さいくろ

 きょう、ごしゅじんさまができた。
 エサをくれたごしゅじんのては、とてもつめたかった。
 ぼくがいっしょにいたら、ごしゅじんもあったかくなるよね。
 ひろってくれたおれいをするためにも、きょうからごしゅじんといっしょにすごすんだ。

 ごしゅじんのおうちは、すごいんだ。
 ふかふかの『じゅうたん』がしたにあって、ねそべってもつめたくないし。
 うえにある『シャンデリア』はとってもきれいで、ずっとみていたくなっちゃう。
 でも、みあげてもなかなかみえないから、ぐってせなかをそらしたらころんってころんじゃった。
 ごしゅじんが「何をやってるんだか」ってわらってくれたから、ちょっといたくてもよかったっておもうんだ。
 『にわ』にはとってもおおきなとりがいて、ながいはねをひきずってあるいてる。
 みたことないとりだったからみていたら、あれは『くじゃく』っていうんだっておしえてくれた。
 すごいなぁ。ぼく、こんなところでせいかつできるんだ。
 ごしゅじんができただけでもうれしいのに、こんなにいっぱいうれしくなったら、あたまがわーってなっちゃうよ。
 しっぽをぶんぶんふっていたら、ごしゅじんが『かせいふ』のひとにめいれいして、ぼくを『おふろば』につれていった。
 そこからは、あったかいあめとか、よくわかんないあわあわとかがたくさんあって、すごくびっくりした。
 けど、それもすごくたのしかったなぁ。またおふろにはいりたいなぁ。
 そのときは、ごしゅじんといっしょがいいな。



 この家は、ときどきふしぎなことが起こるんだ。
 エサを食べると、いきなりすごくねむくなることがあってね。
 目がさめたら、知らないところにケガをしてるんだ。
 ふしぎでしょ? ねるまえは、そんなところにケガなんかしてなかったのに。
 気になってぺろぺろなめても、血は出てこないし。いたいのは収まらないから、血が出てなくても気になっちゃうんだ。
 いたいのはイヤだけど、そういう日はごしゅじんがいつもよりもかまってくれるから好きなんだよ。
 ごしゅじんのためなら、いたいのもヘッチャラだもんね!



 ご主人はとってもキレイ好きだ。
 ぼくが初めて来たときに汚しちゃったじゅうたんもすぐに捨てちゃったし、少しでも汚れてたら何でもかんでも捨てちゃうんだ。
 そんなご主人が、雨に打たれてどろんこだったぼくを拾ってくれたのは、きっと『うんめい』ってヤツで。
 キレイ好きで立派なご主人のために、ぼくも早く立派にならなきゃ。

 そういえば、この前、ご主人が『友だち』を連れてきてたなぁ。
 キレイ好きなご主人と並ぶと、すごく汚くて、まるまる太った男の人。拾ってもらったときのぼく程じゃないけど、ご主人のとなりにいると変な感じ。
 この人も、ご主人に拾ってもらったのかな。
 そう思ってたら、『お茶会』の最中、いきなりイスから立って帰っちゃったんだ。
 失礼なことするなぁ。ご主人のとなりに居られるなんて、とても幸せなことなのに。
 ぼく、アイツ、嫌いだなぁ。



 僕、何だか、変になっちゃったのかな。
 壁の方を向いてるはずなのに、横にあるはずの庭まで見えるんだ。
 庭にいる孔雀はいつもみたいに眠ってたけど、今日は何だか顔の辺りに『包帯』を巻いていた。怪我でもしたのかな。

「ちぇ、流石にこれは持っていけないか。見た目に難アリ、と」

 ご主人は『ノート』に『ペン』で何かを書いて、僕を置いて出掛けて行っちゃった。
 寂しいな。いつもだったら、お出掛けのときは一緒にお散歩に連れて行ってくれるのに。
 帰ってきたら、お庭で遊んでくれるかな。
 遊んでくれたらいいなぁ。
 家政婦さんはとても優しいけれど、僕、いつかご主人と遊んでみたいんだ。
 まだまだご主人の役には立ててないってことかな?
 ご褒美をもらうには、役に立たないと。

 その為なら、僕、何だってするよ。



 ずっと仲良くしてくれてた家政婦さんがいなくなった。
 遊んでくれたり、お世話してくれたりしてたのに、どこに行っちゃったんだろう。
 僕はご主人一筋だけど、それでもやっぱりちょっと寂しい。
 いなくなるちょっと前に、ご主人と喧嘩してたのを見たから、そのせいかな。パトラッシュ……僕の名前が聞こえたから、僕について話してたんだと思うんだけど。一体何を話してたんだろう。
 家政婦さんを探して色んなところをウロウロしてたら、普段は入れない部屋の扉が開いてた。
 家政婦さんの匂いがしたから、そこに居るのかなーと思って中に入ってみたけど、誰もいない。
 珍しいもんだからキョロキョロ見渡してみたら、変なものを見つけたんだ。
 壁に斜めに立てかけてある、薄い板。中には僕のいる部屋と同じ景色が広がってるのに、触ってみても中には入れない。

