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添倉秀樹は落ち着かない

 次の日、春歌から呼び出しがあった。
「ごめんね秀樹ー! ペン借りたままだったよー」
 待ち合わせ場所に着くや否や、春歌は両手を差し出して深々とお辞儀をした。手の平の上に乗っているのは、昨日我占を指すのに使われた秀樹のペンだ。
「別に……返さなくてもいいです」
 秀樹はポケットに両手を押し込んで、意地を張った子供のようにそっぽを向いた。
「えっ……ど、どうしたの秀樹。そんなに怒った?」
 表情を見ずとも、ワントーン低くなった声を聞くだけで、春歌の動揺が伝わる。
「いえ。ただ……」
 秀樹は一度口をつぐんでから、意を決したように顔を上げ、春歌の不安げな目を見た。
「我占さんに、言いました。先輩から、彼女の話を聞いたって」
「あっ……」
 春歌は何かを察したのか、指をかぎ爪のように曲げて口元へあてがった。
「そしたら、我占さんは、人の彼女をペットボトルだなんて失礼だって。夢野さんが嘘を言っているんだって、そう言うんです」
 春歌は深く眉を潜めた。
「違う、秀樹。嘘なんかじゃ……」
 秀樹は首を振って、春歌の言葉を遮った。
「いえ。わかってます。最初は我占さんの言う通りだって思ってたんですけど、よく考えたらちょっと、おかしなところがあって」
「おかしなところ?」
 春歌が身を乗り出す。
「……僕は確か、我占さんに、こう言ったんです」
 秀樹は大きく息を吸い込んで吐いた。大丈夫。肺は凍ってない。
「あなたの彼女が人間じゃないっていう話を聞いた、って」
「……人間じゃない……」
「はい。僕、一言も、ペットボトルだなんて言ってないんです。でも我占さんは、なぜか、『彼女がペットボトルだと言われている』ことを知っていたんです」
「ほほう、なるほどね」
 春歌は顎に手を当ててニヤリと笑った。
「ありがちなトリックだ」
「はい。どうしても、それが頭から離れなくって」
「わかるよ秀樹。ある程度目の肥えた読者なら、まず見逃すことはないもんね。フラッシュ版脱出ゲームで例えるなら本棚の横だよね」
「はあ」
 気のない返事をすると、春歌は咳払いをして続けた。
「まあ、現実的には、他にも色々な可能性があるから、本当に嘘をついていると断定することはできないけどね」
「まあ、そうですね……」
「でも秀樹!」
 春歌は一歩足を踏み出した。
「我占はあたしの知る限り大嘘つきだ」
 楽しそうに目を細め、口で機嫌の良い弧を描く。謎解きをしている時の探偵のようだと秀樹は思った。先輩が探偵なら僕は助手か。それも悪くない。なんだか今日なら夢野先輩のノリにもついていけそうな気がする。
「じゃあ、夢野先輩が冗談で嘘を教えたわけじゃないんですね」
「トーゼン」
 そう言って春歌は頼もしく笑ってみせた。秀樹は胸を撫で下ろした。あの刺のような言葉は、嘘を隠すための物だったのだ。「普通」の人間が「変人」を罵っているわけではない。それだけでずいぶんと救われた。
「そうなんですか、それじゃ……」
「あっ! いいこと思いついた!」
 そろそろ話を切り上げようかと思った矢先、春歌が打ち上げ花火のように叫んだ。
「二人でさ、我占の真実を暴かない?」
「え?」
 なんのことかわからず戸惑う秀樹に、春歌は興奮した様子でまくし立てる。
「だからさ、あたしらで、現場をおさえんの! 我占がペットボトルと会話してるとこを!」
「え、ちょ、それはちょっと」
 さすがに倫理に反するのではと慌てて首を振るが、春歌は全く聞いていない。
「来週! 来週の西洋中世史の授業の後、アイツの後をつけてみよう! 秀樹はどうせ暇でしょ?」
「え、えっと、あ、でも、先輩はその時間、授業あるんじゃ」
 昨日、秀樹と誠人を二人だけで残して去って行った春歌の背中を思い出す。
「んー、まあ、へーきへーき! 一回くらいサボったって大丈夫な授業だから!」
 そう言ってまた春歌は頼もしく笑ってみせた。今回は全く安心できない。それでも秀樹の頭では、これ以上の反論の言葉が思いつかず、今日ならこの人のノリについていけそうだと一瞬でも考えた自分を笑うほかなかった。
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