現代ベース小説
※リア充警報発令中
この作品は、以前公開された作品『残念さんだよ! 空也くん』に出てきた探偵とリケジョのバカップルの過去話になります。リア充を爆発させたくなる方は読むことをお控えください。
「やぁ、おかえり。そして初めまして。キミの美しさに薔薇を捧げに来たよ」
「そうですか、帰ってください」
当然のように花束を差し出してきた不審者に、私はとりあえず即答したわ。
一体この人は何を言っているんだろう。というか、何が起こっているんだろう。そもそも誰よあんた。
私は研究室から自分のアパートに帰ってきただけなのに、一体何の仕打ち?
「あ、そうか。自己紹介がまだだったね、西原真樹さん」
「いえ、それ以前に何で私の住所と名前知ってるんですか?」
「何でって、調べたからに決まって――ってちょ、待って、通報はやめてくれ!」
鞄からスマホを取り出したところで、謎の男は露骨に取り乱し始めた。まだ110を押してないのに目ざといわね……自分が不審者だって自覚はあるのかしら。
「えーっと、あんまりこれは出したくなかったけど……ボク、こういう者です。怪しくないから、安心して欲しいな」
そんなあからさまに怪しい男が渡してきた名刺には『私立探偵 宮田空也』って書いてあった。
宮田空也。その名前には覚えがある。確か、日本人らしくない色素の薄さがどこか神秘的って話題になってるモデルさんね。本人は相当の変わり者って話だけど……今目の前にいる男の人は、普通の黒髪だったような?
顔を上げて「この名刺は本物ですか」と聞こうとして、固まった。薔薇男が自分の髪をむしりとったから。
ウィッグの下から出てきたのは、色の薄い茶髪。ブロンドに近い綺麗な髪の隙間から、悪戯っぽく笑った瞳が覗いている。
「この顔を見たら、信じてくれるかい?」
こっちの考えていることを読んだかのように、軽い調子で尋ねられる。
これが――ちょっと変人な探偵さんとの出会いだったわ。
それからの生活は地味に、けど確実に変わった。空也は仕事の合間を縫って私と一緒に過ごすようになったし、頼んでもいないのに自分の載ってる雑誌を手渡してくるようになった。
友達には「彼氏?」って聞かれるし、正直どういうつもりでこんなことをしてるのかも分からない。探偵につきまとわれるっていうのも、後ろ暗いところがあるのか疑われてるみたいで落ち着かないし。
けど、何となく拒絶はしなかった。探偵の仕事で近付くなら職業は明かさない、警戒されるからという言い分に納得したのもあるし……何となく、私と一緒にいる空也が嬉しそうだから。モデルとしての空也のファンだったって言うのも理由のひとつね。
「そういえば、聞きたいことがあるの」
お昼にサンドイッチを食べてる私を見つめてニコニコしてた空也に声をかけると、過剰なくらいに反応した。何か、犬が尻尾を振ってる幻覚が見える気がするわ……。
「何だい? ボクに分かることなら何でも答えるよ!」
「今月号に載ってたあんたの質問コーナーのことなんだけど」
カフェオレのカップをどかして、彼からもらった雑誌を取り出す。ページをめくって目当ての場所を開いた。人気モデルの宮田空也さんに突撃インタビュー! と題したそれは、質問者との対談形式で文章が連なっている。
私が気になったのは、その中にあった質疑応答。
――ズバリ、好きな人はいますか?
空也「それ聞いちゃいますか(笑) いますよ。けど、多分相手はボクのことそういう風には思ってないだろうなぁ」
――片想いですか? 今後お付き合いをする予定は?
空也「片想いだと思います。今のところは告白する気もありません。許されている限りはその人のそばにいたい、それだけでボクは幸せですから」
――何だかロマンチックですね!
空也「ボクは彼女を、月のような人だと思っています。応援してくれるファンの皆が太陽なら、その人が月。二つの光に包まれて、心を温めてもらいながら生きているんですよ」
月のような、想い人。その言葉が何故か引っ掛かった。空也の好きな人に心当たりはあったけど、月に例えられるような人じゃないから。
もっと意地が悪くて、素直じゃなくて。他人から向けられる視線が嫌で着飾ることもしなくなった日陰者。間違っても、脚光を浴びている人気者に誉めてもらえるなんてあり得ない。
インタビューを受けていた本人は、そのページを一通り読んでから目を逸らした。少し顔が赤い気がするのは、多分気のせいね。
「あ、ああ、それかい? 取材陣がしつこくてさ」
ねぇ、これって誰のこと?
一応聞いてみたけれど、微笑むだけで答えは返ってこない。予想していた反応ね。聞き返すのも野暮だと思ったから、少し姿勢を正して咳払いをした。空也の顔がまたこっちに向く。
「じゃあ、質問を変えるわ。空也は何で付きまとってくるの? 私達、前にどこかで会ったっけ」
「んー……内緒」
恥ずかしいから、またの機会があったら話すよ。それでいいかい、真樹?
