変わり種小説

 湿気を含んだ風が吹く。日が落ちてしばらく経っていても、肌にまとわりつく温くて粘りけのある空気に涼しさは感じない。むしろどっちかというと鬱陶しい。屋台の明かりも賑やかさも、涼しいところから遠目に見て楽しむものだと思う。
 うんざりした顔を一切隠さずに引っ提げていたら、上から顔を覗き込まれた。布頭巾から突き出した兎耳が揺れている。二つの穴から見える目を見上げたらため息をつかれた。
「何て顔してるんだ。せっかくのお祭りだぞ、楽しまなきゃ損じゃないか」
 ほら、あの屋台の飯とか美味そうじゃないか? なぁヨシダ、半分こしよう半分こ!
 筋肉がついたゴツい男に低音ではしゃがれても困る。駄々をこねられても玉せんは半分こできねーよ、ソースで手がベタベタになるのがオチだろうが。っていうかいい年したオッサンが駄々をこねるんじゃない、割とマジメに隣歩くのが恥ずかしくなるから!
「イヤですよ、そもそも何が悲しくて上司と回らなきゃいけないんすか」
 バッサリ切り捨てると分かりやすく拗ね始める。あーったく、このウサ耳頭巾面倒くせェ!
 そもそもサカモトさんに「せっかくのお盆だし、下界の祭りを見にいこう」と誘われたとき、きっぱり断ったんだ。天界より下界の方が暑いし、男の上司と二人で祭りに行くなんてむさ苦しいにも程がある。
 この人は一応縁結び課での上司に当たるわけだけど、尊敬とかそういう気持ちは全くない。ウチの課のゆるキャラみたいな扱いだ。っていうか上司ってキャラじゃなくない? 見た目とかやってることとかどう見てもマスコットじゃん? 一回顔の頭巾取ろうとしたら下からさらに頭巾出てきたし、もう何ていうかないわー。あの人を尊敬するとかマジないわー。
 そんな緩くてネタキャラっぽい縁結びの神様(笑)のサカモトさんをよそに、オレは毎日の暇潰しをエンジョイしている。ちょいちょい怒られるけどナンボのもんじゃい、オレだって神様だ文句言うな! と仕事をストライキする日々。羽交い締めにされてなかったら今回だってトンズラかましてたのに。
 それに、何より気に食わないのが。
「どこもかしこも、見渡す限りバカップルだらけ! イベントとありゃ人の目も気にせずイチャイチャしやがって、全員まとめて滅んじまえ!」
「そんなことだろうとは思ったが見境ないなお前は、自重しろ少しは!」
 持ってる団扇で叩かれたけど反省も後悔もしてません、ハイ。
 だってカップルになったら、もう縁結びの神様なんかいらなくなっちゃうじゃないか。仕事が終わったらそのままサヨナラなんて虚しすぎる、それくらいなら非リアを量産して神社に通わせた方がいい。
 肩を落としたオレに、サカモトさんは肩をすくめた。
「お前なー。気持ちは分からなくはないけど、仕事してたらいいことだってあるんだぞ?」
「いいことぉ?」
「そう。例えば──おっと、この話は後か」
 長そうな説教が早々に切り上げられる。サカモトさんが手を振る方へ振り向くと、よく知った顔が二つ並んでいた。
「よぉヨシダ、来てたんだな。こういうところ好きじゃないかと思ってた」
「サカモトさんこんばんはー。あの、良かったら皆で一緒に回りませんか?」
 片方は紺の浴衣に身を包んだチェリーボーイ、もう片方は金魚柄の浴衣を着た魔性の女。誠となつきはカップルらしく横に並んでいた。初々しいのはいいけど、あんまバカップルムード出したら全力で爆発させるからな。
「好きじゃねーよ、何でわざわざバカップルに囲まれなきゃなんねーんだ」
「おっ、いいのかい? じゃあせっかくだし一緒に行こう!」
「ってサカモトさん、何勝手に決めてんすか!」
 文句を言っても聞いてくれない。雑に腕を掴んで引っ張られる。ちょ、サカモトさん力強すぎぃででででで! 折れる! 折れちゃうから!
 必死に抵抗して何とか離してもらえたけど、ものすごく面白くない。バカップルはオレ抜きで楽しそうにイチャイチャしてやがるし、サカモトさんはオレを振り回すだけ振り回しておいてゴメンの一言もない。
 自重してた何かが吹っ切れた。回りを見渡し、ニヤリと意味深な笑みを浮かべる。ケケケ──見てろよ、思いっきり恥かかせてやる!
