変わり種小説

 石造りの王宮。扉を締め切った空き部屋に、二人の男女が立っていた。サイズの合わない王冠と黄色のドレスを身に付けた少女が、部屋の中央へと歩を進める。
「ミルカちゃん。本当にやるのか?」
 銀色の杖を握った彼女へ、ベストを着た男は問いかけた。眉は下がり、若草色の瞳が揺れている。
「ええ。このままじゃディーノにバカにされっぱなしじゃない。おべんきょうをもっとがんばって、いい女王様にならなきゃ見返せないわ!」
 怖いなら離れてて、ロディ。あたしは一人でも平気よ。
 毅然とした態度で突き放す。青年は慌てて頭を振った。少女の方へと歩み寄り、小さな左手を取って包み込む。
「冗談じゃない、俺も一応執事なんだ。どこへでもお供しますよ、女王陛下」
 恭しくかしずき、指先に触れるか触れないかのところへキスを送る。忠誠を誓った執事に柔らかな微笑みを送り、女王は前を見据えた。深呼吸し、杖を持ち直す。床が仄かに光り始める。

「Oebvsre orteh wsodrl!」

 呪文と、杖で床を突く鋭い音。
 それを契機に、彼らは白に包まれた。


*


「失礼。数刻程、現状を把握するための時間を頂きます」
 僅かに残された冷静さを振り絞ってそう告げ、眉間に手をやりました。常日頃から私の目付きは悪い方だと言われ続けていましたが、今日はさらに深くシワが刻み込まれている気がしてなりません。
 フィラル王家に仕える者として、第五代女王であるミルカ様に苦言を呈したのは覚えております。少々言葉の選択を誤ってしまい、君主の負けず嫌いに火が付いて部屋を飛び出されたのも、代わり映えのないごく身近な光景でした。
 それでも、あの時点で……私は何か重大なことを見落としていたのでは、と思えてならないのです。

 そうでもなければ、突如空いていたはずの部屋から轟音が響き、女王陛下と我が弟が姿を消し――その上、見知らぬ少女二人が聞くに耐えない罵声を浴びせあうことになどならないでしょうから。

