変わり種小説

 ある昔の平安の世。とある山の麓にある村に、その風習はあった。
 夕暮れ時、カラスが鳴いて飛び回っている。その声にように山道を急かされる歩いていく女。それに手を引かれた男子おのこは、先を行く女を見上げて尋ねた。
「おっかあ、おっかあ。ここ、どこだ? おら、何をすればいいんだ?」
 母は少し立ち止まって、せがれに顔を向けた。少し顔色は悪いが、うっすらと笑みを浮かべる。
「ここは天神様の細道だ。あんたのななつの祝いに、天神様にお札を納めに行くだよ。あんたも天神様にお礼を言いなさい、『今まで守ってくれてありがとうございますだ』って」
「守る? 天神さまが、おらを?」
「んだ。子供は、ななつになるまでは天神様の子だからな」
 話しながら、長い階段を一段ずつ上がっていく。神社の鳥居が見える頃には、辺りは真っ暗になっていた。空に浮かぶ真ん丸の月だけが、そこを照らす灯りになっていた。
 社の前に来た女が、ふと立ち止まる。覗きこむと、母のやつれた顔を涙が伝っていった。ひ、ふ、み、よ……数えきれないほど沢山。はらはらと、止まることなく雫が落ちていく。
「おっかあ?」
 声を上げた。男子の方にしゃがみこみ、抱き寄せる。ただしゃくりあげる母に、男子は眉尻を下げた。
「おっかあ、どしただ? どっかいたいだか?」
「……はやて、ごめん」
 え、と言葉を漏らす。母の言葉の真意を問おうとしたその時――颯の腹に、冷たい何かが入ってきた。
 颯の中で、それは一気に熱くなった。息が苦しくなって咳き込むと、母の着物に何かが飛び散る。
 まっかで、あつい、これは。
「あ、」
 目の前が暗くなって、力が抜けていく。腹に刺さった何かがずるりと抜かれ、母がさらに赤くなった。膝をついて、地面に倒れ伏して。