 その板の中に、バケモノがいた。

 薄目で見たら、僕と同じくらいの体格の犬っぽく見える。濃い紫の艶やかな毛並みも、僕と同じくらい手入れされてるみたい。
 だけど、その体のあちこちから、ぎょろり。と覗く目玉が生えて、こっちをじっと見つめていた。
 大きな目玉、小さな目玉、沢山の目玉。沢山の目に見られて、僕は一歩後ずさる。板の中のそいつも離れたけど、それでも目は合ったままだった。
 なんだ。何だよ、コイツ。
 ここは僕のご主人のお屋敷だぞ。お前みたいなバケモノがいていいところじゃないんだ。さっさと出てけ!
 大声で吠えていたら、ご主人が来てくれた。
「何だ、そんなに騒いで。五月蝿くて研究に集中できないじゃないか」
 ああ、ご主人、ごめんなさい。でも、コイツが。
「ああ、鏡を見ていたのか。そういえば見せるのは初めてだったな」
 『カガミ』? コイツはカガミって言うの? 何だか噛み付きそうな名前だ。こんなバケモノより、僕の方がずっといい子だよ。ね、ご主人?
 そう振り返ろうとして、ギョッとした。
 僕の目の前にいるバケモノの後ろに、ご主人がもうひとりいる!
「どうだ、パトラッシュ。素晴らしいだろう、私の研究の成果は」
 僕の頭を撫でてくれるのと一緒に、目の前のバケモノもご主人に頭を撫でられている。
 何で? ご主人。何でソイツまで褒めるのさ。ご主人の自慢の飼い犬は、僕だけのはずでしょう?
「孔雀も鬱陶しい家政婦も、試しに眼球を移植したらきちんと機能するようになった。これは遺伝子工学に革命が起きるぞ。お前で実験を繰り返したお陰でな」
 ガンキュウ? イデンシコーガク? カクメイ? ジッケン?
 ごめんなさい、ご主人。僕、ご主人が何を言ってるのか分かんないや。
 途方に暮れて舌を出すと、でろん、と何かが一緒に口から転がってきた。思ったよりも長い舌の先に、丸いものがついている。

 ……あれ? こんなの、前まであったっけ?
 っていうか、僕の舌、こんなに長かったっけ?

 顔の前よりも広がった視界に、自分の舌が見える。目の前のバケモノと同じくらい長い舌の先には、目玉が付いていて。

 その目の色が、あの家政婦さんにそっくりな気がしちゃったんだ。

「さて、ここから忙しくなるぞ。お前の姿をいつでも切り替えられるよう、さらに改良を重ねなければ」
 今のお前は、バケモノ同然だからな。

 その言葉で、全部分かってしまって。
 ああ、僕、醜くなっちゃったなぁ。
 でも、ご主人が必要としてくれるなら、僕。



 前までは見上げても見えないくらいだった天井が、最近は近くなったと感じる。それもそうだ、僕は人間と同じくらいの体格まで成長したんだから。
 ご主人様に色んな命を組み込まれて、もう元の僕だったところがどこなのか分からない。あの家政婦さんの脳も一緒になったから、人間と同じように考えられるようになっていた。

 流石に、もう分かっている。
 ご主人様は、僕を愛してなんかないんだって。

 家政婦さんや孔雀が、僕の頭の中でいつも喚いている。ああ、当然だ、自分を殺して別のところに組み込んだ外道の元で、自分の意志とは関係なく働かされてるんだから。いなくなった家政婦さんの分も、僕が変わりに働くようになって、掃除もするようになって。何でこんな奴に従うんだって、ぎゃあぎゃあ騒いでいる。
 でも、考えてもみてほしい。
 仮に逆らったとして、僕はどうなる?
 ご主人様がいつも遺伝子を『調整』してくれてるから、僕は普通の犬としての姿を保ててる。寝るときだって、もう麻酔を打ってもらわないと五月蝿くてまともに眠れないのに。
 ああ、それにね。
 自分がバケモノになってしまったと分かった上で、それでも黙ってご主人様の実験に付き合い続けた僕も、家政婦さんたちを殺したハンニンだって言われても仕方ないでしょ?
 僕の体の中は、沢山の命がツギハギにされて、蠢いている。少し気を抜けばぶちぶちと音を立てて、爆ぜてしまいそうなくらいにぎっちりと詰められている。中には果たして、何十の命が息づいているんだろう。もしかしたら、何百といるのかもしれない。

 ねぇ、分かるでしょ?
 僕、もうとっくに、ご主人様なしじゃ生きられない体になってるんだよ。

 だから、ご主人様に罪があるって言うんなら、きっと僕も同じだけ背負わなきゃ。
 それで感謝されなかったとしても。
 それでも、ご主人様が、あのときに僕を拾ってくれた恩だけは忘れたくないから。

 ところで、僕は最近、ときどき記憶が飛ぶようになってきた。
 命をツギハギされすぎて、僕の割合が薄くなっちゃったのかな。もうそうだとしたら困る。何せ、ご主人様はワガママで頑固でやたら綺麗好きな潔癖症なのに、自分のことについてはとんと無頓着なんだから。僕が家政婦さんの代わりにならなかったら、きっと生活が成り立たなくなっちゃう。

 僕の中にいる皆は、何だかんだで僕のことを同情してくれてる割合が多い。
 仮に僕が薄れて消えちゃっても、誰かが僕の意思を汲んで僕の代わりになってくれないかなって、そんなことを思ってるんだ。

 ま、無理かもしれないけどね。



 ご主人様嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い殺せ殺せ殺せ殺せ違う好きだよ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だウソダ喉元を食いちぎって内蔵をばらまいて僕たちと同じようにバラバラにやめてお願いやめてとめて嫌だいやだ死にたい死にたい殺してくれ一思いにやってくれうるさいうるさい黙ってよ楽になりたいなりたいもう何にもなりたくないこれ以上命を弄ぶな呪う呪う呪うのろう従わなきゃなんでもう嫌だ道連れに嫌だそれだけはご主人様に手を出すな黙れ黙れ限界だ殺せ殺せ殺せあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

 ぼくの

 くべつが

 つかない

 ごしゅじんさま

 たすけて



 ぼく  がさいご  にみ たけしき は

 ご しゅじ  んさま のなき そうな ビ  ビりがお だっ た

 ざ  まぁみ ろ



 まもり きれなく  て ごめ んな  さい

FIN
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