「何してくれてんだ害獣。どこだよここ。魔物に攻撃すら満足に仕掛けられないわけ?」
「アタシが魔法を間違えたとでも言いたいの? ぜーったい違うから!」
「じゃあ他に何があるって言うんだ。早く元の場所に帰せよ? クソ神父が逃げるだろ」
「アタシだって一生懸命考えてんのよ! っていうか、何でアンタそんなにイライラしてんの?」
「ここ電波飛んでないからだよ分かれよ! 殺すぞ害獣!」
「やろうっての? 上等よ、消し炭にしてやらァアア!」
「えー、非常に品のない対話をなさっている最中に失礼致します、お嬢様方。ここはフィラル王国の敷地内です、揉め事を起こすおつもりならばギルドに引き渡しますよ」
 醜い争いが始まるであろうまさにその時、口から制止の言葉が飛び出しました。英断というより、これ以上の面倒事には心底関わりたくなかったために出来たことです。王宮内のものを壊されては後始末が大変ですから。
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 声をかけたことで初めて私を認識したのでしょうか、二人はこちらへ視線を投げました。人ならざる少女と修道女のようです。
「えーっと、アンタ誰? ここの人?」
 先に口を開いたのは人ならざるお方でした。赤い髪に見たことのない意匠のドレス。そこまでは至って普通の少女のようですが、額からは二本の角、背後からは翼と尻尾、頭部には猫の耳が生えています。
 耳の他は伝説上の生き物とされる『ドラゴン』のようですが……この緊急事態において、余計なことを考える余裕はないでしょう。右手を胸元に添え、頭を下げます。
「名乗りもせずに失礼致しました。私はディーノ・トルクと申します。我らが愛するフィラル王国の王家に仕える執事です。以降お見知り置きを」
 差し支えなければ、貴女方のお名前をお伺いしたいのですが。
 そうお伝えすると、お二方は顔を見合わせました。耳に飛び込んでくる単語から察するに、我が国についての知識を擦り合わせているようですね。両者共に首を振っておられますが、状況を把握できていないのはこちらも同じです。剣呑な目付きで見られても困ります。
「まぁ、魔物ではなさそうだし。信じていいんじゃない?」
「お前がそれでいいなら良いけど。いざとなったら全部お前のせいにするからな」
「アンタね……はぁ、まぁいっか」
 赤毛の少女がため息をついてこちらを向きました。修道女も続いて体の向きを変えます。やっとまともな会話が出来そうで何よりです。
「アタシは世界最強の幻想種、コピーキャットドラゴン! ネコドラ様って呼んでいいからね」
「私は……裏の仕事やってるから本名は言えないけど。この害獣やクソ神父にはシスターって呼ばれてるから、それで呼んで」
「ネコドラ様にシスター様、ですね。貴女方はどうして我が国にお越しになったのですか?」
「コイツはアタシが魔法に失敗したって決め付けてるけど、そんなんじゃないから」
「だから、それ以外考えられないだろうが。早く戻ってクソ神父を締め上げないと逃げられるぞ、課金できなくてSSRや星五出せなかったらお前のせいだからな」
「何でもこっちのせいにすんな! さっさとカツアゲしてSmitchを買いたいのはアタシも一緒なんだから!」
 ……会話の一部が理解不可能だというのに、理解したくないと願う事態には初めて遭遇しました。まさか王宮でカツアゲなどという言葉を耳にするとは。
 正直なところ今すぐお帰り願いたいのですが、女王陛下の不在中に勝手に訪問者を追い返すことは出来ません。君主の所在が分からない今、唯一の手がかりを逃すことは得策ではないでしょう。
 今、完璧を志す執事として為すべきことは。
「完全にではありませんが、事情は分かりました。歓迎しましょう、お二方」
 フィラル王国の者として、彼女達に最高のおもてなしをすることです。
 例え今回の事態が彼女達にとっても不測のものだったとしても、我が国を訪れたお客様であることは変わりませんから。
 体を折り、頭を下げます。お客様方はこういったことには慣れていないのか、怪訝な表情をしておられますね。
「歓迎されたくて来たんじゃない、私はすぐにでも戻りたいんだ。そのためには情報がいる。この国について簡単に教えろ」
 言葉使いの荒いシスター様が、私を睨み付けながら吐き捨てました。
 短い黒髪と黒い瞳を持った彼女の顔付きは人を寄せ付けない気迫があるように思えます。濃灰色の修道服と腰に身に付けた武器は、真逆の特質を持っているというのに不思議と調和が取れています。目の下に濃い隈があるのが気になりますが、それを改善するために尽力する余裕はありませんね。
「承知致しました、我が国についてご説明しましょう。ここフィラル王国は、世界で唯一魔法使いの一族が統治している国です」
「魔法使い? ここにも魔法使えるヤツがいんのー?」
「はい。ですが、その力を持つ者は限られています。現在魔法を扱える人物は、我らが女王陛下のみ。他の魔法使いの血は過去の戦争で途絶えています」
「物騒な話だな。……魔物とかはいるのか?」
「いいえ、少なくとも私の知る限りでは。人間以外の存在を前にしたのはネコドラ様が初めてです」
「そうか。今ので何となく分かった、この害獣がやらかして別の世界に飛ばされたんだな? 今すぐ殺そう、そうしよう」
「何でそうなんの! 魔法使いがいるなら、そいつのせいかもでしょ。女王とやらはどこにいんの?」
「そ、それは、」
 言葉に詰まりました。それを一番知りたいと願っているのは私なのです。
 ああ、ミルカ様。我が弟を連れてどこへ行ってしまわれたのですか? この破天荒なお客様に対処できるのは、ロディのような柔軟さを持った者だというのに。まだ至らない点の多い私には、ミルカ様のように笑って全て受け入れることなどできないというのに。
 拳を握り、目を伏せました。悔やんでも仕方ないと分かってはいますが、抑えられません。
「こんなことになるのなら――ミルカ様に、あんなことを申し上げなければ」
「ミルカ? 女王の名前か」
「あんなことって?」
 いつの間にか、口に出していました。少女二人に問われ、目を逸らします。少々躊躇われましたが、覚悟を決めて説明を始めました。
 別の世界に飛ばされた。そう聞いて、わずかに思い当たる節がありました。今回女王陛下と言い合いになった原因は、私の発言にあったのです。

 ――女王陛下、貴女は世間知らずにも程があります。視野を広く持ちなさい。上に立つ者が世界を知らないままでは、国を導くことなど困難です。今のままでは、誇り高き君主として君臨するなど夢物語に過ぎませんよ。

