bloodmidnight
未だ神秘残る世界。イタリア北部、地中海に浮かぶその島国の名を知らぬ者はいないだろう。
──メンスウィリア。
魔法障壁に守られた鎖国。ヨーロッパ最後の聖域。
そう呼ばれる国の内部を詳しく知る者は、国内に限られる。
今、その国は水面下で崩壊の危機に襲われていた。
『それ』は月夜──特に[[rb:紅 > あか]]い月の夜に乱舞する。
人を喰らう異形。月に吠える人ならざる魔獣。
それらを指して、人々は『ウルフ』と呼称した。
しかし国の対策は遅々として進まず、国民は闇に潜むウルフの影に怯えていた。
そんな中、立ち上がった青年が一人。
国を裏から支配するマフィアの跡継ぎである青年の名を、エウリペ・シュトラウスと言う。
彼は自ら選んだ私兵を纏め、自身の組織をこう呼んだ。
『Blood Midnight』と。
これはそんな彼らの戦いと、
──なんて事の無い、日常の物語である。
「……リーペ君。これは少し買いすぎでは?」
溢れんばかりの紙袋を見て、少女が声を上げた。紫の瞳が隣の人物を見上げる。
「そう? これでも少ない方だと思うんだけど……」
その先には、[[rb:蘇芳> すおう]]の髪を持つ令嬢の姿。
小首を傾げる仕草には、人目を惹く魅力があった。
「ハム君だって呆れてますよ」
「…………」
次に少女は隣を見た。そこには紙袋の束を抱えて持つ青年が一人。無言で二人を見る彼の顔に表情はない。
「別にいいじゃない。たくさんあって困るものじゃないし、皆もすぐに食べきっちゃうでしょ」
紙袋の中身は食材の数々。数週間、あるいは十人分くらいの量はあるだろう。
少なくとも三人で消費できるものではない。
紫の髪と瞳を持つ少女。蘇芳の髪と紫と緑、左右で色の違う瞳の令嬢。明るい茶髪と赤い瞳の青年。
姿も性格も違う三人だが、そこには家族同様の和やかな空気が流れていた。
「キャーーーーーッ!! スリよ!!」
賑やかな大通りに突如響く悲鳴。
道行く人にぶつかりながら、小汚い姿の男が小さなポーチを持って走っていく。
「貧民街の奴かな?」
令嬢が喧騒に目を向ける。その視線は興味によるものではなく、無関心に近い。
ただ、騒がしいから見てみただけの事。それを証明するように、令嬢はすぐにまた前を向いた。
「どけどけぇっ! どかねえと殺すぞ!!」
スリの男はナイフを振り回し始めた。更に悲鳴が上がる。警官が駆け付ける気配は無い。
男は逃げ続け、とうとう令嬢達の近くまで来た。
「……」
青年が紙袋を地面に置く。瞬時に駆けると、男のナイフを持っている方の手を掴んだ。
そのままナイフを奪い取り男を組み伏せる。首にナイフを下ろそうとした瞬間。
「ハム、そこまで。今はまだ夜じゃないよ」
令嬢が静止の声をかけた。たった一言で、青年が動きを止める。
「……分かった」
短く返し、ナイフを手放す。汚らしいものに触ってしまったと言わんばかりに服を叩く青年の顔には達成感など微塵もなく、先程と変わらぬ無表情だった。
喧騒が小さな騒めきに変わった頃。ようやく警官が現れた。
真新しい制服に身を包んだ若い警官が、三人に向かって敬礼する。
「犯人逮捕のご協力、ありがとうございました!!」
ハリのある大声から、彼の生真面目さとやる気が見て取れた。
「どーいたしまして。まあ、やったのは全部ハムだけど」
令嬢が笑って青年を指さす。彼に向かって再び敬礼をしようとした若い警官は、上司と思わしき小太りの警官に引きずられてしまった。
「おいバカ、何やってんだ新入り!」
「逮捕に協力してもらったので……」
「あの三つ編みでワンピース着てる奴、あいつはシュトラウスファミリアの跡取り息子のエウリペだぞ!? 知らないのか!?」
そう言って小太りの警官が指さしたのは令嬢だった。そう、何を隠そう《彼》こそがエウリペ・シュトラウス本人である。