 颯が最期に見たものは、真っ赤に染まった短刀を持って泣き崩れる、血まみれの母の姿だった。


*
 額に乗った冷たい感触に、颯は意識を引き戻された。
 ゆっくり、目を開く。「おお、目が覚めたのじゃな」と、聞き慣れない声が耳に届いた。体を起こそうとして、腹部の激しい痛みに呻く。
「これ、傷口が開いたらどうするのじゃ。しばらくは大人しゅうしとれ」
 声の方向に視線を向ける。最初はぼんやりとしていた視界が、少しずつ晴れていく。
 それは、女子おなごだった。年の頃は十ばかり。色白で、黒い髪をおかっぱのように切っている。朱と黒の小袖に、緑の短い袴。首には翡翠色の勾玉をぶら下げている。黄と黒の虎皮腰巻きを巻いて、まるで男子のような出で立ちだ。
「お主のように、風習に巻き込まれてわらわの社で殺される幼子は珍しくはないがの。一命をとりとめたようで何よりじゃ」
 女子はそう言って、『三つの目』を細めて笑って見せた。
「え」
 颯は目をこすった。右、左……そして、額の目。そのどれもが、鋭い金色の瞳で颯を見詰める。そういえば、頭にも白い何かが出ている。両側から突き出たこれは、どうみても角だ。
 颯の顔がさっと青ざめた。体が震え、身動きが取れなくなる。
「ん、何じゃ――鬼が、そんなに恐ろしいかえ?」
 男子の様子に気付いた鬼が、にたりと笑う。血染めのような赤い舌を見て、声にならない悲鳴をあげた。布団から這い出ようと、手足をばたつかせる。
「あ、ちと待てい、傷口が開くと言うたじゃろう! 肝を潰させて悪かった、食いはせんから妾の話を聞け!」
「……ほんとけ? 食わん?」
「食わぬ。寧ろ、そんな誤解が広がったお陰で迷惑しておるわ」
 颯をまた布団に寝かせ、布団を被せる。互いに落ち着いてきたところで、鬼が口を開いた。
「まず名乗った方が早かろう。妾は天翔童子てんしょうどうじじゃ。今は『天神様』と呼ばれることの方が多いがの」
 聞き覚えのある名前に、颯は息を飲んだ。天神様――村を守ってくれる神様。力が強く、機嫌を損なえば命はないというあの神様が、目の前にいる。
「じ、じゃあ、あんたが天神さま?」
「まぁ、そういうことになるのぅ。神などでなく、ただの鬼でしかないが」
 天翔童子は苦虫を噛み潰したような顔で語り続けた。
 はるか昔からこの山にいたが、あるときに颯の村の住民に見つかって、酷く怯えられたこと。ありもしない祟りを恐れられ、神として扱われ、勝手に祀りあげられたこと。
 それだけでなく、数十年もした頃には豊作祈願の神様に仕立てあげられたこと。自分にそんなことを押し付けるなと抗議したら、何を曲解されたのか人間の子供を生け贄にされるようになったこと。
 その風習が歪んでいき、今は七歳になった子供の中から一人を選び、『天神様への贄』として母親の手で殺すようなものになってしまったこと。
「鬼は人を喰らう……そんなもの、戯れ言に過ぎぬよ。誰が己に似た容姿の輩を喰おうと思うものか、幾度も目の前で人の子を殺される身にもなってほしいものじゃ」
「じゃあ、おらは」
 ため息をつく鬼の傍らで、颯はこぼした。
「おらは、おっかあにころされかけただな……」
 あぐらをかいた鬼から視線を反らして呟く。丸い眼から涙がこぼれて、敷き布団にしみを作った。
「――母が憎いかぇ?」
 ひじをつき、目を細めながら鬼が問いかけた。男子の反応がないのをどう受け取ったか、そのまま語り続ける。
「お主が母を恨むと言うならば止めはせぬよ、あの母は恨まれて当然のことをしたからの。じゃが、やり返すのは止めておくがよい。ろくな死に方せぬぞ」
 平坦な声で、突き放すように告げる。颯は布団から腕を出して、強引に目元を拭った。何度かまばたきして、口の端を吊り上げ、
「悲しいけど、おら……おっかあはにくんでね!」
 明るい声で、笑って見せた。
 鬼の三つの目が見開かれる。何か言いかけた鬼を遮り、さらに続ける。
「おっかあはきっと、おらをころせなかっただ。だから生きてる。あやまってほしいとは思うけんど、やりかえそうとは思わね。やりかえすのはダメだって、おっかあが言ってたかんな!」
 笑いながら、気丈に振る舞う男子の顔に――鬼がそっと手を伸ばした。長い爪が引っ掛からぬように、繊細な陶器に触れるような手つきで。男子の目元には、気付かぬよう振る舞っていても誤魔化せぬほどの大粒の涙が溜まっていた。
「無理するでないぞ、童よ。強がる必要はあるまいて」
 微笑みを浮かべ、柔らかな手つきで頭を撫でる鬼の優しさに、颯は嗚咽を漏らした。溢れる雫を拭きもせず、声をあげて泣きわめく。まだ七つの子供である男子には、己に突き付けられた現実はさぞ苦しいものだろう。天翔童子は、ゆっくり頭をなで続けた。
「よしよし。この歳で辛かったじゃろう……もう大丈夫じゃ」
 ただそれだけを繰り返し、頭を撫でてやる。それは人間の母親の行動そのものだった。
 お主の気概、強くまっすぐな眼差し――気に入ったぞ。お主は妾が育ててやる。強く逞しい鬼の子としてな。
 泣き疲れて寝てしまった颯の顔を見つめながら、鬼は呟いた。
 杜の外では、颯の流した赤が、月明かりと夜風に晒されて静かに乾き始めていた。


