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バレンタイン2024

〜ヴァリの部屋

(三枚のクッキーの前に、一人で座っているホズ。彼にはこの部屋の内装を見ることはできないが、室内に広がる薄いミントの香りから、少なくともゴミ屋敷や怪しげな実験施設ではないのだろうということは察せられた)

ホズ「はぁ…。嫌だな…。早く帰りたい…」(緊張に背筋を伸ばし、ヴァリの帰りを待つ。彼はホズを椅子に座らせてすぐ、お茶を淹れてくると言って出て行ってしまった。それからもう大分経った気がするが、戻ってくる気配がない)
ホズ「一体何を用意してるんだ…。ああ…帰りたいよ…兄さん…」

ガチャ

ヴァ「待たせたね、ホズ。本当は僕が自分でブレンドしたハーブティーにしたかったのだけど、お湯を注いでみたらなぜか下水の匂いがしてね。市販のコーヒーにさせてもらったよ。…あ、コーヒーは飲めるかい?」
ホズ「ああ…うん、飲めるよ…(確かにコーヒーの匂いだ…)」
ヴァ「なら良かった。ミルクと砂糖は?」
ホズ「入れなくていい」
ヴァ「そうか、君はブラック派か」(ホズの前にカップを置く)
ホズ「…」(カップを持ち上げ匂いを嗅ぐ。特に不審な点はない)
ヴァ「市販の安いやつで悪いね。まあ、僕の下水ブレンドよりかは良心的だろう」
ホズ「ふ。下水ブレンドって…」(ついちょっと笑ってしまった。それを誤魔化すように、湯気の立つコーヒーに息を吹きかける。猫舌なのだ)
ヴァ「…!ああ、本当に下水の匂いだったんだよ。一体何がいけなかったのかわからないけれど」(ホズが笑ったことに気づいて嬉しそうにしながら、自分のコーヒーに角砂糖をドボドボ入れる)
ホズ「…甘いのが好きなの?」(めっちゃ入れてる音がするのでさすがに気になった)
ヴァ「ああ。僕は生粋の甘党でね。…君は?ブラック派ということは、甘いのは苦手かな?」
ホズ「いや…。特に好き嫌いはないけど」
ヴァ「そうか、良かった。チョコが苦手だったらどうしようかと思ったよ」
ホズ「ああ…チョコ…」(手作りクッキーの存在を思い出し、少しまた憂鬱になってきた)
ヴァ「…。ホズ。もしやまだ疑っているのかい?それなら半分に割って、片方を僕が食べよう。どうかな」
ホズ「…わかった。そうしよう」(少し手探りをしてクッキーを1枚手に取って割る)
ヴァ「ほう、綺麗に半分に割るね。どちらを僕に渡すかは君が選びたまえ」
ホズ「じゃあこっち。…でも受け取らないで」
ヴァ「え?」
ホズ「顔を貸して。僕が直接君に食べさせる」
ヴァ「え?」
ホズ「だって、別の物と交換される可能性もあるでしょ。ちゃんと、これを食べたって証明するためにも。ほら」(手招きをする)
ヴァ「…き、君は本当に疑り深いな…。目が見えないとそこまで不安になるのか、人間というのは」(渋々席を立ち、ホズの横へ来て顔を寄せる)「…ほら、来たよ」
ホズ「ん」(気配と声を頼りにヴァリの顔に触れ、口の位置を確認すると、既に開けられていたその中へクッキーを差し入れた)「…噛んで。噛んでる音をちゃんと聞かせて」
ヴァ「…」(モシャッモシャッ)(言われた通りに耳元で噛んであげる)
ホズ「…飲み込むまで聞かせてね」
ヴァ「ふん…」(呆れ気味に鼻で息を吐き、わざと勢いよく飲み込んだ)「…ほら、聞こえたかい?」
ホズ「…うん。聞こえた…」(手の中に残った、クッキーの片割れを指で軽く撫でる。感触は軽く、小さなゴツゴツしたものが埋まっている)
ヴァ「聞こえたなら食べるんだ。僕だって好き好んで咀嚼音を聞かせたわけじゃないんだからね」
ホズ「あ、ああ…食べるよ…」(恐る恐る口に入れ、ゆっくりと咀嚼する。バニラ味の生地の中にチョコチップが練り込まれている、ごくごく普通のクッキーだった)
ヴァ「…どうだい?何か余計な物が入っていたり、変な味でもするかな?」
ホズ「…いや…。普通に美味しい。ごめん、疑ったりして…」(俯く)