「一人息子!? ……娘ではなく?」
若い警官が目を見張る。無理もない。エウリペの姿は美しい令嬢そのものだったのだから。
「……お前、本当に知らんのか……。よし、この機会に教えてやる。あんなナリをしてるが、エウリペはマフィアの跡取りに相応しい極悪人だ。深く関わったが最後、表には出られねえと思え」
「えー? そこまで警戒されても困るな~」
「ゲッ!」
小太りの警官の後ろからエウリペが出てきた。少し芝居がかった仕草と表情で警官達の間に立つ。
「その反応も酷くない? 今回は、良い事をしたのに」
「どの口が言う、この狐が!」
「あははっ!」
愉快そうに、どこか挑発するように笑うと、エウリペは若い警官に手を伸ばした。確かに女性にしては大きな、しかし男性にしては小さな手が彼の頬を撫でる。
「おにーさんも、いつか相手してあげる♡」
「えっ」
若い警官の顔が赤くなる。それに舌打ちをして、小太りの警官が彼を引っ張った。
「若いのを誑かすんじゃねえ! そら、今回は見逃してやるからとっとと帰れ!!」
「ちぇっ、つまんないの」
興を削がれたエウリペは、少女と青年を連れて遠ざかっていく。
「エウリペ、か……。あんな子が本当に……?」
「あっ、リーペ君! あそこにパンケーキのお店がありますよ!」
「ほんとだ! 美味しそうだし、入ってみる?」
「はい!」
「…………」
裏表の激しい気まぐれな[[rb:令嬢 > 青年]]、エウリペ・シュトラウス。
無邪気にエウリペを慕う少女、クラーレ・カーリット。
そこに寄り添う寡黙な青年、エイブラハム・アッカーソン。
三人は強い絆で繋がっている。
そしてその真価は
『リーペ君、そこから西に十メートルの地点にウルフの反応が複数見られます』
「りょーかい!」
『ハム君は東に向かってください。すぐにウルフが見えるはずです。二人ともそれが最後ですから、頑張ってください』
『……了解』
「うん、ありがとう。クラーレ」
戦闘時にこそ発揮される。
司令官のクラーレの指示に従ってエウリペが薄暗い路地裏に来ると、見るも無残な死体を見つけた。
損壊が激しいせいで顔は判別できないが、体格と真新しい制服が例の若い警官である事を物語っている。
「あらら、死んじゃったんだ」
だが、その事実に彼が何かを思う事は無い。
マフィアの跡取りという特殊な立ち位置にいる以上、見知った顔が屍となって路地裏に転がっているなど日常茶飯事だ。
(それよりも)
エウリペは地面の血痕を辿る。路地裏を出て、一歩踏み出した刹那。
『ガアアアァアアァッ!!』
彼の背後、両隣の建物の屋上から数体の影が襲いかかった。
そのシルエットは狼男のようなモノもいれば、半魚人じみたモノもいる。国を騒がす怪物、ウルフだ。
怪物達の全てが、鋭い牙と爪でエウリペを葬らんとしたが、
「ざーんねんっ。……そんなバレバレの奇襲で俺を殺せるわけないだろ」
彼はただ、不敵に笑って右腕を振った。
そこに繋げられていたのは、魔法で目視されにくくなった細いワイヤー。
細い糸は、時に物を切断し得る。それが金属であれば、更に特殊な加工が施してあれば──
『ギャアアアアアァアアアア!!』
たかだか毛皮や爪ごときに守られた体など、容易く切り裂ける。
「うわ汚なっ」
降りかかりそうになった肉片を左手の鞭で払う。辺りには生命の気配はエウリペ以外になく、ただ鉄の匂いだけが漂っていた。
「……流石に、ちょっとやりすぎたかな?」
足元の血溜りに苦笑いを浮かべつつ、エウリペは夜の街路を歩く。
彼自身の鼻歌が遠く遠く夜空に消える。それを聞くのは月。弓のような三日月が、その姿を照らしていた。
(帰ったらお風呂入ろ。クラーレはもう寝る準備したかな? ハムはまた返り血だらけになってないといいけど……)
