途切れた先に向かうは ただ地獄


「おっさんてさ。何で指欠けてんの」

 生産性が有るんだか無いんだか毎年判断に悩む畑仕事に精を出し、昼と夜になると大して美味くもないが此処にしか存在しない食堂で、酷使した分だけギシギシと悲鳴を上げる腰と肩の痛みをジンジン感じながらモソモソと不味いスープとパンを食む。そんな生き甲斐の薄い日々。

 そんなある日。鼻タレだわ、のろまだわ、生意気だわと未だ可愛げの欠片も見いだせていない仏頂面の看板息子が無邪気に俺の五指不満足な手を無遠慮に指差した。

「……生まれた時からこうなんですぅ」
「うそだあ。母さん言ってた。前はちゃんと生えてたって」
「お前の欠けた乳歯みたいに言うんじゃねえよ、この歯っかけ。指は生えてこねえから。俺のお指ちゃんはな?ある日俺と仲違いを起こして家出したんだよ。それ以来会ってませんー」
「戦の時に剣で切られったって……」
「そこまで母ちゃんに聞いてんなら、わざわざ俺に聞く必要無くね?」
「おっさん。剣士だったんだろ」
「……剣を持ってりゃ今日からお前も剣士だぜ?」
「三国一の達人……」
「おいヨハンナぁ!このクソビッチッ!俺の黒歴史をあれほど口外すんなつったのに何で漏れてんだよ!実の息子にまで緩い口ガバガバ開けてんじゃねえよ!」
「黙りな!この穀潰し!お国の為に戦った兵士のどこが黒歴史なんだい!畑でスープの出汁にしかならない萎びたクズ野菜育てるのに比べりゃよっぽど碌のある仕事じゃないか!文句あるなら剣術指南でもして今までのツケをちゃんと払うんだね!」
「スンマセン!俺が黙ります!」

 忘れていた筈の心の古傷を不用意に無断で暴露され、ついカッとなって怒鳴ったが、返って来たのは幼馴染みの容赦ない言葉の応酬だった。
 思わず怯んだのは決して、返事と同時に飛んできた今まで火にくべていたのだろうあっつあつの揚げ油でたっぷり満たされた鍋が脳天をスレスレをすり抜けていったからではない。

 村で唯一の食堂を経営している幼馴染は年々横暴さが際立ってきている気がするのだが、このまま野放しにしていて良いものだろうか。この横暴女を唯一鎮めることができた勇者……もとい夫、兼俺の幼馴染み2号は、俺が欠けた指とバイバイしたとほぼ同時期に似たような理由でヤツは身体ごとバイバイしやがったから村の幸先は非常に暗い。

 そもそもこの食堂の料理人はヤツだったのに義勇軍とか何とかに参加して死ぬやつがあるか。お陰で料理もろくすっぽ出来ないような身重の女が悲壮な覚悟で食堂の経営を続けるとか宣言しやがったんだぞ。
 戦の爪跡がどこもかしこも痛々しく残っていた当時、同じような痛みを分かち合った村の女たちは彼女の健気さに涙し、その申告を切実に受け止めた俺を含む食堂を利用していた村の男衆たちが心の中で別の意味で滂沱したのをお前は空の上から困ったような顔で静かに微笑んでいたのだろうな。
 ……あれからもう何年も経つけど、やっぱりお前が作ったトマト煮込みが恋しいよ。あれはまだちゃんとした食いもんだった。

 戦が始まる前のずっと昔。
 牧歌的過ぎるこの村に嫌気がさして「三国一の剣士に俺はなる!」と勢いで鍬一本を武器に俺は一人村を飛び出した。

 そして華々しき青春と栄光を己の腕一本で築き上げていった……と言えれば、俺は今頃お国の将軍様にでもなっているはずだがそんなことはなく。村を飛び出し王都を目指したは良いが、鍬や鋤の扱いしか知らないような田舎の若造に長旅は酷であり、文無しの若造→かっぱらいNew!→ゴロツキNew!→夜盗New!→盗賊団入りNew!→スピード出世・副統領New!…と順調に裏・栄光ロードをひた走り、憧れの王都入りは国境周辺の取り締まりの為の大規模な夜盗狩りでお縄になり、王都内の牢屋に収監させるために鉄格子に囲まれて護送されてやっと果たされた。

 その後、嬉し恥ずかし初めてのお泊り(牢屋入り)で(主にケツの方で)散々な目に遭った俺は、どんな駄犬よりも早く国家権力に腹を出して降参。改心して模範囚として過ごした。副統領まで上り詰めたとはいえ、出世は死亡率の馬鹿高い職種の年功序列の功績が大きく、実際は大した悪行をしていなかった俺は異例の速さでたった一年で釈放。出所後は名のある師の元に恥をかなぐり捨て根性で弟子入り志願をして、改めて剣士の道を歩み始めた。

 師や他の弟子との関係もかねがね良好に落ちついていき、漸く王都での生活が落ち着いた頃、ガラにもなく故郷に便りを出したら、数ヵ月後、村に残った幼馴染2人が結婚したという報告が帰ってきた。そして俺は自分が失恋した事を知り、静かに打ちひしがれた。
 ……出世したら故郷に残してきた幼馴染にプロポーズとかさ……男なら一度は夢に見るだろう。今はあんな横暴なモンスターだが、昔はちょっと泥臭くて初々しかったんだぜ……あれでも。いまはただのBBAだがな。
 というか俺は村を飛び出す時にちゃんとアイツに言ったはずなんだがな……。有名な剣士になって必ずお前を迎えに行くって……俺の一世一代の告白はなんだったんだ……「交際期間5年を経て晴れて結ばれました」ってこれ、俺が村を出てからすぐに付き合い始めたってことだよな……っ!このクソビッチ---ッ!