 もっと世の中について学んでほしい。幼さ故に未熟な女王陛下が、完璧に近付くための助力がしたい。その一心でした。私の言葉が誤解されやすいことを忘れ、思ったままを口にしてしまいました。
 ミルカ様の行動力は突出しています。純真無垢なあの方が、もし私のあの発言に焚き付けられて魔法を使ったのなら……この事態を招いたのは、私なのかもしれません。
「そのミルカって子に言ったのって、世界を見ろってだけ?」
 赤髪の少女は静かに問いかけました。こちらをまっすぐ見つめる金色の瞳は、その高飛車で傲慢な性格とはどこか不釣り合いなほど澄んでいて。努力家で明るい我が主と、何かが重なるように思えました。
「はい、その通りです」
「その子、勝手に無茶なこととかしちゃう感じ? それこそ世界移動とか、召喚とか」
「いいえ。危険だと理解していながら首を突っ込むことはありません、その辺りの分別はつく方です」
「あー、じゃあもしかしたら……その子、アタシ達の世界にいるかも」
 飛び出してきた言葉に、目を見開きました。ミルカ様とロディが、この方々の世界に?
「どういうことだクソ害獣、説明しろ」
 シスター様が相方の胸ぐらを掴み、ドスの利かせた声で凄みました。そういった扱いには慣れていらっしゃるのでしょう、平然とその手を払いのけて語り始めました。
「その子の魔法がどんなか知らないけどさ。もしかしたら魔法でアタシ達の世界を、アタシ達を見ようとしたのかなって」
「それが何で入れ違いになるんだ」
「ほら、アタシ、魔物にハデな電撃魔法ブチ込むとこだったでしょ? 見てただけでもこことアタシ達の世界とが魔法的にすごい近いところになってたところに、アタシの魔法がバーンとこう」
「やっぱお前馬鹿なんだな、全ッ然分からん」
「何よぉ、ヒトが説明してんのに!」
「――つまり、大規模な魔法を近距離で同時に用いたことで世界が繋がり、そこに巻き込まれてしまったと?」
「あ、そうそう! ディーノだっけ、アンタなかなか分かってるね!」
 分かっていると言うよりは、ミルカ様との会話で読解力が鍛えられた結果なのですが。補足が必要なほど重要な事柄ではないため、賛辞は素直に受け取っておきましょう。
 ネコドラ様の説明には、充分な説得力があります。世界が繋がってしまったというのなら、もう一度同じことを繰り返せば元に戻れるということでしょうか。希望が見えて参りましたね、少々安心致しました。
「もし害獣の言った通りだとしたらまずいな、厄介なことになってそうだ」
 胸を撫で下ろす私や得意気なネコドラ様をよそに、シスター様は舌打ち混じりに呟きました。表情は先程までよりもさらに険悪になっておられます。
「厄介? 何でよ」
「お前はドラゴンでも猫でもなく鳥だったのか? 私達がここに来る前、何してたのか思い出せ」
「何してたって、カツアゲ?」
「その後だ馬鹿。何で電撃魔法を使おうとした?」
「そりゃ、魔物が……あ」
「そう、向こうの世界には魔物がいる。魔物すらいなかった世界の連中が、いきなり見たこともない奴との戦闘の真っ只中へ飛ばされたんだ」
 どういう意味か分かるな?
 念押しするように突き付けられた言葉に、目の前が暗くなりました。遠のきそうな意識にしがみつき、胸元に手をやりました。心臓の音が警告を発しています。
 我が国が荒事に一切関わりがない訳ではありません。女王陛下は日頃から刺客に狙われ、その対処には慣れております。ですが、そこには人間が相手だという覆されない前提があったのです。
 もし、太刀打ちできなければ。嫌な想像が脳を支配していきます。
「み、ミルカ、様」
 頭が割れそうになり、手で押さえます。
 あの方とロディがいなくなったら、この国は。執事としての在り方にこだわって、我が命よりも、何よりも大切な女王陛下を危険に晒し、弟すらも巻き込んで。私は……私は、何と愚かな、
「おい、魔法で通信機作れ。お前ならできるだろ」
「はぁ? そりゃできなくはないけどさ、それやったら」
「いいからとっととやれ。ブッ殺すぞ」
「ううう、わ、分かったわよぉ」
 すぐそばにいるはずのお二方の会話が、遠くに聞こえます。魔法という単語にすがるような思いで顔を上げると、何名か殺めていそうな表情のシスター様と目が合いました。
「私には魔法は使えない。だから、そういうことはコイツに言え」
 親指で指し示されたネコドラ様の足元が鈍く光り始めています。青い光が円形の紋を描き、瞬く間に視界を覆っていきました。
 目が眩み、まぶたを閉じて。恐る恐る目を開くと、ネコドラ様の手に見慣れぬものがありました。黒い長方形の箱のようですが、これは一体?
「ネコドラ様特製、世界間通信機~! これ使えば、向こうにいるクソ神父と連絡が取れるはずよ!」
 あー疲れた~、お腹減ったぁ~とため息をつき、ネコドラ様はその場に座り込んでしまわれました。軽い破裂音と共に煙に包まれ、猫ほどの体格の赤いドラゴンに変わってしまわれました。
「魔力切れか。チッ、使えねぇ」
「だから通信機作ったらヤバいって言ったでしょ。ディーノ、これ作ったの、アンタのためでもあるんだからね。代わりに何か食べさせなさいよ」
「言っとくがコイツ、死ぬほど燃費悪いからな。小さな町の食料食い潰させるくらいのつもりでいろよ」
 お客様方からの要請に、困惑しつつも了承しました。確か本日は、我が国のギルドが総出で暴れクジラの討伐に出ているはずです。左目に大きな傷のある、赤い戦闘狂問題児も参加しているという話ですから……間もなくクジラ肉が大量に出ることでしょう。その際に調理を依頼することに致しますか。青い苦労性の料理人からは苦情が来ることでしょうが、今回は目をつむって頂きましょう。
「んじゃ、今うちの神父に電話かけたから。これを耳に当てて話せ」
 食事の準備について思考を巡らせている私には構わず、シスター様に黒い箱を押し付けられました。耳に当てろ、と言われましても。
 恐る恐る言われた通りにしてみますが、この行為には一体どういった意味が
『あ、もしもしー? 神父のグレイってモンだ』
「なっ、ななな、なんっ」
 危うく箱を放り投げてしまうところを、何とか踏みとどまりました。
 何と、耳元からこの場にいない者の声がするとは! 魔法を使えない者にこのような体験が出来るなどと、信じられない思いです。お二方がこちらを指さして引き笑いをしておられるのも気にならないほどの衝撃でした。
『お、おい、大丈夫か』
「はい――お見苦しいところを失礼致しました」
 箱の向こうにいるのであろう軽薄な印象を与える男性に声をかけられ、我に返りました。咳払いをし、一礼します。
「改めまして、お初にお目にかかります。フィラル王家の執事を勤めております、ディーノ・トルクと申します。そちらに我が国の女王陛下と、その執事を名乗る者がいると伺ったのですが」
『あー、やっぱコイツら、ウチのと入れ違いになってたのか。ちょっとばかし修羅場ってたけどよ、そっちのツレは無事だから安心しな。ってか、もしかしなくてもウチのクソドラゴンとクソシスターちゃんが迷惑かけてるよな?』
「かけていない、と言えば嘘になりますね」
