現代ベース小説

 ※リア充警報発令中
 この小説は主人公とヒロインのバカップルによって糖分と変態臭と痛々しさが飽和状態に陥っています。何かの傷が抉られそうな方は読むことをお控えください。


 ほの暗い室内で、微かに二つの足音が聴こえてくる。数多の鏡に写されて、徐々に足音の主が現れた。中学生辺りだろう、一組の少年少女が手を繋いで歩いてくる。
「思ったより暗いね」
「なんだよ美咲、怖いのか?」
 入りたいって言い出したのはお前だろ。
 少年が呆れたようにため息をつく。言われた本人は慌てて青白い顔のまま胸を張った。
「う、ううん、全然! ……でも転んだら危ないから、もう少しくっついていい?」
 許可が出る前から腕を組み始める。少年の頬がほんのりと赤くなった。
「くっついたら余計足がもつれるだろ……ど、どうしてもっていうなら構わない、けど」
 少女から目を逸らし、わざとつっけんどんな返事を返す。初々しい二人は鏡の迷路を抜けていった。

 そんな彼らの様子を、一つの目がじっと捉えていることも知らずに――。


 コーヒーの匂いで目を覚ますと、体が重くなったようなだるけが私を襲った。頭を軽く振って倦怠感を振りほどく。暫くベッドの中でぼんやりしていると、倦怠感の原因がひょっこり顔を出した。
「やあ、起きたね。おはよう。今日もキミは朝露に濡れた薔薇のように綺麗」
「ハイハイおはよ。そっちは相変わらず朝から元気ね……」
 放っておくといつまでも私を褒め称え続けるから、適当なところで言葉をさえぎる。空也はそんなことで凹む質じゃないから大丈夫よね。寝床から這い出てコーヒーを受けとると、あいつは勝手にカップを当ててきた。
「今日もキミの顔を見ながら目覚められたことに乾杯」
「そりゃ顔ぐらい見るでしょ、同じところで寝てるんだから」
 事実をそのまま突き返すと、空也は少しむくれて「相変わらずキミはリアリストだね……だがそこがいい」と――これむくれてないわね。いつまでも彼の話に付き合ってたらキリがないから、この辺りで話を変えておきましょうか。
「今日の予定は? 私はいつも通り家事をこなしておくけど」
 質問を投げ掛けると、答えの代わりにパンを差し出してきた。あーんをしてくれてるらしい。断る理由もないし、毎日のことだから大人しく貰うと、幸せそうににんまりと笑った。
「今日は撮影はないんだ。だからモデル稼業は休み。一日中本業に熱を入れられるよ」
 ってことは、今日は一日彼の付き人役ね。ま、最近本業に集中できる日が少なくなってきてるから気合い入れていこっか。
「じゃあ私はまた助手担当なのね。宜しくお願いします――探偵さん」
 私が助手モードに切り替わると、彼はふわりと微笑んだ。こういう表情が無駄に格好いいから腹が立つ。腐ってもモデルなんだから、顔がいいのは当たり前だけどね。
 彼、宮田空也みやたくうやは私立探偵。偶然スカウトされて以来、副業としてモデルをやってるのよね。競争の激しい芸能界での仕事を副業と言い切るだけあって、一度見たら忘れられないぐらい個性的な人よ。日本人とは思えないぐらい色素が薄くて、どこかのアイドルグループに混ざっていても違和感がない。今時聞かないぐらいキザな台詞をさらっと言えちゃうところも人気なの。まあ中味はすごく残念なんだけど、それを知ってるのは私だけでいいよね。
 簡単な朝食を食べてお皿を片付けたら、パジャマから着替える。空也はワイシャツにベスト、リボンタイを身につけた。少し着崩すのが自己流らしい。探偵と言うよりホストみたいな格好だけど、まあ似合ってるから問題ないかしらね。……それよりも。
「ねえ。毎回突っ込んでる気がするけど、今回も一言モノ申していい?」
「何だい? 真樹の透き通った声を聴けるなら喜んで聴くよ!」
「じゃあ遠慮なく。もう少しマシなチョイスはなかったの?」
 今日の服は、真っ黒なゴシック・ロリータ――通称ゴスロリ。私の衣装は向こうが用意することになってるんだけど、毎回チョイスがズレてると思う。一応言っておくけど、私にそんな趣味はない。もう二十歳も過ぎてるのに。それは二次元の美少女が着るから綺麗なのよ。三次元の成人女性が着てたら痛々しいだけでしょ?
「いいじゃないか。キミの艶のある黒髪と合わさってよく似合うと思うよ? それに、前回の反省を踏まえてちゃんと肌の露出が少ないものを選んだだろう?」
「肌の露出がって問題じゃないから。これ見られたら普通に変態扱いされるから! 何で変態臭漂う服ばっかり選ぶのよ 」
 因みに前回彼が選んだ衣装はバニーガールだった。衣装片手に言い合いになってるところを依頼者さんに見られて、暫く目があって、そのまま黙って扉を閉められたときの気まずさは多分一生忘れられない。
「いや……この間あるサイト見てて、今日はスク水がいいかと思ったんだけどね? もう十月も終わりだし、風邪引いちゃうと可哀想だから止めたんだ」
「あら、そういう気は遣えるのね――じゃなくて! そもそも選択肢が間違ってるんだってば! 何でそんなバリエーションしかないの? 変態なの?」
「他の人にはこんなことしないよ、するわけないじゃないか。キミが真樹だから色んなことをしてみたくなるんだ。――分かってるだろ?」
 最後の言葉を言うときに、普段へらへら笑っている顔が引き締まった。心臓が跳ねる。こういうときに真顔になるのはずるい。元々モデルとしての彼のファンだった私には刺激が強すぎる。肩を抱かれて、壁に背中を押し付けられる。彼の顔が目の前にある。つい癖で目をつぶった。

