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1年生



 ヴァーリは訥々と、彼の記憶の話をしてくれた。彼の声には常に嗚咽が混じっており、途中何度も黙り込んだりしたが、ホズは口を挟むことなく静かに聞いていた。
 彼の話を要約すると、こういうことだった。
 ヴァーリは生まれてすぐにホズを殺しに行ったが、標的には罪の自覚がなかった。大罪人には相応の残酷な罰が必要だと考えていたヴァーリは、彼が自らの罪に気付いて絶望した後に殺そうと決めた。しかし一向に真実に気付かぬまま大戦争が起こった。そんな時にホズは、兄に会いたいと泣いて逃げもしない。敵に殺されてしまう前に、ヴァーリは慌てて彼を殺した。
 こうしてヴァーリの使命は完遂され、本来ならばホズの罪は許されるはずだった。しかしホズを罰するためだけに生まれたヴァーリは、この雑な処刑に消化不良を起こしてしまった。そんな中、ホズとバルドルが蘇るという噂を聞き、彼はひどく喜んだ。最愛の兄とようやく再会できたその瞬間に殺せば、今度こそ大罪人を絶望の底に突き落とすことができる。それこそ大罪人に与えるに相応しい罰であり、これを遂行すれば、自分も悔いなく人生に幕を下ろすことができる、と。
「でも……結局、満足はできなかったけどね。あれだけ美しい最後を飾ったというのに、僕の心には空虚が残った。……当然だ。消化不良だと思ってたそれは、ただの“寂しい”という感情だったんだから」
「寂しい……?」
 唐突に出てきた意外な単語を、ホズは思わず繰り返した。
「ああ……。僕は2つのことが寂しかったんだ。1つは復讐を終えることで、自分の生まれた意味が失われてしまったことが。そしてもう1つは……大事な友達と、会えなくなったことが」
「と……友達……」
 ホズは呆然と呟いた。彼の記憶では、バルドルの死後、ホズは常に独りぼっちだった。街の人々には無視されたし、話し相手なんかいなかった。ましてや友達なんて。
「君が僕を友達と思っていたかどうか知らないけどね。僕らは腐れ縁と呼ぶべき関係だったから。君からしたら、僕なんか邪魔なだけの存在だったかもしれない。……そんな君がたまにくれる、優しい言葉と笑顔が……多分僕は、あの頃から……っ」
 嗚咽が迫り上がってきたらしく、ヴァーリは一旦口を閉じて、深呼吸を挟んでからまた続けた。
「でも、僕は馬鹿でね。復讐の道具が、処すべき大罪人に情を移すわけもないと思って、自分の感情に、正しい名前をつけてやれなかった。間違いに気づいたのは、全てが終わった後だったよ。バルドルが、君との思い出話を通じて教えてくれたんだ。寂しいとか、悲しいとか……悔しいとかいう感情をね」
 ヴァーリは自嘲気味に笑った。
「君とちゃんと向き合わず、優しい君から幸せを奪ったことを、死んで生まれ変わってもなお後悔しているんだ。僕は。……だからこうして再び会えた今、絶対に君から離れたくない。ただの都合のいい避難先でも構わない。僕をどう利用したっていい。だから傍にいさせてくれ、ホズ。僕と友達になってくれ」
 彼の長い告白は、そこで終わりを迎えた。今、この部屋の中には、澄み切った沈黙と、ベッドの上で向かい合って座る2人だけがいる。
 しばらくしてから、ホズがゆっくりと口を開いた。
「僕も、同じなのかもしれない」
「お、同じ……?」
 困惑を宿した声に、ホズは頷いた。
「自分の感情に、正しい名前をつけてやれてないってやつ」
「どういうことだい……?」
「……初めてなんだ。兄さん以外の誰かの声を、あったかいって感じたの」
 ホズはポツンと呟いて、ヴァーリに苦笑いを向けた。
「だから僕、どうしていいかわかんなくて。ただ兄さんの代わりが欲しいだけなのかもって考えて、利用してるとかなんとか、言っちゃったんだけど。……違うのかも。本当は」
 頭と胸の中が、妙に澄み切っている。まるで、ずっと自分に覆い被さっていた大きな蓋でも取れたかのように。さっき兄が手懐けていた“ケルベロス”が、もしかしたら蓋だったのかもしれない。この視界に広がる真っ暗闇のような、アレが。
 相手は何も言わない。沈黙が長引く前に、ホズは再び口を開いた。
「知り合いに、あの不思議な記憶について調べてる人がいるんだけど。その人が言うには、あれって前世の“後悔”が記憶として残ったものなんだって。まあ……そうだろうね、僕も君もそうだから。……ってことは、残らなかった記憶って、悔いがなかったってことだよね」
「え……? あ、ああ……そうなるね……。悔いが残らないほど、僕は君にとってどうでもい存在だったっていうこと……なん、だろう?」
 この話の意図が上手く掴めず、ヴァーリはきょとんとしている。声からそれを悟ったホズは、ほんの小さく笑った。