*


「振りが甘い! 脇を閉め、手にした得物で風を切るようにせい」
「お、おすッ!」
 数ヶ月後。天神様の社には、見た目通り鬼のような厳しい指導をする天翔童子と汗水たらして修練に励む颯の姿があった。
 颯の傷が治った後、天翔童子は社に彼を住まわせた。その際物置から太刀を見つけた男子に頼まれ、目の前で剣の腕前を披露したのだ。
 風そのものになったように舞い、力強く振り抜く。舞踊のような美しいそれを見た颯が惚れ込み、弟子にしてほしいと頼み込んだ。天翔童子も狩りのために必要だろうと了承し、義理の親子兼師弟という関係に落ち着いたのだった。
「やめ! そろそろ夕飯時じゃ。狩りに向かうぞ、着いて参れ」
 天翔童子の号令で木の棒を振るのをやめ、一礼する。師匠の元に駆け寄って、共に森の中に歩を進めた。
「テンショウドウジさま。おら、剣、うまくなったかな?」
 息を弾ませながら尋ねる弟子に、天翔童子は歯を見せるように笑った。大雑把に頭をぐりぐり撫でる。
「ああ。二つ季節が過ぎただけで、太刀筋がしっかりしてきておる。見所があるぞ、お主」
「へへ、やったぁ!」
「じゃが、まだ生けるものを狩るには程遠いの。妾のような腕に至るには、まず己の力のみで狩れるようにならねば。精進するのじゃぞ」
「うん!」
 純粋な笑顔で笑う颯を眩しそうに見やり、視線を前に戻した。常人より遥かに優れている目が、森の中を見通す。
「――お、颯。良い報せじゃ、彼方あちらを見てみよ」
 指差した先に、小さく開けた場所があった。草に覆われているはずの場所に、小さな穴が空いている。よく目を凝らした颯は、やがてあっと声をあげた。
「あれ……あれ、おらの作ったワナだ!」
「左様。見に行くぞ!」
 二人が小走りで穴に近付くと、落とし穴から延びている縄はピンと張り、木の根本まで延びていた。穴を覗き込むと、網で捕らわれた野うさぎがもがいているのが見える。
「お主の初めての獲物じゃな! これは盛大に祝わねばのぅ」
 声が弾む鬼と対照的に、数瞬呆然と立ち尽くす颯。じっと野うさぎを見つめてから、ようやく笑顔を見せた。
「やった……やっただよ、テンショウドウジさま!」
 感激を全身で表現するかのように師匠に飛び付く。天翔童子はうわッと悲鳴をあげつつ、しっかと弟子を抱き止めた。
「やれやれ、落ち着くのじゃたわけ者。祝いの準備がまだじゃろ、」
 そこで言葉を切る。「伏せろ!」と命じるが早いか、弟子を抱えたまま草木の陰になるように隠れた。
 微かに錫杖の音が響く。獣とは違う低い声が、小声で何かを話し合う。それらの音が遠ざかってから、天翔童子が立ち上がった。先刻までとは全く違う、険しい表情だ。
「山伏――修験者共め。厄介なことになりおった」
 今のは? と問いかけた颯に答えるでもなく舌打ちした。衣服についた塵を払い、颯の手を握って立たせる。野うさぎを罠ごと手にぶら下げ、社への道を歩いていく。
「テンショウドウジさま?」
「狩りどころではなくなってしもうた。夕飯は社に蓄えてあるあわと麦を喰らうことにするぞ」
 良いな、と確認する口調には、有無を言わせない響きがあった。鬼の態度の変わりように若干怯えながらも、颯は大人しく手を引かれていった。