 問いに素直に答えたところ、周囲からブーイングが飛んできました。王宮ではそういった下品な行為は控えていただきたいのですが、言っても届くことはないでしょう。
『何だ、ぶっちゃけ俺はその二人がいなくなってせーせーしてんだけどよ。お嬢ちゃんの泣きそうなツラと野郎のジト目がうっとーしいから、ちょっちコイツらに変わるな』
 さらりと酷いことを吐き捨て、声が遠のきます。遠くで話し声が聞こえますが、すぐに止みました。
『ディーノ! ディーノ、そこにいるのね?』
『兄貴! 良かった、もう会えないんじゃないかって思ってたからさ』
 手元の小さな箱から聞き慣れた声が出てきて、涙が出そうになりました。
 ああ、ミルカ様、ロディ。また貴女方の声が聞けて、私は。
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「ミルカ様、ロディ! ご無事でしたか?」
『一応な。ウサギ頭でムキムキの魔物? に襲われたけど、神父が倒してくれたんだ』
『すごかったのよ、ドーンって!』
 そ、それは無事と言っても良いのでしょうか。魔物の外見を差し引いても気になる点が多すぎる気がするのですが。
 詳しく事情を問おうとしたところで「ディーノ、ちょっと持ってて。アタシも話したいから」と割り込まれました。
 床に体を預けている小さな竜へとかしずくと、慣れた様子で箱についた突起を押します。箱を耳から離しているというのに、唐突に向こうの音が筒抜けになり驚いたのは秘密です。
「ミルカ、だったわね。アンタ、魔法使えるの?」
『う、うん。えっと、あなたはだれ?』
「ネコドラ様って呼んでいいよ。ねぇ、さっき別の世界を見る魔法とか使った?」
『う、えっと、使ったわ。ディーノに文句言われて、見返したくて』
「それってどれぐらい前?」
『えーっと……ほんの少し前よ。ついさっき』
 ミルカ様の発言に、私共三名は顔を見合わせました。
 この部屋にネコドラ様とシスター様がいらっしゃってから今に至るまで、少なく見積もっても半刻は経過しております。決して「ついさっき」で片付けられるものではありません。
 と、いうことは。
「この世界と向こうとで、時間の流れが違うのか」
「そうみたい。ってことは、アタシが魔法を使えるようになったら通信機で連絡して、タイミング合わせてバーンってすれば帰れるのね!」
『バーン?』
「詳しい手順はまた後程、こちらから連絡させて頂きます。宜しいですか?」
 すっとんきょうな声を上げたロディを制し、無理やり押し切りました。ネコドラ様に解説を任せていると日が暮れてしまいます。
 半ば強引に会話を終わらせてシスター様に箱を手渡すと、向こうの世界の音が届かなくなりました。その技術は我が国……いえ、現在この地球上には存在していないはずのものですね。ということは、この方々は未来から来られたのでしょうか?
 そんなことを考えていると、ノック音が転がってきました。入るよう促すと、開いた扉の隙間から青年が入室しました。
 青の制服に黄色の目。ギルドの一員であり、料理人としての実績もある優秀な人材、メルヴィス・ヴァイア。血にまみれ、海の匂いをまとったまま現れました。
「やっと見つけた。暴れクジラ討伐任務の報告に来ました……ん?」
 誰ですか、その人?
 彼の視線の先には、シスター様がいらっしゃいました。ネコドラ様には気付いておられないようですが、未知の存在がいると外部に漏れたら面倒そうですね。濁しておきましょう。
「遠方よりいらしたお客様です。現在女王陛下は席を外しておられますので、私が報告を受けましょう」
「分かりました。えーっと、暴れクジラはさっき陸に揚げましたよ。ただ、」
「ただ?」
「兄貴……じゃなくて、兄のダイナスが調子に乗って切り刻みすぎたせいでボロボロになっちまって。塊の状態で外国に売りに出すことはできそうにありません」
 兄貴は今反省のために吊るされてるので、弟である俺が代わりに謝ります。ごめんなさい!
 叫び声にも似た謝罪と共に、勢いよく頭を下げられました。そういえば彼の双子の兄、ダイナス・ヴァイアは、暇さえあれば弟の命を狙う戦闘狂でしたね。彼も暴れクジラ狩りに出ていたのであれば、そうなるのも無理はないでしょう。
「むしろ好都合です。メルヴィス・ヴァイア、貴方に新たな任務を与えます」
「は?」
「このお客様方のために、至急クジラを一頭丸々調理してきてください」
「はァ? クジラの大きさ分かってンのかアンタ!」
 驚嘆して素が出ていますよ、メルヴィス。無茶な依頼に思えるかもしれませんが、こちらは真面目に言っているのです。
 念のために目配せでお伺いを立ててみたところ、シスター様が大きく頷かれました。
「その大きさで問題ないようですよ」
「マジか……アレ調理するならもうちょっと早く言えよ! ああもう、分かった、分かりました! 俺一人だと無理だ、兄貴ぶん殴って協力させねェと!」
 任務承りました失礼します! と吐き捨て、駆け出しました。少々慌ただしく見えますが、安心して任せて良さそうですね。彼は文句を言いつつも仕事はこなすタイプですから。
 これでネコドラ様の食料問題は解決の目処が立ちました。残る問題は、
「クジラかぁ、楽しみね~。アタシ眠くなってきたから寝るわ、ご飯できたら起こして」
「あ? 何勝手に寝ようとしてんだ、殺すぞクソ害獣! 二度と目ェ覚めねぇようにしてやろうか?」
 初対面時から止まることを知らないシスター様の暴言でしょうか。いくらなんでも、眠りについたネコドラ様の首を掴んで振り回すのはやりすぎでしょう。それで起きないネコドラ様もネコドラ様ですが。
「シスター様。貴女は神職の方なのでしょう? そんなことを言っても良いのですか?」
「私の上司カッコカリ、魔物をバズーカでブッ飛ばして顔面蹴り潰すのが好きなクソ神父だからな。神様? 何それ美味しいの?」
「そ、それは何と言いますか……グレイ様、そんな方だったのですか」
「そうそう、クズだからアイツ。あー、ソシャゲ出来ねぇしガチャ回せねぇし、最悪だな今日は。いっそ本当に殺すか、この害獣」
 腰に携えたナイフに伸びた手といい、笑っていない目といい、明らかに本気です。抜けないようにナイフを抑え、金属の冷たい感触に息を飲みました。彼女の持つナイフは傷まみれで、護身用にしては使い込まれていたためです。
 魔物との戦闘でこうなったのでしょうか。しかし、それにしては。
「手を離せ。他人に触られたくない」
 シスター様の目が、顔付きが。やけに強ばっているような。
「シスター様。貴女は、」
「聞いていいことと悪いことがあるのは分かるな? まだ死にたくはないだろう」
 その言葉は、態度は、私の質問に答えているも同然でした。シスター様は、女王陛下の命を狙う連中と同じだったのです。
 今までは敵としてしか対面することがなかった、暗殺者。私の中で、ふと無茶な考えがよぎりました。
「わ……分かりました。ですが、質問の代わりに頼みたいことがあります」
 闇が渦巻いているような黒い瞳をまっすぐ見据え、切り出しました。