「すいませーん、探偵さんに依頼したいことがあるんですけ、ど……」

 勢いよく目を開ける。声のした方に顔を向けると、そこには中学生位の男女が立っていた。声の主は男の子の方かな。こっちを見たまま固まっている。少しずつ二人の顔が赤くなっていく。そこでやっと今の私達の状況を思い出した。

 気崩したスーツ姿の男が、ネグリジェを着た女を壁ドンしてキスをしようとしている。しかも男が片手に持っているのはゴスロリ。

 これはまずい。非常にまずい。最悪通報されても文句言えない。むしろ中学生に見られてる時点で完璧にアウトよこれ。
「あ、や、その……お、お取り込み中すみませんお邪魔しました失礼しますッ!」
「ちょ、ちょっと! 大丈夫お取り込み中じゃないから! 依頼に来て下さりありがとうございますどうなさいました!?」


 十分後、何とか必死に帰ろうとする依頼人達を引き留められたわ。さっきまでぎゃーぎゃー騒いでカオス状態になってたのを、かの探て……変態は面白そうに見ていた。見てないで止めてよ! あんたの依頼人でしょ!
「えー……先程はお見苦しいところをお見せして失礼しました。西原真樹にしはらまきと申します。探偵・宮田空也の助手を務めさせて頂いてます。本日はどのようなご用件でしょうか?」
 咳払いして場を仕切り直す。因みに私は私服の白衣を着てるわ。お気に入りの若草色の眼鏡をかけて、赤いバレッタで髪をまとめてみた。大学に行くとき以外でこの服を着るのは久し振りね。
「いや、俺はさっきのを見た時点で相談する気はなくなったんですけどね……美咲がどうしても彼に依頼したいと言って聞かないんですよ」
 依頼人の男の子はため息混じりに応えた。話だけ聞くと嫌々来たみたいに見えるけど、美咲ちゃんの意見をそのまま受け入れる辺り元々世話焼きな子なのかもしれない。それか、美咲ちゃんに気でもあるのかな?
「だってこんな機会がなきゃ宮田空也さんとお話なんてできないじゃない! あ、あの、雑誌でいつも見てます! デビューした時からずっとファンでした、さ、サイン下さい!」
 空也が表紙に乗った雑誌を差し出して、早口で言い切った。興奮しているのか、顔が赤い。空也はというと、サインを書いた上、ファンサービスで握手もしてる。……何だか凄く面白くない。っていうか、よく見たら依頼人の彼も空也を睨み付けるように見ていた。何だかこの子とは気が合いそうな気がする。
「美咲! ここには依頼のために来たんだからな?」
「う……まあ、そうだけど。近くで見たら本当にかっこよくてつい。っていうか、康生何か顔怖いよ? どこか痛いの?」
 一人の男子の淡い恋が通じず叩き落とされてる最中、テーブルの下でこっそり彼と手を繋いだ。空也が微笑む、その前に思いっきり握り潰す。めり、と音がして、いつもすましてる顔が僅かに痛みで歪んだ。いい気味ね。
「真樹? どうしてむくれているんだい?」
「何でもない。話を元に戻しましょう」
 強引に言葉を切って依頼人に話を促す。彼から手を離すと、逆に優しく握り返してくれた。私の手を両手で包み込んでいく。こういうことがさらっと出来るところがまたかっこよくて腹が立つ。机の下で何が行われているかも知らず、少年は口を開いた。
「俺、坂東康生っていいます。こっちは幼なじみの鳥居美咲。探偵さんに俺達を盗撮した犯人を見つけてほしいと思って来ました」
 そこで区切り、二人で何か話し合う。康生くんがスマホを取り出した。両手で操作している横で、代わりに美咲ちゃんが話し始める。
「夏休みの間、あたし達二人で隣町の米野華パークに行ってきたんです。ミラーハウスとか、色んなアトラクションを楽しんで帰ってきたんですけど……」
 そこで目を伏せた。さっきは空也相手にはしゃいでたから分からなかったけど、よく見たら顔が少し強張っている。康生くんがスマホから顔を上げて、背中を優しく撫でてあげる。暫くしたら落ち着いたらしく、また語り始めた。
「康生のお父さんが、動画サイトで変な映像を見つけてきて。そこに、あたし達が写ってるんです。しかも写りかたが、その……何か、気持ち悪くて……」
 康生くんからスマホを渡される。世界的に有名な無料動画サイトね。画面をタップして再生させる。映像が進んで依頼人達の姿が写し出されたとき、自分の顔が強ばるのがはっきりと分かった。
 多分ミラーハウスの中を写したんでしょうね、画面の中で万華鏡のように世界が広がってる。その中を進む少年少女――彼らの服は、透けていた。鏡の中では本来の姿で写っているのに。これじゃまるで、おとぎ話の「はだかの王様」じゃない。こんな悪趣味な映像を作って流すなんて。吐き気が込み上げる。
 しかも気味の悪いことに、映像の中には本来あるべきもの――カメラが写っていない。鏡が向かい合わせに置かれた迷路を写しているんだから、向かい側の鏡にカメラも写ってないとおかしいはずなのに。