こっちの機嫌を伺っているように見えて、一歩も譲る気がないらしい強引さ。こういう言い方をするときは絶対に話してくれない、そう悟って質問を取り下げたわ。
空也は優男に見えるけど、決して見た目通りの人じゃない。あの優しい笑顔の合間に、一瞬だけ獰猛な表情を見せることがあるの。獲物が隙を見せるのを待つ肉食獣のような凶暴な一面があるのを知っている。そんな人の隠し事には、下手に首を突っ込まない方が賢明よね。
会話が一段落したところで、空也が席を立った。唐突な行動に、どうしたのと聞いてみる。
「これからまた撮影なんだ。すぐ近くのスタジオでやるから、良かったら見に来るかい?」
「嫌よ。恋人同士でもないのに、何でそこまでしなきゃいけないの?」
それもそうか、と軽く笑って手を振った。去り際にされた投げキスは気付かなかったことにして、残った飲み物を喉に流し込む。キザなことこの上ない動作でも似合うなんて、何かムカつく。
レジでお金を払って外に出る。今日はもう講義は残ってないし、研究室も休みなのよね。今度の論文の参考文献も兼ねて、図書館でプログラミングの本でも借りて帰ろうかしら。
「失礼します。アンケートにご協力してくださいませんか?」
他愛もないことを考えながら歩いていたら、街頭アンケートの調査員さんに声をかけられた。深く考えずに頷く。
このちょっとした善意で後悔する羽目になるなんて、夢にも思わなかった。
後ろに二人、前に一人。さっきまでいた人通りの多い通りから外れて、寂れた場所に連れられる。
当たり前だけど、街頭アンケートをこんなところでやるわけないわね。この三人は始めから私を狙っていた、そう考えた方がつじつまが合う。
相手は全員女性。私は少しだけ合気道を心得ているけれど、危害を加えられていないのに倒したら暴行罪になりそうだから下手なことは出来ないわ。
逃げ出すタイミングを伺っていたら、朽ちかけている廃ビルにたどり着いた。中に入って、そこでやっと三人の足が止まる。
「こんなところでやるなんて、よっぽど他の人に見られたくないアンケートなんですね」
わざととぼけてみたら、思い切り舌打ちされた。イライラしてるのはこっちよ。
最初に話しかけてきた、化粧の濃い女が私を突き飛ばす。背中から壁にぶつかって、軽くむせた。
「とぼけるのもいい加減にしなさいよ」
「あら、違ったんですか。じゃあ私、何でこんなところに呼ばれたの?」
「白々しいんだよ、このメス猫!」
取り巻きらしい残りの二人も私を囲んできて罵倒する。
冷静さを失わないように、平静を保って話を聞き出すと……どうやらこの三人、モデルとしての空也に凄くお熱らしいわね。撮影にも何度も行って差し入れもしてるのに、ろくに言葉も交わせない。差し入れも受け取ってもらえない。
それに比べて私は、何もしてないのに空也に話しかけられて、一緒に食事して。しかもそんな特別扱いされてるのに、当の私は格好いい彼に合わせる気のない地味な格好をして、空也を無下に扱ってる。
――つまり、地味な癖に空也に好かれてる私が目障りらしい。
「アンタみたいな女、あの人には相応しくないわ。二度と私達の空也様に近付かないでくれる?」
誰があんた達のよ。空也のこと、上っ面でしか見てないくせに。
私への罵倒には慣れてる。けど、彼女達が自覚なしに空也の意思を無視して踏みにじってるのは我慢ならなかった。
「そう言われましてもねぇ、空也は私の公認ストーカーみたいなものですから。他人にどうこう言う前に、まずはその化粧の臭いと傲慢な態度を何とかしたらどうですか?」
思わずこぼれた嫌味と同時に張り手が飛んでくる。愛用してる伊達眼鏡が飛んだ。崩れた姿勢をゆっくり戻して、正面から睨み付ける。三人がたじろいだ。
私は知っている。
人の暗い部分に触れ続ける『探偵』という仕事に疲れきった、雑誌には載らない空也の本音を。
理不尽な理由で憎まれて、恨まれて、挙げ句に薬を盛られた経験から、他人の手で作られた料理は食べられなくなったことを。
他人に心を許せなくなった事情を、私だけが知っているの。どうしてそれを明かしてくれたのかは、まだ聞いてないけど。
「空也には空也の事情や考えがある。そんな簡単なことに、どうして思い当たらないんですか。本当に好きなら、どうしてちゃんと見ないんですか」
静かな糾弾に、言い返す声はない。大方、私を第一印象だけで判断して見くびってたのね。
ごめんなさい、地味でダサい弱気な女だと思わせちゃったみたいで。本当は、色恋沙汰で何度もトラブルに巻き込まれたことがあるの。勝手に惚れられたり、噂を流されたり。そういうのに疲れて、ダサくて地味な格好をするようにしたのよ。
「空也は、あなた達の思ってるような王子様じゃありません。人の家を特定して薔薇の花束を持ってきたり、しょっちゅう付きまとってきたりする癖に、未だに『付き合ってください』の一言も言わないヘタレな男よ」
けどね、それでも……正義感は、人一倍強い人です。
空也の目を引きたくてこんなことをしたんでしょうけど、お生憎様。もう辞めといた方がいいと思いますよ、こんなこと。
相手を刺激しないように諭す。空也の名前を出して、お互いのために穏便に済ませようと提案した。
「――いで」
ボス格の女が、ポツリと呟いた。こっちを睨む目に狂気じみた何かを感じる。背筋が冷たく感じた。
「ふざけないで。あんたが、あんたなんかが、空也様を語らないでよッ!」
両手を広げて飛びかかってきた相手を受け流して避ける。私の後ろの壁に顔から突っ込んだ女は、濁音まみれの悲鳴を上げて崩れ落ちたわ。
取り巻きの一人が掴みかかってきた。腰が引けてる相手の左手を掴んで、足をかける。体勢を崩したところで、重心移動と遠心力を使ってもう一人の足元に転がす。
三人が地面に転がったのを見届けて、一礼。息を吐いて構えを解いたわ。
「さて、どうするの? まだやる?」
腕を組んで問いかける。てっきり彼女達が何かしらの返事をすると思ってたけど、それより先に拍手の音が聞こえてきた。
「ブラボー、ブラボー! 流石は真樹だ、ボク抜きで事件を解決しちゃうなんて。探偵泣かせの称号をキミにあげよう!」
一斉に声の方向に振り向く。
薄い緑のワイシャツに、赤いリボンタイ。茶色のベストを着て、サラサラの髪を風になびかせながら満面の笑みで歩み寄る。
腕利きの私立探偵、宮田空也。話題の中心だったその人が、素知らぬ顔で現れた。
彼の姿を見るなり、熱狂的なファン達が慌てて立ち上がる。身だしなみを整えるのに忙しい三人は放置して、私は空也を疑いの目で見つめた。
何でこの場所が分かったのよ……まさか、私にGPSとか仕掛けたりしてないでしょうね?
「どうしてここにいるんだ……って顔をしてるね。いいよ、答えあわせをするとしようか。後藤さんと佐藤さん、それから山下さん。キミ達には特によく聞いてもらいたいな」
え、後藤・佐藤・山下って誰? と思うのも束の間、三人が顔を寄せてひそひそ話し始めた。ああ、なるほど、彼女達の名前ね。
「まず前提として、ボクはモデル稼業を副業と捉えている。本職は探偵さ、良くも悪くもね。ファンでいてくれるレディ達の個人情報を調べるくらいは簡単にできるんだ」
身振り手振りを加えながら、まるで道化師のように芝居かかった動作で説明を始める。
空也の人物特定スキルが高いことは、初対面でよく知らされてるけど……まさか彼、ファンや関わった人達全員の住所を特定してるんじゃないでしょうね。あり得る上に出来るって分かっちゃうのがどことなく恐ろしい。
「おかしいと思ったんだ、今までどんなに小規模の撮影でも見に来てたキミ達がいなかったから。最近は最低でも一人はいたから、胸騒ぎがしてね。真樹に電話しても出てくれないし」
え、電話? 鳴ってたっけ?
