添倉秀樹は落ち着かない
「起承転結」のしっかりしている話は面白い。スムーズな導入、読者を引き込む展開、ストンと落ちる結末。どれか一つでも欠けてしまえば、読者を満足させることは難しい。
私は、無名の小説家である。賞を取ったこともなければ、原稿をどこかに送ったこともない。だが小説を書いている時点で、私は紛れもない小説家である。ゆえに、読者を満足させることは私の使命であると思っている。
綴っている話が面白くないと思えば、二十ページ書いていようが全て消す。欲しい展開とキャラクターが合わなくなれば、キャラクターの性格を変える。性格だけじゃない。面白くなければ存在も消す。そうやって私の小説はできている。
しかし諸君、ちょっとこれを読んでいただきたい。秋号で公開した私の小説「ボンバースキンヘッド」の冒頭にある会話の一部だ。
「ねえマリンヌ、どうして私は死ぬのかしらね。あなたともっともっと一緒にいたいって、身も裂けてしまうほどに願っているのに」
「分からないわキャルロエン。でもきっと、これが運命なのよ」
キャルロエンは病気を患っていて、この会話の三日後に死ぬこととなっている。彼女の親友であるマリンヌは、のちに万能薬の話を聞いて、運命を覆すための旅に出る。否、旅に出したのだ。この私が活字を使って。
病気で死ぬという運命を背負わせたのも私で、親友にその運命を変えろと命じたのも私なのだ。そしてこのような不可思議な矛盾を起こした理由は、ひとえに「面白くしたいから」であるのだ。
まるで神ではないか。それに気づいた途端、私は雷に打たれたような感覚に陥った。私はマリンヌたちにとっての神なのだ。
私はこの新発見に感動し、クリスマスに買った手付かずのワインを開けた。しかし良い気分になってきたところで、一つの疑問が生まれた。キャルロエンの病気は仕方がないとして、もしマリンヌ本人に友を救う気が無かったとしたらどうだろう? 私が旅に出ろと命じなければ、彼女は自らの意志でどのような選択肢を取ったのだろう?
マリンヌの絶対意志、純粋な彼女の意志を、私は見たくなった。
そうして書いたのが、今季号に載せた「おにぎりボール」である。
聡明な読者の諸君は、秋号の「ボンバースキンヘッド」と似ていることに気がついただろう。それもそのはずで、冒頭部分などはそっくりそのままコピーしてある。違うのは、マリンヌの行動だ。今回は万能薬の話を無視して、キャルロエンと海を目指す。最期の思い出を作りに行くのだ。私は彼女の絶対意志を見ようと思ったのである。
しかし私はこうして後書きを書きながら、実に簡単なことに気がついた。前回と違う展開ではあるが、結局書いているのは私で、海に行けと命じているのも私ではないか。彼女の絶対意志とはなんなのだ。
残念だが締め切りのギリギリにこれを書いているため、今更書き直すことはできない。書き直せたとしても、私が物語を綴っている限り、彼女の絶対意志など見られないのではないか。
無邪気に海で遊ぶ二人は、私に操られているとも知らずにエンディングを迎える。それがなんとも憎らしい。
誰か、キャラクターの意志の見方を知っている者がいたら教えてほしい。私はもう疲れたので、七草粥をつまみにワインの残りでも飲むことにする。
私は、無名の小説家である。賞を取ったこともなければ、原稿をどこかに送ったこともない。だが小説を書いている時点で、私は紛れもない小説家である。ゆえに、読者を満足させることは私の使命であると思っている。
綴っている話が面白くないと思えば、二十ページ書いていようが全て消す。欲しい展開とキャラクターが合わなくなれば、キャラクターの性格を変える。性格だけじゃない。面白くなければ存在も消す。そうやって私の小説はできている。
しかし諸君、ちょっとこれを読んでいただきたい。秋号で公開した私の小説「ボンバースキンヘッド」の冒頭にある会話の一部だ。
「ねえマリンヌ、どうして私は死ぬのかしらね。あなたともっともっと一緒にいたいって、身も裂けてしまうほどに願っているのに」
「分からないわキャルロエン。でもきっと、これが運命なのよ」
キャルロエンは病気を患っていて、この会話の三日後に死ぬこととなっている。彼女の親友であるマリンヌは、のちに万能薬の話を聞いて、運命を覆すための旅に出る。否、旅に出したのだ。この私が活字を使って。
病気で死ぬという運命を背負わせたのも私で、親友にその運命を変えろと命じたのも私なのだ。そしてこのような不可思議な矛盾を起こした理由は、ひとえに「面白くしたいから」であるのだ。
まるで神ではないか。それに気づいた途端、私は雷に打たれたような感覚に陥った。私はマリンヌたちにとっての神なのだ。
私はこの新発見に感動し、クリスマスに買った手付かずのワインを開けた。しかし良い気分になってきたところで、一つの疑問が生まれた。キャルロエンの病気は仕方がないとして、もしマリンヌ本人に友を救う気が無かったとしたらどうだろう? 私が旅に出ろと命じなければ、彼女は自らの意志でどのような選択肢を取ったのだろう?
マリンヌの絶対意志、純粋な彼女の意志を、私は見たくなった。
そうして書いたのが、今季号に載せた「おにぎりボール」である。
聡明な読者の諸君は、秋号の「ボンバースキンヘッド」と似ていることに気がついただろう。それもそのはずで、冒頭部分などはそっくりそのままコピーしてある。違うのは、マリンヌの行動だ。今回は万能薬の話を無視して、キャルロエンと海を目指す。最期の思い出を作りに行くのだ。私は彼女の絶対意志を見ようと思ったのである。
しかし私はこうして後書きを書きながら、実に簡単なことに気がついた。前回と違う展開ではあるが、結局書いているのは私で、海に行けと命じているのも私ではないか。彼女の絶対意志とはなんなのだ。
残念だが締め切りのギリギリにこれを書いているため、今更書き直すことはできない。書き直せたとしても、私が物語を綴っている限り、彼女の絶対意志など見られないのではないか。
無邪気に海で遊ぶ二人は、私に操られているとも知らずにエンディングを迎える。それがなんとも憎らしい。
誰か、キャラクターの意志の見方を知っている者がいたら教えてほしい。私はもう疲れたので、七草粥をつまみにワインの残りでも飲むことにする。
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