 その上、動画の投稿者コメントも悪意にまみれていた。「中坊が粋がっててムカつくのでここで公開処刑。リア充タヒね」……とだけ書かれている。タヒねって、確かネットでは「死ね」の隠語だっけ。こんなに人を侮辱した、こんなに気持ち悪い映像は見たことない。気温が何度か下がったような気がした。
「一応警察にも届け出たんですけど、『犯人が分からないんじゃどうしようもないね』って……それを調べるのがてめぇらの仕事だろうが! 中学生だからってなめやがって!」
 だん! と机に拳を叩きつけて歯軋りする。人をその場で殴り飛ばしそうな気迫に圧倒されたけど、気持ちは分かる。本当に助けてほしいときに助けてもらえないと、凄く空しい気持ちになるから。
 不審者とか盗撮とかは、実際に被害が出てなければ……ううん、被害が出ていても警察はなかなか動いてくれない。仮に動いてくれても、成果が上がらないことが多い。現行犯でなければ捕まえることが難しい。卑劣な犯罪が減らない理由はその辺りにもあると思う。
「あれから二ヶ月過ぎても、警察の方からは何の音沙汰もなくて。この動画にコメントがついたり、評価されていくのも不気味で。ネットに広がったものは消せないことは分かってます。けどせめて、犯人が何でこんなことをしたのか知りたいんです」
 彼女はまっすぐこっちを見て言い切った。こんな映像を流されるのは、自分の体を勝手にネットに流されたのと同じこと。女の子としては泣きたいぐらい辛いはずなのに、相談に来てくれた。憧れてる人にこの姿を見られることになっても……それでも意を決して来てくれた。それだけ空也のことを信じてるのよね。この気丈で健気な女の子に、いい報告を聞かせてあげたい。彼女には何としても幸せになってほしい。ごく自然にそう思えた。
「分かった、調べてみる。この映像、ダウンロードして預かってもいいかな? 勿論事が片付いたらこのデータはキミ達の立ち会いの上で処分するよ」
 空也の顔は完全に探偵モードに切り替わっていた。普段からは想像できないほど真面目になった彼に、依頼人達もたじたじしている。美咲ちゃんに至っては、少し見とれてた。気持ちは凄く分かるけどね。
「真樹。これ、彼らのプライバシー保護の為にもモザイク加工して。顔は見えないように徹底的に、体はどんな状態で写ってるか辛うじて分かる程度にお願いするよ」
「了解、任せて」
「キミ達はこの依頼状を書いて。学生はお金のやりくりに苦労するでしょ。料金は全部終わった後で要相談、ということにしておくからね」
 空也が依頼の手続きをしてる間に、愛用してるPCを立ち上げる。サイトのURLをコピーして、例の動画をダウンロードした。動画編集ソフトで作業すること数分、あっという間に動画の中の人間はモザイクの塊になった。依頼人達が感心してこっちを見てるけど、これぐらい楽勝。ちょっと物足りないくらいよ。
「そうだね……遅くても明後日には、良い結果を報告できると思うよ。大船に乗ったつもりでいて」
「あ、明後日?」
「は、はい、お願いします!」
 自信満々な探偵に、少年は目を丸くして、少女は笑顔で応えた。二人を帰らせて、加工した映像を繰り返し見る。状況や事件が起きた場所を特定するために必要なことらしいけど、私には何度見てもトリックが分からないのよね……。
「それにしても……見れば見るほど奇妙な映像ね。どこにカメラを置いてるのやら」
 あごに手を当てて呟く。一方探偵は二分程度の短い映像を何度も食い入るように眺め、大きく息をついた。
「一応仕掛けは分かったよ。けど、手が掛かることに変わりはないからね。てきぱき片付けよう」
 足を組んで椅子にもたれ、指を絡ませる。彼が考え事をしているときの癖よ。彼の発言に耳を傾けていると、不意に右手を上げた。指は四本立っている。
「犯人を締め上げるためにやらなきゃいけないことは四つだね。カメラの置場所を割り出すこと。カメラの入手ルートを探すこと。あの動画サイトに投稿した人物を割り出すこと。最後の仕上げとして、犯人のPCに残った証拠を抑えておこうか」
 指を折りながら数える。私に出来そうなのは、投稿者の特定とPCの証拠固めくらいかな。けど後者は、「データなんてなかった」と上書きされたら証拠を隠滅されちゃう。代わりの手段も取っておかないと。
「余裕があれば言質も取っておいた方が良いわね。女の子にあんな思いをさせた犯人を野放しにはしておけないわ。しっかり搾り取らなきゃ」
 絶対に犯人を逃さない。許さない。そんな思いが通じたのか、彼はにっこりと笑った。モデルとしての笑顔でも、恋人としてのものでも……勿論素の笑い方でもない。これは、狩人の笑みだ。
「ボクもそう思う。勇気を出してボクに頼ってくれたんだ、期待された以上の働きを見せないと。不謹慎だけどね、久し振りにわくわくしてるんだよ」
 冷たい目で獰猛に笑う。助手の私でさえ鳥肌が立つほど、彼の微笑みは恐ろしかった。