*


「気心が知れてもいない奴にこんなことを頼むなんてな。危機感がないんじゃないか?」
 得物であるナイフをくるくる回し、彼女はため息をつきました。
 呆れられるのは当然だと思っています。暗殺者に剣の稽古を頼むなどと……父上やそれまでの私ならば、きっと実行することはなかったはず。
「シスター様はきちんと話を聞いてくださる方ですから。暗殺者から女王陛下を守るための訓練は、手練れの相手がいないと出来るものではありません。それに納得してくださったのでしょう?」
「まあな。馬鹿で無謀な考えだが、言ってることは正しい」
 どうせ暇だしな、付き合ってやる。まずはお前の剣の腕を見せろ。
 右手のナイフを下方で構え、挑発するように指を動かしました。煽られずとも全力を出しますよ。
 レイピアを握り直し、踏み込みました。シスター様の喉元を貫くよう突き出した剣先がナイフで払われます。勢いをそのままに降り下ろすと、受け止められました。
 シスター様は、一切避けようとしませんでした。レイピアの刃を全て払い、受け止めます。まるで、子供の遊びに付き合ってでもいるかのように。
「なるほどな。お前の弱点が見えた」
 首筋を狙ったレイピアをたやすく受け止め、頷きました。力を入れているのですが、ナイフを持つ手はびくともしません。
「良くも悪くも、お前の戦い方は型通りだ。型を悪く言う気はない、それを磨けば洗練されていくのも確かだ。けどな?」
 剣を斜め上に払い、シスター様はナイフを逆手に構え直しました。降り下ろされた剣を後ろに跳んで避け、私を睨みます。
 飛び込んでくる女性。とっさに剣を構えると、そこに躊躇なくナイフを叩き込みました。もう少しで、私の頸動脈を切り裂きそうな。
 相手の動向を伺うためにしかと見据えていましたが、腹部の衝撃で一瞬目が眩みました。私には見えない位置から叩きつけた拳を、今度は鳩尾へ。
 気が遠のきかけた私の手を払ってレイピアを落とし、ネクタイを掴まれ、足払いをかけられ。たった数瞬で私は押し倒され、馬乗りになった彼女にナイフを突き付けられていました。
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「型『だけ』を磨いても意味がない。お前には応用力がないんだ。敵は予想の通りになんか動かない、ギルドに剣士がいるのならそいつと殺陣をやれ」
 基礎はできてるんだ、いいものは持ってる。励めよ。
 素っ気ないながらも的確なアドバイスを投げ、彼女は私から降りました。
 応用力がない。それは私にとってかなり痛い指摘でした。何事も基礎を繰り返して習得するだけで、いざ予想外の事態に陥ると無力になってしまう。不器用な私が完璧であろうとしたが故に、応用にまで力が及ばなかったのでしょう。
 何事も器用にこなす弟なら、ロディならば、不測の事態に対しどのように対処するのか。今後は彼をライバルに据え、切磋琢磨することに致しましょう。
 起き上がり、軽く服を払います。髪を整え、片眼鏡をはめ直してから右手を胸に当てました。
「ご指導ありがとうございます。お礼になるかどうかは分かりませんが、そろそろお茶の時間です。宜しければご一緒に如何ですか?」
「甘いものは?」
「勿論ございますよ」
「行く」
 ナイフを鞘に納め、ネコドラ様の尻尾を掴んで即答なさいました。宙吊りにされながら、それでもネコドラ様が起きることはありません。もしかしたら、両者共にこういった扱いに慣れていらっしゃるのかもしれませんね。
 廊下へ出て、リビングへと歩んでいきます。横目で見ると、シスター様がネコドラ様を吊るしたまま前を見据えておられました。出会ったときから疑問でしたが、彼女達は一体どういった間柄なのでしょう。友人同士と言うには殺伐としすぎているような気がするのですが……完璧な執事として、深くは追及すべきではありませんね。
 目的地に到着し、ノックをしました。扉を開くと、そこにはお茶会の準備をしている母上と、
「やぁやぁ、何ということだろう! オジサンの握っている情報では、現在この国に来訪者はいなかったはずだと言うのに。このような可憐なレディのことを知らなかったなどと、何たる不覚!」
 我々の前に躍り出てわざとらしくお辞儀をする、うさん臭い中年の男がいました。
 濃い紫の衣装に、白い鳥の羽根がついたマント。彼の顔の上半分を覆う白の仮面が、ただでさえ怪しい態度と言葉づかいをさらに信用しがたいものへと変えています。
「何故貴方がここにいるのですか、情報屋バーデン。お帰り下さい」
「ディーノ、お客様をそう邪険にするものではありませんよ。彼は今日のお茶菓子を差し入れてくださったのですから」
 そっと私をたしなめる母上。その銀の髪と瞳は物腰柔らかに見えますが、芯はしっかりした方です。失礼な言動を指摘され、しぶしぶ彼に謝罪致しました。
 シスター様を席にご案内すると、隣の席のテーブルにに雑にネコドラ様を落として着席なさいました。その扱いに何とも思わなくなりつつある自分が恐ろしいです。
「ところで、女王陛下はどこへ行ったんだい? 今回は彼女の欲しがっていた茶菓子を仕入れて来たんだが」
 お茶会が始まった途端に投げかけられた質問に、紅茶を入れる手が止まりました。
 来るはずのお茶会に君主の姿がなければ、尋ねられるのは至極当然のことです。しかし、今回の場合はどう説明すれば良いのでしょう。少々別世界に飛ばされておりまして、などと、とても言えたものではありません。
