現代ベース小説
コードWKをMXに接続。動作確認――完了。少々間接GDの動きが悪いな、油をさしておくか。これで全身はほとんど問題なく組み上がったはずだ、あとは念入りに動作確認して外装を整えればいい。ふぅ、と一息つく。少し肩を動かしただけでもごきりと鈍い音がなった。そのタイミングを見計らったかのようにノック音が響いた。声をかけて中へと促す。
「学 さん、終わった?」
扉の隙間からひょっこり顔を覗かせる。私の最愛の妻、百合恵 の姿を見るだけで、連日の徹夜による疲れが癒されていくようだ。腕を伸ばして肩をほぐし、質問に答えた。
「いや、あとちょっとだよ。動作確認がまだなんだ」
「そう、お疲れ様。じゃあ、私は夕食の材料を買ってくるわね」
彼女の言葉に驚いた私は、時計を見上げた。薄暗い部屋の壁にかかっている振り子時計は、もうすぐで四時を指そうとしていた。もうこんな時間か。最後にご飯を食べたのはいつだっただろう……意識したらお腹が減ってきた。
「買い物だね。私も手伝おうか」
「研究、もうすぐ終わるんでしょ。スーパーはすぐ近くだから大丈夫よ。思う存分専念して」
にっこりと微笑んでそう言ってくれた。研究の内容も、私ののめり込み方も全て呑み込んだ対応には感謝しか感じない。ありがとうと返し、百合恵を玄関まで見送った。
「今日はすき焼きよ。楽しみにしててね」
朗らかな笑みをたたえ、彼女は玄関から出ていった。しばらく手を振って見送ってから、私は研究を再開するために研究室に戻った。
そして――それが、彼女との最後の会話になってしまった。
『本日午後四時十三分、岳下 市跳賀 町四丁目にて乗用車が暴走し、七人が軽傷、十四人が重傷を負い、九人が亡くなりました。ふらふらと運転していた車が歩道に乗り上げて十三人を引きずり、その後MAXスーパーに激突した模様です。警察は危険ドラッグの乱用による意識の混濁が原因だと考え、捜査を進めているようです――』
抑揚のない声で読み上げられるニュースを聞いていられず、リモコンを液晶に叩きつける。画面が木っ端微塵になり、そのまま後ろに倒れ込んだ。かなり高いテレビだったが、百合恵がいなくなった今となってはどうでもいいことだ。
「くそっ!」
悪態をついて壁を殴った。何度も殴っているうちに皮膚が破れ、白い壁紙がくすんだ赤で汚れていく。痛みすら感じない。やるせなくて、虚しくて、冷静な思考なんてどこかに飛んでいってしまった。
何で。何であのとき、私も一緒に買い物に行かなかったんだ。何であのとき引き止めなかったんだ。そうすれば、彼女は事故に遭わなかったかもしれないのに。今でも私の隣で笑ってくれたかもしれないのに。どうして、どうして……どうして!
ふと、研究室のドアの向こうに視線を移した。工具しか置いていない殺風景な部屋に、私の研究品が黙って佇んでいる。
私の研究。それは、人間に限りなく近いロボット――アンドロイドの作成だった。骨組みも、構造も人間と同じ。人工知能は人間と同じ学習能力と行動原理を持ち、ユーモアまで解すことができる。この開発を成功させれば、世界が驚嘆する大発明となるはず、だった。
「けど、百合恵がいなければ、意味がない。彼女と共に完成を見届けなければ……意味がない」
研究室に足を踏み入れ、机の上からレンチを取り上げた。人の形をした鉄のカタマリは、私の前で頭を垂れている。俯いているだけなのに、何故か泣いているように見える。それすらも、私の苛立ちをかきたてた。
「――こんなもの!」
腕を振り上げる。手の中に収まっているレンチがやたら重い。これを降り下ろせば、きっとすっきりする。胸の中で渦巻いているどろどろの感情も、きっと綺麗に飛んでいくはずだ。そう信じて、この腕を重力に任せ――降り下ろす。
『学さん』
ぴたり、と止める。百合恵の声が、聞こえた気がした。まじまじとロボットを見つめる。無骨な骨組みだけの簡素な姿だ。それなのに、この機械に百合恵が重なって見えるのはどうしてだろう。
『学さん、研究頑張ってね。私にとっては、あなたの研究を皆に認めてもらえるのが一番の喜びなのよ』
『学さん、風邪ひいちゃうわ。何日そうやって徹夜してるの? たまには休憩しましょう、あなたの好きなスープを作ってあるの』
『学さんならできるわ。だって、私の旦那さんだもんね』
百合恵がかけてくれた言葉が、いくつも、いくつも蘇る。そうだ、百合恵はこうして、いつも私の研究を陰から支えてくれたっけ。それなのに今までは、彼女の存在が私にとってどれほど大きかったのか、自覚すらしていなかった。今回の事故は、家族を省みなかった私への天罰でもあるのかもしれない。
私の頬に水滴が伝う。目の前の百合恵は顔を上げた。目の前の世界は歪み、研究品と彼女の区別がつかなくなっていく。にじんで何がなんだかよく分からない景色の中で、妻の穏やかな笑顔だけはよく見えた。
『学さん――私と、ずっと一緒にいてくれる?』
レンチを取り落とす。ガン、と激しい音がしたような気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。プロポーズのときと同じ台詞を言ってくれた目の前の彼女は、生前の姿と寸分も違わずにそこに立っていた。そうだった。ずっと一緒だと約束したんだから、百合恵がいなくなるはずがない。事故があろうが、寿命を迎えようが、ずっと傍にいてくれるはずなんだ。
「百合恵……すまなかった。そうだな。今これを壊したら、君の気持ちまで裏切ることになる。考えが浅はかだったよ」
彼女の頬に触れる。金属特有の冷たい温度。一瞬だけ、私の目は正常に戻った。目の前には、相変わらず俯いている人型ロボットがいる。そんなこと、本当は分かっている。分かっているとも。
――けれど、君がいない生活は耐えきれないんだ。だから、もう少しだけ夢を見ていてもいいだろう?