 とん、とん、とん、とん。
 テンポよく鏡に触れながら、空也が先を歩いていく。私は黒い毛布を脇に抱えて、静かに後を追う。
 現在、防寒と透視対策のために厚手のコートをはおって、米野華パークのミラーハウスを調査中。透視の原理がよく分からないから厚着でどうにかなるものなのか不安だけど、私は助手としての役割を果たすのが仕事だからね、頑張らなきゃ。
「……うん、この辺りかな」
 一人で納得して立ち止まる。ある方法を使って、カメラのある場所を見つけたんだって。「知らないほうが、後でボクの推理を聞いたときに感動するだろう?」なんて言って、私には原理は教えてくれなかったけど……助手にぐらい教えてくれたっていいと思わない? 全く、これだから推理バカは……!
「本当、あんたってチートよね……顔も頭もいいなんて。性格には難があるけど、それも多少のことだし。一緒にいればいるほど、世界って不平等だなと思うわ」
「そうかい? ボクはキミほど完璧な人はいないと思ってるよ。美しいし、ITの知識は豊富だし、それに」
「はいそこまで。そりゃIT専門の大学行ってて知識量で負けてちゃたまらないってば」
 言われたくないことを言われそうだったから途中で遮る。相手も気付いたらしく、頭を掻いて軽く頭を下げたわ。
「はは、それもそうか。それにしても、冷たい表情もムキになって言い返すところも、キミの全てがいとおしすぎて探し物に集中できないよ」
 口ではこんなことを言いながら、目は真剣に鏡を見つめている。いつでも毛布を広げられるように待機したまま、アドリブで話を合わせた。
「そんなこと言われても。もう、ふざけてないできちんと探してよ! あれ、姪っ子の大事な宝物なんだから!」
 言葉の途中で唐突にウインクをしてきた。前もって決めていた合図だ。空也の後ろに着いていって、しゃがみこむと同時に上から毛布をかける。鏡にぴったりとくっつけて光を遮断すると、毛布の中にいる空也がふふふ、と笑った。
「見ぃつけた♪」
 幼い子供のような言い方。暫くごそごそして毛布から出てくると、彼はあの全てを見通したような顔をしていた。彼に促されて私も毛布の中を覗き込む。音声で怪しまれないように、その間にも演技は続けておいたわ。
「あった?」
 暗闇の中でじっくり目を凝らすと、大きなひとつ目と目があった。声を上げそうになるのを何とかこらえる。
「あったあった! 良かった、見つかって。苦手なんだよな、あの子に泣かれるの」
 微かに息を飲んだ音で大体察したのか、毛布の中から出るように身振りで指示された。空也が立ち上がると同時に毛布を撤去。適当に抱えて、何事もなかったように歩き始めた。
「耳をつんざくような泣き方するもんね。見つかったなら早く帰りましょう。ここ、何か気味が悪いのよね」
 作戦が全て無事に終わったせいかさっきの目……カメラが怖かったせいか、つい本音を口に出しちゃった。空也が意外そうに見てきたけど、勿論それも演技よね?
「キミ、こういうところが苦手だったのかい? 言ってくれれば……」
「そんなんじゃない。何か……誰かに見られてるような気がするのよ。気のせいだと思うけど」
 暫く歩いてカメラのあった場所から離れる。数メートルも離れたところで、目の前から抱き締められた。