「女王陛下は、その……」
「私の国へ視察に向かっている。ロディとかいう執事も一緒だ」
 言葉に詰まった私に被せるように、シスター様が返答なさいました。思わず彼女の顔を見ると、私に向かって小さく頷かれました。任せろ、という意味でしょうか。お客様である彼女に頼ってしまうのは心苦しいですが、私では手に余るのも事実です。この場はシスター様に任せ、傍観に徹しましょう。
「なるほど! 勉強熱心な方ですからなァ、結構けっこう。オジサンもアナタについて質問しても?」
「答えられる範囲でなら」
「では遠慮なく行かせてもらおうか。オジサンの見間違いでなければ、その赤いものは伝説上の生物、ドラゴンだと思うのだが」
「ああ、そうだ」
 常日頃から無駄に口の回る情報屋が絶句する場面は初めて目にしたかもしれません。かく言う私も、ネコドラ様について包み隠さずお答えになったことに驚きましたが。
「ま、まさか本当にこの目でドラゴンを見る日が来るとは。人生何があるか分かりませんなァ」
 懐からハンカチを取り出して汗を拭く情報屋に、手を口に添えて驚かれている母上。この反応が普通なのでしょうね。私は非常に慌ただしい中で暴露されたので、意識せぬ内に受け入れてしまったのでしょう。
 ハンカチを懐にしまい、彼はシスター様の方へ身を乗り出しました。
「しかし、そんな伝説の存在が相手にしては、やけに扱いが雑ではないかね? アナタとその竜とは、一体」
「情報屋さん。詮索しすぎは好ましいものではありませんよ」
 私が制止するより先に母上が口を出していました。シスター様の表情は固まり、何を考えているのかは分かりませんが、良い気分でないのは確かです。空気を読まないのが常の彼もそれに気付いたのか、ばつの悪そうに頬を掻きました。
「失礼。職業柄、つい好奇の念がうずいてしまったようだね。撤回するとしよう」
「いや……構わない。答えられる範囲で答えると言ったのは私だ」
 緩やかに首を振り、ネコドラ様を指でつつきました。熟睡しているのを確認すると、その小さな頭を撫でていきます。その手付きは今までのものとは正反対で、まるで愛しいものをめでているようです。しかし、それにしては彼女の表情は冴えません。
 しばらく考え込んだ後、シスター様はぽつぽつと語り出しました。
「コイツは、私の『元』親友なんだ」
「元?」
「ああ。このドラゴンは、元から私達の国にいたわけじゃない。召喚されたんだ。一人の女の子を犠牲にしてな」
 聞いた瞬間に息の仕方が分からなくなったのは私だけではないでしょう。質問した当人も言葉を喪っています。
 元親友。召喚の犠牲になった少女。幸か不幸か、それらの関係性が分からないほど鈍い者はこの場にいませんでした。
「まさか――それでは、そのドラゴンは」
「さぁな? 今となっちゃどうでもいい。コイツは私の知ってた奴じゃないし、コイツも私のことなんか覚えてないからな」
 ああ。やたらネコドラ様に辛辣だったのは、そういう事情が。
 どう言葉を出せばいいのか分かりません。情報屋も、母上も、ただ黙ってシスター様を見つめています。それに構わず撫で続ける彼女は、どこか哀しげに見えてなりませんでした。
「その、申し訳ない。そんな事情があったとは」
「構わないと言ってるだろ。あまりしつこいと吊るすぞ」
 流れるような動作で中指を立て、睨み付けるのは流石と言うべきでしょうか。その剣幕に怯んだのか、情報屋は口をつぐみました。邪魔者を黙らせ、皿に並んだクッキーを一枚取ります。静かな部屋で、彼女の咀嚼音と紅茶を飲む音はよく響きました。
「このお茶もクッキーも、すごく美味い。電波が飛んでないのは最悪だが、それ以外は悪くないな。たまにはこんなのもいい」
 今の彼女が何を思っているのか、判断することは出来ません。しかし、甘いものを口にしているこのひとときが、今までで最も表情がほころんでいるように見えました。
「ふふ、ありがとうございます。今日のお茶は良い茶葉を使ったのですよ。お代わりしますか?」
「ああ。ディーノ、お前執事なんだろ。やれ」
 ティーカップを手に顎で私を使うシスター様。その様子を笑顔で見守っている母上もなかなか大物なのかもしれません。
「辛気臭いツラはやめろ、ヘドが出る」
 ティーポットから紅茶を注いでいる最中、ドスの効いた小さな声が耳に入りました。ぎょっとしてシスター様を見やると、声に違わぬ凶悪な顔をしておられました。
「同情されたくて語ったんじゃない、ただ気まぐれに昔話をしただけだ。勘違いするな」
 鋭い目で睨み付け、私に釘を刺します。これはもしや、変に気を使うなという意味でしょうか?
 もし、そうだとしたら。
「はい。承知しました」
 言われた通り、何もなかったように装うのが最適解というものでしょう。
 紅茶を注ぎ終え、一礼して下がると「ふん」とだけ聞こえました。私の解釈が合っていたようで何よりです。
「分かったならいい。おい、情報屋」
「は、な、何の用かな?」
「この菓子、お前が用意したんだったな。本当に美味かった。きっと女王も喜ぶ、また振る舞ってやれ」
 クッキーを手にしながら告げると、それまで意気消沈していた情報屋が復活しました。彼は私やロディをからかって遊んでくるので苦手なのですが、こうして翻弄されているのを見ると少々笑えますね。
「ああ、その事か。勿論そのつもりだとも」
「そうか。じゃあついでに面白い話をしろ。退屈だ」
「ふむ、そういう唐突な無茶ぶりは嫌いじゃないよ。では、そこの完璧主義の執事サンの失敗談でもどうかな?」