ヴァ「ふう。…まあいいよ、美味しいと思ってくれて何よりだし、君が疑い深いのは昔からだ。仕方がない」(やれやれと肩を竦めてホズの向かい側に戻る)
ホズ「昔…。ねえ、その『昔』ってなんのことなの」
ヴァ「ああ…だから、夢の向こうの話だよ。君は気にしなくていい」(砂糖漬けコーヒーを一口飲み、もう一つ角砂糖を追加する)
ホズ「…気にするよ。気味が悪いから」(眉を顰め、コーヒーに口をつける。まだ少し熱かった)
ヴァ「…。まあそれもそうか。ふむ…君と仲良くなるには、気味が悪いだなんて思われていない方がいいだろうし…少し話しておくべきなのかな」
ホズ「…話してくれたところで、君と仲良くする気はないけどね」
ヴァ「それは困るな。なぜそんなことを言うんだい?」
ホズ「…なぜって。どうせ君も、お金や兄さんが目当てなんでしょ」
ヴァ「え…?」
ホズ「僕みたいな、視界も性格も暗いやつと、なんの企みもなく仲良くするなんて…はっきり言って正気じゃないし」
ヴァ「ふむ…それなら僕はきっと正気じゃないんだろう。…いや、実際正気じゃないな。なんせ僕には存在しないはずの記憶があって、その中でひたすらに後悔しているんだから。ああ、ホズともっと話してみたかった。ホズをもっと知ってみたかった…ってね」
ホズ「…存在しない記憶…。後悔…」
ヴァ「ああ…。この感覚は君にはわからないだろうし、わからなくてもいいけどね」(コーヒー入り砂糖を飲む)
ホズ「…いや…わかるよ。それ」(ポツリと呟く)「僕にもある。存在しないはずの記憶…。見たことがないはずの兄さんの姿を…なぜか鮮明に覚えてる」
ヴァ「えっ…?」(目を丸くする。危うくカップを落とすところだった)「く、詳しく聞かせてくれるかな。バルドルはどんな姿だった?」
ホズ「…美しかったよ。髪は長く光り輝いていて、瞳も綺麗だった。他の人間の姿は知らないけど…きっと、誰よりも美しい人だよ…兄さんは」(自然と笑みをこぼしながら、とつとつと語る)「…でも、僕は…そんな素敵な兄さんを、守れなかったんだ」
ヴァ「…」(目を細める)
ホズ「…そう。兄さんは誰かに殺されて…。僕は仇を討とうとしたけど、犯人がわからなくて…。結局僕は、何もできないまま…誰かに殺されてしまったんだ」
ヴァ「君を殺したのが誰か、というのは覚えていないのかい?」
ホズ「いや…全然」
ヴァ「…。そう…か…。そうなのか…」(背もたれに身体を預けて天井を仰ぎ見る)「君の中で僕は…すっかり忘れてしまえるほどに小さな存在だったのか」
ホズ「え…?」
ヴァ「…。ホズ。記憶もないのにこんなことを言われても困るだろうけど…僕の気が済まないから言わせてくれ。…君を殺したのは僕だ」
ホズ「…えっ?ど、どういうこと…?」
ヴァ「君がバルドルのことを覚えているように、僕は君のことをよく覚えているんだよ、ホズ。だって記憶の中の僕は、君を殺すためだけに生まれた存在だったから」
ホズ「ぼ…僕を…ころ、す…?」
ヴァ「…ああ。あの時の僕は、君をただの標的としか見ていなかったし、君を殺す瞬間に全てを賭けていた。だから、最も残酷なやり方、タイミングで君を殺したんだ。…そう。君の視力が回復し、最愛の兄と再会したあのタイミングでね」
ホズ「…!」(突然の告白に息を呑む。殺された瞬間の記憶は鮮明にある。突如明るくなった世界の中、目の前に佇む美しい兄に向かって、今度こそ貴方を守ると誓ったその瞬間、鋭い痛みと共に、再び世界が暗闇に閉ざされたのだ。あの時の絶望感を、何故か手に取るように思い出せる)
ヴァ「…あの時の僕は、君をただの標的としか見ていなかった。君にだって意思があり、ちゃんと生きているのだということを失念していたんだ。後でバルドルから君との思い出話を沢山聞いて…僕は…っ」(片肘をつき、頭を抱えて苦しげに深呼吸をする)
ホズ「…」(珍しく思い詰めている様子のヴァリの声に面食らう。ふと、彼に初めて話しかけられた時に言われたことを思い出した)