「じゃあ――こうすれば、気にならなくなるかな?」

 唇を塞がれる。彼の舌が唇を、歯茎を、歯を伝っていく。息ができない。息を吸う為に口を開けたら、さらに口付けを深くされた。舌をからめられて、空也の服にしがみつく。
 よく頑張ったね。怖い思いをさせてごめん。もう大丈夫だよ。お互いの口が触れるか触れないかのところでなだめられる。顔を手で隠して何とか頷くと、彼はふわりと微笑んで私の頭を撫でた。手慣れた動作で手を握ってくる。
「あ~……もう! だからあんたと一緒に入りたくなかったのよ!」
 こんな鏡張りのところで赤面したら、どう隠したって赤くなってるのがバレちゃうじゃない。空也のバカ。
 当然のように絡められる指も、甘い言葉も、どうしたら良いのか分からなくなる。こっちは顔が熱くてくらくらして必死だっていうのに、向こうは少しも動じてない。そんなのズルいじゃない。私だけ手の上で踊らされてるだけなんて嫌。いつか仕返ししてやる、そんな思いを込めて彼の手に自分の指を絡めた。


 二日後。全てを調べ終わった私達は、依頼人の康生くんと美咲ちゃんを連れてある人の家を訪ねた。空也がインターホンを押すと、四十代位の中年男性が扉から出てきた。小柄で小太りのおじさん。汗っかきな質なのか、ひっきりなしに汗を拭っている。
「はい。どうしました?」
「米野華パークのミラーハウス責任者、常磐金成さんですね? ボクは、宮田空也――モデルとして有名になってしまいましたが、本業は私立探偵です」
 探偵、と聞いた途端に、うろうろ視線がさ迷うようになった。ものすごい挙動不審ね……今まで職質されてなかったのが不思議なくらいよ。
「た、探偵さんが何のご用で?」
「実は、ミラーハウスで盗撮の被害に遭ったとの相談がありまして。調査の為に、防犯カメラの映像を見せて頂きたいのですが」
 あからさまに肩が跳ねる。いつからか、頻繁に手を揉んでいる。あからさまに怪しい。
「と、盗撮……うちで、ですか? しかし、警察の方でもないのに映像を見せるわけにはいきません」
「バレるのが怖いんだろ?」
 いきなり誰かが話に入ってきた。振り向いてみると、そこにいたのは康生くんだった。しっかり美咲ちゃんの手を握って、管理人を睨み付けて。彼は今、確かに美咲ちゃんを守っていた。
「犯人だって証拠を見つけられたらバレちゃうもんな。俺達を見世物にして楽しかったか? この変態ジジイ!」
 顔を青くして震えながら、それでも立ち向かう。彼の勇気ある行動に、常磐さんは眉間にシワを寄せた。こういう発言に苛立っているのは、どこかに思い当たる節があるからかしら?
「な……ふざけるな! 何を根拠に、」
「根拠、ですか。トリックの説明でもすれば満足ですか? 『合わせ鏡のカメラ』の考案者さん」
 肩を抱いて耳元で囁く。探偵モードの空也は言い知れぬ迫力があるからね、常磐さんは若干涙目になっていた。それを演技でも使えたら、俳優としても活躍できるかもしれないのに。つくづく残念な人。
「あ……合わせ鏡のカメラとは一体何のことだ! おれはそんなもん知らんぞ!」
「まぁそりゃそうでしょうね。合わせ鏡のカメラ、というのはボクの造語ですから」
 あっさりさっきの発言を撤回する。空也が注目を集めてくれてる間に、私も仕事をこなさないとね。常磐さんの脇をすり抜けて、こっそり部屋に忍び込んだ。
「ミラーハウスの中を撮影しているのに、鏡にはカメラなんて写っていない。これ自体は単純なトリックでした。透視の謎もね。ただ、それを組み合わせるというのは中々思い付くものじゃない。そこは褒めて差し上げますよ」
 やったことに関して言えば、全く褒められるものじゃありませんがね。目を細めて言い放つ。冷酷にも見える微笑みは、向けられる側としては死ぬほど怖いんだろうなと思う。端から見ている側には楽しそうだな、としか思えないけど。どっちかというと猫が獲物をいたぶるようなものだからね、獲物と傍観者の意見は違って当たり前か。
「一体……どうやってカメラを隠したんですか?」
 美咲ちゃんが話を促す。こくりと頷いて、彼は説明し始めた。その隙に部屋のPCにUSBメモリを差し込む。PCの電源が付いてて本当によかった、これで余計な手間が省ける。
「マジックミラー、というものをご存知ですか? 取調室などに用いられている特殊な鏡です。刑事ドラマをよく見ている人には分かりやすいでしょうか」
 ああ、そう言えば。確かにドラマに出ているシーンでは、マジックミラーが出てくるわね。中学生二人もああ、と納得して頷いてる。常磐さんは青ざめて震えだした。小動物みたいにプルプル震えてるけど、自業自得よね。