「情報屋バーデン、人の失敗を笑い話にするのはやめてください。迷惑です」
「完璧主義にしちゃ抜けてるぞコイツ。失敗は珍しくないだろ、むしろ失敗して伸びるタイプだ」
「シスター様、褒めるかけなすかどちらかにしてください。反応に困ります」
 重い空気は払拭され、お茶会は盛り上がりました。何故か情報屋とシスター様に両側から弄られていたのは、この際目をつむりましょう。ずっと苛立っていた彼女が楽しそうにされていましたから。
 用意されたお茶とお茶菓子がなくなり、情報屋は退室し、母上がお茶会の後片付けをなさっているときです。本日何度目かのノックと共に、料理を頼んだ料理人、メルヴィスが姿を現しました。
「ディーノさん、メシの支度が出来ました!」
「んぅう、めし……メシ? ご飯っ!」
「うわ生きてたッ!」
 食事の報告で目覚めて飛び回るネコドラ様もどうかと思いますが、メルヴィスの反応もなかなか酷いのではないでしょうか。そう指摘するよりも、ネコドラ様の食事を優先すべきでしょう。エプロン姿のメルヴィスに深くお辞儀しました。
「ありがとうございます。食事はどちらに?」
「えっと、王宮の中庭、なんですが」
「害獣ならとっくに窓から飛び出してったぞ」
 シスター様の指さした先は、いつのまにか開いていた窓で。慌てて駆け寄り見下ろすと、何ともシュールな光景が広がっていました。
 急なことで凝った料理は作れなかったのでしょう、部位ごとに切り分けられたクジラが焼いてあるようです。赤い点がクジラ肉の周辺を高速で飛び回り、凄まじい勢いでむさぼっています。その傍らにいる赤い服と黒いマントの人物が剣を抜き、楽しげに赤い点を追いかけているのも実に理解しがたい状況です。
「うわ、すげェな。あのデカいのがよく入るよ」
「害獣に剣振り回してる奴は誰だ?」
「あー、それ俺の兄貴です。本当にすみません、すぐ人に斬りかかるクソ野郎なんです。後でシメときます」
「いや、むしろ今めっちゃ共感してる。アイツ殺したくなるよな、分かる」
「同類だった!」
 そんなやり取りをしている間に、眼下の肉は全て消えていました。メルヴィスは皿の回収に向かったようです。食事を終えて満足したネコドラ様がこちらに飛んで戻っていらっしゃいましたね。この小さな体躯に、よく入ったものです。
「はぁー、食った食った。クソ神父もこれくらい食べさせてくれないかなー」
「満足したな? 最初に世界が繋がった部屋行って、とっとと帰るぞ」
「えー、もうちょっといない?」
「向こうの世界で女王が死にでもしたら、お前の命を狙う奴が増えるぞ」
「うん、今すぐ帰ろっか!」
 シスター様の脅しに、ネコドラ様は勢いよく私から目を逸らされました。失礼ですね、流石にそのような物騒なことは致しませんよ。女王陛下に人望がおありで、有事の際に暴れそうな方がいらっしゃるのは確かですが。
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 全てのきっかけになった空き部屋に戻り、シスター様があの黒箱を取り出して。ネコドラ様が人間の姿になると共に、箱を押し付けられました。
『よっ。通信が来たってことは、そっちの準備はいいんだな?』
 グレイ様の声が部屋にいる全員の鼓膜を揺らしました。
「はい。クジラ肉一頭分のステーキを召し上がって、ネコドラ様はすっかりご満悦ですよ」
『は? クジラ? クジラ食わせたのか?』
「は、はい。あの、それが何か?」
『ッしゃァ! あのクソドラゴンの食費が浮いたぜ!』
 Fooooo! と箱の向こうで騒いでいらっしゃることから察するに、本当にシスター様が仰っていた通りのお方なのですね。こちらはこちらで「帰ったら真っ先にシバくか」「もう殺していいんじゃないかな」と物騒な会話をしておられるので、どっちもどっちな気が致しますが……この期に及んでそんな突っ込みを入れるのは野暮ですね。
『ディーノ。あたし、何をすればいいの?』
 心から人を信頼していると分かる、透き通った声。雑念や濁りのないそれに久々に触れて、私の背筋は自然に伸びていました。
 今回の件で、世俗的な会話にも慣れました。新たな発見がありました。側にあった大切なものに、気付くことが出来ました。
「私がカウントダウンをしていきますので、ミルカ様はゼロになった瞬間に『別世界を見る魔法』を使い、フィラル王国を、貴女があのとき魔法を使った部屋を見てください」
『うん、わかった!』
「ロディ。貴方はミルカ様から決して離れないようにしてください」
『ああ、言われるまでもねぇよ!』
 二人の力強い返事に、私の方が勇気づけられます。
 ミルカ様、ロディ。私には、貴女方がいなければならないのです。
「ネコドラ様、シスター様。準備は宜しいですか?」
「うん。クジラとか色々ありがとね、ディーノ!」
「お茶会、悪くなかった。ありがとう」
 お二方の感謝の言葉に、胸が熱くなりました。最初は厄介だとしか思えませんでしたが、今は素直に感謝を伝えられます。
「お礼を言わねばならないのはこちらの方です。貴女方のお陰で、さらに精進が必要だと分かりました。今後はより完璧に近付けるよう」
「あ、そーゆーのいいわ」
「堅物なところは一生直らなそうだしな」
 ……最後まで失礼な方々ですね。それはそれで良いのでしょう、その柔軟性も彼女達の長所ですから。
「それでは、いきます」
 声を張り上げ、一定の間隔で数字を読み上げます。