持ってた鞄からスマホを取り出して履歴を見る。確かに、空也からの着信が二件入ってた、けど。二回電話に出なかっただけで事件を察知するなんて、勘がいいというか何というか。
「この場所の特定に特別なことはしてないよ。ただ、あらかじめ調べておいたキミ達の行動範囲と真樹の行きそうなところを照らし合わせて、人気のない場所を見にきただけさ」
「こ、行動範囲って、どうやってそんなの、」
「簡単だよ? キミ達の経歴や趣味、SNSでの書き込みを洗い出して、ざっと目安を付けるのさ。朝飯前だね」
特定されるのが嫌なら、個人情報の扱いには充分気を付けた方がいいよ。
にっこりと笑ったまま、淡々と『答えあわせ』をしていく。
初めて見た。空也の、探偵としての顔なんて。
普段のポンコツ具合は全部演技なのかと思わせるくらい、冷たい目をしていて。舌なめずりをしながら追い詰めて獲物をいたぶる、肉食獣のような残酷さ。
これが、探偵としての空也なんだと悟った。
「ところで、ボクはついさっきここに着いたばかりなんだ。だから何が起こってたのかは知らない。予想することは出来るけどね」
私を襲ってきた三人が安心したようにため息をついた。
けど、多分空也は、ここで何が起こったのか大体分かってる。見た目よりもずっと頭のいい人だし、まず目が笑ってないわ。
ボクの意見を、結論から言わせてもらうとしよう。そう語り出した空也は、へらへら笑うのをやめた。
琥珀の色をした瞳で、戸惑って立ち竦んでいる三人を見据える。
「いくらボクのファンだろうが、探偵として犯罪行為は見逃せない。警察に突き出されるようなことをした覚えがあるのなら」
――さっさと消えるんだね、外道共。次はない、二度と真樹に近寄るな。
冷たい、氷のような声で言い放った。
熱狂的なファン達は青ざめた。ぎこちない動作で出口まで歩いていき、外に出た途端凄い勢いで逃げていく。私を散々罵った連中があんな情けない逃げ方をするのは、ちょっと気分がいいわね。
落ちた伊達眼鏡を拾う。眼鏡をかけ直す私を、空也は心配そうに見ていた。
「あー……ごめん、危険な目に遭わせて。怪我はない?」
あれ? 何か、思ったよりも元気がないわね。
いつもなら「だ、大丈夫だったかい? キミの陶器のような肌に傷がついてたら、ボクはもうどうしていいか!」くらいは言いそうなのに。
「全然。それよりあんた、いつから来てたの?」
「えっと、真樹が戦い始めるちょっと前辺りからかな」
「え」
まった。ちょっと待った。
確かあの辺りで私、勢い任せでとんでもないことを言ったような。
少し考えて、思い出した。
――未だに『付き合ってください』の一言も言わないヘタレな男よ。
――けどね、それでも……正義感は、人一倍強い人です。
「ごめんね、告白も出来ないヘタレで」
苦笑いを浮かべて謝る空也。一気に体が熱くなった。
まさか、聞かれてたなんて。あれじゃ、本人の前で好きだって告白したようなものじゃない!
「あ、あれは……!」
「いいんだよ、本当のことだから。人に恨まれやすい仕事してるからさ、怖かったんだ。いつかキミを危険なことに巻き込んだらどうしようって。しかも、実際に巻き込んでしまった」
ボクはキミから離れた方がいいのかもしれない。
空也の口からこぼれた呟きで、ふと冷静さを取り戻した。もしかして、あの言葉の意味に気付いてない? どんな些細なことも見逃さない癖に、何でこんなときだけポンコツなのよ。
呆れた私に気付かず、無理やり笑顔を作って外に促す。
「さぁ、帰ろう。キミを危ない目に遭わせないように、これっきり関わらないようにするから。謝りきれないことをしてきたけど、せめて最後くらいは見送らせてよ」
空也の切ない顔を見ると、胸が締め付けられる。
あくまでも触れないようにエスコートしようとする空也を見て、私は自分の間違いを悟った。
こんなに細やかな配慮が出来る人が、あの台詞の意味に気付かない訳がない。鈍感なんじゃなくて、凄く臆病な人なんだ。
自分の恋が叶わなくなるより、私を傷つける方がずっと怖い。実際、さっきから私を案じるようなことばかり言っている。「怖い」以外は、自分の感情を出さない。
何だ、空也の気持ちを考えようとしなかったのは私じゃない。あの三人を悪く言えない。
私は、月のように人を惹き付ける空也の近くにいたい。裏側の顔をもっと知りたい。
「真樹?」
いつまでも歩き出そうとしない私の顔を覗き込む。空也と目があって、何かが吹っ切れた。
「巻き込まれるなら、その度に私を守ってよ。そばにいてよ」
口から滅多に言えない本音が漏れる。空也の顔が少し赤くなって、見て分かるほどに狼狽えた。
「守っても、いいのかい? ボクはトラブルに巻き込む側なのに」
「私の気持ち、盗み聞きしてた癖に。ずっと付きまとっておいて勝手に離れるなんて、それはないんじゃないの?」
空也が足を踏み出す。一歩、また一歩。繊細なガラス細工に触れるように、慎重に私の腕に触れる。軽く掴まれて、引き寄せられた。
空也の胸の中に収まる。心臓の音がうるさい。
「真樹、好きだ。大好きなんだ。これからもボクと一緒にいて、守らせて」
声が震えてる。私を抱き締める手には、力が全く入ってない。普段のふざけた態度も、探偵としての顔も好きだけど――臆病者なところも、全部隣で見ていたい。
「遅いわよ、馬鹿」
照れ隠しに悪態をついて、空也の分も強く抱き締めた。
これから先、どんなトラブルでも二人で乗り越えられるように、願いを込めて。
* * *
物心ついた頃から、ボクは探偵というものを嫌っていた。
父さんの事務所に次々やって来る依頼人達。アニメや漫画とは違って、頼まれる仕事は浮気調査とか、別れさせ屋の真似事とか、そんなのばかり。依頼しておいてお金を払わない人や、逆ギレして襲いかかってくる人を何人も見てきた。
小さな頃からずっとそんなのを見てきたせいかな。ボクは人が嫌いになった。ちょっとした嘘ならすぐに分かったし、人の仕草を見て何を考えてるかも推測できるようになった。本音と建前をほぼ完全に切り離せるようになった。
そして皮肉にも、それらは探偵として充分やっていける才能だった。
父さんの仕事の手伝いをさせられるようになって、色の薄い日本人離れした顔のせいもあるのか、ボクの知名度は一気に上がって。気付いたときには、父さんの探偵事務所を継ぐように仕組まれていた。逃げ場なんてなかった。
仕事をする度に、人と関わるのが怖くなる。逆恨みされて変な連中をけしかけられたこともあった。お礼として貰ったお菓子に薬を入れられたことも。一つの依頼をこなす度に、息が出来なくなっていく。
オフの日に雑誌のモデルとしてスカウトされた時は、ちょうどいいと思ったんだ。探偵の仕事から逃げたかったんだ。
建前だけで、顔だけで人を欺いて、傷だらけの自分の本心を隠して……そうすれば、表向きだけの付き合いが出来る。人の醜い部分を見てきたから、いつしか自分の気持ちを出すのも怖くなっていた。
そんな人間不信の底無し沼にはまってたときに、彼女を見たんだ。