「明るい場所から見るとただの鏡に見えますが、暗い場所から見るとガラスのように向こう側が透けて見えます。原理の説明は省きますが、まあこれだけ分かれば充分でしょうか。
 さて、話を元に戻します。ミラーハウスの内の一枚をマジックミラーにすりかえました。アトラクションとして観客が通る方を明るく、スタッフ用通路を暗くしておき、そこにカメラを置きます。そうすると……カメラの映像はどうなるでしょうか?」
 中学生たちがしばらく考え込む。先に「あ!」と手を打ったのは、康生くんのほうだった。
「通路側は暗いから、明るい方の景色が見える。けど反対側から見たら、それはただの鏡にしか見えない。反対側の鏡には鏡としての景色が映る。だから、マジックミラーの裏にあるカメラは写らないんだ!」
「ご名答。これでトリックの大半は解けました」
 ドヤ顔で指ぱっちんをする。普通の人がやると痛々しくなるこの動作を、いとも容易くやってみせた。これが空也クオリティ。常盤さん、こんな残念な探偵に追い詰められてさぞかし無念でしょうね……そんなことを考えながらスマホを操作した。
「でも、透視は? あんな風に撮るなんて、何か仕組みが……」
「いいや――失礼。言い方を間違えました。これは謎なんかではありません。知っているか否か、それだけの問題なのです」
 その場にいる私以外の全員がスルースキルを身に着けているのか、空也のポーズに何の突っ込みも入らずに話が進んでいく。本来なら私が突っ込みを入れるんだけど、しばらくは手が離せないわね。
「赤外線透視カメラ。聞いたことがある人は少ないでしょう。読んで字の如く、赤外線を使って透視できるカメラですよ」
 赤外線で、透視? 原理上はできるかもしれないけど、こんな使い方するなんて……というか、空也は何でそんなことまで知ってるのよ。どこに使うか分からないレベルの知識ばかりじゃない。
「そ、そんなものがあるのか?」
「勿論、万能ではありませんがね。人体から発している赤外線はごく微量。厚手の服では透視できません」
 ああ、成る程。偵察に行ったとき、やたら厚着させようとしてきたのはそういうことね。スマホを操作しながら、不覚にも顔が熱くなった。こういう気遣いをさりげなくできるから、中身が残念でもかっこいいと思えるのよね。
「マジックミラーの性質上、部屋の明るさを逆転させたらカメラの存在が露呈してしまう。その上、その構造上指をつけたら映り方に違いが出てくる――本物の鏡は実物と虚像が離れて見えますが、マジックミラーはそうではありません。そこに気がつくべきでしたね」
 常盤さんの目の前に立って、冷たい視線を送る。探偵モードに戻ったらしく、人が変わったかのような冷徹な態度になる。常磐さんだけじゃなくて、依頼人達も青い顔で震えていた。……うん。怖いのは分かるけど、一応彼、貴方達が依頼した探偵だからね? 後ろ暗いところがないなら怯えなくても大丈夫だからね?
「盗撮動画の投稿者と、赤外線透視カメラを買った人物を特定しました。常磐さん……貴方の名前が出てきましたよ」
 怯えている犯人に、決定的なセリフを投げつけた。こっちもそろそろ作業が終わるし、ラストスパートね。USBに仕込んでおいた遠隔操作ツールを操ってデータを私のPCに送り、スマホにも保存した。これでよし、と。
「で、デタラメだ! そんなの嘘に決まってる、おれはそんなことしていない!」
「そう主張したいなら、せめてPCのデータを消しておいてくれません?」
 今まで敢えて存在感を薄くしていたけれど、あえて発言して自分に注目を集める。私の右手に収まっているスマホを見て、常磐さんの顔色が変わった。よし、気づいた。
「今は技術さえあれば、PCを遠隔操作したり隠しファイルを見つけたりするぐらい簡単にできます。出ましたよ、貴方のPCから。カメラからのデータ受信記録、映像データファイル、動画サイトの投稿履歴……これでも言い逃れできますか?」
 犯人の顔が青ざめていく。その内段々赤くなってきた。もう少し。もう少しで、標的は罠にかかる。さあ、かかってきなさい。
「てめぇ……勝手に、おれのパソコンに、触るなぁああああッ!」
 来た。右手をこっちに思い切り伸ばして、こっちに飛びかかる。獣が突進してくるかのように襲いかかる。
「真樹さん!」
 康生くんが叫んだ。美咲ちゃんのものらしき悲鳴が上がる。右手のスマホを握りしめ、左手を構えた。体を低くして襲撃に備える。
 敵は動揺しているのか、汗だくで構えもなっていない。刻一刻と迫ってくる。こんなの、相手にもならないわね!