「サン、」

 ネコドラ様は目を閉じ、手を下方で揃えました。

「ニ、」

 シスター様の手がネコドラ様の肩にかかり、

「イチ、」

 彼女達の足元に、仄かに青い魔方陣が浮かび上がります。

「ゼロ!」
『Oebvsre orteh wsodrl!』

 視界が青い光で覆われ、遠くからミルカ様の呪文が聴こえました。
 光が消え、部屋には来訪者の二人の姿はありません。代わりに現れたのは。
「うわぁあああああ!」
「きゃああああああ!」
 何故か空中に転移した二名の、聞き慣れた声で。落ちてきた人物達は、この数刻のあいだに何度も思い描いた、そのままの姿をしておりました。
 ゆっくり歩み寄り、ひざまずきます。
「お帰りなさいませ、ミルカ様、ロディ」
 顔を上げた二人は、まぶしくて目が眩んでしまいそうでした。
 その明るさで私の心に平穏をもたらしてくださるミルカ様。何事も器用にこなし、私を立てながら仕事を支えてくれるロディ。
「ただいま!」
 私を支える二つの太陽は、にっこりと笑って私の手を取りました。




~おまけ~
本来のお題「海羅万象」を回収するついでに、本編とは何の関係もない集合絵をば。
 登場人物紹介も兼ねております!
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