添倉秀樹は落ち着かない
部会では結局何も言えなかった。いつも通り、「いいと思います」だけで終わった。やる気のない奴と思われたかもしれない。高橋さんはどんな顔をしていたんだろうか。怖くて前髪を分けることができなかった。
「へえー。変な人だね」
冬子の声がフラッシュバックし、秀樹は思わず足を止めた。読み合わせから何日か経った日の帰り道だった。
あの時、高橋さんは何を考えていたんだろう? 良いことか? 悪いことか? それとも空っぽだったのか? 秀樹は暗くなりかけた誰もいない道を歩きながら、頭を掻いた。もう何日も同じことを考えている。夜もうまく眠れない。
『なあ、ヒデ。もう考えんのはやめようぜ』
いつの間に出てきたのか、シュウが面倒臭そうな顔で僕を覗き込む。
「できるならそうしたいよ」
僕はそれだけ答えて、少し早歩きをした。シュウも歩みを早めて僕の隣に並ぶ。
『簡単だ。諦めちまえばいいんだよ。好かれることをさあ。どんな完璧人間だって、万人に好かれることだけはできないんだぜ』
ぶっきらぼうな声に刺々しい言葉。そこに混じった優しさを知っているのは僕だけだ。母さんも、弟も、夢野先輩も、高橋さんも、みんな、シュウの声を聞いたことがない。僕もない。でも感じる。僕だけが感じている。
「でも怖いよ。嫌われるのにも勇気が要るんだよ」
まるでわがままを言う子供だな。そう思った。
『じゃあ、勇気を出しゃあいいんだよ』
シュウは、わがままな僕を見捨てたりしない。いつだって真剣に話を続けてくれるし、ふざけたい時は一緒にふざけてくれる。小さい頃からずっと。
「そんな簡単に言わないでよ。無理なものは無理だから」
秀樹がそう言って自嘲気味に笑った時、進行方向から自転車がやってきた。ヘッドライトに照らされ、秀樹は小動物のように縮こまる。自転車は鼻歌を連れているらしく、軽快で調子の外れたメロディがはっきりと聞こえてくる。通り過ぎて闇へ消えるまで、鼻歌は聞こえたままだった。
秀樹は縮こまったまま歩き続けた。さっきまで隣にいたらしいシュウは、眩しいライトに飲み込まれてしまった。
もうやめよう。秀樹は心の中で呟いた。あくまで独り言として。
僕は普通にならなきゃいけない。シュウを卒業しなきゃいけない。頭の中がいっぱいになるように、何度も何度も言い聞かせる。
「空のペットボトルを大事そうに抱えて、この子が彼女だって」
思考回路に、ふと春歌の言葉が混じった。秀樹は想像した。普通の人間らしい顔をした男が、ペットボトルと二人で会話をしている様を。まるで二次元の世界のような異様さ。本当に実在するのか怪しいほどの。
もっと知りたい。彼が実在するという証拠が欲しい。気付けば秀樹は、ポケットの中のスマホへと手を伸ばしていた。開いた画面には通知が一件。
「明日の西洋中世史って小テストあるよね? というわけで、どうかこの愚かな夢野に貴方のノートを送ってください! お願いします秀樹様!」
春歌からだった。
「へえー。変な人だね」
冬子の声がフラッシュバックし、秀樹は思わず足を止めた。読み合わせから何日か経った日の帰り道だった。
あの時、高橋さんは何を考えていたんだろう? 良いことか? 悪いことか? それとも空っぽだったのか? 秀樹は暗くなりかけた誰もいない道を歩きながら、頭を掻いた。もう何日も同じことを考えている。夜もうまく眠れない。
『なあ、ヒデ。もう考えんのはやめようぜ』
いつの間に出てきたのか、シュウが面倒臭そうな顔で僕を覗き込む。
「できるならそうしたいよ」
僕はそれだけ答えて、少し早歩きをした。シュウも歩みを早めて僕の隣に並ぶ。
『簡単だ。諦めちまえばいいんだよ。好かれることをさあ。どんな完璧人間だって、万人に好かれることだけはできないんだぜ』
ぶっきらぼうな声に刺々しい言葉。そこに混じった優しさを知っているのは僕だけだ。母さんも、弟も、夢野先輩も、高橋さんも、みんな、シュウの声を聞いたことがない。僕もない。でも感じる。僕だけが感じている。
「でも怖いよ。嫌われるのにも勇気が要るんだよ」
まるでわがままを言う子供だな。そう思った。
『じゃあ、勇気を出しゃあいいんだよ』
シュウは、わがままな僕を見捨てたりしない。いつだって真剣に話を続けてくれるし、ふざけたい時は一緒にふざけてくれる。小さい頃からずっと。
「そんな簡単に言わないでよ。無理なものは無理だから」
秀樹がそう言って自嘲気味に笑った時、進行方向から自転車がやってきた。ヘッドライトに照らされ、秀樹は小動物のように縮こまる。自転車は鼻歌を連れているらしく、軽快で調子の外れたメロディがはっきりと聞こえてくる。通り過ぎて闇へ消えるまで、鼻歌は聞こえたままだった。
秀樹は縮こまったまま歩き続けた。さっきまで隣にいたらしいシュウは、眩しいライトに飲み込まれてしまった。
もうやめよう。秀樹は心の中で呟いた。あくまで独り言として。
僕は普通にならなきゃいけない。シュウを卒業しなきゃいけない。頭の中がいっぱいになるように、何度も何度も言い聞かせる。
「空のペットボトルを大事そうに抱えて、この子が彼女だって」
思考回路に、ふと春歌の言葉が混じった。秀樹は想像した。普通の人間らしい顔をした男が、ペットボトルと二人で会話をしている様を。まるで二次元の世界のような異様さ。本当に実在するのか怪しいほどの。
もっと知りたい。彼が実在するという証拠が欲しい。気付けば秀樹は、ポケットの中のスマホへと手を伸ばしていた。開いた画面には通知が一件。
「明日の西洋中世史って小テストあるよね? というわけで、どうかこの愚かな夢野に貴方のノートを送ってください! お願いします秀樹様!」
春歌からだった。