とんがりボウシ

 
 夕暮れで辺りが薄暗くなり、街灯がポツポツとつき始める。クリスマスの華やかな飾り付けが町の至る所にされており気分が明るくなる。……今の状態でなければ。
 自分から逃げることは許さないと言わんばかりに捕らえられた腕が熱を持つ。私の腕を掴んでいる彼が形の良い目を問いただすように細められる。数分前までの和やかな雰囲気は消え思わず背筋が伸びる。
 どうしてこうなったのか。目の前の恋人の顔を眺めながら頭の中で呟いた。



 今日はトラボルたに誘われショッピングモールに来ていた。丁度冬シーズンのフェアが始まっていて、2人で限定商品などを眺めながらお店を回り会話を楽しんだ。
 目当ての物も買い終えアパートの前まで来たとき、歩きながら彼が次のデートを話題に出した。けれど間が悪いことに、彼に提案された日付は友達と遊びに行く約束をしていた日であった。

「ごめん、その日は友達との先約があるんだ」
「ふ~ん…………ちなみにどこに行くの」
「えっと、ここのテーマパークなんだけど……」

 鞄からテーマパークのチケットを出し、彼に見せながらそのことを伝える。いつもなら彼が二言三言の不満を口にし次の予定を聞く流れだが、今日は違った。

「トラボルた?」

 足を止めた彼の方を振り返る。2、3歩の距離の先で彼がうつむいていてその表情は分からない。どうしたのかと近寄ると彼の蹄のような手が私の腕を掴んだ。勢いよく捕まれたが痛くない。が、服越しだけどすぐ彼の熱が伝わり熱い。いつもの様子と違い不安とも心配ともつかない気持ちで胸がざわざわし、声が出なかった。



 お互いに見つめ合い、どのくらい時間が流れたのだろう。

「きみは」

自分の喉が緊張でカラカラに干上がったのに気づいたとき、彼が口を開いた。

「ミーじゃなくて他の子を優先するんだね」

 そう小さく言うと掴んでいた私の腕をゆっくりと離した。どういうことだと聞くより早くそのまま彼はアパートに入っていった。
 彼に捕まれてた腕は寮に帰り着くまで熱が消えなかった。



 学校の階段を重い足取りで上る。いつも通りの段差のはずなのにこれだけで気力を使い果たすんじゃないかと嫌な想像も出てくるくらいだ。

「はぁー…………」

 今日何度目かのため息。
 避けられている。あの気まずい出来事から早3日。学校でも日常生活でも、トラボルたに私と鉢合わせないように意識されていると感じている。友達から午前の最初の授業で彼を見かけたと聞いて驚いた。朝弱くて起きるのが遅い彼がそうまでして私と顔を合わせたくないのだということに。

「どうしよう……」

 あの別れ際に言った言葉からすると、彼は私が恋人である自分より他の人を優先したことによく思わなかったんだろう。けれど私だってトラボルたも友達だったとき、宿題を一緒にやる誘いやお茶会や誘いを断られたことが何回もある。それに恋人になってからは彼の誘いとの都合が悪かった場合は別の日を提案したりしてなるべく合わせるようにしている。なのになぜあの日トラボルたの機嫌が悪くなったのか、ピンとこない。心の内に溜まったモヤモヤが溜まり息もしづらくなってくる。目的の資料室の扉を開けようとしたその時、見慣れた角が視界の端に映った。
 反射的に廊下の角に身を隠すと同時に後悔する。目当ての人物と会話できるチャンスなのに何を隠れている。気を取り直し彼の名前を呼ぼうとして、肝心なことに気づき止まった。
 どうやって声をかけよう。あの日はごめん? どうして避けるの? 尋ねたいことをいくつか頭に思い浮かべたがどれも不正解だと思った。聞いたところで彼が不機嫌になってさらにこじれそうな予感がした。
 そう考え突っ立っていると彼の足音が遠ざかる。気づかれなかったことに安堵すると同時に、気づいてもらえなかったという身勝手な思いが少し顔を覗かせ、それをごまかすように頭を振った。



 悩んでいようがいまいが時間は流れる。避けられ続け5日目。友人達にも私達の間で何かあったのかと気づいている子もいる。今日も授業中にこちらを気遣う手紙が回ってきた。
 どうしたものかと放課後の私以外誰もいない教室で机に突っ伏しながら頭を悩ませる。
 向こうは私を避けてるし、私は何を話せばいいのか見当もついていなくて停止中。目を閉じ、私達が恋人になる前を振り返る。



 きっかけは、隣の席になったことだった。ちょうどその日は午後からの授業を取っていて、小テストがあった。問題を解き終え隣の人と答案用紙を交換し答え合わせをすることになった。彼の解答は満点だった。すごいと単純に思いながら丸付けが終わった答案用紙を返すと、彼が同じく返してくれた私の答案用紙の一番下を指さした。

