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距離はゼロ

 ただいま~という低いテナーボイスと幼いソプラノボイスがハーモニーを奏でながら玄関から届く。愛しい2人を出迎えるため、私は椅子から立ち上がった。
 玄関に顔を出せばいつもはすぐ私の大好きな笑顔を見せてくれるのに今日は2人とも何かに興味津々なのかこちらに背を向けたまま何やら話している。私ははるかの背後に回って2人が見ているものをその背中越しに見た。

「何を見ているの?」
「あ、みちる。ただいま」
「みちるママただいま!」

 声をかけられて私に気付いたはるかとほたるは振り返ってようやく笑顔を見せてくれる。私も笑みを浮かべておかえりなさい、と返して再び視線を下に落とした。するとそこにあったのははるかとほたるの靴だった。

「靴?」
「うん! はるかパパの靴、おっきいねって話してたの!」

 みてみてー! と言いながらほたるは自分の靴を縦に並べてはるかの靴の横に並べた。はるかの靴はほたるの靴2個分より少し小さいくらいのサイズだった。
 たしかに前からはるかの足のサイズは大きいと思っていたけれど明確に比較対象が横にあると本当に大きいと感じる。他人の足のサイズなんて普段は気にしないから私も少し面白いと思った。
 はるかはシューズボックスから私とせつなの靴も取り出して並べ始めた。

「みちるママの靴はほたるの靴の1個と半分くらいだね!」
「みちるって意外と足のサイズ大きいんだな」
「せつなは思っていたより小さいのね」

 3人でお互いの靴を見ながら思ったことを口にしていく。するとほたるがいいなぁ、早く私も大きくなりたい、と言った。それに対してはるかは靴を仕舞いながらそんなに良い事もないよ、と苦笑いをした。

「大きければ大きいほどサイズが無くなるから大変なんだ」
「そうね。はるかはメンズから選ぶことが出来るけれど、レディースの中でってなると大変よ?」
「みちるも服とか靴とか選ぶとき結構苦労してるんだぜ?」

 だからほたるはそのままの大きさでいいさ、と言いながらはるかはほたるを抱き上げてその勢いのまま立ち上がる。ほたるは楽しそうにきゃー! と言いながらはるかに抱きついた。
 そんな2人が本当に親子のようで見ていると自然と頬が緩む。リビングに向かってほたるを抱えたまま歩き始めたはるかをそっと見つめていると佇んでいる私に気付いたはるかが振り返って手を伸ばした。

「ほらみちる」

 手のひらを上に向けて差し出された手に自分の手を重ねる。軽々と片手でほたるを抱えて、片手は私に伸ばしてくれて、しなやかで力強いはるかが本当にかっこいいと思う。
 ほたると話すはるかをそっと見上げて、そこで少し違和感を抱く。けれど本当に些細な違和感だから上手く説明は出来ないし、自分でも明確に何がいつもと違うのか理解していない。気のせいかしら、と首を傾げてそのままその違和感を私は忘れてしまった。

    ◇◇◇

 違和感の正体に気付いたのはその数週間後。せつながいる場面ではるかが思い出したように足のサイズの話をし始めたことからだった。

「せつなって意外と足のサイズ大きくないんだな」
「そうなんですよね。身長と足のサイズは基本比例するのですが私はその例外のようです」
「身長……あっ」
「ん?」

 せつなの言葉に違和感の正体を見出した私は思わず声を上げる。どうかしたかと問いかけるはるかにちょっと立ってみて、とお願いをする。
 よく分からないままこれでいい? と立ち上がったはるかの前に私も立つ。そしてはるかを見上げて確信した。

「はるか、あなた身長伸びているわ」
「え?」

 ちょっと測ってみましょうと簡単に測ってみればやっぱり伸びていてせつなによく気付きましたね、と言われる。私は曖昧に微笑んでその場をやり過ごした。だって気付いたの、いつもよりもっとはるかがかっこよく見えたからだなんて、恥ずかしくて言えないもの。

