交差点

 ミノとキボムが二人で出演した番組の収録中、何やら音声機材に不具合があったとかで、撮影が一時中断された。慌ただしく走り回るスタッフたちとは対照的に、待ちを食らった演者たちはそれぞれに雑談を始める。一人一人順番にピンマイクを確認させられ、自分の席に戻ってきたミノもそばに居たタレントとたわいないことを話した。一通りあれこれ会話したあと、タレントが逆サイドの女優に話しかけ始めると、ミノはその場で目を閉じてぼんやりと明日の予定を思い出していた。明日は日課のトレーニングをして、練習して、と順番にスケジュールをシュミレーションしていたら、キボムがマイクを確認して帰ってきた。隣の席に座ったのを見て、ミノはふとあることを思い出した。忘れないうちに、キボムの耳に入れておこうと思った。
「キボマ、」
 キボムの腕を掴んでぐいっと引っ張り、彼の耳元で囁くように喋った。大したことではないが、まだちょっと周りには聞かれたくない話で、ざわついているスタジオ内で声を張るのも、声をピンマイクに拾われるのも、少しはばかられたからだ。音声スタッフに聞かれても大丈夫なように、念の為一部をぼかしながら話す。
 全部喋ってから離れると、分かった、と返事をしてキボムはほんの少し体の向きを変えた。ミノに背を向けるように動いたキボムの耳が、心做しか赤く染ったように思う。
 ミノがそこから目を背けた瞬間すぐに収録再開の合図が入り、二人は放送用の姿に切り替えた。キボムは普段通り切れ味の良いコメントを連発していたし、ミノもミノなりに色々反応してみせた。
 途中の機材トラブルのせいで少し時間は押したものの、無事に収録は終了した。演者やスタッフに挨拶をして、二人まとめて用意された楽屋に共に戻った。手早く衣装を脱いでスタイリストに返却しながら、馴染みのスタッフたちとあれこれ言葉を交わす。すると、ある女性スタッフがミノに近づいてスマホの画面に表示された写真を見せた。それを見たミノは思わず笑って、他の写真も見せてくれと言って彼女の持つスマホを覗き込んだ。スタッフは楽しげに画面をスクロールして見せてくれる。興味を引かれるままに写真を見ていると、不意に視線を感じてミノは顔を上げた。
 案の定、こちらを見ていたのはキボムで、ミノが顔を上げたタイミングでふいっとそっぽを向いた。
「……」
 ミノは何事も無かったかのように顔を下ろし、再び写真を見た。すると、数秒してからまたじっとりとこっちを見られているのが分かった。今度はちらりと鏡で確認すると、やっぱりキボムがこっちを見ていて、何か言いたげな、少し傷ついたような顔をしていた。
 その類の視線に、ミノが気づかないわけがない。ミノがそっちを見ていなくたってなんとなく肌で感じ取れるそれは、ミノを不愉快にさせる。別の人と楽しく話していたって、それを感じ取った瞬間、途端にうっすら嫌な気分になって会話の相槌も雑になってしまう。無視をしたいのに、まとわりついてくる不快がどうしても気になってしまう。
 ──そんな顔、やめろよ。そんな目で俺を見るなよ。俺はお前と友達でいたいんだ。
 うんざりする。それから、悲しい。写真を見せてくれたスタッフに礼を言って、ミノは一足先にマネージャーと共に楽屋を出た。どうせ送迎車が違うのだから、別に良いだろう。なんだか、逃げるミノが悪いような気になってきたが、あれ以上同じ空間にいるのは嫌だった。
 時には演者から、時にはスタッフから、同じような目線をこれまで向けられてきたが、その度にミノは小さくショックを受けた。何度も繰り返すうちにそれにも慣れてしまったような気はするが、ショックなものはショックだ。色んな人と関わって時間を過ごす中で、互いの間に築いてきた矢印が双方向だと、自分のものと同じ種類だと思い込んだミノが悪いのだろうか。人の気持ちなんて分からないし簡単に変わるものだと、この業界に身を置いてから痛いほど分かっているつもりなのに、それでもやっぱり裏切られたような気がしてしまう。嫌われるよりはありがたいだろうが、やりにくくて仕方がない。自分の一挙手一投足を自分の意図以上の意味を持って受け取られるのは心地が悪い。ファンが向けてくれる視線もそれに少し似てはいるものの、それらはミノにとって活力になるし、ありがたいと思うし、返せるものは返しているつもりだ。基本的にミノから線を越えることは無いし、ファンの方もほとんど越えてこない。だから安心できる。しかし、身近な人間や共に仕事をする人間から一方的な矢印を向けられると、人との繋がりをまたひとつ諦めなければならないような気分になって、その度に落胆するのだった。