ーー僕はね、物心ついた頃からずっと君のことを考えていたんだ。
ーー何の役割にも縛られず、君と話してみたかったんだ。

ホズ「…そういうことだったんだ…。僕が、兄さんを守れなかったことを悔やんできたのと同じで…。君は…記憶の中で僕を殺したことを後悔して…」(両手でコーヒーカップを包む。少し冷めたらしく、柔らかな温もりを感じる)
ヴァ「…っ。ああ…そうだよ。こうして同じ人間として再び生を得られたのは、きっと偶然なんかじゃない…。この愛しい世界に、そんなに悔やむならやり直せ、と言われているんだ。…僕はそう、君と友達になるために、こうして生まれてきたんだと思う」
ホズ「…!」(思わず瞼を開き、ヴァリがいるであろう場所を見つめる。普段なら悪質な冗談で済ますような重たい口説き文句が、一気に現実味を帯びて心にのしかかってきた。自分も常日頃から思っているからだ。自分は兄を守るために生まれてきたのだと)
ヴァ「…ただ…記憶がないとはいえ、かつて自分を殺した相手だと知った上で仲良くするのは少々難があるだろう。…僕は変わらず君を追いかけ続けるけど、どう応えようが、それは君の自由だよ、ホズ。許してくれるなら君の懐の深さに感謝するし、許さないというなら、それも罰として受け入れよう」(淡々とした調子で語る)
ホズ「…。ヴァーリくん…。手を貸して」(ヴァリに片手を差し出す)
ヴァ「え…。なぜだい…?」
ホズ「いいから。僕の手を握って」
ヴァ「…」(何度も手汗を拭ってから恐る恐る握る)
ホズ「…やっぱり震えてる。そんなに怖いんだ、僕に許されないかもしれないことが」
ヴァ「っ…。あ、ああ…。まあ…。そう、だね…。でも、いいよ。君が許したくないのなら」
ホズ「…ごめんヴァーリくん。僕にはよくわからない。君を許すとか、許さないとか。でも…」(ヴァリの手を両手で包む。震える彼の手は少し冷たい)
「…君と友達になってもいいかなって、ちょっと思ったよ」(軽く笑んで見せる)
ヴァ「…っ、ホズ…」(目頭が熱くなってきて、思わず顔を逸らす)「ああ…バルドルが言ってた通り、優しいんだね、君は…。君が握っているその手は…君の命を奪った手なんだよ…っ」(声に嗚咽が混じる)
ホズ「はあ…何言ってるの。だってそれは…ほら、夢の向こうの話、なんでしょ?今の君の手は、僕を殺してなんかない。違う?」
ヴァ「…ちが…くない…っ」(ポケットからハンカチを取り出して目に当てる)
ホズ「…ね。だからいいんだよ。…散々疑ってごめんね。悲しかったよね」
ヴァ「うっ…ぐすっ…うぅっ…」(胸がいっぱいで何も言えない)
ホズ「…君でも泣いたりするんだね」
ヴァ「と…当然だ…っ、僕は…僕はもう、人間なんだから…っ」
ホズ「…そっか」(ホズの両手の中で震える手は、元の温度を取り戻してきている。その、自分より少しばかり小さな手の甲を撫でてやると、だんだん震えも落ち着いてきた)
「…(もし僕に弟がいたら…このくらいなのかな、手の大きさは)」(子供じみた嗚咽を聞きながら、ホズはふとそんなことを思うのだった)