「ごめん、百合恵。君のいない家は広すぎるんだ。君の代わりに私の作品と暮らすことを、どうか……赦してほしい」
まだ正気であるうちに、どこかで見守ってくれているはずの百合恵に謝った。
このアンドロイドを、『百合恵』に作り替える。思考回路も、私との思い出も、全てを理解できる、私の最高の伴侶に。私の最愛の人に。他人から見ても分からないような、精巧な作りにしよう。誰に見せても人間にしか見えないと言うような、百合恵のコピーを作るんだ。倫理がどうとか知ったことじゃない。ただただ、百合恵と一緒にいたいだけなんだから。
アンドロイド――否、妻を腕の中に抱える。作業台に連れていって寝かせた。工具を並べ、プログラミングや骨格の調整を始める。徹夜に慣れているせいもあって、不眠不休で作業することができた。
ただしその間、私の目からは大粒の涙がこぼれ続けていたが。
何故こんな何でもないことで涙が出るのか、私自身にも全く分からなかった。
無機質な電子音で目が覚める。酷く頭が痛む。何日もぶっ続けで徹夜してから寝るとよく発症する症状だ。うるさい目覚まし時計を叩いて止める。親指でこめかみを揉んでいると、廊下からとてとてと聞き慣れた足音が聴こえてきた。
「おはよう、学さん。よく眠れた?」
妻の声で一気に覚醒する。昨夜の夜中まで何日も彼女を調整していたかいがあった。目の前にいる存在は、誰がどう見ても「科野 百合恵」その人にしか見えない出来だった。足音や声も調整した結果、求めていた通りのものができた。完璧だ。
「眠れたのは眠れたけど……頭が酷く痛んでね。嫌になりそうだよ」
「もう。だからいつも言ってるでしょ、ちゃんと休憩してって」
腰に手を当て、呆れて私をベッドから引っ張り出す。ダイニングに着いた途端に「はい、コーヒー。これで少しは目が覚めるかしら」とマグカップを渡してくれた。椅子に座ってコーヒーをすする。久々に飲んだ百合恵特製ブレンドは、私の記憶に残っている味そのものだった。たったそれだけのことでも、こんなに嬉しいと思える。苦味が舌に染み渡り、何故か涙が出た。
一方、百合恵は朝刊を読みながら食パンを頬張っている。新聞を読み続けていた彼女が、ふと悲しげな顔を見せた。横から覗き込むと、あのときの事故の記事が目に入ってきた。最初に比べ、扱い方の規模が随分と小さくなってしまった気がする。
「数日前の事故、『科野百合恵』さんっていう人も巻き込まれてたんですって。私と同じ名前だと、他人事って感じがしないわ。天国で安らかに眠ってくださるといいんだけど」
同じ名前というか、私の妻その人、だったんだがね――。
声に出さずに呟いた。私の目の前には、機械仕掛けになった科野百合恵がいる。私がそれを望んだんだ。生きていた頃の百合恵に出来なかったことを、目の前の彼女にしてやろう。いつか私の命が尽きるまで、向こうの世界で彼女と再会するまでは、アンドロイドである彼女を通して亡き彼女を愛そうと決めた。
つまり、結局のところは全て私のわがままだ。だったら、今の生活に筋を通すぐらいの責任は生じるだろう。それぐらいは覚悟できている。
「そうだね。きっと……どこかから家族を見守ってくれてるんじゃないかな」
だから私は、目の前の彼女の発言も、彼女が天国に行った事実も否定しないように返答した。微妙にずれた答えになってしまったけれど、特に気にしてはいないようで。朝食を済まして片付けを始めた妻を手伝うため、食器を手渡した。シリコーン製の肌は柔らかく、冷たかった。
それから三日後には、百合恵と二人で出かけることが多くなった。たまに出会う知り合いは、百合恵について何も言及してこなかった。気の遣える友人で助かった。彼女についてはじめから説明するのは骨が折れるからな。
そんなのどかな日々を過ごしている最中、突然玄関の呼び鈴がなった。扉を開けてみると、見覚えのない少年が立っていた。小学校三年生ぐらいだろうか、ぱっちりと開いた意志の強そうな瞳が印象的だ。だがそれよりも目を引くのは、頭に巻かれた真っ白な包帯だった。手足も所々にガーゼを当てられており、痛々しい。幸い骨は折れていないようだが、安静にした方がいいんじゃないかと思ってしまう。
「どうしたんだい、君? 迷子かな」
黙って見つめあっていても仕方ないので話しかける。少年の体がびくりと震え、目を泳がせた。確かに私はよく「目が死んでる」と揶揄され、服装や髪型には全く頓着しないが、そこまで怯えなければならないほど恐ろしく見えるのだろうか。少しばかりショックを受けていたところで、次の言葉が降りかかった。
「あ、あの! ぼく、『吉田 優希 』っていいます」
はぁ? と返してしまいそうになり、口をつぐむ。確かに小学生としてはよくしつけられていると思うが、何故いきなり名乗ったんだ。そこまで考え、ふと何かが記憶の端に引っ掛かったような気がした。ヨシダユウキ。どこかで聞いたことがある気がする。どこかで、似たような名前を聞いた気が……。考え込む私をよそに、尋ね人は語り続ける。
「そしてぼくの母さんは、『吉田優花 』っていいます。母さんは、ここのおばさんと同じ――あの事故のヒガイシャです」
言われてやっと思い出した。そうだ、吉田優花は……百合恵と同じ、あの事故で命を落とした一人だった。吉田優希という名前も、よく思い返せばスマホや新聞のニュースで軽傷者として流れていたっけ。妻のことが衝撃的すぎてニュースはほとんど見ていなかったから、すぐには分からなかったんだ。
「あの事故のとき、ぼくも母さんといっしょにいました。だから知ってるんです。あのとき、だれが事故にまきこまれたか」
少年の懸命な説明のお陰で、言いたいことが何となく分かってきた。玄関で長い間立ち話をしていたせいか、百合恵が私の後ろにきて白衣の裾を握りしめている。本当なら出てきてほしくなかったが、作られて間もないAIに人間の都合を理解するのは難しかろう。
「それがどうしたって?」
後ろにいる百合恵をさりげなく腕で庇い、逆に尋ねてみせる。それが気に入らなかったのか、少年はぎりと歯軋りした。眉を吊り上げ、百合恵に指を突き付け、糾弾する。
「とぼけるな! ぼくは見たんだ。その人はたしかに死んでた。それなのに」
何で、生きてるんだよ。母さんだって死んじゃったのに、何で母さんよりもケガがひどかったその人が生きてるんだよ。おかしいだろ?