 他の演者やスタッフならまだ良い。仕事は少しやりにくくなるかもしれないが、自分の見目が良いのは分かっているし、ミノの職業上そういうことは仕方ないと割り切れる。しかし、キボムにそういう視線を向けられる日が来るとは、露ほども予想していなかった。散々喧嘩して、一緒に叱られて、またぶつかり合って。それでも仲間として、家族として共に過ごしてきた彼と、ようやく良い関係になれてきたと喜んでいたのに。ミノはキボムの態度が変化したのに気づいてから、彼が鬱陶しいだとか、嫌いになったとかいうわけではない。ミノはただ、今まで通りに小競り合いをしながら、今まで通りに大切な仲間として彼を愛していたいだけだ。だからこそ、戸惑っているし、勘弁して欲しいと思う。
 キボムが女だったら、あるいはミノが女だったら、また違ったのだろうかと考えたこともある。でもそんな考えは無意味だとすぐにやめた。なぜならキボムは男で、ミノも男だからだ。揺るがない事実を前に、たらればの話などしたって無駄だ。それに、仮にどちらかが女だったからといって、恋愛に発展するわけではないだろう。これまで多くの女性に言い寄られてきたし、様々な種類の女性に好意を向けられてきたが、そのほとんどにミノが同じ感情を返すことがなかったのと同じだ。ミノにとって、キボムは愛すべき仲間で、家族で、友人だ。ただそれだけの話だ。だが、キボムの方はどうやら違うらしい。
 ミノだって恋をしたことがあるし、振られたことだってあるから、人が人を好きになる気持ちを咎めることはできないし、恋心は迷惑になることもあると知っている。だからといってどうすることもできないのが、ミノの知る恋というものだ。そう分かっていても、いつからかキボムが向けてくるようになった視線を、気付かないふりをして黙って受けとめ続けるのはもう疲れてきていた。ミノはただ、今まで通りに肩を組んだり抱き合ったりしてコミュニケーションを取りたいだけだ。ミノの方はこれまでと何も変わらないのに、どうしてキボムはそうではないのか。ずっと一緒にいたのに、どうして突然、ミノに向ける矢印の種類を変えてしまったんだろうか。もしかしたら変わったというよりは増えたのかもしれないが、増える前の、元々キボムから向いていた矢印は、最近あまり感じ取ることができていない気がする。もう随分とまともに目が合っていないんじゃないだろうか。キボムがミノと目を合わせないのもあるが、ミノの方も、キボムの目を見るのが少し怖いと感じるようになってしまっている。キボムの瞳が訴えてくるものを、いちいち覗き込んで確認したくなどなかった。深い意図はないミノの言動の一つ一つを、キボムはなにか別の受け取り方をしているのかもしれない。これまでの何気ないミノの振る舞いの数々の、いったいどこまでをどのように感じ取ったのか。そんなことを考え始めたら、ミノの方が萎縮してしまう。どうしてこんな思いをしなければならないんだろう。
 マネージャーの運転する車に揺られながら、疲れて寝たふりをしつつ、柄にもなくぐるぐると考え事をする。調子が狂うどころの話ではない。キボムは何も言ってこないが、いつその話を持ちかけられるだろうかと思うと恐ろしく、ミノの方までキボムの視線や態度に敏感になってしまう。聡い彼は自分の身の振り方をよく分かっているだろうから、わざわざ言葉で伝えてくることは無いかもしれない。それに彼の気持ちを断ったからといって、それで二人を繋いでいる関係の糸がすべて切れてしまうというわけでもないだろう。それでも、このすれ違いがどんどん大きくなれば、いつかキボムを失ってしまうのではないかという気がしてくる。決して短くない年数をかけて手に入れたこの大切な友人を、こんな形で諦めたくはない。そんな目で見るなと言って突き放すことも、キボムに合わせて自分の気持ちを無理やり変質させることも、ミノにはできない。
 さっきからろくに車が進んでいないような気がして目を開けると、道路はひどく渋滞していた。こんなのは慣れっこだが、あまり気分が良くない時には若干滅入る。どこかで事故でも起こっているのか、単に押し寄せた車が上手く捌かれていないだけか。ミノたちにこの詰まりをどうにかできるわけではないから、とりあえず大人しくじりじりと車を進め続けて、いつか抜け出せるのを待つしかない。焦って苛立って、無理に抜け出そうとすれば事故を起こすかもしれないし、かえって厄介なことになるだけだ。
 キボムから逃げずに向き合いたいのに、向き合ったら何かが終わってしまいそうで、ミノはもうずっと身動きが取れずにいる。ありとあらゆる恋の曲を歌ってきたし、色々な役を演じてきたはずなのに、こういう時にどうすれば良いのかミノには分からなかった。大人しく色々が過ぎ去る時が来るのを待つしかないのだろうか。感情的に全てをぶつけ合っていた頃が懐かしい。まさかこんな、互いを恐れて何も言えなくなってしまうような日が来るだなんて。
 さっきからクラクションの音がうるさい。そんなものを無駄に鳴らしたって、この渋滞がどうにかなるわけでもないのに。大量のテールランプとブレーキランプが真っ赤に眩しくて、ミノは再び目を閉じた。
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