ただでさえ髪色が目立つから、ずいぶん前からウィッグをかぶって町中を歩く習慣が身に付いてるんだ。だから向こうはいつボクと会ったか分からないだろうけど、こっちはよく覚えてる。
あの日はいつも通り変装して、本屋さんに入ったんだ。探偵をやっている以上、情報収集は欠かせない。いつどんな話題でターゲットに近付くことになるか、全く分からないからね。少なくとも、人気の本は一通り内容を押さえておかないと。
雑誌のコーナーをチラリと見てみると、女性二人が話しているのが見えた。持っているのは、ボクが載ってる雑誌。
ふと、何を話してるのか気になった。職業病なのかな。さりげなく二人に近寄って、適当な雑誌を手に取る。読むふりをしていれば怪しまれることはない。
「それにしても、珍しいよね。真樹がこういう雑誌を読むなんて」
女性が、友達らしい相手に問いかける。真樹と呼ばれたその人は、控えめに笑って頷いた。
「うん、ちょっとね。ほら、最近宮田空也っていうモデルさんが売れてきてるでしょ」
「あ、さては空也さんみたいな人がタイプなの?」
「うーん。確かにかっこいいなとは思うけど、そうじゃなくて」
からかおうとしている友達をかわして、真樹さんが考え込む。
ボクを顔だけで見ないなんて、珍しい人だ。その時はそれだけしか思わなかった。次の台詞を聞くまでは。
「何だか……この表情、暗く見えるから。どんな人なのかなって気になって」
思わず変な声が出そうになった。必死に取り繕って、雑誌に熱中するふりをする。
馬鹿な、あり得ない。ボクの本音を見破った人なんて、今までいなかった。今回の撮影も完璧にこなしたはず。ボクの作ったキザなキャラが偽物だって見抜かれるのは初めてだ。
こっそり真樹さんを盗み見る。年はボクより下らしい。黒くて長い髪を赤いバレッタでひとつにまとめている。服装は地味で、白衣を着ている。眼鏡は明るい緑色で、お世辞にも似合っているとは言い難い。そんなフレームの太いのじゃなくて、もっと細い方が似合うのに。服だって似合ってない。顔は整っていて綺麗なんだから、もっとお洒落すればいい。
身体的特徴と名前を頭に叩き込んでいる間に、二人はどこかに行ってしまった。ボクはその場で呆然としていることしか出来なかった。
その後から、ボクは彼女について徹底的に調べあげた。自分の弱味を握られたようで怖くなったからだと、最初は思っていた。
名前。住所。生年月日。経歴。ここまで調べたら大抵満足するのに、まだまだ彼女のことが知りたくて。どうして美人なのにダサい格好をしているのか、どんな考え方でどんな生活を送っているのか、全部知りたい。
そこでやっと、彼女に惚れていることに気付いた。
自覚してから、一気に罪悪感に襲われる。何やってんだボクは。彼女を一方的に調べるなんて、まるでストーカーじゃないか。
けど、彼女のことが知りたいと思うのは変わらない。会いたい、話がしてみたい。けどこんな形で調べ続けるのは失礼だし、何よりこの恋が成就するとも思えない。第一ボクはモデルである以前に、探偵だ。危ないことに巻き込みたくはない。
だから、自分から嫌われにいくことを選んだ。
フラれれば諦めがつくと思ったから。
薔薇の花束を持って、彼女にわざとらしい演技付きで手渡す。最初は予想通り不審者扱いされたけど、名刺を渡してからは邪険な態度は取られなくなった。
顔見知りになったのをいいことに着いて回っても、拒絶もされない。計算外だ、さっさとフラれるつもりだったのに。このままだと、触れてもいいんだと勘違いしてしまう。
その上、この間とうとう危険な目に遭わせてしまった。ボクのせいで。何もかもボクのせいだ。ボクが自分のワガママで真樹に近付いてなかったら、こんなことも起きなかったのに。
「――や。空也!」
ハッと我に返る。見上げると、怪訝な顔で見つめてくる真樹と目があった。
「どうしたの? うなされてたよ」
言われて周りを見渡す。窓の外はすっかり暗くなっていた。月が窓から見える。どうやら、夕方からやっていた書類整理の途中で居眠りしてたらしい。
「何でもないよ。悪い夢を見てただけ」
「そう。覚めて良かったわね」
深く追及せずに窓際に立つ。夜景を眺める真樹の姿を見つめて、長く息をついた。
今でも夢なんじゃないかと思う。真樹がボクと付き合ってるなんて、ちょっと前までは信じられなかった。ましてや、ボクの事務所で寝食を共にしてくれるなんて。
真樹は、ずっと暗闇の中を歩いていたボクの本音を見つけてくれた。夜の世界を静かに照らす月みたいに。自分は目立とうとはせずに、最高の形でサポートしてくれるボクの恋人。
そんな彼女の、表向きには見せない顔を見たいと思うのは欲張りかな?
「月が綺麗だね」
誰に言うでもなく、何の気なしに口に出す。真樹が振り向いた。目を丸くして、真っ赤になって。どうしたんだろう?
「し、」
目を逸らして俯く。喉から絞り出すように、口をぱくぱくさせながら何かを話そうとする。
「死んでも……いい、わ」
茹で蛸のようにまっかになった彼女を見ながら考え込む。意味を思い出した途端、ぶわっと体温が上がるのを感じた。
月が綺麗ですね。とある文豪は、これを「愛しています」の訳として使った。
その言葉への返事として有名なのが、死んでもいいわ。「私はあなたのもの」という意味らしい。
真樹は理系だからこういうことは知らないと思ってたのに、何で。
「ま、真樹、それって」
「え、ふ、普通の月の感想だったの? だだ、だってあんたこういう言い回し好きだから、調べておいた方がいいのかと思って、」
真っ赤な顔のままで言い訳する真樹は、まるでリンゴみたいで。
つまり、ボクにこういう告白をされると思って、わざわざ調べてたってことだろう? これを可愛いと言わずに何て言えって言うんだ。
彼女の肩に顔を埋めて、首筋をそっと口付ける。小さな悲鳴を上げてボクから距離を置こうとしたから、その手を取って手のひらにも唇を触れさせた。
「綺麗だよ。綺麗で可愛い、ボクの大事なお月様」
「そういうことを平気で言って反応を楽しむ意地悪なところ、何とかしてよ」
それは出来ない相談だなぁ、ととぼけて見せる。だってキミへの誉め言葉は、全部ボクの本心だから。
そう伝えたら、「馬鹿じゃないの」と顔を伏せられた。
キミが狂わせてるんだ――なんて言ったら、また怒られそうだから黙っておこう。そう心に決めて真樹の頭を撫でる。
機嫌を直してくれるのは、もう少しだけ先になりそうだ。
了
この作品は、以前公開された作品『残念さんだよ! 空也くん』に出てきた探偵とリケジョのバカップルの過去話になります。リア充を爆発させたくなる方は読むことをお控えください。
「やぁ、おかえり。そして初めまして。キミの美しさに薔薇を捧げに来たよ」
「そうですか、帰ってください」
当然のように花束を差し出してきた不審者に、私はとりあえず即答したわ。
一体この人は何を言っているんだろう。というか、何が起こっているんだろう。そもそも誰よあんた。
私は研究室から自分のアパートに帰ってきただけなのに、一体何の仕打ち?