途中からうなだれ、涙をポロポロと流し始めた。生憎だが、私は泣き落としで動じるような性格ではない。知人から揃って気難しくて面倒な男だと批判されるようなタチだ。子供に泣き出されてもうんざりするだけである。
「誰が生きていようが、君には関係ないだろう。用がないなら帰ってくれないかな」
ため息混じりに帰宅を促す。百合恵はアンドロイドとして一緒にいてくれるだけだ、それを初めからきちんと説明するのは面倒くさい。妻の手に力がこもった。情報を処理しきれていないんだろう。プログラムの粗だ、あとで修正しなければ。頭をかいてそんなことを考えていると。
「ねぇ。おじさんって、人を生きかえらせられるの?」
「はぁ?」
あまりに突拍子もない発言に、思わず言葉が荒れた。このガキはまだ帰らないのか。というか、何をどう解釈すればそうなるのか。ガキは嫌いだ、どう扱えばいいのか分からない。
「生きかえらせられるんだったら、母さんもそうしてよ。まだありがとうとも言ってなかったんだよ? このままずっと会えないなんてイヤだ!」
思わず舌打ちする。母親想いなのは結構だが、こっちまで巻き込まないでほしい。苛立ってきた感情を壁に向ける。少年と妻の肩が跳ねた。
「普通は死んだ人間とは会えないものだ! 分かったらさっさと帰れ!」
「やだ! ぼくをひきとってくれたおばさん、こわいもん。すぐぶつし、大声でどなるんだよ。母さんはそんなことしなかった! 母さんに会いたい! 会いたいよ!」
微かに息を飲む。少年の姿に、一瞬だけ自分が重なって見えたせいだ。何だ、私と同じじゃないか。大切な人を失い、初めてその大切さに気付き、取り戻そうとしているんだ。私にはその手段があった、けど彼にはそれがなかった。だから何とかしてくれそうな私に頼った。私達は似た者同士だった。やっていることは同じだったんだ。それを認識して、気が変わった。
「少し黙っていろ、近所迷惑だ」
喚きつづけている口をふさぎ、家に引き込む。いきなりのことで動揺したのか、私の手を噛んできた。仕事柄感電することもあるので痛みには慣れているが、気分のいいものじゃない。怖がらないようかがんで視線をあわせる。
「いいか、落ち着け。そうでないと君の要求にも答えられないぞ」
若干脅迫めいているが、少しおとなしくなってくれたので良しとしよう。口から手を離し、両手で肩を抱く。しっかりと目を合わせ、語りかけた。
「深呼吸するんだ。いいかい? 落ち着いたら、百合恵の手に触れてくれないか。それで全てが分かるはずだよ」
百合恵をそばに連れてきて、触ってみるように促す。少年は私の様子を伺いながら、そっと彼女の手をとった。目を大きく見開く。
「つめたい――。それに何か、人じゃないみたい。すべすべしてる」
「その肌は、シリコーンゴムで出来ている。そしてお察しの通り、人間じゃない。彼女は私が作ったロボットだ」
先程までの敵対心を引っ込め、まじまじと私の顔を見つめている。好奇心によるものか、それとも怪訝に思っているのか。彼の表情からではよく分からない。
「どうして、こんなそっくりなロボットを?」
「どうして、か。君にならよく分かるんじゃないかな。わざわざ私に聞かなくてもね」
質問を投げ返すと、彼は黙り込んだ。私と彼は似た者同士なのだ、先程の自分の行動と重ねたのだろう。見ず知らずの私にあそこまで引き下がった姿勢に敬意を表し、微かに口角を上げる。
「ありがとう。あの事故で悲しんでいるのは私だけではないこと、思い出せたよ。お礼に君の願いを聞き届けようと思う。こういう形で良ければ、だけど」
「……いいの?」
「勿論。ただし、条件があるんだ」
条件、という単語に体を強ばらせる。そんな彼を無視し、条件を全て並べた。
ひとつ、吉田優花のロボットは科野家で保管すること。君の現在の家庭環境では同居は難しいだろう。それに、人を再現するには念入りに調整しなければならない。
ふたつ、他人には言わないこと。今のところこの技術を持っているのは科野学――つまり私だけだ。他人に無償でロボットを作ったと知られたら面倒なことになりかねない。
そしてみっつ、出来る限り科野家に顔を出して情報提供すること。私は吉田優花のことを全く知らない。情報をくれなきゃ再現などできないからな。
「え、それだけ? お金は?」
条件を聞いてすっとんきょうな声を上げた。一方私は二言目に金が出てきたことに苦笑した。確かにそこは心配かもしれないが、余計なことを言わなければそのまま条件が通るだろうに。素直な少年だ。
「小学生からせびるほどけちじゃないよ。それに、技術を磨くためには沢山経験を積まないと」
立ち上がり、手を差し出す。きょとんとしている彼ににっこりと笑って見せた。
「とにかく、これからは協力しあわなきゃならないからね。宜しく頼むよ、『優希君』」
そう呼ばれ、ようやく私の意図を理解したらしい。戸惑いながらも手を伸ばし「えっと、う、うん! よろしくね、『学さん』」と返答して――固い握手を交わした。
「母さんは、とにかく明るい人だったよ。ぼくがおちこんでても、笑って元気付けてくれた。いいものはいい、悪いものは悪いってちゃんと言ってくれた。おこるときはこわかったけど、あとでちゃんと理由を言ってくれるんだ」
「そうか。いい母親に恵まれたんだな」
あの日以来、優希君は頻繁に私を訪ねるようになった。彼もアンドロイドの分野に興味があるのか、製作途中のものを見せたら関心を示した。今となっては、お茶と菓子を片手に互いのことについても語り合う仲だ。
