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安心する場所

 朝、いつもと少し様子が違う気がしたはるかを見送った後、私も仕事のために家を出た。
 お昼ちょっと前から夕方までかかる仕事を終えて帰る支度を済ませた頃にせつなから連絡が来た。

「せつな?」
『あ、みちる、突然すみません』
「いいのよ、気にしないで。それで? 何かあったの?」

 せつなからの連絡は基本的にメールだ。仕事の邪魔にならないようにと配慮をしてくれているから。だからせつなからの電話は余程の事が起きた時以外にはありえない。
 少しの焦りを感じながら問いかけるとせつなは困惑と心配を滲ませた声音で話し始める。

『実は、はるかがまだ帰ってきていないんです』
「はるかが?」
『はい。お昼には仕事が終わると言っていたのですが……遅くなるという連絡もありませんし、こちらから電話をかけても出ないんです』
「はるかの職場には?」
『連絡しました。予定通りお昼に仕事を終えて帰ったと……』

 せつなの言葉にそう、と返して黙り込む。
 仕事を終えた後に行方不明? どうして、どこに? と色々なことが頭を駆け巡る。
 まさか新たな敵に……? と思ったが海が荒れた様子もないし、せつなも何も感じていないようだった。
 しばらく二人で通話を繋げたまま黙り込む。そしてふと、今朝のはるかの様子を思い出した。

「ねぇ、はるか、朝変じゃなかった?」
『朝ですか? ……そういえば、少しぼんやりしていた感じがしますが。こう、怠そうな感じもしていましたね』
「やっぱり」
『え?』
「はるか、多分風邪引いてるわ。朝額にキスされた時も熱っぽい感じがしたもの」

 風邪を引いた状態で仕事に行くなんて馬鹿なんだから、と呟くけれど多分本人は気付いていなかったのだろう。
 でも、うん、気付かないのも馬鹿ね、と思いながらそんな状態のはるかが行く場所は限られているからすぐに探しに行ってくるとせつなに告げて電話を切った。
 私は電話を切るとすぐに今4人で住んでいる家の前に住んでいたはるかのコンドミニアムのある方へ足を向けた。
 食材も何も無いのは分かっているからそちらへ行く前にスーパーかどこかへ寄ってからの方がいいだろうと思い買い物をして合鍵で部屋へ入る。

「きゃっ!?」

 玄関の鍵を開けて足を踏み入れると何かにつまづいて前に転んだ。暖かくて柔らかいものの上に転んだようで痛みは大してなく転ぶ瞬間に思わず瞑った目を開く。

「は、はるか!?」
「うぅ……」

 慌ててはるかの上から飛び起き顔を覗き込んで様子を見る。
 結構な勢いで乗っちゃったからどこか怪我してないかしら? と全身を見るけど特に怪我はしていないようでホッとする。
 けれど熱を出していてこんな所で長時間寝ているなんて、とすぐに怒りというか呆れのようなものを感じる。

「はるか、はるか起きてちょうだい」
「ん、ぅ……」

 肩を揺すって起こそうとするけれどはるかは目覚めない。というか、服越しでも分かるほどの高熱を出しているようで意識を保てていないようだった。

「参ったわ……私1人じゃはるかを運べないのに……」

 数秒考えて私はすぐにせつなに連絡を入れる。

「せつな、はるかを見つけたわ」
『本当ですか!? はるかはどこに!』
「コンドミニアムの方よ。相当な高熱を出しているみたいで意識が朦朧としてここに来ちゃったみたいね」
『熱、そんなに酷いんですか?』
「えぇ、体温はまだ測っていないのだけれどかなり熱いわ。悪いのだけれど着替えとか持ってこっちに来てくれない?」
『分かりました。ほたるもちょうど帰ってきた所なので2人で行きますね』

 せつなとの電話を切って私は玄関で倒れ伏しているはるかに目を向ける。
 1人じゃどうしようも出来ないからせつなが来るまではるかにはここで寝ていてもらうしかないわね。

「毛布か何かあったかしら」

 はるかをそのままに部屋の中へ入る。寝室を覗くとここに住んでいた時のままだった。
 ベッドの上に乗っている毛布を1枚手に取り玄関で寝ているはるかに被せる。
 本当は汗とか拭いてからの方がいいのだけれど着替えが来るまではダメね、と思いとりあえず体温計を探したり食材をしまったりしているとせつなが来たようだった。
 エントランスの鍵を開けて玄関は空いてるからそのまま入ってきてちょうだいと伝えてお粥を作り始める。

「きゃっ!?」
「あ、」

 カチャリと扉の開く音が聞こえた後小さな悲鳴が上がる。せつなに、はるかが玄関で寝てること伝えるの忘れてたわ。

「せつな? 大丈夫?」
「わ、私は……」
「はるかパパ大丈夫……?」
「けほっ、うぅ……」

 玄関に顔を出すとはるかの上から退けているせつなとはるかの顔を覗き込んでいるほたるがいた。
 2人ともしっかりとマスクをしてきたようだけれどほたるにはあまり近付いて貰わない方がいいわね。

「ほたる、あんまり近付いちゃダメよ」
「うん……」
「あの、なんではるかはこんな所に?」
「ここで力尽きたのよきっと。でも私1人だと寝室に運べないからせつなを待ってたの」

 なるほど、と呟くせつなに手伝ってもらいはるかを寝室のベッドに寝かせる。
 汗を拭いたり服を着替えさせたりはみちるがやってください。私は途中のお粥を見てきますから、とせつなに言われたので首を縦に振った。
 ちょうど着替えさせ終えた頃にはるかが目を覚ます。笑いかけながら大丈夫? と声をかけると焦点の合っていない目で見つめ返される。