「ここ、答え間違っていたのサ」

 そこの解答は私が解けた自信がないところだった。それを私に伝えた彼の意図が分からず肯定して首をかしげていると彼が微かに笑った。

「だから、ミーがこの問題教えてあげてもいいけど……」
「……いいの?」

 ありがたいと思った。問題を読んでもよく分からなかったので帰りに図書館で調べようと考えていたところだったからだ。

「その代わり、ミーの勉強にも付き合って欲しいのサ」
「もちろん。私でよければ」
「よし! 決まりだ。なら放課後、温室で待ってるのサ」
「うん。じゃあまた」

 そして放課後の温室で私と彼の勉強会が始まり、今日私が躓いていた問題を彼が解説し、私は彼が苦手だと言ったところを教科書を使い教えた。
 今でこそ彼に抜けてる部分があることを知っているが、当時の私は自分が解けなかった難しい問題を解き、一応優等生として振る舞っている彼のことを尊敬の目で見ていた。
 勉強会を行った日から彼に話しかけられることが多くなった。勉強会や遊ぶ頻度も上がり、友達にもなった。そうして交流を重ねていくと彼の知らなかった部分も見えてくる。 絵を描くのが得意じゃないこと。いい点を取るために交流にも力を入れていること。お坊ちゃんで欲張りなところ。良い部分も悪い部分も知ったが、私はそれを知るたびに嬉しくなった。なぜなら、それだけ彼を知る位置に居たということだと感じていたからだ。
 けれどトラボルたに告白された時心臓が口から出るんじゃないかというくらい驚いた。その頃の私は彼に恋愛感情を持っていなくてそれが青天の霹靂だったからだ。私が固まっていると段々彼の顔が曇ってきた。たぶん私が告白の返事を言ってくれなくて不安が大きくなったんだろう。その顔を見て私はこれ以上そんな表情をさせたくなくて気がついたときには付き合うと言った。私の返事を受け取った彼は今にも舞い上がりそうな笑顔で予想通りと言っていたが、その目に涙がにじんでいたことを私は覚えている。



 机にひっついていた顔を上げ、左側を見る。きっかけとなった日に彼が使っていた隣の席をぼんやりと眺める。そういえばクラスメイトが『君の隣の席にトラボルたが座っていたよ』って言ってたっけ。また今日も朝早い時間帯の授業を取ったのだろう。彼の眠そうな顔を想像しながら少し下に視線を移すと何かが入っている。

「ん?」

 席を立ち、その机に近づく。忘れ物かと身を乗り出しのぞき込むと見覚えのある紙が見えた。遊びに行く約束をした友達が見せてくれたテーマパークのチケットと同じだった。なぜこれがここにと疑問を抱いたその時、頭の中の一角がクリアになった。

「そうだった……」

 思い出した。トラボルたと付き合い始める前、彼がいつか連れて行きたいと言っていたテーマパークだ。

(もしかして……)

 ある1つの想像にたどり着いたとき、教室の扉の開く音が響いた。そちらの方に体を向ける。

「あっ」

 一瞬夕日で逆光になって目をつぶってしまったが、再び目を開けるとその人物が誰か分かったとき考えるよりも口から声が漏れた。5日間声も聞いていない恋人がそこにいた。
 向こうも私がここにいると知らなかったのだろう、目を丸くしていたが、私が彼の机の中を覗いたであろう姿を見て不審そうに鼻を鳴らす。

「勝手に人の物を見るなんて。きみってデリカシーがないのサ」
「ご……ごめん」
「まあ、いいけどサ。いい物は見つかった?」

 彼は意地の悪い笑顔を浮かべながらゆっくり私に近づいてくる。

「でも、どうしてここに……」
「忘れ物」

 目の前まで来て私が先ほどまで見ていたチケットを指さしながら彼が言う。

「必要なくなったから捨てようと思ったけど、鞄になくて戻ってきたのサ」

 トラボルたは机の中からチケットを引き抜き、教室の灯りの方に向け眺める。

「先に行こうって言ったのはミーなのに……」

 ぼそっと呟いた声には落胆と不満がにじんでいた。それを聞いたとき心臓が痛み、思わず目を逸らした。

「ねえ」

彼の声が耳元の近くで聞こえ、おそるおそるそちらを向く。彼は縋るような目で私を見つめていた。

「その子との約束、断れない? ミーという恋人がいるのに、他の子とデートに行くなんて、絶対許せないのサ」
(ん?)

 最後の方は必死に絞り出したような声になっていた。そんな彼の様子に目を離せないでいたが、思いもよらなかった単語が聞こえ、一瞬思考が停止した。

「デート? 私が?」
「そうだよ。ミーじゃない男とテーマパークでデートするんだろ」
「んん?」

 …………本当にどういうこと? 男とデート? トラボルたがいるというのにそんなことをするわけがない。そもそも……。

「一緒に行くのはなこだよ。私の親友の」
「…………えっ!? 男と一緒に行くんじゃなくて?」
「いやいや違うよ。なぜそうなる」

 彼がさっき以上にうろたえる。訳が分からないと言いながら両手で持っていたチケットを握りしめている。目が右往左往して今にも泣き出しそうだ。

「だ、だって……その時期はカップル限定のイベントがあって…………」
「あーそれで。でもはなこの目的はテーマパークのマスコットのイベントだよ」
「ええっ!? うそ………………ホントだ」