「百合恵さんは、どんな人だったの?」
この質問も最近よくあるものだ。ここで尋ねられているのは今いる百合恵ではなく、生きていた百合恵のことだろう。目を閉じ、彼女との思い出を振り返りながら答える。
「おっとりしていて、滅多に怒鳴らなかったな。研究一筋でよく周りが見えなくなる私をサポートしてくれた。あれで案外きっちりしていてな、彼女がいなければ私は生活できないほどだ」
「学さん、自分のことはぜんぜん気にしてないもんね。かみのけ、そろそろ切ったほうがいいんじゃない? ボサボサだよ」
「髪型なんていうものに金と時間を使うなら、研究に費やしたほうがはるかにマシだ」
「うん、まあそのほうが学さんらしいかな」
互いに笑いあった。百合恵は私の隣で微笑んでいる。最近やっと最終調整に入った優花さんのアンドロイドは、息子の隣で軽口を叩きながら食べかすをとっている。この場はアンドロイドがいる時点で普通の空間とは異なっているが、非常に満ち足りていた。
不意にドアのチャイムが鳴った。優希君やアンドロイド達を残し、玄関に向かう。扉を開けると、小柄な女性が仁王立ちしていた。キツそうな目付きと短い髪が性格を表しているようだ。顔つきが誰かに似ているような気がするが、特に気にせずぶっきらぼうに応対する。
「誰だ? セールスなら他を当たってくれ」
猫背で目の下に濃い隈がある男に睨まれたせいか、一瞬体を強ばらせた。だが負けじと私を睨み付けるあたり、強気な女性だ。
「うちの優希、ここにいると聞いたんですけど」
ん、うちの優希? 疑問に思う間もなく、来訪者は私を激しくなじりはじめた。騒ぎを聞いた優希君が顔をだし「うわ、み、美優 おばさん……」と呟く。なるほど、この人が問題となっていた叔母か。
「優希、こんなところで何をしているの? 知らない人の家には行っちゃ駄目でしょ!」
私に阻まれながらも声を上げる。怒鳴られた優希君はびくりと肩を跳ね上げ、涙目になった。ぶるぶる震えながら、拳を握る。
「が、学さんは友達だよ! 友達の家に行くぐらいいいでしょ?」
思わず優希君の方に体を向ける。今まで友人と呼んでくれる人は滅多にいなかったので、少々感動的だ。だがそれがいけなかったのか、来襲者が家に上がり込んできた。靴ぐらい脱げ。
「友達? こんな年上の方が? まあ仮にそうだとしても、友達の家に上がるなんて! 駄目だって言ったでしょ!」
家主に視線を投げ、鼻で笑う。私の外見が悪いのは確かだが、他人の家に土足で押し入る輩にだけは言われたくない。止める間もなく優希君の腕を掴み、強引に引いた。服が引っ張られ、胴体が露になる。彼の腹部は所々が青く変色していた。
「さ、帰るわよ!」
「やだ、帰りたくないよ! 学さん助けて! 母さん、助けて!」
玄関まで引きずられ、悲痛な声で助けを求める。突然の展開につい思考停止してしまった。身動きが取れず、見ていることしかできない。内心慌てていると、
「優希、どうしたの?」
優花さんだ。優希君の記憶の中にいた母親をプログラミングしてあったため、彼の声に反応したのだろう。姿を現した優花さんに、来襲者の勢いはかなり削がれた。
「姉さん……?」
するりと優希君の腕から手を離す。少年の膝は本来の機能を果たせず、ぺたんと座り込む。事故で死んだ実の姉と対面し、動揺している女性。吉田優花さんの姿をしたアンドロイドは優希君と女性とを見比べ、口を開く。
「あれ、どちら様? 優希、知り合い?」
少し遠くからでは本物の人間と区別がつかないほど精巧なアンドロイドは、自分のプログラム通りのセリフを口にした。
そしてそれをきっかけに、吉田美優はその場に崩れ落ちた。
ごめんなさい、姉さん、ごめんなさい。
大好きな姉さんが事故で亡くなったのが、ずっと受け入れられなかったの。姉さんは事故で死んだのに、同じように事故に遭った優希が軽傷で済んだのが信じられなくて。
姉さんが優希を庇ったんじゃないかとか、そんなことを勝手に考えて、腹がたって。姉さんが死んで落ち込んでるときに優希が来たから、冷静になれなかったの。
姉さん、ごめんなさい。優希、本当にごめんなさい。
優希に手を上げたことは謝るから、もう二度としないから……私のこと忘れないで。いなかったことにしないで。ごめんなさい、ごめんなさい……。
泣き崩れ、うわ言で繰り返しそう呟いている。身内の不幸を受け入れられなかった女性は、ただただ謝罪を繰り返していた。
「美優おばさん、ごめんなさい。あの母さんはね、ロボットなの。ぼくもおばさんと同じで、母さんのことが受け入れられなかったの。だから学さんにむりをいって、作ってもらったんだよ」
叔母の背中を撫で、静かに語りかける。激しくしゃくりあげる親類に、優希君は落ち着いて丁寧に説明していた。
「美優おばさんのこと、ひどい人だとおもっててごめんなさい。母さんのこと、かくしててごめんなさい。ぼくは大丈夫だから、おばさんのことがんばって許すから、おばさんもぼくのこと許して。それから、できればだけど母さんのロボットも受け入れて。おねがい」
真摯に謝罪し、頼み込む。返事はしばらく帰ってこなかった。だが、その代わりに優希君をぎゅ、と抱き締めた。最初は驚いたものの、徐々に叔母の背中に手を回していく。互いに抱き合う姿は、本物の親子と大差なかった。
「ごめんなさい、優希。許して」
「……うん」
甥と短く言葉を交わす。暫くの後に離れ、今度は私に頭を下げてきた。