「はぁ、かい……おう、さん? なん、で」

 はるかの言葉に目を見開いて驚く。
 記憶を失ってしまったのだろうか? それともこの高熱で記憶が混濁しているだけなのだろうか? 原因は分からないけれど、とりあえずはるかを困惑させないためにも私も同じように返すべきだと感じた。

「覚えていらっしゃらないの? 天王さん、高熱を出していたみたいで急に倒れたのよ」

 私のことを海王さんと呼んでいた時期は短く、すぐにはるかは私のことを名前で呼ぶようになっていたから今のはるかの記憶がどの辺りなのかはすぐに分かった。
 まだ戦士になりたてで、お互いに距離感を掴めなかった時期だ。

「そ……ごめ、……あし、ひっぱって、ばっかだ」

 その言葉に私はまた驚く。てっきり僕の家の場所まで知ってるのか、と責められると思ったから。
 最近では弱い面も見せてくれるようになったけれどこの頃のはるかは決して私にも弱い面を見せようとしなかったから、何だか少し嬉しい。

「……いいのよ、気にしないで。私が勝手にしていることよ。それに、あなたがそばにいてくれる。それだけで私はとても安心するし、救われているの」

 気が付いたらそんな言葉が漏れていた。
 はるかは私の言葉をゆっくりと頭の中で繰り返して理解しているようだった。そうして少しするとそっか、と呟いて笑った。

「ありがと……すき、だよ、みちる」
「はるか……」

 はるかはそう言うとそのまま眠りに落ちていった。
 私は顔が熱くなるのを感じる。一体今のはどっちのはるかなんだろう。

「みちるママ? 大丈夫?」
「え、あ、ほたる」
「お顔、赤いよ? みちるママも風邪引いちゃった?」

 寝室の扉から顔だけを覗かせているほたるは心配そうな顔を浮かべる。そんなほたるに大丈夫よ、と返しながら一緒にリビングの方へ向かう。
 キッチンに顔を出すとせつながお粥を作り終えたようでお盆に載せている所だった。

「はるかはどうですか?」
「記憶も混濁してるみたい。さっき目を覚ました時は私たちが出会った頃のはるかだったわ」
「記憶がですか……熱の方は測りましたか?」
「40度くらいあったの。病院に連れて行った方がいいかしら?」
「はるかの平熱は……」
「37度前半くらいね。普通の人より体温は高めよ」

 せつなは眉間に皺を寄せて考え込む。私は医者に見せた方がいいんじゃないかとは思うけどせつなの判断に任せても問題はないと思っている。
 少しするとせつなは一旦様子を見ようと言った。発熱と軽い咳き込みだけだし何かの感染症に罹っている確率は低いだろうから薬を飲ませて寝かせておいた方がいいかも、と。

「そうね、自分で体を動かせないみたいだし寝かせておきましょう」
「はるかが動けるようになるまではみちるもここで過ごすのでしょう?」
「えぇ」
「では私たちは向こうの家に帰りますね。何かあったらすぐに連絡してください」

 せつなはそう言うとほたるを連れて帰って行った。ほたるは少し不満そうだったけれど風邪を移すわけにもいかないし、ここは寝具とかもないからと言えば渋々だけれど了承してくれた。
 2人を見送ったあと私は少し冷めたお粥を持ってはるかの眠る寝室に戻った。

「はるか、起きてちょうだい」
「ん、んん……みち、る?」
「お粥食べてお薬飲みましょう?」

 今度はすんなり起きてくれて良かった、と思いながらはるかを見ているとはるかはゆっくりと身体を起こして自分の今の状況を把握しているようだった。
 自分がいる場所を理解するとはるかは目を丸くして私を見つめてくる。

「あれ、ここ……なんで?」
「あなた、高熱を出して意識が朦朧としていたみたいね?」

 にっこりと笑いながらそう返すとはるかは目線を逸らしていや、えっと、と呟く。
 はぁ、と1つ溜息を吐いてお粥を掬ったレンゲをはるかの口の前に差し出す。はるかは特に何も言わず大人しくそれを口に含んだ。
 しばらくお互い無言で食べさせ、食べさせられてをして容器がすっかり空になると私は薬と水をはるかに差し出した。
 ちょっとだけ顔を顰めながらも薬を飲んだはるかの頭を撫でてベッドに寝かせる。

「……なんか、すごく子供扱いされている気がするんだけど」
「あら、自分の体調も分からない人は子供なんじゃなくて? せつなもほたるもすごく心配していたのよ?」
「うっ……大変申し訳ない……」

 しゅん、と項垂れるはるかが可愛くてまた頭を撫でる。
 子供扱いが不服で拗ねた顔をするけれど本当はちょっと嬉しいのバレバレよ。
 微笑みながら頭を撫でていると不意にはるかに手を取られる。
 私の手は大きくて少し骨ばったいつもより熱い手のひらに覆われる。
「みちる……好きだ」
「なあに? 突然」
「突然じゃないさ、いつも思ってる。……みちるがそばにいると安心するんだ」

 はるかは私の手を握ったまま目を閉じる。このまま寝るつもりなのだろう。

「どこにも行かないわ。私はずっとはるかのそばにいる、だから安心して休んでちょうだい?」

 はるかの手を握り返して囁くとはるかは微笑んで再び眠りに落ちていった。
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