「僕もそう思ってた。でも多分違うんだ。復讐者の君が標的に情を移しちゃうくらい、僕らが一緒にいたのなら、僕だってきっと、君といるのが楽しかったはずだから」
「へっ……?」
 か細い声が、驚いて跳ねた。
「だって、君とちゃんと話すようになってからまだ日も浅いのに、僕はもう、君をすっかり信用しちゃってるんだよ。兄さんの提案とはいえ、家に泊まりさえするし。本当の父親のこととか、本当は秘密なのに、話しちゃったし」
 ホズは眉を八の字にした。次から次へと喉の奥から言葉が出てきて、止まらなくなってきた。
「正直、君から電話かかってくると嬉しいし、声を聞けば安心するし、どれだけ嫌なことがあっても、君と話してたら自然と笑っちゃうし。君が楽しそうにしてれば僕も楽しいし、君が泣いてると励ましたいって思うし。……多分、前世の僕だって同じだったと思う。僕にとって君が、どうでもいい存在なわけ、ないと思うんだ」
 息を呑む音と、震えの混じった浅い呼吸音がする。ホズはそんな彼に、にっこりと笑いかけた。
「僕に君の記憶がないのは、きっと、君と過ごした時間が、悔いも残らないほど楽しかったからじゃないかな。僕たちは多分、お互い認められなかっただけで、前世の頃からずっと友達だったんだよ」
「っ……⁉︎」
 ヴァーリの肺が、勢いよく吸い込まれた酸素によって乾いた音を立てた。その後何かを言おうとしたようだが、締まった喉からは小さな呻き声が数回出ただけだった。ホズはそんな彼に構わず、続けた。
「……だから、あの。こんなこと言うのはおかしいだろうし、相変わらず自分勝手で嫌な奴だとも思うけど……君が僕に対して後悔を残してくれて、またこうして会えて、良かったなって。今のを聞いて、正直そう思っちゃった」
「なっ……えっ……でっ……?」
 何を言ったのかはわからないが、言いたいことはわかる。ホズはゆっくり首を振って、彼がしたいのであろう質問に答えた。
「言ってるでしょ。僕には記憶がないって。幸せを奪われたなんて、少しも思ってないよ。だから、避難先でも構わないなんて、そんな強がり言わないで。……ごめんね、変なこと言って、不安にさせて」
 ホズは暗闇の中を探ってヴァーリの肩を掴むと、そのまま強く抱き締めた。
「っ……!」
「……ちゃんと素直に認めるよ。僕は君のことが大好きだって。本当はもう友達なんだって」
「ひっ……うぅ……っ!」
 ヴァーリは何か言葉を言う代わりに、ホズの肩に顔を埋めて泣きだした。叫びにも似た声を上げながら。おそらくこの子はまだ、自分の感情に疎いのだろう。ホズからの小さな好意にあれほど喜ぶ彼のことだ、冷たくされれば同じくらい傷ついたのではないか。それに自分でも気づかず、平気そうにしていただけで。
「ごめんね。僕も、昔の君と同じだ。君を、重いこと言ってくる変な子だとしか思おうとしなかった。僕と同じ人間なのにね。一緒にいて、こんなに楽しいのにね。ごめんね。本当にごめんね……っ」
 言葉を1つ吐き出すたびに、少しずつ目頭が熱くなるのを感じる。いけないと思って込み上げてきたものを飲み込むと、肩に乗ったヴァーリの頭が、首を振ろうと小刻みに震えた。「気にしないで」と、そう言いたげに。
 その瞬間、喉の奥へ詰め込んだ熱が急激に上がってきて、さっき枯れたはずの涙が再び溢れて頬を流れた。ホズもヴァーリの肩へ濡れた顔を預けると、何度も何度も謝りながら、その背中を優しく叩いてあげた。ヴァーリの小さな手も同じようにして、ホズの背を叩いてくれた。
 泣き声は次第に小さくなってきて、やがて静かな啜り泣きへと変わった。その頃にはホズも落ち着いて、腕の中の温かさに、ついうとうとし始めていた。薄ぼんやりとした意識の中、不意に、掠れ声がこう言った。
「ホズ。……君は落ち着く匂いがするね」
「え……?」
「……なんか、そうだな……言うなれば僕のような匂いがする。何度も嗅ぎ慣れた匂いだ」
 ホズはきょとんとしたが、すぐにその意味に気づき、小さく笑って肩を揺らした。
「……ふふっ、そりゃ、まあ。君の服だからね、これ」
「ん? ……あっ」
 その、不意打ちでも食らったかのような声に、ホズはますます可笑しくなって一層笑った。揺れる肩の上で、ヴァーリは不満げに、そして少し恥ずかしそうに唸るのだった。
 外では既に小鳥が鳴いていたが、締め切った部屋の中にいる2人には、ただの一声も聞こえてこなかった。



 気がつくとホズは、慣れない感触の中で寝ていた。いつもよりマットレスは固く、毛布は薄く、パジャマの袖は指先にかかるほど長い。枕を抱いて寝る習慣などないのに、腕の中には何か、大きくて温かい物がある。