「あの、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「本当にな」
土足で押し入ったことや玄関で喚き散らしたことは忘れていないので、一言皮肉を返す。縮こまった美優さんと優希君に言いたいことを言うため、視線を合わせた。
「本気で詫びる気があるなら、これから優希君と仲良くやってってくれ。それから、その……できれば、また二人でデータを提供しに来てくれないか?」
最後の方は照れくさくて少し目を反らしてしまったが、一応言いたかったことは通じたらしい。二人は顔を見合せ、笑って
「もちろんだよ。友達だもんね!」
と答えてくれた。
了
「
扉の隙間からひょっこり顔を覗かせる。私の最愛の妻、
「いや、あとちょっとだよ。動作確認がまだなんだ」
「そう、お疲れ様。じゃあ、私は夕食の材料を買ってくるわね」
彼女の言葉に驚いた私は、時計を見上げた。薄暗い部屋の壁にかかっている振り子時計は、もうすぐで四時を指そうとしていた。もうこんな時間か。最後にご飯を食べたのはいつだっただろう……意識したらお腹が減ってきた。
「買い物だね。私も手伝おうか」
「研究、もうすぐ終わるんでしょ。スーパーはすぐ近くだから大丈夫よ。思う存分専念して」
にっこりと微笑んでそう言ってくれた。研究の内容も、私ののめり込み方も全て呑み込んだ対応には感謝しか感じない。ありがとうと返し、百合恵を玄関まで見送った。
「今日はすき焼きよ。楽しみにしててね」
朗らかな笑みをたたえ、彼女は玄関から出ていった。しばらく手を振って見送ってから、私は研究を再開するために研究室に戻った。
そして――それが、彼女との最後の会話になってしまった。
『本日午後四時十三分、
抑揚のない声で読み上げられるニュースを聞いていられず、リモコンを液晶に叩きつける。画面が木っ端微塵になり、そのまま後ろに倒れ込んだ。かなり高いテレビだったが、百合恵がいなくなった今となってはどうでもいいことだ。
「くそっ!」
悪態をついて壁を殴った。何度も殴っているうちに皮膚が破れ、白い壁紙がくすんだ赤で汚れていく。痛みすら感じない。やるせなくて、虚しくて、冷静な思考なんてどこかに飛んでいってしまった。
何で。何であのとき、私も一緒に買い物に行かなかったんだ。何であのとき引き止めなかったんだ。そうすれば、彼女は事故に遭わなかったかもしれないのに。今でも私の隣で笑ってくれたかもしれないのに。どうして、どうして……どうして!
ふと、研究室のドアの向こうに視線を移した。工具しか置いていない殺風景な部屋に、私の研究品が黙って佇んでいる。
私の研究。それは、人間に限りなく近いロボット――アンドロイドの作成だった。骨組みも、構造も人間と同じ。人工知能は人間と同じ学習能力と行動原理を持ち、ユーモアまで解すことができる。この開発を成功させれば、世界が驚嘆する大発明となるはず、だった。
「けど、百合恵がいなければ、意味がない。彼女と共に完成を見届けなければ……意味がない」
研究室に足を踏み入れ、机の上からレンチを取り上げた。人の形をした鉄のカタマリは、私の前で頭を垂れている。俯いているだけなのに、何故か泣いているように見える。それすらも、私の苛立ちをかきたてた。
「――こんなもの!」
腕を振り上げる。手の中に収まっているレンチがやたら重い。これを降り下ろせば、きっとすっきりする。胸の中で渦巻いているどろどろの感情も、きっと綺麗に飛んでいくはずだ。そう信じて、この腕を重力に任せ――降り下ろす。
『学さん』
ぴたり、と止める。百合恵の声が、聞こえた気がした。まじまじとロボットを見つめる。無骨な骨組みだけの簡素な姿だ。それなのに、この機械に百合恵が重なって見えるのはどうしてだろう。
『学さん、研究頑張ってね。私にとっては、あなたの研究を皆に認めてもらえるのが一番の喜びなのよ』
『学さん、風邪ひいちゃうわ。何日そうやって徹夜してるの? たまには休憩しましょう、あなたの好きなスープを作ってあるの』
『学さんならできるわ。だって、私の旦那さんだもんね』
百合恵がかけてくれた言葉が、いくつも、いくつも蘇る。そうだ、百合恵はこうして、いつも私の研究を陰から支えてくれたっけ。それなのに今までは、彼女の存在が私にとってどれほど大きかったのか、自覚すらしていなかった。今回の事故は、家族を省みなかった私への天罰でもあるのかもしれない。
私の頬に水滴が伝う。目の前の百合恵は顔を上げた。目の前の世界は歪み、研究品と彼女の区別がつかなくなっていく。にじんで何がなんだかよく分からない景色の中で、妻の穏やかな笑顔だけはよく見えた。
『学さん――私と、ずっと一緒にいてくれる?』
レンチを取り落とす。ガン、と激しい音がしたような気がしたけれど、そんなことはどうでも良かった。プロポーズのときと同じ台詞を言ってくれた目の前の彼女は、生前の姿と寸分も違わずにそこに立っていた。そうだった。ずっと一緒だと約束したんだから、百合恵がいなくなるはずがない。事故があろうが、寿命を迎えようが、ずっと傍にいてくれるはずなんだ。
「百合恵……すまなかった。そうだな。今これを壊したら、君の気持ちまで裏切ることになる。考えが浅はかだったよ」
彼女の頬に触れる。金属特有の冷たい温度。一瞬だけ、私の目は正常に戻った。目の前には、相変わらず俯いている人型ロボットがいる。そんなこと、本当は分かっている。分かっているとも。
――けれど、君がいない生活は耐えきれないんだ。だから、もう少しだけ夢を見ていてもいいだろう?