*


 いつかの日のような満月が、今日はやたら赤く染まっている。ふくろうが鳴き、夜の闇に紛れて活動する獣の気配がうろついている。そんな危険な山の中を、一人の人間が黙って登ってきていた。
「何しに来おった。人間はとっくに眠っておる時分じゃろう」
 山の頂き付近にある神社。その鳥居の下に、小柄な鬼が立っていた。仁王のように堂々と、来訪者を睨み付けながら。
「我が社には、用のない者を招き入れることは出来ぬ。帰るが良い」
 少女のように澄んだ、それでいて威圧感を与える声。怒気を孕んだそれに来訪者は数瞬息を呑んだ。だが、負けじと神社の方へ足を運ぶ。
「聞こえなんだか? 帰れと言っておるのじゃ」
「颯に!」
 人間が声を張り上げた。すがるような目で、鬼を見上げる。その顔は青ざめて震えていたが……そこに立っている女は間違いなく、かつて実の息子に手をかけた母その人だった。
「颯に……会わせてください。山伏様から聞いたのですだ、あの子は生きてるって。会って、謝りたいだよ。痛い思いをさせたこと、苦しい目に遭わせたことを――!」
 震える声で訴える。どこか悲痛な叫びを聞いて、鬼は歯軋りした。金の瞳が僅かに光を帯び、炎のように揺れている。
「謝る? どの面下げて言っておるのじゃ、たわけ者がッ!」
 吼える。腹の底から震え上がるように、山の空気そのものを揺らすように。森をうろついていた獣が気配を圧し殺す。女は口をぱくぱくさせながら、身動きひとつ出来ず固まった。
「謝って済むことだと本気で思っておるのか? 母に殺されかけた傷が、それで癒えると? だとしたら酷い自惚れ様じゃのぅ。あの子の絶望を少しでも汲み取る気でおるのなら、そんな発想は出来ぬのではないか?」
 帰れ。あの子を愛しておると言うのならば、二度と姿を見せるでない。
 凍てつく声で追い返す。颯の母は唇を噛んだ。静かに涙を流しながら、その場に膝をつく。
「わかってる……分かってるだよ、許して貰えないって。おらのしたことがどんなことかなんて、謝るなんて出来ないようなことをしたって、分かってるだよ。けど、」
 地に左手を添えて、頭を垂れる。右手で心の臓辺りを押さえつけ、さらに大粒の涙をこぼした。
「おら、颯に刃を向けたあのときからずっと、ずっと苦しいんだ。あの子は何も悪くねかったのに、おら、酷ぇことしちまっただ」
 お願いしますだ、天神様。一目だけでええ、あの子の顔を見せて欲しいだよ。どんな処罰も受けるから、それだけでも――。
 土下座をして頼み込む母を、鬼はただ黙って見下ろした。暫くそのまま見つめた後に、口を開く。
「――それは、どこまでが本心なのかぇ?」
 母が顔を上げた。困惑した表情で三つの目を見上げ、首をかしげる。
「どこまでって、何を」
「本当に子に会いたいだけの母親が、かつて使った短刀を隠し持つ訳がなかろう?」
 気付かないと思ったら大間違いじゃぞ、と目を細め、鼻で笑う。女は顔をひきつらせた。がたがた震え、懐から刃を構える。
 雄叫びをあげながら天翔童子の方へ突っ込んだ。それを難なくかわし、手刀で武器を取り落とさせる。
「見苦しいぞ、もう止めよ。村に帰るのじゃ」
 そんな忠告も聞かず、また切りかかる。短刀を持った腕を掴む天翔童子。人間より遥かに強い力を持っているのか、女がいくらもがいても抜け出せない。唐突に手を離すことで、女は後ろへ引っくり返った。砂利が派手な音を立てる。
「そう易々と村へ帰れるなら、」
 母親が絞り出すような声で両の手を握りしめる。キッと敵を睨んで、
「おら、こんなとこさ来てねぇだよ!」
 掴んだ砂利を鬼の目に投げた。怯んだ隙に刃を振りかざし――切りつける。
 赤が飛び散った。
 辺りに鉄の臭いが充満し、境内の砂利が染まっていく。母親と鬼が目を見開いた。
 その刃の餌食になったのは――颯だったのだ。
「おっ、かあ……また、会え」
 体が傾いでいく。倒れ臥した子供を鬼が抱き締めた。首から流れる血を押さえるが、止まる気配はまるでない。
「颯、何故……何故、妾の言いつけを守らなかったのじゃ。外で何が起こっても決して出てくるでないと、あれほど言うたじゃろう」
 静かに問いかける。三つの目から、涙が次々に溢れ出る。
 颯は母と鬼の両方を見やり、笑顔を作った。
「よ……よかった。二人とも、けが、なかっ――」
 だんだんまぶたが下がっていき、かくり、と頭が落ちた。一気に颯の体が重くなる。少しずつ、冷たくなっていく。それでも、颯の顔には安堵の微笑みが浮かんでいた。
「お、おい。目を開けるのじゃ颯、死んではならぬ。颯!」
 軽く揺すっても返事をしない。恐る恐る胸元に耳を当てたが、もう心の臓からは音がしなかった。己の子同然に育てていた鬼は、喉が潰れたような微かな嗚咽を漏らした。
 天翔童子の様子から察したのだろう、母親は短刀を取り落とした。両手で顔を覆い、地面に突っ伏している。
