を取り戻し「行くアテ」を見つけねば、と思っていた。森の中には毒の霧が充満していてそれを吸うと気が狂うと言われていたが、もし私が本当に人型のストレンだったとしたら、ストレンはここから来たのだからきっと耐えられるだろうと踏んで入った。実際、私は耐えることが出来た。霧を吸っても苦痛なんて感じなかった。やはり自分はあの化け物なのかと絶望しかけたが、そうも言っていられない。
 さて、どうしようか。私の鞄の中には先ほど採取したものが入っている。採ることはできても、これを解析する技術はない。こっそりと誰かに渡すか……そう思っていた時だった。
「よぉ、お嬢さん。アンタ、紫の森から出てきたのかい?」
 後ろから男の声がする。振り返ると、そこには背の高い男がいた。
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