「ごめん、百合恵。君のいない家は広すぎるんだ。君の代わりに私の作品と暮らすことを、どうか……赦してほしい」
まだ正気であるうちに、どこかで見守ってくれているはずの百合恵に謝った。
このアンドロイドを、『百合恵』に作り替える。思考回路も、私との思い出も、全てを理解できる、私の最高の伴侶に。私の最愛の人に。他人から見ても分からないような、精巧な作りにしよう。誰に見せても人間にしか見えないと言うような、百合恵のコピーを作るんだ。倫理がどうとか知ったことじゃない。ただただ、百合恵と一緒にいたいだけなんだから。
アンドロイド――否、妻を腕の中に抱える。作業台に連れていって寝かせた。工具を並べ、プログラミングや骨格の調整を始める。徹夜に慣れているせいもあって、不眠不休で作業することができた。
ただしその間、私の目からは大粒の涙がこぼれ続けていたが。
何故こんな何でもないことで涙が出るのか、私自身にも全く分からなかった。
無機質な電子音で目が覚める。酷く頭が痛む。何日もぶっ続けで徹夜してから寝るとよく発症する症状だ。うるさい目覚まし時計を叩いて止める。親指でこめかみを揉んでいると、廊下からとてとてと聞き慣れた足音が聴こえてきた。
「おはよう、学さん。よく眠れた?」
妻の声で一気に覚醒する。昨夜の夜中まで何日も彼女を調整していたかいがあった。目の前にいる存在は、誰がどう見ても「
「眠れたのは眠れたけど……頭が酷く痛んでね。嫌になりそうだよ」
「もう。だからいつも言ってるでしょ、ちゃんと休憩してって」
腰に手を当て、呆れて私をベッドから引っ張り出す。ダイニングに着いた途端に「はい、コーヒー。これで少しは目が覚めるかしら」とマグカップを渡してくれた。椅子に座ってコーヒーをすする。久々に飲んだ百合恵特製ブレンドは、私の記憶に残っている味そのものだった。たったそれだけのことでも、こんなに嬉しいと思える。苦味が舌に染み渡り、何故か涙が出た。
一方、百合恵は朝刊を読みながら食パンを頬張っている。新聞を読み続けていた彼女が、ふと悲しげな顔を見せた。横から覗き込むと、あのときの事故の記事が目に入ってきた。最初に比べ、扱い方の規模が随分と小さくなってしまった気がする。
「数日前の事故、『科野百合恵』さんっていう人も巻き込まれてたんですって。私と同じ名前だと、他人事って感じがしないわ。天国で安らかに眠ってくださるといいんだけど」
同じ名前というか、私の妻その人、だったんだがね――。
声に出さずに呟いた。私の目の前には、機械仕掛けになった科野百合恵がいる。私がそれを望んだんだ。生きていた頃の百合恵に出来なかったことを、目の前の彼女にしてやろう。いつか私の命が尽きるまで、向こうの世界で彼女と再会するまでは、アンドロイドである彼女を通して亡き彼女を愛そうと決めた。
つまり、結局のところは全て私のわがままだ。だったら、今の生活に筋を通すぐらいの責任は生じるだろう。それぐらいは覚悟できている。
「そうだね。きっと……どこかから家族を見守ってくれてるんじゃないかな」
だから私は、目の前の彼女の発言も、彼女が天国に行った事実も否定しないように返答した。微妙にずれた答えになってしまったけれど、特に気にしてはいないようで。朝食を済まして片付けを始めた妻を手伝うため、食器を手渡した。シリコーン製の肌は柔らかく、冷たかった。
それから三日後には、百合恵と二人で出かけることが多くなった。たまに出会う知り合いは、百合恵について何も言及してこなかった。気の遣える友人で助かった。彼女についてはじめから説明するのは骨が折れるからな。
そんなのどかな日々を過ごしている最中、突然玄関の呼び鈴がなった。扉を開けてみると、見覚えのない少年が立っていた。小学校三年生ぐらいだろうか、ぱっちりと開いた意志の強そうな瞳が印象的だ。だがそれよりも目を引くのは、頭に巻かれた真っ白な包帯だった。手足も所々にガーゼを当てられており、痛々しい。幸い骨は折れていないようだが、安静にした方がいいんじゃないかと思ってしまう。
「どうしたんだい、君? 迷子かな」
黙って見つめあっていても仕方ないので話しかける。少年の体がびくりと震え、目を泳がせた。確かに私はよく「目が死んでる」と揶揄され、服装や髪型には全く頓着しないが、そこまで怯えなければならないほど恐ろしく見えるのだろうか。少しばかりショックを受けていたところで、次の言葉が降りかかった。
「あ、あの! ぼく、『
はぁ? と返してしまいそうになり、口をつぐむ。確かに小学生としてはよくしつけられていると思うが、何故いきなり名乗ったんだ。そこまで考え、ふと何かが記憶の端に引っ掛かったような気がした。ヨシダユウキ。どこかで聞いたことがある気がする。どこかで、似たような名前を聞いた気が……。考え込む私をよそに、尋ね人は語り続ける。
「そしてぼくの母さんは、『吉田
言われてやっと思い出した。そうだ、吉田優花は……百合恵と同じ、あの事故で命を落とした一人だった。吉田優希という名前も、よく思い返せばスマホや新聞のニュースで軽傷者として流れていたっけ。妻のことが衝撃的すぎてニュースはほとんど見ていなかったから、すぐには分からなかったんだ。
「あの事故のとき、ぼくも母さんといっしょにいました。だから知ってるんです。あのとき、だれが事故にまきこまれたか」
少年の懸命な説明のお陰で、言いたいことが何となく分かってきた。玄関で長い間立ち話をしていたせいか、百合恵が私の後ろにきて白衣の裾を握りしめている。本当なら出てきてほしくなかったが、作られて間もないAIに人間の都合を理解するのは難しかろう。
「それがどうしたって?」
後ろにいる百合恵をさりげなく腕で庇い、逆に尋ねてみせる。それが気に入らなかったのか、少年はぎりと歯軋りした。眉を吊り上げ、百合恵に指を突き付け、糾弾する。
「とぼけるな! ぼくは見たんだ。その人はたしかに死んでた。それなのに」
何で、生きてるんだよ。母さんだって死んじゃったのに、何で母さんよりもケガがひどかったその人が生きてるんだよ。おかしいだろ?