 彼は慌てて、鞄の中からテーマパークのチラシを取り出した後、数秒凝視し呟いた。
 つまり彼はあんな態度を取ったのは私が男の子にデートに誘われたと勘違いしたからだ。この数日間の一連の騒動は、トラボルたが早とちりしたことによるものであったのだ。

(いや、トラボルただけじゃない)

 私も彼に話しかけるのがこわくて隠れた時があっただろう。行動を起こして悪化するんじゃないかとそんな悪い方にばっか考えて立ち止まっていた。電報を送るなど連絡を取ったり、クラスメイトに頼んで話を聞いてきて貰ったり色々できただろう。その気があったら。
 そうやって自己嫌悪していると、落ち着いたトラボルたが遠慮がちに話しかけた。

「あの、さ」
「なに?」
「ごめん。…………酷い態度取っちゃったり、何日も避けたりしてサ」
「……うん。私も、私からも言わせてほしい。トラボルたとテーマパーク行く話、忘れていてごめん」

 彼がこくりと頷く。
 鼻をすする音が聞こえた。彼の顔をよく見る。不安そうな顔で目には涙がにじんでいる。あの告白の時と同じ顔だ。

「ねえ、こんなことしちゃったけど、まだミーのこと……好きでいてくれる?」

 そんなの、言われなくても当たり前だ。

「好きだよ。私もトラボルたのことが」

 私達の恋人関係の始まりは恋愛感情はなかった。でもトラボルたと恋人になってから段々と私の心は変化した。彼の友達の時には見せてくれなかった熱っぽい双眸を見るたびに顔が熱くなったり、恋人に避けられて寂しい、会いたいって胸が痛くなったりするのだ。この想いは今までトラボルたが育ててくれた私の恋心だろう。

「私達はもっと会話すべきだね」

 今日みたいなすれ違いが起きないようにお互いのことをもっと知っていきたい。そう思った。

「トラボルた」
「うん」
「帰り道、いっぱい話そ? 5日間分」
「! ……うん! そうだね!」

 笑った拍子に彼の目から涙が流れた。その姿が目に入って、心が熱くなる。
廊下から差し込む夕日が私達を柔く包み込んだ。



 雲1つない快晴。絶好の行楽日和とは今日のようなときを言うのだろう。

「待った?」
「全然。時間通りだし、ミーも今来たところなのサ」

 待ち合わせの定番会話。
 彼も今日を待ちわびていたようだ。髪も角もいつも以上に艶がかっているような気がする。

「そうそう、はなこに誘われたイベント面白かった?」
「もちろん。特にマスコットキャラクターとの握手会のときはなこ感動してゆでだこになりながら倒れかけていたよ」
「それは……よ、よっぽど嬉しかったんだね」

 まさかそこまでのファンだとは思っていなかったのだろう。トラボルたはその姿を想像したのか少し引き気味に反応を返す。

「ああ、それと……何かいっぱいはなこに写真撮られたよ」

 イベントのやつとかフォトスポットだけじゃなく、普通に歩いているところや昼食を食べているときなど頻繁にカメラのシャッター音が聞こえた。理由を聞くと誰かの恋人に浮気じゃないですよという証拠を渡すためだそうだ。『はなこ、鹿に蹴られる趣味は持ってないの』と言ったその顔は面白そうに笑っていた。

「あーそれ」
「もうはなこに貰った?」
「…………はなこの苦手な問題のところを教えるという条件で……」
「等価交換だったの」
「いくらミーの得意とする教科だといっても、結構問題が多くて手こずったのサ」
「お、お疲れさま」

 疲れたときを思い出したのだろう。肩を落とす彼にねぎらいの言葉をかけ、ふとあることに思い当たった。

「トラボルたは私の写真いっぱい持ってるのか。じゃあ今日、私トラボルたの写真いっぱい撮ろ」
「別に、いいけどサ。ただ……」
「ただ?」
「つ、ツーショットもきみといっぱい撮りたい、のサ」
「ふふっ私も。いっぱい撮ろ」

 会話を楽しんで歩いているといつの間にかテーマパークの入り口まで着ていた。鞄からチケットを取り出そうとしたとき、服の袖をちょんっと遠慮がちに掴まれた。

「あのさ、手、繋が……ない?」
「いいよ。はい」

 私が手を差し出すと、ありがとうと言いながらトラボルたが慎重に私の手を包み、そのまま彼が着てるコートのポケットに2人分の手がズボッと勢いよく入った。予想外の行動に驚いていると隣の彼がしてやったりという顔でニヤリと笑う。油断した。でもこんな顔をしている彼もかわいいところがあることを知っていると、その行動さえもまあいいかと許してしまう。
 こういうことを惚れた弱みというのだろうか。だから彼のいいところも悪いところも、かっこいいところもかわいいところも知っていきたい。それらを積み上げながらこれからもトラボルたと一緒にいたい。そう思いながらパステルカラーの門を2人でくぐった。
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