「うわー、もうそろそろいらないんだけどなぁ」
「えー、身長高い方がかっこいいよ? 私ももっと欲しい!」
「ほたるはこれからどんどん伸びるさ。僕はこれ以上大きくなりたくないんだよ。言ったろ? 服のサイズは無くなるし、車だって乗りづらくなる」
「というより、まだそれだけ伸びるって成長期の子どもですか」

 なんか馬鹿にされた気がするんだけど、とせつなを見るはるかにせつなは表情を崩さず私は純粋に思ったまでですよ、と返した。

「でもみちるママも身長ある方がいいよね?」
「え? ええ、そうね……」
「えー、でもなあ」

 突然ほたるにそう問われて私は頷く。賑やかに話す3人を見つめて私はちょっとだけ複雑な感情を抱いていた。
 その日の夜、寝室のベッドに腰掛けて雑誌を見ているとお風呂から上がって髪を濡らしたままのはるかが入ってきた。ちゃんと拭かないと風邪を引くでしょうといつも注意をするけれど本人は次から気を付けるよと言って改善する気がまるでない。
 けれどはるかの髪を拭く、というこの時間が私は好きだからついつい甘やかしてしまう。いつものように頭に被っているだけのタオルを取って拭こうとして、一瞬動きが止まる。本当に一瞬だったけれどそれに気付いたはるかが私の手を取って腕の中に抱き込んだ。

「どうした?」
「なんでも、ないわ」
「嘘吐くなよ。昼間、ほたるに聞かれたときに頷いてたけど本当はたいして思ってなかったんだろ?」

 いつもは鈍感なくせに、こういう時ばっかり鋭くてずるい。私は観念して笑わないでね? と念を押した。はるかは黙ったまま1つ頷いて私の事を真っ直ぐと見つめる。

「その、身長が高くてかっこいいのは本当。はるかの身長が伸びているのに気付いたのだって、いつもよりもっとかっこよく見えたからだもの。でも、ね」
「うん」

 真っ直ぐに私を見つめて言葉を待つはるか。私はこの後の言葉を続けるのが恥ずかしくて、すでに真っ赤になっているだろう顔をはるかの胸に埋めて蚊の鳴くような声で言った。

「ちょっと、ちょっとだけはるかとの距離が遠くなって寂しいな、って思ったの」

 はるかの腕の中でなんだか言わなくてもいいことまで言った気がすると思っていると不意にはるかに強く抱き締められた。少し苦しい、と腕を軽く叩いて主張するとゆっくりと解放されていく。

「みちるはかわいいな」
「……馬鹿な女だと思っているでしょう」
「まさか。あの時、せつなになんて言われるか分からなくて言わなかったんだけど、僕も同じこと思ってたんだ」

 はるかの言葉に驚いて目を瞬かせればはるかは可笑しそうに笑ってやっぱり僕がそう思うのは意外? と尋ねてくる。こくん、と頷けばやっぱそうだよな、と軽快に笑った。

「だってこれ以上離れちゃったらみちるからキスしてもらいにくくなるし?」
「……ばか」
「ジョーダンジョーダン。でもさ、こうすれば身長差なんて関係ないだろ」
「きゃっ!」

 はるかに腕を引かれてそのまま2人でベッドに倒れ込む。思わず瞑った目を開けると同じ視線の高さにはるかの顔がある。にこにこと楽しそうに笑っているはるかを見て私も笑う。

「でも、これじゃあ寝てる時限定だわ」
「じゃあ立ってる時は僕が屈むよ。それかみちるを抱っこすればいいかな。そうすれば君の方が上に行くからキスしてもらえるし」
「はるかったらキスしてもらうことばっかりね。それにそれじゃあはるかばっかり負担掛かるじゃない」

 くすくすと笑いながらそう答えればはるかはわざとらしくうーん、と唸ってからじゃあこれならどうだ! と言う。

「みちるが身長を伸ばせばいい」
「もう止まっちゃったわ」
「じゃあ僕も屈むからみちるも背伸びしてよ。それなら半々だろ?」

 そうね、それが1番だわ、と頷いて笑う。明日からみちるにキスしてもらうの楽しみだなー、なんて言うはるかに、あなたとの距離がゼロの今、私はキスをした。
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