途中からうなだれ、涙をポロポロと流し始めた。生憎だが、私は泣き落としで動じるような性格ではない。知人から揃って気難しくて面倒な男だと批判されるようなタチだ。子供に泣き出されてもうんざりするだけである。
「誰が生きていようが、君には関係ないだろう。用がないなら帰ってくれないかな」
ため息混じりに帰宅を促す。百合恵はアンドロイドとして一緒にいてくれるだけだ、それを初めからきちんと説明するのは面倒くさい。妻の手に力がこもった。情報を処理しきれていないんだろう。プログラムの粗だ、あとで修正しなければ。頭をかいてそんなことを考えていると。
「ねぇ。おじさんって、人を生きかえらせられるの?」
「はぁ?」
あまりに突拍子もない発言に、思わず言葉が荒れた。このガキはまだ帰らないのか。というか、何をどう解釈すればそうなるのか。ガキは嫌いだ、どう扱えばいいのか分からない。
「生きかえらせられるんだったら、母さんもそうしてよ。まだありがとうとも言ってなかったんだよ? このままずっと会えないなんてイヤだ!」
思わず舌打ちする。母親想いなのは結構だが、こっちまで巻き込まないでほしい。苛立ってきた感情を壁に向ける。少年と妻の肩が跳ねた。
「普通は死んだ人間とは会えないものだ! 分かったらさっさと帰れ!」
「やだ! ぼくをひきとってくれたおばさん、こわいもん。すぐぶつし、大声でどなるんだよ。母さんはそんなことしなかった! 母さんに会いたい! 会いたいよ!」
微かに息を飲む。少年の姿に、一瞬だけ自分が重なって見えたせいだ。何だ、私と同じじゃないか。大切な人を失い、初めてその大切さに気付き、取り戻そうとしているんだ。私にはその手段があった、けど彼にはそれがなかった。だから何とかしてくれそうな私に頼った。私達は似た者同士だった。やっていることは同じだったんだ。それを認識して、気が変わった。
「少し黙っていろ、近所迷惑だ」
喚きつづけている口をふさぎ、家に引き込む。いきなりのことで動揺したのか、私の手を噛んできた。仕事柄感電することもあるので痛みには慣れているが、気分のいいものじゃない。怖がらないようかがんで視線をあわせる。
「いいか、落ち着け。そうでないと君の要求にも答えられないぞ」
若干脅迫めいているが、少しおとなしくなってくれたので良しとしよう。口から手を離し、両手で肩を抱く。しっかりと目を合わせ、語りかけた。
「深呼吸するんだ。いいかい? 落ち着いたら、百合恵の手に触れてくれないか。それで全てが分かるはずだよ」
百合恵をそばに連れてきて、触ってみるように促す。少年は私の様子を伺いながら、そっと彼女の手をとった。目を大きく見開く。
「つめたい――。それに何か、人じゃないみたい。すべすべしてる」
「その肌は、シリコーンゴムで出来ている。そしてお察しの通り、人間じゃない。彼女は私が作ったロボットだ」
先程までの敵対心を引っ込め、まじまじと私の顔を見つめている。好奇心によるものか、それとも怪訝に思っているのか。彼の表情からではよく分からない。
「どうして、こんなそっくりなロボットを?」
「どうして、か。君にならよく分かるんじゃないかな。わざわざ私に聞かなくてもね」
質問を投げ返すと、彼は黙り込んだ。私と彼は似た者同士なのだ、先程の自分の行動と重ねたのだろう。見ず知らずの私にあそこまで引き下がった姿勢に敬意を表し、微かに口角を上げる。
「ありがとう。あの事故で悲しんでいるのは私だけではないこと、思い出せたよ。お礼に君の願いを聞き届けようと思う。こういう形で良ければ、だけど」
「……いいの?」
「勿論。ただし、条件があるんだ」
条件、という単語に体を強ばらせる。そんな彼を無視し、条件を全て並べた。
ひとつ、吉田優花のロボットは科野家で保管すること。君の現在の家庭環境では同居は難しいだろう。それに、人を再現するには念入りに調整しなければならない。
ふたつ、他人には言わないこと。今のところこの技術を持っているのは科野学――つまり私だけだ。他人に無償でロボットを作ったと知られたら面倒なことになりかねない。
そしてみっつ、出来る限り科野家に顔を出して情報提供すること。私は吉田優花のことを全く知らない。情報をくれなきゃ再現などできないからな。
「え、それだけ? お金は?」
条件を聞いてすっとんきょうな声を上げた。一方私は二言目に金が出てきたことに苦笑した。確かにそこは心配かもしれないが、余計なことを言わなければそのまま条件が通るだろうに。素直な少年だ。
「小学生からせびるほどけちじゃないよ。それに、技術を磨くためには沢山経験を積まないと」
立ち上がり、手を差し出す。きょとんとしている彼ににっこりと笑って見せた。
「とにかく、これからは協力しあわなきゃならないからね。宜しく頼むよ、『優希君』」
そう呼ばれ、ようやく私の意図を理解したらしい。戸惑いながらも手を伸ばし「えっと、う、うん! よろしくね、『学さん』」と返答して――固い握手を交わした。
「母さんは、とにかく明るい人だったよ。ぼくがおちこんでても、笑って元気付けてくれた。いいものはいい、悪いものは悪いってちゃんと言ってくれた。おこるときはこわかったけど、あとでちゃんと理由を言ってくれるんだ」
「そうか。いい母親に恵まれたんだな」
あの日以来、優希君は頻繁に私を訪ねるようになった。彼もアンドロイドの分野に興味があるのか、製作途中のものを見せたら関心を示した。今となっては、お茶と菓子を片手に互いのことについても語り合う仲だ。
「百合恵さんは、どんな人だったの?」
この質問も最近よくあるものだ。ここで尋ねられているのは今いる百合恵ではなく、生きていた百合恵のことだろう。目を閉じ、彼女との思い出を振り返りながら答える。