「――はぁっ!」

 相手の右手を取って懐に潜り込む。右ひじを鳩尾に叩き込むと、頭上から呻き声が上がった。右手を掴んだまま脇の下を潜り、後ろから体当たりをする。敵が倒れたのと同時に腕をひねり、背中に固定して足で押さえつける。ついでに左腕の方も関節を極めておいた。これでもう手は使えない。手応えが無いわね。
「流石真樹! 美しい上に合気道の有段者なんて、誰にも想像できないよね! ボクはそんなキミに夢中だよ! 愛してる!」
 外野が私に声援を送ってきた。だから、合気道のことは表に出さないでってあれほど……。護身術のために習ってたのに、手の内を知られたらやられちゃうかもしれないじゃない。本当に空気が読めないんだから。
「はいはい、折角さっきまでかっこよく決めてたのに恋人モードにならない。そんなことより、さっさとこの人に最後のトドメ刺してくれない?」
「勿論そうするよ。――常磐さん。探偵の権限だけで、PCの情報を弄ったりできると思いますか?」
 うっすらと笑みを浮かべながら問いかける。その言葉に何かを察したらしく、がくがく震え始める。いくら探偵でも、勝手に他人のPCを弄ったら罪に問われるわ。――捜査権を与えられた、ある職業の人物がいない限り。
「ご紹介しましょう。ボクの友人の四十川刑事です」
空也の出した合図で、四十川刑事が姿を現す。茶髪で頼りなさそうな……実際ほとんど頼りにならないヘタレ刑事。そんな彼も、今回ばかりは気を引き締めて常磐さんに警察手帳を見せた。
「常磐金成さん。僕の方からも貴方の悪行を調べさせて頂きました。盗撮と暴行の容疑により任意同行を願います。宜しいですね?」
「念のために、今までのやり取りもボイスレコーダーに記録させてもらいました。逃げようだなんて思わないでくださいよ?」
 美咲ちゃんが手を開いて、小さなレコーダーを見せた。もう反抗する気力も無いのか、ぐったりと項垂れている。極めた関節を元に戻し、刑事に手首を差し出す。任意同行なので一応手錠は掛けず、刑事は手首を掴んだまま立ち上がらせた。
「あ、あのっ」
 玄関前で誰かが呼び止める。胸の前で手を握った被害者の少女は、ふるふる震えながらも問いかける。
「最後に、聞かせてください。……何で、こんなことしたんですか?」
 何でこんなことをしたのか知りたい――そう語っていたことを思い出した。同じ女性として、「理由を聞いて納得したい」って気持ちは分かる。頭は下を向けたまま、常磐さんは語りだした。
「元々……盗撮が趣味だったんだ。他の人には見れないものを、自分だけが見れることにぞくぞくした。こうすれば、自分の欲求を解きはなてた。だからどんどん止められなくなって……」
 依頼人の二人が手を繋ぎ、静かに独白を聞いている。顔を伏せたまま語りは続く。
「そんなときに、お前らが通りかかった。つい、学生だった当時から根暗だった自分と比較して、腹が立った。自分があまりに薄汚くて、お前らがあまりに楽しそうで。……あとは動画のコメントと同じだ」
 語り終えて、四十川刑事に連行されていく。立ち会った全員が、言葉を発することなくその様子を見届けていた。