「あ、そうか。自己紹介がまだだったね、西原真樹さん」
「いえ、それ以前に何で私の住所と名前知ってるんですか?」
「何でって、調べたからに決まって――ってちょ、待って、通報はやめてくれ!」
鞄からスマホを取り出したところで、謎の男は露骨に取り乱し始めた。まだ110を押してないのに目ざといわね……自分が不審者だって自覚はあるのかしら。
「えーっと、あんまりこれは出したくなかったけど……ボク、こういう者です。怪しくないから、安心して欲しいな」
そんなあからさまに怪しい男が渡してきた名刺には『私立探偵 宮田空也』って書いてあった。
宮田空也。その名前には覚えがある。確か、日本人らしくない色素の薄さがどこか神秘的って話題になってるモデルさんね。本人は相当の変わり者って話だけど……今目の前にいる男の人は、普通の黒髪だったような?
顔を上げて「この名刺は本物ですか」と聞こうとして、固まった。薔薇男が自分の髪をむしりとったから。
ウィッグの下から出てきたのは、色の薄い茶髪。ブロンドに近い綺麗な髪の隙間から、悪戯っぽく笑った瞳が覗いている。
「この顔を見たら、信じてくれるかい?」
こっちの考えていることを読んだかのように、軽い調子で尋ねられる。
これが――ちょっと変人な探偵さんとの出会いだったわ。
それからの生活は地味に、けど確実に変わった。空也は仕事の合間を縫って私と一緒に過ごすようになったし、頼んでもいないのに自分の載ってる雑誌を手渡してくるようになった。
友達には「彼氏?」って聞かれるし、正直どういうつもりでこんなことをしてるのかも分からない。探偵につきまとわれるっていうのも、後ろ暗いところがあるのか疑われてるみたいで落ち着かないし。
けど、何となく拒絶はしなかった。探偵の仕事で近付くなら職業は明かさない、警戒されるからという言い分に納得したのもあるし……何となく、私と一緒にいる空也が嬉しそうだから。モデルとしての空也のファンだったって言うのも理由のひとつね。
「そういえば、聞きたいことがあるの」
お昼にサンドイッチを食べてる私を見つめてニコニコしてた空也に声をかけると、過剰なくらいに反応した。何か、犬が尻尾を振ってる幻覚が見える気がするわ……。
「何だい? ボクに分かることなら何でも答えるよ!」
「今月号に載ってたあんたの質問コーナーのことなんだけど」
カフェオレのカップをどかして、彼からもらった雑誌を取り出す。ページをめくって目当ての場所を開いた。人気モデルの宮田空也さんに突撃インタビュー! と題したそれは、質問者との対談形式で文章が連なっている。
私が気になったのは、その中にあった質疑応答。
――ズバリ、好きな人はいますか?
空也「それ聞いちゃいますか(笑) いますよ。けど、多分相手はボクのことそういう風には思ってないだろうなぁ」
――片想いですか? 今後お付き合いをする予定は?
空也「片想いだと思います。今のところは告白する気もありません。許されている限りはその人のそばにいたい、それだけでボクは幸せですから」
――何だかロマンチックですね!
空也「ボクは彼女を、月のような人だと思っています。応援してくれるファンの皆が太陽なら、その人が月。二つの光に包まれて、心を温めてもらいながら生きているんですよ」
月のような、想い人。その言葉が何故か引っ掛かった。空也の好きな人に心当たりはあったけど、月に例えられるような人じゃないから。
もっと意地が悪くて、素直じゃなくて。他人から向けられる視線が嫌で着飾ることもしなくなった日陰者。間違っても、脚光を浴びている人気者に誉めてもらえるなんてあり得ない。
インタビューを受けていた本人は、そのページを一通り読んでから目を逸らした。少し顔が赤い気がするのは、多分気のせいね。
「あ、ああ、それかい? 取材陣がしつこくてさ」
ねぇ、これって誰のこと?
一応聞いてみたけれど、微笑むだけで答えは返ってこない。予想していた反応ね。聞き返すのも野暮だと思ったから、少し姿勢を正して咳払いをした。空也の顔がまたこっちに向く。
「じゃあ、質問を変えるわ。空也は何で付きまとってくるの? 私達、前にどこかで会ったっけ」
「んー……内緒」
恥ずかしいから、またの機会があったら話すよ。それでいいかい、真樹?
