現代ベース小説

 春に咲いていた花が萎れはじめるころ。ぼくは、花束を抱えてきみを見下ろした。きみは何も言わず、ただただその場で眠っている。
 初めてきみに会ったとき、世界は桜色に染まっていた。きみは、この色が――すぐに散ってしまう薄紅色が好きだと語ってくれたね。そのときのきみの顔が輝いて見えて……正直に言うと、話を聞くよりもきみの顔を眺めるのに夢中だったんだ。もしあのときそう告げていたら、きみは顔を赤くして頬を膨らませていたんだろうか。ちゃんと聞いてよー、と照れ隠しに小突かれたのかもしれない。
 それからぼくらは、何度も春を一緒に過ごしたね。きみのせいで、ぼくまで春が好きになった。生き物たちが眠りから醒めて活き活きと過ごしているところ。沢山の花が咲いて、世界が一気に色づくところ。今では全部好きなところだよ。きみが好きな季節だったから、ぼくも好きになったんだよ。きみはそれに気づいてなかったけど。

 今だから言える、今となっては遅い言葉。
 ぼくは、きみが好きだ。桜の魅力を語ってくれたときから、ずっと好きだった。

 だから、余計に臆病になってしまった。これを告げたら、きみはぼくから離れていくかもしれない。そんな根拠のない不安がつきまとっていたんだ。
 こんなことなら、ちゃんと言えば良かった。許してくれ……ぼくは夢にも思っていなかったんだ!

 きみが――空に昇ってしまうなんて。

 交通事故だったそうだ。トラックに跳ねられそうになっていた子どもを庇って……きみは犠牲になった。
 きみらしいよ。明るくて優しくて、普段はおちゃらけてるくせに困ってる人は放っておけない……きみはそんなひとだった。けれど、何も春と一緒に去っていくことはないんじゃないか? せめて。せめて、ぼくが告白する勇気が出るまでは待っててほしかった。――もっとも、これはぼくが意気地無しだったのが一番悪いんだけどね。
 きみに会いに来たときには灰色だった空が、ぽつぽつと泣きはじめた。はじめはまばらだった雫が、すぐに大粒になって世界を濡らしていく。
 ああ――泣かないで。きみが灰色の石になったとしても、ぼくは変わらずきみを愛してるから。
 ぼくの頬を水が伝っていく。これは雨? それとも、ぼくの涙? 自分でも分からない。ぼくはきみの足元にそっと花束を置いて、ようやくきみに背を向けた。

 ――さようなら、ぼくの愛したひと。

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