 「待ってないわよ。ばか」という台詞がツンデレ用語じゃ無かった事を身に沁みて実感した王都でのさみしい春だった。

 ……ちょうどその頃だな。そいつと出会ったのは。そいつ。俺の指を切り落とした因縁の相手ってやつだ。

「先輩はさ。我流の型だから動きの無駄が多いんだよね」

 悪気なくヘラヘラと、人が気にしている痛い所を平気で突いてくるような男、それが稀代の天才剣士と言われたセス・ウォルハンドだった。

「よろしく。先輩」

 歳は無駄に喰ってっても未だ新入り扱いな俺の前に、そいつはヘラリと何も考えていないような警戒心の薄い笑顔で俺に挨拶した。
 だが俺と違ったのは、そいつは天性の生まれ持った優れた技量と天才的な閃きと動きをその身に備えていた事だ。
 
 既に身体が成長しきった事により、ある程度動きの流れが出来てしまって碌に新しい技術が会得出来ない夜盗上がりの落ちこぼれの男と、その天才的な技量故に師匠の入れ込みようが半端なく他の弟子から嫉妬とやっかみで倦厭されている少年。
 周りからの倦まれようは一緒だったが、その背景は天と地ほどにも差がありまくりだった。

 他の兄弟子たちから、あからさまな嫌がらせとして毎日山のように雑用を押しつけられ、いつもその作業の消化の為に地下の薄暗い作業場で2人して一緒にいた。

「こう、さあ」

 モップを剣に見立て、大きく振りおろしながらセスは俺の目の前にモップの端先を突きつける。

「先輩の動きってさ、一つ一つがそれで終わっちゃってるんだよね」
「振り下ろすだけなら振り下ろすだけ。払うなら払うだけ。打ち込むらな打ち込むだけー」
「……何が違うんだよ」
「一振り一振り一生懸命なのは良いけどさぁ。次をさ。見ないと」
「……わからない」

 心底悔しいが俺には分からなかった。
 夜盗時代の癖とも言っても良いかもしれない。闇に紛れ憲兵に追われる時代。あの頃は一瞬一瞬がキモだった。如何に獲物の隙をつき一瞬で息を仕留めるか、それが一番重要だった。
 追手の執拗な追従を撒く為には時間は貴重で、戦闘時間は短ければ短いほど良い。だから、奇襲をかけるのは得意でも長期戦には逃げの一手がセオリーで次など無い。相手に致命打を与える渾身の一撃を避けられればそれまでだったのだ。

 一連の型を習ってはいるが、その連続した動きを俺は頭で記憶する事は出来ても、身体に見につかせることが出来ないでいた。演武ならまだ良いのだが、実戦を想定して動こうとすると一振り一振りに昔の動きがどうしても出てきてしまう。

「えーと、例えばね?こうさあ……」

 カン、カンとモップの柄を剣に見立ててセスは俺を相手に手合わせを仕掛けてくる。生意気にも俺に指南するための緩い動きなので俺もついてこれるのだが、まるで踊るように流れる奴の剣筋に内心舌をまくしかない。このような緩慢な動きでさえリードされるだけが精一杯。まるで踊りの稽古でパートナーの足さばきに踊らされているような惨めさだった。
 そんな風に気を散らせているからすぐに俺の防御は崩される。

ヒュッ……!

「そして、ここであんたの首を掻っ切る」

 いつの間にか俺のモップは音もなくヤツの剣に巻き取られ、無防備な俺の首にはヤツのモップの柄がグリリと押し込まれていた。

「ウゲ……ッ」
「ンも~。真面目にやってよ先輩!」

 気付くとモップの柄だけでなくヤツの端正な顔まで間近に迫っており、ヤツの「面白くない」という隠しもしない不満げに突き出されたタコ口が俺の唇を掠めそうになっている。

「近っけえな!ムっさいんだよ寄るんじゃねえ!」

 慌てて腕を振り、セスと距離を保つ。

「ムサいのはアンタじゃん。先輩もっと身なりちゃんとしなよ。ちゃんとすれば見れないこともないんだからさ~」
「うるせー。ここ(王都)じゃ、平民以下の農民なんて野ネズミより価値がないんだよ。身なりに金なんざ使ってられっかッ。あーうざいうざい!さっさとそこ片付けろッ。食堂閉っちまうだろうが」
「あ~もうそんな時間?先輩、俺の有難~い教えを賜ったんだから、今日も奢ってね!」
「お前の酒はお前で払え?」

 そう言いつつも結局は最初の一杯を奢ってしまう。
 そんな感じでコイツとの妙な関係はいずれヤツが出世していくうちに自然と縁が切れ、英雄かなんかになったヤツを肴に俺の密かな自慢話として安酒場の肴に消えていくはずだった。

 ある日、空がパックリと奇妙に割れて、そこから魔人共が王都に堕ちてくる時までは。

―続くー
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