こっちの機嫌を伺っているように見えて、一歩も譲る気がないらしい強引さ。こういう言い方をするときは絶対に話してくれない、そう悟って質問を取り下げたわ。
空也は優男に見えるけど、決して見た目通りの人じゃない。あの優しい笑顔の合間に、一瞬だけ獰猛な表情を見せることがあるの。獲物が隙を見せるのを待つ肉食獣のような凶暴な一面があるのを知っている。そんな人の隠し事には、下手に首を突っ込まない方が賢明よね。
会話が一段落したところで、空也が席を立った。唐突な行動に、どうしたのと聞いてみる。
「これからまた撮影なんだ。すぐ近くのスタジオでやるから、良かったら見に来るかい?」
「嫌よ。恋人同士でもないのに、何でそこまでしなきゃいけないの?」
それもそうか、と軽く笑って手を振った。去り際にされた投げキスは気付かなかったことにして、残った飲み物を喉に流し込む。キザなことこの上ない動作でも似合うなんて、何かムカつく。
レジでお金を払って外に出る。今日はもう講義は残ってないし、研究室も休みなのよね。今度の論文の参考文献も兼ねて、図書館でプログラミングの本でも借りて帰ろうかしら。
「失礼します。アンケートにご協力してくださいませんか?」
他愛もないことを考えながら歩いていたら、街頭アンケートの調査員さんに声をかけられた。深く考えずに頷く。
このちょっとした善意で後悔する羽目になるなんて、夢にも思わなかった。
後ろに二人、前に一人。さっきまでいた人通りの多い通りから外れて、寂れた場所に連れられる。
当たり前だけど、街頭アンケートをこんなところでやるわけないわね。この三人は始めから私を狙っていた、そう考えた方がつじつまが合う。
相手は全員女性。私は少しだけ合気道を心得ているけれど、危害を加えられていないのに倒したら暴行罪になりそうだから下手なことは出来ないわ。
逃げ出すタイミングを伺っていたら、朽ちかけている廃ビルにたどり着いた。中に入って、そこでやっと三人の足が止まる。
「こんなところでやるなんて、よっぽど他の人に見られたくないアンケートなんですね」
わざととぼけてみたら、思い切り舌打ちされた。イライラしてるのはこっちよ。
最初に話しかけてきた、化粧の濃い女が私を突き飛ばす。背中から壁にぶつかって、軽くむせた。
「とぼけるのもいい加減にしなさいよ」
「あら、違ったんですか。じゃあ私、何でこんなところに呼ばれたの?」
「白々しいんだよ、このメス猫!」
取り巻きらしい残りの二人も私を囲んできて罵倒する。
冷静さを失わないように、平静を保って話を聞き出すと……どうやらこの三人、モデルとしての空也に凄くお熱らしいわね。撮影にも何度も行って差し入れもしてるのに、ろくに言葉も交わせない。差し入れも受け取ってもらえない。
それに比べて私は、何もしてないのに空也に話しかけられて、一緒に食事して。しかもそんな特別扱いされてるのに、当の私は格好いい彼に合わせる気のない地味な格好をして、空也を無下に扱ってる。
――つまり、地味な癖に空也に好かれてる私が目障りらしい。
「アンタみたいな女、あの人には相応しくないわ。二度と私達の空也様に近付かないでくれる?」
誰があんた達のよ。空也のこと、上っ面でしか見てないくせに。
私への罵倒には慣れてる。けど、彼女達が自覚なしに空也の意思を無視して踏みにじってるのは我慢ならなかった。
「そう言われましてもねぇ、空也は私の公認ストーカーみたいなものですから。他人にどうこう言う前に、まずはその化粧の臭いと傲慢な態度を何とかしたらどうですか?」
思わずこぼれた嫌味と同時に張り手が飛んでくる。愛用してる伊達眼鏡が飛んだ。崩れた姿勢をゆっくり戻して、正面から睨み付ける。三人がたじろいだ。
私は知っている。
人の暗い部分に触れ続ける『探偵』という仕事に疲れきった、雑誌には載らない空也の本音を。
理不尽な理由で憎まれて、恨まれて、挙げ句に薬を盛られた経験から、他人の手で作られた料理は食べられなくなったことを。
他人に心を許せなくなった事情を、私だけが知っているの。どうしてそれを明かしてくれたのかは、まだ聞いてないけど。
「空也には空也の事情や考えがある。そんな簡単なことに、どうして思い当たらないんですか。本当に好きなら、どうしてちゃんと見ないんですか」
静かな糾弾に、言い返す声はない。大方、私を第一印象だけで判断して見くびってたのね。
ごめんなさい、地味でダサい弱気な女だと思わせちゃったみたいで。本当は、色恋沙汰で何度もトラブルに巻き込まれたことがあるの。勝手に惚れられたり、噂を流されたり。そういうのに疲れて、ダサくて地味な格好をするようにしたのよ。
「空也は、あなた達の思ってるような王子様じゃありません。人の家を特定して薔薇の花束を持ってきたり、しょっちゅう付きまとってきたりする癖に、未だに『付き合ってください』の一言も言わないヘタレな男よ」
けどね、それでも……正義感は、人一倍強い人です。
空也の目を引きたくてこんなことをしたんでしょうけど、お生憎様。もう辞めといた方がいいと思いますよ、こんなこと。
相手を刺激しないように諭す。空也の名前を出して、お互いのために穏便に済ませようと提案した。
「――いで」
ボス格の女が、ポツリと呟いた。こっちを睨む目に狂気じみた何かを感じる。背筋が冷たく感じた。
「ふざけないで。あんたが、あんたなんかが、空也様を語らないでよッ!」
両手を広げて飛びかかってきた相手を受け流して避ける。私の後ろの壁に顔から突っ込んだ女は、濁音まみれの悲鳴を上げて崩れ落ちたわ。
取り巻きの一人が掴みかかってきた。腰が引けてる相手の左手を掴んで、足をかける。体勢を崩したところで、重心移動と遠心力を使ってもう一人の足元に転がす。
三人が地面に転がったのを見届けて、一礼。息を吐いて構えを解いたわ。
「さて、どうするの? まだやる?」
腕を組んで問いかける。てっきり彼女達が何かしらの返事をすると思ってたけど、それより先に拍手の音が聞こえてきた。
「ブラボー、ブラボー! 流石は真樹だ、ボク抜きで事件を解決しちゃうなんて。探偵泣かせの称号をキミにあげよう!」
一斉に声の方向に振り向く。
薄い緑のワイシャツに、赤いリボンタイ。茶色のベストを着て、サラサラの髪を風になびかせながら満面の笑みで歩み寄る。
腕利きの私立探偵、宮田空也。話題の中心だったその人が、素知らぬ顔で現れた。
彼の姿を見るなり、熱狂的なファン達が慌てて立ち上がる。身だしなみを整えるのに忙しい三人は放置して、私は空也を疑いの目で見つめた。
何でこの場所が分かったのよ……まさか、私にGPSとか仕掛けたりしてないでしょうね?
「どうしてここにいるんだ……って顔をしてるね。いいよ、答えあわせをするとしようか。後藤さんと佐藤さん、それから山下さん。キミ達には特によく聞いてもらいたいな」
え、後藤・佐藤・山下って誰? と思うのも束の間、三人が顔を寄せてひそひそ話し始めた。ああ、なるほど、彼女達の名前ね。
「まず前提として、ボクはモデル稼業を副業と捉えている。本職は探偵さ、良くも悪くもね。ファンでいてくれるレディ達の個人情報を調べるくらいは簡単にできるんだ」
身振り手振りを加えながら、まるで道化師のように芝居かかった動作で説明を始める。
空也の人物特定スキルが高いことは、初対面でよく知らされてるけど……まさか彼、ファンや関わった人達全員の住所を特定してるんじゃないでしょうね。あり得る上に出来るって分かっちゃうのがどことなく恐ろしい。
「おかしいと思ったんだ、今までどんなに小規模の撮影でも見に来てたキミ達がいなかったから。最近は最低でも一人はいたから、胸騒ぎがしてね。真樹に電話しても出てくれないし」
え、電話? 鳴ってたっけ?