「――ひとつだけ答えよ、颯の母親。お主、それほどこの子を殺したかったのかぇ? それほど憎んでおったのか?」
 子供を抱えたまま、口を開く。母親は涙を拭おうともせずに、力なく首を振った。
「違います、天神様。そんなわけがねえだ」
「では、何故」
「おらと旦那が生きるためには――こうするしかなかっただよ」
 彼女は涙で震える声で、言葉を紡ぎ始めた。懺悔するように、心の底から悔やんでいるように、時折どもりながら。
 颯たちの住む山のふもとの村は、天神様を酷く畏れていた。それと同時に、天神様さえ味方につけていれば村は安泰だと思われていた。だから天神様に捧げる贄として子を殺した家は、その後村中から感謝されるのだ。
 だが、今回は違った。山伏の証言で颯が生きていることを知った村人達は震え上がった。天神様へ子供を捧げられなかった、このままでは村に災いが訪れる。
 そんな混乱した状況だったから、誰が最初に「颯の母親のせいだ」と言い出したかは定かではない。
 村人全員による吊し上げが始まった。今まで皆が成功させてきたのに、個人的な感情を優先してとどめをささなかったのだろう、と罵倒された。石を投げつける者もいた。
 終いには「もう一度殺してこい。それまで戻ってくるな、逆らえば家を壊す」と言われる始末。旦那も妻を擁護できないほど憔悴しきってしまった。
 「行ってきてくれ、頼む」と旦那に言われたとき――彼女の中で、何かが壊れる音がした。
 颯の母親には、それしか出来ることがなかったのだ。
「おら、あんな村嫌だ。けど今のご時世、外へ逃げても受け入れてくれるところなんかない。だから仕方なく……」
 項垂れたまま語り終えた。沈黙がその場を支配する。
「――そうか。人間は、そこまで堕ちてしもうたか」
 ぽつり、天翔童子が呟いた。何かを押し殺したような言の葉が、どこへも行かずに消えていく。どれほど時が過ぎたか、風が木々を揺らしたのを皮切りに「天神様、お願いがありますだ」と切り出した。
「おら、一度颯を刺してからずっとうなされてるんだ。夢の中の颯がずっとおらに『どうして』って聞いてくるから、参っちまっただよ。だから、」
 その先を告げなくとも、天翔童子には何を頼まれようとしているか悟ることができた。「自分勝手じゃのぉ、お主」と呆れたように肩をすくめる。
「分かってるだ。けど、二回も颯を殺したおらが、この先まともに生きられるとも思えねぇだよ」
 天翔童子は少し考えて「条件を三つつけさせて貰うが、良いかの?」と尋ねた。それらの説明を聞いた母親が了承する。
 天翔童子が颯の亡骸を抱え、立ち上がる。母親は黙ってついてきた。天神様の社の少し上、開けた土地にたどり着くと、二人は場所を相談して穴を掘り始めた。
 鬼が提示したひとつめの条件は、『颯の埋葬を手伝うこと』だったのだ。
 数刻掘り続け、ようやく子供が入るだけの穴ができた。母親が颯の体をそっと抱き締めて、穴の中に入れる。
「颯、ごめん。ごめんな。二回もあんたを殺すなんて、駄目なおっかあだな……。謝ることじゃないけんど、ごめんしか言えん。あの世で幸せになるんだぞ」
 声を投げ掛けてから、二人は土を被せた。颯の顔が、体が、土で隠れていく。全ての土をかけおわった二人は、そっと手を合わせて黙祷した。
「もう、覚悟は出来たかぇ?」
 おもむろに口を開く。母親は頷いて、「ああ。腹決まっただよ」と返した。天翔童子に短刀を手渡す。
 天翔童子がふたつめに出した条件。それは、『颯に与えたのと同じ苦しみを受けて死ぬこと』だった。
「痛むぞ?」
「二回もおらに殺された颯は、もっと痛くて苦しかっただ。それくらいはどってことないだよ。それより、」
「分かっておる。妾は約束は守るたちじゃ」
 鬼が短刀を構え、目を合わせる。相手が頷いた刹那、地を蹴って懐に飛び込んだ。
 人間の女の口から、意味のない音が漏れる。刃が刺さったそこからは、じわじわと赤がにじんでいく。女が咳き込むと、その反動でさらに刃が食い込んだ。口から血が垂れる。
 がくがくと足が震え、目の焦点が合わなくなってきた頃合いを見計らって短刀を抜く。赤いそれが飛び散り、天翔童子の赤い小袖に跳ねた。それに目もやらず、刃を勢いよく振り抜く。首筋を裂かれ、周りを鮮やかに染め上げ、女は崩れ落ちた。
 天翔童子が短刀を鞘に収め、女の方へ屈む。死の瀬戸際に立った彼女は――笑っていた。あ、り、が、と、う。ゆっくりとした口の動きを読み取ると、確かにそう言った。
「たわけ者、己を殺した輩に感謝するものがあるか。子を手にかけた罰じゃ、せいぜい安らかに眠るが良いわ」
 天翔童子の盛大な皮肉が聞こえたのか、女は子供と同じように笑ったまま息を引き取った。
 先程したように地面に穴を掘り、遺体を入れる。少し思案して、短刀を彼女の腕の中に収めた。
 土を被せ、黙祷する。顔を上げて目を開いたときには、天翔童子の顔つきは険しいものになっていた。

