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添倉秀樹は落ち着かない

生餅米大学文芸サークル通称「餅文」では、毎週水曜日に部会が行われる。集合場所はハコと呼ばれるサークル部屋で、時間は部員が集まり次第。活動内容は主に部員の作品の読み合いで、作品がない時は取り留めのないおしゃべりやゲームなんかをしている。
 秋も中頃となったある部会の日、寝ている子供を起こさぬような慎重さで引き戸を開けて、一年生の添倉秀樹が誰より早くハコへとやってきた。本棚に圧迫された狭いハコの中は、閉め切られたカーテンの隙間から漏れる夕陽を溶かして薄暗い。電気のスイッチを入れて、引き戸を隙間なく閉めると、外の喧騒は深い水底へと沈み、無機質な白い静寂が地上を統べる。秀樹は背負っていた大きめのリュックを無造作に床へ捨て、その隣のパイプ椅子に腰を預けると、目の下まで伸びた前髪をかき分け、やっと肺を取り戻したかのように深い呼吸を一つした。
「疲れたよ」
 秀樹は静寂へ声をかけた。
『お疲れさん』
 静寂が言葉を返した。秀樹の声で。
「なんか、うん、生きづらいったらないよね。もう後期になったのに、一人も友達できないし。僕だって、みんなみたいな青春がしたいよ」
 隠れるように呟きながら、暇な手でリュックを開けて、大して探すものもないのに中身を漁り始めた。
『はっ、ヒデにはムリだろ。せめてその、人嫌いをなんとかせにゃあ』
 秀樹は薄っぺらい唇の片端を吊り上げて、いかにも人を憐むような顔をした。かと思うと、今度は少し不機嫌そうに眉を潜めて、「嫌いなんかじゃないよ。怖いだけなんだ」と呟いた。
 リュックの中を漁る手が、読みかけのライトノベルに触れる。表紙の絵に惹かれて買ったのだが、話が妙に難解で、まだ世界観を把握するところから先へは進めていない。秀樹は本を取り出すと、本屋で被せてもらった紙製のカバーをめくり、表紙に描かれた美しい青年を指差した。
「やっぱりほら、似てるよね。シュウ。君にそっくり。最初びっくりしたよ」
 指差された青年は、腰まで伸びた青髪を頭の上で一つに束ね、現代風にアレンジされた和服に身を包み、シンプルなデザインの剣を構えて鋭い眼光で敵を睨み付けている。
『そんなに似てるかぁ? 服装も違うし、何よりオレはもっとカッコいいだろ』
 老眼の人がやるように、本を遠くへ持って目を細め、誰にも聞こえないくらいの小さな声で吐き捨てる。それから今度は鼻の先へ本を持ってきて表紙を見つめ、納得のいかない顔をして「そうかなぁ」と呟く。
 その時、外の廊下からかすかに人の話し声が聞こえてきた。秀樹は飛び起きるようにして本をリュックに押し込み、息を呑んで扉を凝視する。話し声はだんだんと近づいてきて、扉のすりガラスの向こうに色とりどりの影が三、四ほど流れ去っていき、やがてまた元の静寂が戻ってきた。完全に人の気配が消えると、秀樹は止めていた息を大きく吐き出し、重たい頭を両手で抱えてうずくまった。
「何やってるんだろ」
 喉から絞り出した声に返事はなく、やがて静寂に溶けて見えなくなった。
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