持ってた鞄からスマホを取り出して履歴を見る。確かに、空也からの着信が二件入ってた、けど。二回電話に出なかっただけで事件を察知するなんて、勘がいいというか何というか。
「この場所の特定に特別なことはしてないよ。ただ、あらかじめ調べておいたキミ達の行動範囲と真樹の行きそうなところを照らし合わせて、人気のない場所を見にきただけさ」
「こ、行動範囲って、どうやってそんなの、」
「簡単だよ? キミ達の経歴や趣味、SNSでの書き込みを洗い出して、ざっと目安を付けるのさ。朝飯前だね」
特定されるのが嫌なら、個人情報の扱いには充分気を付けた方がいいよ。
にっこりと笑ったまま、淡々と『答えあわせ』をしていく。
初めて見た。空也の、探偵としての顔なんて。
普段のポンコツ具合は全部演技なのかと思わせるくらい、冷たい目をしていて。舌なめずりをしながら追い詰めて獲物をいたぶる、肉食獣のような残酷さ。
これが、探偵としての空也なんだと悟った。
「ところで、ボクはついさっきここに着いたばかりなんだ。だから何が起こってたのかは知らない。予想することは出来るけどね」
私を襲ってきた三人が安心したようにため息をついた。
けど、多分空也は、ここで何が起こったのか大体分かってる。見た目よりもずっと頭のいい人だし、まず目が笑ってないわ。
ボクの意見を、結論から言わせてもらうとしよう。そう語り出した空也は、へらへら笑うのをやめた。
琥珀の色をした瞳で、戸惑って立ち竦んでいる三人を見据える。
「いくらボクのファンだろうが、探偵として犯罪行為は見逃せない。警察に突き出されるようなことをした覚えがあるのなら」
――さっさと消えるんだね、外道共。次はない、二度と真樹に近寄るな。
冷たい、氷のような声で言い放った。
熱狂的なファン達は青ざめた。ぎこちない動作で出口まで歩いていき、外に出た途端凄い勢いで逃げていく。私を散々罵った連中があんな情けない逃げ方をするのは、ちょっと気分がいいわね。
落ちた伊達眼鏡を拾う。眼鏡をかけ直す私を、空也は心配そうに見ていた。
「あー……ごめん、危険な目に遭わせて。怪我はない?」
あれ? 何か、思ったよりも元気がないわね。
いつもなら「だ、大丈夫だったかい? キミの陶器のような肌に傷がついてたら、ボクはもうどうしていいか!」くらいは言いそうなのに。
「全然。それよりあんた、いつから来てたの?」
「えっと、真樹が戦い始めるちょっと前辺りからかな」
「え」
まった。ちょっと待った。
確かあの辺りで私、勢い任せでとんでもないことを言ったような。
少し考えて、思い出した。
――未だに『付き合ってください』の一言も言わないヘタレな男よ。
――けどね、それでも……正義感は、人一倍強い人です。
「ごめんね、告白も出来ないヘタレで」
苦笑いを浮かべて謝る空也。一気に体が熱くなった。
まさか、聞かれてたなんて。あれじゃ、本人の前で好きだって告白したようなものじゃない!
「あ、あれは……!」
「いいんだよ、本当のことだから。人に恨まれやすい仕事してるからさ、怖かったんだ。いつかキミを危険なことに巻き込んだらどうしようって。しかも、実際に巻き込んでしまった」
ボクはキミから離れた方がいいのかもしれない。
空也の口からこぼれた呟きで、ふと冷静さを取り戻した。もしかして、あの言葉の意味に気付いてない? どんな些細なことも見逃さない癖に、何でこんなときだけポンコツなのよ。
呆れた私に気付かず、無理やり笑顔を作って外に促す。
「さぁ、帰ろう。キミを危ない目に遭わせないように、これっきり関わらないようにするから。謝りきれないことをしてきたけど、せめて最後くらいは見送らせてよ」
空也の切ない顔を見ると、胸が締め付けられる。
あくまでも触れないようにエスコートしようとする空也を見て、私は自分の間違いを悟った。
こんなに細やかな配慮が出来る人が、あの台詞の意味に気付かない訳がない。鈍感なんじゃなくて、凄く臆病な人なんだ。
自分の恋が叶わなくなるより、私を傷つける方がずっと怖い。実際、さっきから私を案じるようなことばかり言っている。「怖い」以外は、自分の感情を出さない。
何だ、空也の気持ちを考えようとしなかったのは私じゃない。あの三人を悪く言えない。
私は、月のように人を惹き付ける空也の近くにいたい。裏側の顔をもっと知りたい。
「真樹?」
いつまでも歩き出そうとしない私の顔を覗き込む。空也と目があって、何かが吹っ切れた。
「巻き込まれるなら、その度に私を守ってよ。そばにいてよ」
口から滅多に言えない本音が漏れる。空也の顔が少し赤くなって、見て分かるほどに狼狽えた。
「守っても、いいのかい? ボクはトラブルに巻き込む側なのに」
「私の気持ち、盗み聞きしてた癖に。ずっと付きまとっておいて勝手に離れるなんて、それはないんじゃないの?」
空也が足を踏み出す。一歩、また一歩。繊細なガラス細工に触れるように、慎重に私の腕に触れる。軽く掴まれて、引き寄せられた。
空也の胸の中に収まる。心臓の音がうるさい。
「真樹、好きだ。大好きなんだ。これからもボクと一緒にいて、守らせて」
声が震えてる。私を抱き締める手には、力が全く入ってない。普段のふざけた態度も、探偵としての顔も好きだけど――臆病者なところも、全部隣で見ていたい。
「遅いわよ、馬鹿」
照れ隠しに悪態をついて、空也の分も強く抱き締めた。
これから先、どんなトラブルでも二人で乗り越えられるように、願いを込めて。
* * *
物心ついた頃から、ボクは探偵というものを嫌っていた。
父さんの事務所に次々やって来る依頼人達。アニメや漫画とは違って、頼まれる仕事は浮気調査とか、別れさせ屋の真似事とか、そんなのばかり。依頼しておいてお金を払わない人や、逆ギレして襲いかかってくる人を何人も見てきた。
小さな頃からずっとそんなのを見てきたせいかな。ボクは人が嫌いになった。ちょっとした嘘ならすぐに分かったし、人の仕草を見て何を考えてるかも推測できるようになった。本音と建前をほぼ完全に切り離せるようになった。
そして皮肉にも、それらは探偵として充分やっていける才能だった。
父さんの仕事の手伝いをさせられるようになって、色の薄い日本人離れした顔のせいもあるのか、ボクの知名度は一気に上がって。気付いたときには、父さんの探偵事務所を継ぐように仕組まれていた。逃げ場なんてなかった。
仕事をする度に、人と関わるのが怖くなる。逆恨みされて変な連中をけしかけられたこともあった。お礼として貰ったお菓子に薬を入れられたことも。一つの依頼をこなす度に、息が出来なくなっていく。
オフの日に雑誌のモデルとしてスカウトされた時は、ちょうどいいと思ったんだ。探偵の仕事から逃げたかったんだ。