この物語は、彼らの平和な日常と苛烈な戦いの物語である。
……今の所は、まだ。
──メンスウィリア。
魔法障壁に守られた鎖国。ヨーロッパ最後の聖域。
そう呼ばれる国の内部を詳しく知る者は、国内に限られる。
今、その国は水面下で崩壊の危機に襲われていた。
『それ』は月夜──特に[[rb:紅 > あか]]い月の夜に乱舞する。
人を喰らう異形。月に吠える人ならざる魔獣。
それらを指して、人々は『ウルフ』と呼称した。
しかし国の対策は遅々として進まず、国民は闇に潜むウルフの影に怯えていた。
そんな中、立ち上がった青年が一人。
国を裏から支配するマフィアの跡継ぎである青年の名を、エウリペ・シュトラウスと言う。
彼は自ら選んだ私兵を纏め、自身の組織をこう呼んだ。
『Blood Midnight』と。
これはそんな彼らの戦いと、
──なんて事の無い、日常の物語である。
「……リーペ君。これは少し買いすぎでは?」
溢れんばかりの紙袋を見て、少女が声を上げた。紫の瞳が隣の人物を見上げる。
「そう? これでも少ない方だと思うんだけど……」
その先には、[[rb:蘇芳> すおう]]の髪を持つ令嬢の姿。
小首を傾げる仕草には、人目を惹く魅力があった。
「ハム君だって呆れてますよ」
「…………」
次に少女は隣を見た。そこには紙袋の束を抱えて持つ青年が一人。無言で二人を見る彼の顔に表情はない。
「別にいいじゃない。たくさんあって困るものじゃないし、皆もすぐに食べきっちゃうでしょ」
紙袋の中身は食材の数々。数週間、あるいは十人分くらいの量はあるだろう。
少なくとも三人で消費できるものではない。
紫の髪と瞳を持つ少女。蘇芳の髪と紫と緑、左右で色の違う瞳の令嬢。明るい茶髪と赤い瞳の青年。
姿も性格も違う三人だが、そこには家族同様の和やかな空気が流れていた。
「キャーーーーーッ!! スリよ!!」
賑やかな大通りに突如響く悲鳴。
道行く人にぶつかりながら、小汚い姿の男が小さなポーチを持って走っていく。
「貧民街の奴かな?」
令嬢が喧騒に目を向ける。その視線は興味によるものではなく、無関心に近い。
ただ、騒がしいから見てみただけの事。それを証明するように、令嬢はすぐにまた前を向いた。
「どけどけぇっ! どかねえと殺すぞ!!」
スリの男はナイフを振り回し始めた。更に悲鳴が上がる。警官が駆け付ける気配は無い。
男は逃げ続け、とうとう令嬢達の近くまで来た。
「……」
青年が紙袋を地面に置く。瞬時に駆けると、男のナイフを持っている方の手を掴んだ。
そのままナイフを奪い取り男を組み伏せる。首にナイフを下ろそうとした瞬間。
「ハム、そこまで。今はまだ夜じゃないよ」
令嬢が静止の声をかけた。たった一言で、青年が動きを止める。
「……分かった」
短く返し、ナイフを手放す。汚らしいものに触ってしまったと言わんばかりに服を叩く青年の顔には達成感など微塵もなく、先程と変わらぬ無表情だった。
喧騒が小さな騒めきに変わった頃。ようやく警官が現れた。
真新しい制服に身を包んだ若い警官が、三人に向かって敬礼する。
「犯人逮捕のご協力、ありがとうございました!!」
ハリのある大声から、彼の生真面目さとやる気が見て取れた。
「どーいたしまして。まあ、やったのは全部ハムだけど」
令嬢が笑って青年を指さす。彼に向かって再び敬礼をしようとした若い警官は、上司と思わしき小太りの警官に引きずられてしまった。
「おいバカ、何やってんだ新入り!」
「逮捕に協力してもらったので……」
「あの三つ編みでワンピース着てる奴、あいつはシュトラウスファミリアの跡取り息子のエウリペだぞ!? 知らないのか!?」
そう言って小太りの警官が指さしたのは令嬢だった。そう、何を隠そう《彼》こそがエウリペ・シュトラウス本人である。
「一人息子!? ……娘ではなく?」