 鬼が、殺した女と交わした最後の条件。
 それは――『祟り神として山を降り、村を全滅させること』。
 こんなことがもう二度と起きないように、元から絶つ。あの村そのものをなかったことにすると誓ったのだ。

「今までに殺された子らの分をやり返す、と思えば良いのじゃ。ここに埋まっておる人数分だけでも、充分村を滅ぼせよう」
 誰に向けるでもなく、ぽつりと呟いた。
 鬼の手はわずかに震え、強ばっている。拳を握り、覚悟を決めた目で前に踏み出した。
design


* * *


 昔々あるところに、天神様という鬼の神様がおられました。
 人より遥かに強い力を持つ神様。気難しくて怒りっぽい祟り神様。村の人達はその神様が怖くて仕方ありませんでした。
 偉いお坊様に相談したら、「子供は七つまで神様の子だ。神様の機嫌を取りたいなら、七つになる子を一人ずつ神様に捧げなさい」と言いました。
 それから村の人達は、七つの子を一人、またひとり神様に預けました。村の安全のために仕方がなかったのです。

 ところがある日、満月が真っ赤に染まったとき――大変なことが起きました。天神様が山から降りて、暴れ始めたのです。
 刀を振り回し、縦に薙いだら家をバラバラに、横に薙いだら腕自慢の男達をひっくり返し……とにかく恐ろしい強さでした。
 逃げる女子供にも手加減はしません。誰も天神様に勝てず、ついに村には誰もいなくなってしまいました。村を助けに来た人にも容赦しない、天神様の噂はあっという間に広がりました。
 そんなとき、名のある陰陽師様が天神様の退治に向かいました。
 天神様が風を起こすと、陰陽師様はそれより大きな風を吹かせました。天神様が切りかかっても、陰陽師様には傷ひとつつきません。
 とうとう天神様は、こりゃ参ったと降参しました。陰陽師様は天神様を、元いた神社に封印しました。
「疲れたから寝る。子供はうるさいから嫌いなんだ、次連れてきたらまた暴れるからな」
 乱暴な天神様はそう言って眠りました。

 それからは、その神社が立ち入り禁止になり、道も封じられました。
 今でもその天神様にまつわる風習は、わらべ歌という形で残っています。


 とおりゃんせ とおりゃんせ
 ここはどこの細道じゃ
 天神さまの細道じゃ
 ちぃっと通してくだしゃんせ
 ご用のない者通しゃせぬ
 この子の七つのお祝いに
 おふだを納めに参ります
 行きはよいよい帰りはこわい
 こわいながらも

 とおりゃんせ
 とおりゃんせ





※この作品は実在する人物、土地、歌、神話とは一切関係がありません。
 また、この作品では童謡『とおりゃんせ』が天神様に捧げる生け贄として子供を殺す風習を表しているという解釈と、母親が死んだ子供に会いに行く様子を表しているという解釈の両方を取り入れたものです。解釈には諸説あります、ご了承ください。
4/12ページ
スキ