ヴァ「ほら、着いたよ。君の家だ」
ホズ「ああ…ありがとう。それじゃ。…クッキーとコーヒー、ご馳走様でした」
ヴァ「うん。全部食べてもらえて嬉しかったよ。…あと、話も聞いてもらえて。…あの時はすまなかったね、年甲斐もなく泣いたりして」
ホズ「ふ…年甲斐もなくって。まだ中3でしょ」
ヴァ「もう中3だよ。人前で泣くのが許されるのは小学生までだ」
ホズ「ふーん。そういうこと言ってるのがまさに中3って感じだね。若いというか、子供っぽいというか」
ヴァ「…。一つしか違わないのに、年上ぶらないでくれたまえ」
ホズ「実際年上なんだからいいでしょ。…さあ、もう帰って。あまり遅くなると良くないから」
ヴァ「ああ…まあ、そうだね。警察に見つかると厄介だし…」
ホズ「うん。…それじゃ」
ヴァ「…あっ、ま、待ちたまえホズ。大事なことを忘れてた」(スマホを取り出す)「連絡先を交換しよう。友達になったんだからいいだろう?」
ホズ「…。友達?誰が?」
ヴァ「え?僕と君が…」
ホズ「…何か勘違いしてるみたいだね。僕は君と友達になった覚えはないよ」
ヴァ「…………へ?」(スマホを落とす)
ホズ「友達になってあげてもいいかなとは言ったけど、なろう、とは言ってないよ。残念だけど」(ヴァリのスマホを拾う)
ヴァ「…?」(脳の処理が追いついてない)
ホズ「君がどうとかじゃなくて…僕には兄さんがいればそれで十分だから。他に友達なんか要らないんだよ。…そういうことだから」(ヴァリの手にスマホを握らせる)
ヴァ「えっ…なっ…ぇ…?」
ホズ「…ふふふ。何、その面白い反応」
ヴァ「…はっ。まさかドッキリかい?ちょっとした冗談のつもりなのかな?」
ホズ「いや。本当に友達になった覚えはないけど…」(自分のスマホを取り出し、ヴァリに差し出す)「…いいよ、連絡先くらいは交換してあげる」
ヴァ「…!ほっ…ホズ!そうか、これは新手のツンデレか!」
ホズ「やっぱりやめようかな」(スマホを引っ込める)
ヴァ「ああ待ちたまえ!わかった、ツンデレじゃない、ツンデレだと思ってないから、連絡先を教えてくれ…!」
ホズ「ふふ…必死すぎ。気持ち悪い。…そんなに僕と友達になりたいんだ」(電話帳アプリを開き、スマホをヴァリに渡す)
ヴァ「そうだよ。友達になって君と色々な話をしたいし、色々な遊びをしたいんだ僕は。…ああ、もちろん、仲良くしてくれるのなら、友達という形には拘らないけどね。例えばそうだな…相棒とか?」(連絡先の交換を済ませてホズにスマホを返す)
ホズ「…何言ってるの。君なんか変な後輩で十分だよ」
ヴァ「へ、変な、後輩…。君という人は…。優しいんだか、手厳しいんだか…」
ホズ「…優しい方でしょ。敬語すら使わない生意気な後輩に、こうして付き合ってあげてるんだから。…じゃあ。身体冷やしそうだし、僕はもう帰るから」
ヴァ「あ、ああ…うん…。僕も…帰るよ…。またねホズ」
ホズ「うん。気をつけて。…またね、ヴァーリくん」(ひらりと手を振り、大きな門扉の向こうへ消えていった)

ヴァ「…。またね…ヴァーリくん…」(門の前に一人残されたヴァリは、ほんの少し惚けた後に、ホズの言葉を反芻し、瞳を輝かせて星空を見上げた)
「ああ…星々よ、聞いたかい?彼は今、僕に向かって『またね』って言ったよ…!僕とまた会おうとしてくれているんだ、あのホズが…!」(嬉しさのあまり、頬が勝手に緩んでしまう)
「ああ、だめだ。これは僕一人ではどうしようもできないやつだ」(そう言ってスマホを操作し、耳に当てて歩きだした)

「…ああ、モイモイ、モージ?聞いてくれ、ホズが…!」

(バレンタインの夜、親友に吉報を伝えるヴァリの弾んだ声が、冷えた空気を少しだけ暖かくするのだった)

おわり
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