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禁断の果実に魅入られたネコ

 アドハムにとって人をからかうという行為は『心を守る術』だった。
 弱点を突けばたいていの人間は動揺して感情を波立たせる。苦々しげな顔、驚き慌てふためく顔、怒りで醜く歪む顔、羞恥で赤らんだ顔……それらを自分が引き出したのだと思うと愉快な気分になった。なにより他人から嫌われるまっとうな・・・・・理由が手に入った。自ら他人に嫌われる行いをすることで、愛されたい気持ちに諦めをつけてきたのだ。
 それが『コミュニケーションツール』へと変化したのはシェアハウスにやってきてからのこと。
 自分の言動に皆が反応してくれるのが嬉しい。
 好きな子に構ってもらいたい小学生男子のような思考だが、アドハムはシェアハウスの住人達をからかうのが大好きだった。
 そんなアドハムのマイブームは、レンを誘惑して遊ぶことだ。
 煌びやかなものを好むアドハムにとって平凡で無骨なレンは性的対象外であり、抱く気も、ましてや抱かれる気なんて毛頭ない。しかし童貞感丸出しのリアクションは気に入っていた。顔を真っ赤にして狼狽え、最終的にダッシュで逃げ出す様は何度見ても楽しい。
 初心な反応があまりにも面白いので、ここ最近は悪戯心に任せてあの手この手でからかい倒している。
 ちなみに、部屋で見つけたオカズコレクションからレンがノンケなことは確認済みだ。これにより処女を失うリスクもなく存分に煽れるというわけだ。

 昨晩は思い切ってレンが入浴中に乱入してみた。
 アドハムには、その辺の女性よりよっぽど綺麗な容姿をしているという自負がある。並外れた容姿は迫害を受ける由縁であると同時に数少ない武器の一つだったからだ。こちらの世界にやってきてからも毎日手入れは欠かさず、中性的な美貌をキープしている。
 とは言っても身体はどう見ても男だ。裸体を見ればさすがのレンも引くかもしれない。
 そんなアドハムの予想は喜ばしくも外れて、レンはよく熟れたリンゴのように顔を赤らめながら大きな身体を縮こまらせていた。
 後ろから密着されてあたふたする姿は実に滑稽で、もっと直接的な悪戯を仕掛けたくなるくらいには可愛かった。

 そして今日もさらなるいたずらを仕掛けるべく、主人不在のレンの部屋にいる。当然、無許可だ。
 シェアハウスの個室はすべて鍵を掛けられるようになっていて、レンは在室中も外出中も必ず鍵を掛けている。各部屋のスペアキーは管理人室で保管されているのだが、先日勝手に持ち出したことがタイトにバレてアドハムが開けられない金庫にしまわれてしまった。
 それでは今夜はどうやって侵入したのか?
 答えは単純で、入浴中のレンの荷物から鍵を拝借してきたのだ。レンに怪しまれないよう、鍵は既にズボンのポケットに返却済みである。
 人をからかうことに関して日々のスキンケアと同じくらい手間を惜しまないアドハムは、刺激的なネタを求めて室内をぐるりと見渡した。
 好きなチームの応援グッズ、試合を録画したDVD、バスケ用の練習道具、筋トレグッズ、勉強道具……アドハムには価値のわからないものがジャンルごとにきっちりまとめられている。
 その中で壁に掛けられたワイシャツに目が留まった。レンの秘蔵コレクションの中に、小柄な女性がぶかぶかのシャツを着てあざとくポーズをとっている写真があったことを思い出したからだ。
 試しに下着以外の衣類を脱ぎ捨て、シャツを羽織って姿見の前に立つ。体格差はあれど二人の身長はほとんど変わらないので、ぶかぶか感は薄めだ。
 それでも胸元のボタンを二つ外して肩を出し、余った袖で手首を覆い隠せば彼シャツ感がぐっと増した。
 白いシャツに健康的な褐色肌がよく映えている。反転して映る自身を見たアドハムはご機嫌な笑みを浮かべた。

 そうやってベストな自分を探しているうちに、背後でガチャリという解錠音がした。首を回して振り返ると、あんぐりと口を開けている部屋の主と目が合った。
「レン、おかえりィ♡ 待ってたヨ♡」
「ハァッ⁉」
 くるんと身体を反転させ、渾身の猫なで声とぶりっこポーズで出迎えると、状況を飲み込んだらしいレンの顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「なんッ、てか、オレのッ‼」
 頭が沸騰して語彙力を失ったレンが、アドハムとワイシャツの掛かっていた壁を交互に指差す。
「アハッ。鍵も服も勝手に借りちゃったア」
「何でだよ⁉」
 想像以上の慌て様にやる気と口角が上がっていく。
 もっと過激なことをしたら、どんな可愛い反応をするだろう? アドハムは湧き上がる好奇心に躊躇なく身を任せた。
「レンはこーゆーエッチなのがスキなンデショ」
 軽く拳を握った手を頬に当てて上目遣いをしつつ、ベッドの上に体育座りをして尻から脚にかけてのラインを強調する。例の写真のポーズだった。

「……見たのか」
 最初はまん丸だったレンの目が、細く鋭いものに変わっていく。
「あ、アレェ?」
 不穏な空気を察知したアドハムが動き出すよりも、レンが近づいてくる方が早かった。
 跡が残りそうな力強さで両手首を掴まれて、シーツに強引に縫い付けられる。上から思い切り体重をかけられているせいで身動きが取れない。ベッドがギシリときしむ音がやけに生々しく耳に届いた。
 ——本気で怒られても知らないよ?
 昨日聞き流した麻績の言葉が脳裏をよぎった。
 高揚感が血の気と一緒に波のように引いていって、代わりに言い訳と後悔の念が押し寄せてくる。
 怒らせるつもりはなかった。ただ、レンなら大丈夫と油断していた。甘く考えて加減を見誤ってしまった。
「レン、……ッ!」
 どうにかこの状況を打開しようとレンの顔を見上げて、ハッと息を呑んだ。
 いつもは歯をむき出しにして小型犬のように騒がしく吠えているレンが、眈々と獲物の急所を狙う肉食動物のような顔をしていた。
 そのギラギラと輝く瞳を見た瞬間——
 アドハムの中で、何かのスイッチが切り替わる感触がした。
 心臓がきゅうっと締め付けられるような痛みが走り、それまで気にならなかったタコだらけのごつごつした手のひらの感触に意識が向いて、シャンプーの香りに混じるわずかな汗の匂いを感じて頭がクラクラした。
「あんまり舐めてんじゃねェぞ」
 これまで聞いたことのない地を這うような低い声が耳に吹き込まれて、背筋がゾクゾクと震えた。
 レンって結構かっこいいかも。
 場面に似つかわしくない呑気な感想が浮かんできて、そこでアドハムは自分が恋に落ちたことを悟った。

 残念ながらそのあとすぐ部屋を追い出されて自室に戻ったアドハムは、返しそびれたワイシャツに包まりながら、謝罪の方法とレンを口説き落とす算段について頭をフル回転させるのだった。
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