 人混みに紛れて三人からこっそり離れる。屋台をいくつか回って『武器』を調達してきた。気付かれないように隠れて戻る。
「そういえば、ヨシダくんいないね。どうしちゃったのかな」
「ああ、ヨシダなら大丈夫。どうせろくなことしてないからね。君たちも知っているだろう」
「あー、ハイ、よく」
 このヤロウ、ヒトのいないとこで好き勝手言いやがって! サカモトさんは今からイヤってほどビビらせるからいいとして、誠、次のターゲットはお前だからな。
 手の中に武器を仕込み、大きく息を吸い込む。体を捻りながらゆっくり振りかぶって。
「サカモトさん危なぁああああああああい!」
 全力で投げつけた。
「えっ何キャ──⁉」
 頭巾に向かってまっすぐ飛んでいく某昆虫G……のおもちゃ。ちょうど振り返るところだったサカモトさんの顔に当たり、男の裏返った悲鳴が響いた。回りのリア充どもがギョッとしてサカモトさんを見る。腰を抜かした大柄の頭巾男は携帯のバイブ並みに震えてる。ついでに俺の腹筋も崩壊した。
「ごっ、ごごゴッゴキ、」
「サカモトさん落ち着いて、それおもちゃです! 何してんだよヨシダ!」
 肩を掴んで揺する誠と、最早まともに喋れなくなりつつあるサカモトさんの絵面が面白すぎる。笑いすぎてむせてる俺を遠巻きに見ながらあからさまに避けて通られてるのはこの際気にしないし気にならない。なつきが地面にしゃがみこんでGのおもちゃを拾った。あの子はこの中で一番図太い性格してると思う。
「すごーい、良くできてるねー」
「なつき、それ早く捨てた方がいいと思う。誰もここ通れなくなっから」
 触角を曲げてみたり楽しげに遊んでいるなつきに、誠はおずおずと提案した。Gのおもちゃは大人しくなつきのカバンの中に……って、まさか持ち帰る気かあれ。
「……よぉしぃだぁ~?」
 低い、低い声が目の前の頭巾から漏れる。穴から見える目は──あ、これ、ガチ切れしてるわやべぇ。
 とっさに後ろに駆け出す。全力疾走しようとして、体が一瞬浮遊した。タックルでもされたのか、背中に強い衝撃を受けて倒れこむ。うつ伏せになった俺の腰に重みが乗って、顎を持って引き上げられいだだだだだだ!
「仮にも公衆の面前だぞ、少しは反省しろ!」
 いきなり押し倒してキャメルクラッチかける上司には言われたくねぇ!
 そんな文句も出てこない。濁音まみれの悲鳴が出てくるだけで助けも求められない。腕をぺちぺちしてギブアップをアピールして、やっと解放された。
「し。死ぬかと思った……」
 毒づいても返ってくるのは軽蔑の視線ばかり。みんな冷たいなぁ、ちぇっ。いいもーん、俺は俺でリベンジの機会狙うもんねー!
 頬を膨らませながら三人についていく。リンゴ飴や焼きそばの屋台を寄りつつ、ぶらぶらと冷やかして回っていた。
「あ、金魚すくいやってる!」
 誠の声につられてそっちを見る。広い水槽の中で小さな金魚たちが泳いでいる。先に挑戦してたガキんちょの手へ二匹の金魚が渡った。誠となつきも金を払って屈み込む。
「金魚すくい、ねぇ」
 目を細めて、後頭部で手を組む。正直、見るのはともかくやるのはあんまり好きじゃない。金魚なんてすぐ死んじゃうだろ、綺麗だと思って可愛がったら後が辛いだけだ。
 誰かと、何かと別れるのは苦手だった。昔からそうだ。人間と仲良くなってもいつかは先に死んでしまう、金魚と同じ。俺たち神様はいつだって置いてけぼり。そんなんだったら出会わない方が、縁なんて結ばない方がいいじゃないか。縁なんかなしに、俺が中心になって全部が回ってればそれでいいんだ。
「まーた変なこと考えてるだろ、ヨシダ」
 いつの間に買ったのか、綿あめを食べながら兎耳が呟いた。サカモトさんには言ったことはないけど、多分そんな考えも知られてると思う。時々始まる説教が鬱陶しくて、この人はあんま好きじゃない。
「別にぃ?」
「嘘つけ、暗い目してたぞ。嫌なことでも考えちゃったか」
 この人は勝手に話を進めるクセを直した方がいいと思う。
「なぁ。縁結びって、そんなに悪い仕事じゃないぞ。嬉しいことも多いしな」
「誰もそんなこと言ってませんけどー」
「目ぇ見りゃ分かるさ、それくらい」
 目しかパーツが見えない人が言うと説得力があるようなないような。少なくとも俺には空振りしてる。
 金魚すくいは白熱してて、まるで俺はいらないって言われてるみたいだった。入ってくるなって空気が出てる気がして、どうしようもなくムカついて。
「おい、俺もやるから混ぜろリア充ども!」
 誠に軽く体当たりして、無理やり割って入る。屋台のオッサンに金を払って、代わりにポイと桶を受けとる。しんみりなんてしてられない。俺は今から、何かムカつく誠に仕掛ける!