「おっとりしていて、滅多に怒鳴らなかったな。研究一筋でよく周りが見えなくなる私をサポートしてくれた。あれで案外きっちりしていてな、彼女がいなければ私は生活できないほどだ」
「学さん、自分のことはぜんぜん気にしてないもんね。かみのけ、そろそろ切ったほうがいいんじゃない? ボサボサだよ」
「髪型なんていうものに金と時間を使うなら、研究に費やしたほうがはるかにマシだ」
「うん、まあそのほうが学さんらしいかな」
互いに笑いあった。百合恵は私の隣で微笑んでいる。最近やっと最終調整に入った優花さんのアンドロイドは、息子の隣で軽口を叩きながら食べかすをとっている。この場はアンドロイドがいる時点で普通の空間とは異なっているが、非常に満ち足りていた。
不意にドアのチャイムが鳴った。優希君やアンドロイド達を残し、玄関に向かう。扉を開けると、小柄な女性が仁王立ちしていた。キツそうな目付きと短い髪が性格を表しているようだ。顔つきが誰かに似ているような気がするが、特に気にせずぶっきらぼうに応対する。
「誰だ? セールスなら他を当たってくれ」
猫背で目の下に濃い隈がある男に睨まれたせいか、一瞬体を強ばらせた。だが負けじと私を睨み付けるあたり、強気な女性だ。
「うちの優希、ここにいると聞いたんですけど」
ん、うちの優希? 疑問に思う間もなく、来訪者は私を激しくなじりはじめた。騒ぎを聞いた優希君が顔をだし「うわ、み、
「優希、こんなところで何をしているの? 知らない人の家には行っちゃ駄目でしょ!」
私に阻まれながらも声を上げる。怒鳴られた優希君はびくりと肩を跳ね上げ、涙目になった。ぶるぶる震えながら、拳を握る。
「が、学さんは友達だよ! 友達の家に行くぐらいいいでしょ?」
思わず優希君の方に体を向ける。今まで友人と呼んでくれる人は滅多にいなかったので、少々感動的だ。だがそれがいけなかったのか、来襲者が家に上がり込んできた。靴ぐらい脱げ。
「友達? こんな年上の方が? まあ仮にそうだとしても、友達の家に上がるなんて! 駄目だって言ったでしょ!」
家主に視線を投げ、鼻で笑う。私の外見が悪いのは確かだが、他人の家に土足で押し入る輩にだけは言われたくない。止める間もなく優希君の腕を掴み、強引に引いた。服が引っ張られ、胴体が露になる。彼の腹部は所々が青く変色していた。
「さ、帰るわよ!」
「やだ、帰りたくないよ! 学さん助けて! 母さん、助けて!」
玄関まで引きずられ、悲痛な声で助けを求める。突然の展開につい思考停止してしまった。身動きが取れず、見ていることしかできない。内心慌てていると、
「優希、どうしたの?」
優花さんだ。優希君の記憶の中にいた母親をプログラミングしてあったため、彼の声に反応したのだろう。姿を現した優花さんに、来襲者の勢いはかなり削がれた。
「姉さん……?」
するりと優希君の腕から手を離す。少年の膝は本来の機能を果たせず、ぺたんと座り込む。事故で死んだ実の姉と対面し、動揺している女性。吉田優花さんの姿をしたアンドロイドは優希君と女性とを見比べ、口を開く。
「あれ、どちら様? 優希、知り合い?」
少し遠くからでは本物の人間と区別がつかないほど精巧なアンドロイドは、自分のプログラム通りのセリフを口にした。
そしてそれをきっかけに、吉田美優はその場に崩れ落ちた。
ごめんなさい、姉さん、ごめんなさい。
大好きな姉さんが事故で亡くなったのが、ずっと受け入れられなかったの。姉さんは事故で死んだのに、同じように事故に遭った優希が軽傷で済んだのが信じられなくて。
姉さんが優希を庇ったんじゃないかとか、そんなことを勝手に考えて、腹がたって。姉さんが死んで落ち込んでるときに優希が来たから、冷静になれなかったの。
姉さん、ごめんなさい。優希、本当にごめんなさい。
優希に手を上げたことは謝るから、もう二度としないから……私のこと忘れないで。いなかったことにしないで。ごめんなさい、ごめんなさい……。
泣き崩れ、うわ言で繰り返しそう呟いている。身内の不幸を受け入れられなかった女性は、ただただ謝罪を繰り返していた。
「美優おばさん、ごめんなさい。あの母さんはね、ロボットなの。ぼくもおばさんと同じで、母さんのことが受け入れられなかったの。だから学さんにむりをいって、作ってもらったんだよ」
叔母の背中を撫で、静かに語りかける。激しくしゃくりあげる親類に、優希君は落ち着いて丁寧に説明していた。
「美優おばさんのこと、ひどい人だとおもっててごめんなさい。母さんのこと、かくしててごめんなさい。ぼくは大丈夫だから、おばさんのことがんばって許すから、おばさんもぼくのこと許して。それから、できればだけど母さんのロボットも受け入れて。おねがい」
真摯に謝罪し、頼み込む。返事はしばらく帰ってこなかった。だが、その代わりに優希君をぎゅ、と抱き締めた。最初は驚いたものの、徐々に叔母の背中に手を回していく。互いに抱き合う姿は、本物の親子と大差なかった。
「ごめんなさい、優希。許して」
「……うん」
甥と短く言葉を交わす。暫くの後に離れ、今度は私に頭を下げてきた。
「あの、お騒がせして申し訳ありませんでした」
「本当にな」
土足で押し入ったことや玄関で喚き散らしたことは忘れていないので、一言皮肉を返す。縮こまった美優さんと優希君に言いたいことを言うため、視線を合わせた。
「本気で詫びる気があるなら、これから優希君と仲良くやってってくれ。それから、その……できれば、また二人でデータを提供しに来てくれないか?」
最後の方は照れくさくて少し目を反らしてしまったが、一応言いたかったことは通じたらしい。二人は顔を見合せ、笑って
「もちろんだよ。友達だもんね!」
と答えてくれた。
了