 ぼんやりした頭へ酸素を送るため、何度か深呼吸をしてみる。薄いラベンダーの香りと、爽やかなミントの香りとが、緩やかに混ざり合いながら鼻腔をくすぐった。
「あ……」
 その匂いで記憶が一気に蘇ってきて、ホズは思わず小さな声を上げた。自分はヴァーリの家に泊まって、彼と一緒に、同じベッドで寝ていたのだ。だとすれば、腕の中のこの温かい物体は。
 そう思った矢先、腕の中から声がして、ホズの心臓が勝手にドキリと音を立てた。
「んん……あれぇ……? なんだ……?」
 やけに芯のない声である。寝起きはいつもこうなのだろうか。
「ここはぁ……? もしかして火星……?」
 かなり寝ぼけている。自分の家だというのに混乱している。ホズはなんだか寝たフリをしたくなって、込み上げてきた笑いを押し殺した。
「んんん……おかしいな……なんだか僕の部屋みたいな……んっ?」
 そう言ってヴァーリは、腕の中で体勢を変えた。そこでようやく彼も自分の状況に気がついたらしく、慌ててホズの腕を掴んだ。
「ん……? え、誰……モージ?」
 もう1度彼が身動きをした。おそらく正体を確かめるためにこちらを向いたのだろう。そんな彼を、ホズは思いっきり嫌そうな顔で迎えた。
「……悪かったね。モージくんじゃなくて」
「うぁわぁっ! ホズ! ほっ、ほほ、ホズぅっ⁉︎」
 余程びっくりしたのか、声が裏返っている。さっきまでのホズなら笑っているところだが、今はそんな気にはなれない。
「もしかしてモージくんといつもこんな感じで寝てるの? 君たちまさか付き合ってるの?」
「ち、ちが、違うよホズ、そんなわけないだろう、彼はあくまで親友で……さっきのはただ最初に浮かんだのがモージだっただけで……」
「ふーーん。最初に浮かんだのがモージくんだったんだ」
 低くそう言いながら、ホズは内心で苦笑した。どうもこの嫉妬心は、一晩で変われるものでもないらしい。彼がいくら親友と仲良くしたところで、自分たちが“友達”であるという事実は揺らがないはずなのだが。
「なっ、なんでそんなに不機嫌そうなんだ君は。僕の辞書を開くとまずはじめにモージがいるっていうだけの話じゃないか。君の辞書がバルドルで始まっているのと同じだよ」
 不服そうなヴァーリのその説明を聞いて、ホズはぴくりと眉を動かした。
「ああ……そう。君って僕が1番好きなんだと思ってたけど、違うんだね。まあそうだよね。僕は“友達”だけど、モージくんは“親友”だもんね」
「僕の中ではその2つの肩書きの間に大した差はないよ。どうしたんだホズ、急にそんな面倒な感じになって。寝ぼけているのかい?」
「急にじゃないよ。……君に気づかれなかっただけで、僕はずっと面倒だよ。君のことを友達だって思い始めた、あの日からずっとね」
 そう言って困ったように笑ってみせると、ずっしりとした温もりから手を離し、ゆっくり起き上がった。
「……今何時なんだろ」
 少し間を置いてから、ヴァーリも起き上がる気配がした。
「えっと……はっ⁉︎ 12時半……⁉︎ も、もうお昼じゃないか! まずいよホズ、昨晩話し込み過ぎてすっかり寝坊だ!」
「……休みだよね、学校」
「あ、ああ、大丈夫。休みだよ。それでもまずいんだ、朝の日課がまだなんだから。今すぐ植物たちに水と歌を与えに行かないと」
 ヴァーリがベッドから降りて身支度を始めたのだろう、ベッドが撓んで、バタバタと何かを開けたり閉めたりする音が聞こえてきた。彼の慌てっぷりに人知れず肝を冷やしていたホズは、なんだそんなことかと安堵の息を漏らした。
「……僕もその歌、一緒に聴いてていい?」
 ホズが声をかけると、慌ただしくしていた彼はぴたりとその動きを止めて、なんとも嬉しそうな声でこう言った。
「もちろんだよ、僕の親愛なる友達さん」
 その調子につられて笑いながら、ホズもこう答えた。
「ありがとう。僕の初めての友達くん」
「……! ああ、僕は君の初めての友達くんだ! フフッ、ほらホズ、洗面所へ案内しよう。お互い身支度を終えてから、植物と友達に贈るモーニングライブを始めるからね」
 よほど嬉しいのだろう、鼻歌まで歌いだしたヴァーリに手を引かれ、ホズもベッドを降りた。起き抜けに彼の歌が聴けるのなら、またここへ泊まりに来るのも悪くない。そして狭いソファで並んで座っておやつを食べて、数え切れないほどの玩具で遊んで、夜には時間も忘れて長話をするのだ。
「……ヴァーリくん」
「ん?」
「また……泊まりに来ていい? 今度は避難とかじゃなくて、君と遊ぶために」
 バルドルがそう言った通り、ヴァーリはすっごく喜んだ。帰ったら兄に報告しなければ。「友達とのお泊まり会、楽しんできたよ」と。


〜了〜
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