 ポイをゆっくり沈めて、金魚の下に移動させる。慎重に、慎重に水面へと追い詰めて。
「おぉおっと手が滑ったァ──!」
 勢いよく誠に金魚を弾き飛ばした。うまい具合に懐の中に入る。誠は「ひょうわっ!」と変な声を出してのけぞった。
 そこまでは、良かったんだけど。
 金魚を飛ばす方向の調整に集中しすぎて、足元は完全にお留守だった。金魚すくいの水で濡れた地面、そこで体勢を崩した俺。姿勢は前のめり。ヤバいと思った頃には、頭から水槽に突っ込んでいた!
 口の中に水が入り込む。鼻の穴にも容赦なく入ってツンと痛んだ。パニックになりながら手をついて体を起こす。
「っあああああ水まっじぃ!」
「金魚が! 金魚がオレの中に!」
「二人とも落ち着いて、誠くんは金魚探して出してあげて!」
 思い思いに叫ぶ俺たちと冷ややかな目をした金魚すくいのオッサンを見ていて、正直物凄く他人のフリをしたかった、と後でサカモトさんは語った。

*

「この度はウチの部下バカがやらかして、本当に申し訳ありませんでした」
「今ので弱った金魚は買い取って。あと今日はもうウチに来ないでくれる?」
「はい、勿論。金魚は私が大事に世話をしますので……」
 頭の上を飛び交う会話に、俺の頬は膨らんでいく。どうせ腰から九十度曲げられたまま頭を押さえつけられてるんだし、バレなきゃ問題ないんだよこういうのは。
 サカモトさんに引きずられる。バカップル二人はタオルを調達しに行ったらしい、邪魔にならなそうな軒下で軽く小突かれた。
「お前本当、そろそろ自重の仕方を覚えてくれなきゃ困るぞ。毎回責任取ってやれるわけじゃないからな?」
 そういうサカモトさんの手には大量の金魚の入った袋がある。
「俺の目の前でバカップルがいちゃつくのが悪いんすよ」
「それもそろそろ慣れて欲しいんだがなぁ」
 無理、慣れるなんて絶対ムリ。リア充を滅ぼさなきゃ平和は訪れないんだ!
 サカモトさんは態度の変わらない俺に何か言おうとして固まった。俺とは全然違う方向を見ている。振り返って視線を辿ってみたら、浴衣を着た知らないカップルが歩いてるだけだった。お面を被って、手を繋いで楽しそうに……って、あれ?
「アイツら、二人そろって合わせを逆に着てら。変なの」
 呟く。サカモトさんからの返事はない。カップルが俺たちの脇を笑いながら通りすぎて、人混みに消えてった。
「──良かった。元気にしてたんだな、あいつら」
 声が笑ってる気がした。あのカップルの知り合いなのかね? もしそうなら、合わせのこと教えてやればいいのに。あれじゃまるで。
「いいんすか、声かけなくて。あれ左前になってましたよ、着付け間違ってます」
「いいんだよ。せっかくのお盆なのに、邪魔したら悪いだろう?」
 聞いてみたけど、答えの意味はよく分からなかった。けど何となく嬉しそうだったし、ほっとくか。これ以上怒られるのは流石に面倒くさい。
 なつきと誠がタオルを持って戻ってくる。もうすぐ花火が始まる時間だ。
 人も、金魚も、花火も。すぐ消えちゃう綺麗なものをそのまま綺麗だと言えるみんなが、今日だけはちょっと羨ましかった。

        了
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