建前だけで、顔だけで人を欺いて、傷だらけの自分の本心を隠して……そうすれば、表向きだけの付き合いが出来る。人の醜い部分を見てきたから、いつしか自分の気持ちを出すのも怖くなっていた。
そんな人間不信の底無し沼にはまってたときに、彼女を見たんだ。
ただでさえ髪色が目立つから、ずいぶん前からウィッグをかぶって町中を歩く習慣が身に付いてるんだ。だから向こうはいつボクと会ったか分からないだろうけど、こっちはよく覚えてる。
あの日はいつも通り変装して、本屋さんに入ったんだ。探偵をやっている以上、情報収集は欠かせない。いつどんな話題でターゲットに近付くことになるか、全く分からないからね。少なくとも、人気の本は一通り内容を押さえておかないと。
雑誌のコーナーをチラリと見てみると、女性二人が話しているのが見えた。持っているのは、ボクが載ってる雑誌。
ふと、何を話してるのか気になった。職業病なのかな。さりげなく二人に近寄って、適当な雑誌を手に取る。読むふりをしていれば怪しまれることはない。
「それにしても、珍しいよね。真樹がこういう雑誌を読むなんて」
女性が、友達らしい相手に問いかける。真樹と呼ばれたその人は、控えめに笑って頷いた。
「うん、ちょっとね。ほら、最近宮田空也っていうモデルさんが売れてきてるでしょ」
「あ、さては空也さんみたいな人がタイプなの?」
「うーん。確かにかっこいいなとは思うけど、そうじゃなくて」
からかおうとしている友達をかわして、真樹さんが考え込む。
ボクを顔だけで見ないなんて、珍しい人だ。その時はそれだけしか思わなかった。次の台詞を聞くまでは。
「何だか……この表情、暗く見えるから。どんな人なのかなって気になって」
思わず変な声が出そうになった。必死に取り繕って、雑誌に熱中するふりをする。
馬鹿な、あり得ない。ボクの本音を見破った人なんて、今までいなかった。今回の撮影も完璧にこなしたはず。ボクの作ったキザなキャラが偽物だって見抜かれるのは初めてだ。
こっそり真樹さんを盗み見る。年はボクより下らしい。黒くて長い髪を赤いバレッタでひとつにまとめている。服装は地味で、白衣を着ている。眼鏡は明るい緑色で、お世辞にも似合っているとは言い難い。そんなフレームの太いのじゃなくて、もっと細い方が似合うのに。服だって似合ってない。顔は整っていて綺麗なんだから、もっとお洒落すればいい。
身体的特徴と名前を頭に叩き込んでいる間に、二人はどこかに行ってしまった。ボクはその場で呆然としていることしか出来なかった。
その後から、ボクは彼女について徹底的に調べあげた。自分の弱味を握られたようで怖くなったからだと、最初は思っていた。
名前。住所。生年月日。経歴。ここまで調べたら大抵満足するのに、まだまだ彼女のことが知りたくて。どうして美人なのにダサい格好をしているのか、どんな考え方でどんな生活を送っているのか、全部知りたい。
そこでやっと、彼女に惚れていることに気付いた。
自覚してから、一気に罪悪感に襲われる。何やってんだボクは。彼女を一方的に調べるなんて、まるでストーカーじゃないか。
けど、彼女のことが知りたいと思うのは変わらない。会いたい、話がしてみたい。けどこんな形で調べ続けるのは失礼だし、何よりこの恋が成就するとも思えない。第一ボクはモデルである以前に、探偵だ。危ないことに巻き込みたくはない。
だから、自分から嫌われにいくことを選んだ。
フラれれば諦めがつくと思ったから。
薔薇の花束を持って、彼女にわざとらしい演技付きで手渡す。最初は予想通り不審者扱いされたけど、名刺を渡してからは邪険な態度は取られなくなった。
顔見知りになったのをいいことに着いて回っても、拒絶もされない。計算外だ、さっさとフラれるつもりだったのに。このままだと、触れてもいいんだと勘違いしてしまう。
その上、この間とうとう危険な目に遭わせてしまった。ボクのせいで。何もかもボクのせいだ。ボクが自分のワガママで真樹に近付いてなかったら、こんなことも起きなかったのに。
「――や。空也!」
ハッと我に返る。見上げると、怪訝な顔で見つめてくる真樹と目があった。
「どうしたの? うなされてたよ」
言われて周りを見渡す。窓の外はすっかり暗くなっていた。月が窓から見える。どうやら、夕方からやっていた書類整理の途中で居眠りしてたらしい。
「何でもないよ。悪い夢を見てただけ」
「そう。覚めて良かったわね」
深く追及せずに窓際に立つ。夜景を眺める真樹の姿を見つめて、長く息をついた。
今でも夢なんじゃないかと思う。真樹がボクと付き合ってるなんて、ちょっと前までは信じられなかった。ましてや、ボクの事務所で寝食を共にしてくれるなんて。
真樹は、ずっと暗闇の中を歩いていたボクの本音を見つけてくれた。夜の世界を静かに照らす月みたいに。自分は目立とうとはせずに、最高の形でサポートしてくれるボクの恋人。
そんな彼女の、表向きには見せない顔を見たいと思うのは欲張りかな?
「月が綺麗だね」
誰に言うでもなく、何の気なしに口に出す。真樹が振り向いた。目を丸くして、真っ赤になって。どうしたんだろう?
「し、」
目を逸らして俯く。喉から絞り出すように、口をぱくぱくさせながら何かを話そうとする。
「死んでも……いい、わ」
茹で蛸のようにまっかになった彼女を見ながら考え込む。意味を思い出した途端、ぶわっと体温が上がるのを感じた。
月が綺麗ですね。とある文豪は、これを「愛しています」の訳として使った。
その言葉への返事として有名なのが、死んでもいいわ。「私はあなたのもの」という意味らしい。
真樹は理系だからこういうことは知らないと思ってたのに、何で。
「ま、真樹、それって」
「え、ふ、普通の月の感想だったの? だだ、だってあんたこういう言い回し好きだから、調べておいた方がいいのかと思って、」
真っ赤な顔のままで言い訳する真樹は、まるでリンゴみたいで。
つまり、ボクにこういう告白をされると思って、わざわざ調べてたってことだろう? これを可愛いと言わずに何て言えって言うんだ。
彼女の肩に顔を埋めて、首筋をそっと口付ける。小さな悲鳴を上げてボクから距離を置こうとしたから、その手を取って手のひらにも唇を触れさせた。
「綺麗だよ。綺麗で可愛い、ボクの大事なお月様」
「そういうことを平気で言って反応を楽しむ意地悪なところ、何とかしてよ」
それは出来ない相談だなぁ、ととぼけて見せる。だってキミへの誉め言葉は、全部ボクの本心だから。
そう伝えたら、「馬鹿じゃないの」と顔を伏せられた。
キミが狂わせてるんだ――なんて言ったら、また怒られそうだから黙っておこう。そう心に決めて真樹の頭を撫でる。
機嫌を直してくれるのは、もう少しだけ先になりそうだ。
了