「ありがとう、四十川。ボクだけじゃ犯人を捕まえることは出来なかったよ」
 犯人を近くの交番に届け、戻ってきた四十川刑事に右手を差し出した。調子のいい空也に苦笑いしながら握手に応じる。
「よく言うよ……情報送りつけて『ちょっとこいつを逮捕するのを手伝ってくれ』って言ってきたのは君じゃないか」
「キミのことを信じているからこそさ。ま、後は宜しく頼むよ!」
 はいはい、任せといて。呆れたように笑いながら交番に向かう刑事。やっと終わった……大きく息を吐く。私達二人の元に美咲ちゃんがやってきて、満面の笑みで頭を下げた。
「宮田空也さん。西原真樹さん。本当に、本当にありがとうございました!」
 依頼人の笑顔に、自然と疲れが取れていく。空也はにっこりと笑って首を振った。
「大したことはしていないよ。ボクら二人はキミ達の依頼をこなしただけさ」
 私の気持ちも引っくるめて伝えてくれた。いいこと言ったと思いきや、彼はにや、と笑って「それよりも」と切り出す。あ、やっぱり空也もこの二人の関係が気になってたみたい。
「ずっとキミのそばにいて支えてくれた人にお礼を言った方がいいんじゃないかい?」
 康生くんがぎくりと固まる。面白そうだから私も美咲ちゃんを煽る。純粋な彼女は、康生くんに向き直って笑顔を見せた。
「康生、ありがと。康生がいなかったら、きっと誰かに相談しようとも思えなかったよ。そばにいてくれて、支えてくれて、本当にありがとう」
 花開くような笑顔に、康生くんは一瞬見とれた。すぐにそっぽを向いたけど、赤い顔は誤魔化せてないと思うわよ?
「お、俺は別に……その。幼なじみとして当たり前のことをしただけだ! お前のあんな映像さらされて、泣きそうな顔見て、ほっとけるわけないだろ!」
「あはは、康生って口でどうこう言ってても優しいよね。そういうとこ大好きだよ?」
「だ、だいす……美咲、そ、そういうことはな!」
 さて、私達はこの二人の邪魔にならないように退散しなきゃ。目配せしあって、こっそり依頼人達から離れた。事務所に帰る道中で、いつも通り手を繋がれる。温かい手に包み込まれて、私の心臓が跳ね上がった。
「ああ、楽しかった! これだから探偵は止められないよ!」
 子供のように明るい笑顔。モデルとしての彼も、普段の残念な彼も、全部好き。だから、つい独占したくなる。繋いだ手に優しく応えた。
「――そうね。探偵として仕事をしてるときの顔、とてもかっこよくて大好きよ」
 少し下を向いて、少しだけ本音を溢す。ぴたりと立ち止まって、私を見つめてきた。見上げてみると、その顔は珍しく薄桃色に染まっていた。
「好き? 今、大好きって言った? すごい……そんなこと言ったの初めてじゃないかい?」
 ぱああ、と笑顔になっていく。さっきまでの笑顔とは違う、幸せそうな顔。両手で抱き寄せられて、抱えこまれた。顔が近い。頭がぐらぐらして、心臓が痛いくらい脈打つ。
「ボクも真樹のことが大好きだよ、愛してる!」
 顔を寄せられる。ちょ、ちょっと、キスする気? 嬉しいけど、ここでするのは駄目。手で軽く体を押して、「ここ、外だから……ね?」と囁く。少しは落ち着いてくれたのか、柔らかく微笑んで手を放した。
「ふふ……分かった。じゃあ、今夜はパーッとお祝いしよう! とっておきのデザートは、寝る前に楽しむとしようか」
 ウインクして、再び手を繋ぐ。甘い声に頭がぼんやりしながらも、何とか頷く。――明日、起きれるかな……?
 繋がれた手に、今日は私の方から指を絡めてみる。ふわふわした気持ちのまま、事務所への道を歩いていった。
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