若い警官が目を見張る。無理もない。エウリペの姿は美しい令嬢そのものだったのだから。
「……お前、本当に知らんのか……。よし、この機会に教えてやる。あんなナリをしてるが、エウリペはマフィアの跡取りに相応しい極悪人だ。深く関わったが最後、表には出られねえと思え」
「えー? そこまで警戒されても困るな~」
「ゲッ!」
小太りの警官の後ろからエウリペが出てきた。少し芝居がかった仕草と表情で警官達の間に立つ。
「その反応も酷くない? 今回は、良い事をしたのに」
「どの口が言う、この狐が!」
「あははっ!」
愉快そうに、どこか挑発するように笑うと、エウリペは若い警官に手を伸ばした。確かに女性にしては大きな、しかし男性にしては小さな手が彼の頬を撫でる。
「おにーさんも、いつか相手してあげる♡」
「えっ」
若い警官の顔が赤くなる。それに舌打ちをして、小太りの警官が彼を引っ張った。
「若いのを誑かすんじゃねえ! そら、今回は見逃してやるからとっとと帰れ!!」
「ちぇっ、つまんないの」
興を削がれたエウリペは、少女と青年を連れて遠ざかっていく。
「エウリペ、か……。あんな子が本当に……?」
「あっ、リーペ君! あそこにパンケーキのお店がありますよ!」
「ほんとだ! 美味しそうだし、入ってみる?」
「はい!」
「…………」
裏表の激しい気まぐれな[[rb:令嬢 > 青年]]、エウリペ・シュトラウス。
無邪気にエウリペを慕う少女、クラーレ・カーリット。
そこに寄り添う寡黙な青年、エイブラハム・アッカーソン。
三人は強い絆で繋がっている。
そしてその真価は
『リーペ君、そこから西に十メートルの地点にウルフの反応が複数見られます』
「りょーかい!」
『ハム君は東に向かってください。すぐにウルフが見えるはずです。二人ともそれが最後ですから、頑張ってください』
『……了解』
「うん、ありがとう。クラーレ」
戦闘時にこそ発揮される。
司令官のクラーレの指示に従ってエウリペが薄暗い路地裏に来ると、見るも無残な死体を見つけた。
損壊が激しいせいで顔は判別できないが、体格と真新しい制服が例の若い警官である事を物語っている。
「あらら、死んじゃったんだ」
だが、その事実に彼が何かを思う事は無い。
マフィアの跡取りという特殊な立ち位置にいる以上、見知った顔が屍となって路地裏に転がっているなど日常茶飯事だ。
(それよりも)
エウリペは地面の血痕を辿る。路地裏を出て、一歩踏み出した刹那。
『ガアアアァアアァッ!!』
彼の背後、両隣の建物の屋上から数体の影が襲いかかった。
そのシルエットは狼男のようなモノもいれば、半魚人じみたモノもいる。国を騒がす怪物、ウルフだ。
怪物達の全てが、鋭い牙と爪でエウリペを葬らんとしたが、
「ざーんねんっ。……そんなバレバレの奇襲で俺を殺せるわけないだろ」
彼はただ、不敵に笑って右腕を振った。
そこに繋げられていたのは、魔法で目視されにくくなった細いワイヤー。
細い糸は、時に物を切断し得る。それが金属であれば、更に特殊な加工が施してあれば──
『ギャアアアアアァアアアア!!』
たかだか毛皮や爪ごときに守られた体など、容易く切り裂ける。
「うわ汚なっ」
降りかかりそうになった肉片を左手の鞭で払う。辺りには生命の気配はエウリペ以外になく、ただ鉄の匂いだけが漂っていた。
「……流石に、ちょっとやりすぎたかな?」
足元の血溜りに苦笑いを浮かべつつ、エウリペは夜の街路を歩く。
彼自身の鼻歌が遠く遠く夜空に消える。それを聞くのは月。弓のような三日月が、その姿を照らしていた。
(帰ったらお風呂入ろ。クラーレはもう寝る準備したかな? ハムはまた返り血だらけになってないといいけど……)
この物語は、彼らの平和な日常と苛烈な戦いの物語である。
……今の所は、まだ。
1/1ページ