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添倉秀樹は落ち着かない

「おっ、ひでふゆじゃーん! おっはよー!」
 騒がしい音とともに扉が開き、史学科の二年生、夢野春歌が静寂を破壊しながら現れた。
「おはよう春歌ちゃん」
 返事をした冬子の声は明るいが、それと釣り合わないほどに春歌の声は元気で明るい。秀樹はついていけず、小さく口の中でおはようを言って、挨拶をした気になるのが常である。春歌は後輩の挨拶が聞こえないことを全く気にせず、腕の中に抱えている小冊子の束を、見せびらかすように机に置いた。
「見て見て! じゃーん! 秋季号! 来週は読み合わせでーす!」
「わー! 刷ってきてくれたんだ、ありがとう!」
 冬子が冊子を覗き込んで目を輝かせる。秀樹も首を伸ばして遠くから覗いた。冊子の表紙には、秋の縁側を背にして本を読みふける青年が、ボールペンの細かい線を使って描かれている。春歌の絵だ。夢野先輩は名前と性格と絵のタッチがアベコベだ、と秀樹は思う。自分がまさにそうだったが、もしもこの繊細な絵を先に見ていて、後から本人を知れば、その粗雑で猛進的な性格に驚くことだろう。
「へー。今回の表紙もすごいなあ」
 一冊手に取った冬子が感心したように呟くと、春歌は鼻の穴を膨らませて胸を張った。
「ふふーん。でしょー? この子オリキャラの皐くん。今回出した作品にも出てるよ。あ、ほら秀樹も持ってって」
「あ、は、はい」
 春歌に一冊手渡され、手を滑らせそうになりながら慌てて受け取る。
「あ、もしかしてこの子? 皐くんって」
「そーそー! で、こっちの葉月くんってのがお兄ちゃんね」
「あはは、春歌、本当に兄弟が好きだね」
 二人だけで会話に花を咲かせる先輩たちを尻目に、秀樹は一人で冊子を開いた。目次を指でなぞり、自分の作品が二つとも載っているのを確認する。
『毎回二つは書かなきゃいけないってぇのはキツいよな』
 不意に頭の中で声が響く。秀樹の口を借りずとも、シュウは頭の中に語りかけることができる。こういう設定である。
(仕方ないよ。人が少ないんだから)
 秀樹も心の中で応える。シュウ相手なら、秀樹も声を出さずに会話ができる。そういう設定である。
『あー、全部で四人だっけか。お前と、高橋と、夢野と、あと……あひるんば』
 あひるんばとは、サークル長のペンネームである。滅多に部会に顔を出さずに作品だけで参加してくるため、美しい小説を書く三年生の男だということ以外、本名すらも謎に包まれた人だ。秀樹は一度も会ったことがない。
(どんな人なんだろうね。同じ小説書きなんだし、友達になれたらいいのに)
 秀樹は自嘲気味に口をへし曲げた。
『またその話か。来ないやつに夢見んなって。友達になれたって、お前は結局、孤独を忘れられやしないんだからな』
(……わかってるよ。シュウ。わかってる。僕みたいな変人は一人がお似合いだよね)
 呪文のようにそう唱えながら、秀樹は人知れず奥歯を噛み締めた。先輩二人のお喋りが遠い深海から聞こえてくるようだった。
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