夢を抱いてもいいですか
「あはは、急にごめんねー」
ハナの謝罪はいつも、挨拶みたいだと思う。義務的な社交辞令で、中身が無い。空っぽの挨拶には、空っぽの作り笑顔で応じるのが一番だ。私は答える。ううん、大丈夫だよ。
許されたハナの興味は、既にこの後のお喋りの方へ向いていた。近くにあったベンチを指差して、「ここがいいね」と言うと、私の腕を引いて座らせた。隣に自分も腰掛けながら、ハナは早速口を開いた。
「でさ、今日、すごいこと思いついちゃったの。話してもいい?」
すごいことの内容は大方察しがついた。彼女の書いている小説のことだろう。私とハナは小説仲間なのだ。
「もちろん」
引かれた腕を軽くさすりながら、口角を吊り上げて、できるだけ明るい調子で答える。ハナは満足そうに目を輝かせ、津波のように話し始めた。
「前にさ、主人公の友達が殺されるって話したじゃん? でさ、その時の犯人、主人公の師匠とかどうかなーって。胸熱でしょ! 友達を殺した犯人を倒すために、その犯人に弟子入りしちゃうんだよ! 良くない? どうかな? どう思う? トーコ先生!」
タカハシトーコというのが私のペンネーム。本名の冬子を音読みにしただけ。ハナのペンネームは鷹音ハナ。高嶺の花。いかにも彼女が考えそうな名前だ。
私はハナの話に笑顔で相槌を打ち、適当な言葉を返す。
「うん、すごく良いと思う」
ありきたりで大衆ウケしそうな設定で。そんな言葉を喉の奥にしまい込む。笑みは不自然ではないだろうか。唇の角度を気にしつつハナを見ると、彼女はまるで遊園地に来た子供のようにはしゃいでいる。
「だよね! トーコならそう言ってくれると思ってた! でね、その師匠がさー」
私はその話の間、ずっと彼女の目を見ていた。ハナの目は茶色っぽくて、イマドキ美人なパッチリ二重瞼。対する私は、燻んだ黒い瞳に細長い一重瞼。もし狐に生まれていたら美人だったのかもしれないと、鏡を見るたびに今世を呪う。
ハナの瞳はいつも茶色く光り輝いていた。カラコンをしているのだと聞かされたことがある。本当はトーコと同じ黒い瞳なんだよ、と苦笑いしながら言っていた。瞼だって、小さなプラスチックを入れて二重にしているらしい。なんだか良くわからないが、顔に異物を入れてまで、容姿を偽るのはアホらしい。
「でさ、ここで誰が来ると思う?」
茶色い瞳の輝きが更に増し、私の顔を覗き込んできた。一瞬の沈黙で、今彼女が私に意見を求めていることを悟る。
「え、誰だろう? ごめん、全然わかんない」
話の内容など全く耳に入っていなかった。てきるだけ申し訳なさそうな声で謝り、とりあえずターンをハナへと渡す。
「えー? ほら、トーコが前に好きって言ってた、主人公の兄だよ!」
「へー! 嬉しい! いいね!」
言葉の中にはできる限りの感情を詰めた。感情さえ詰まっていれば問題ない。本心など、どうせこの人は欲していない。ただ聞き役が欲しいだけなのだ。自分の頭の中に咲いている最高のストーリーを、全肯定してくれる人形に披露したいだけなのだ。
そう思った時、私は、なぜだかふと自分の靴を見たくなって、ハナから視線を逸らした。高校時代から毎日履いている、ボロボロのスニーカー。真っ白だった表面は薄茶色く汚れて、黒かった紐は白く霞んでいる。
同時にハナの靴が目に入った。傷一つない真っ白なローファー。昨日はピンクのを履いていたが、それも傷一つなく輝いていた。毎日わざわざ、服に合わせて靴を替えているらしい。確かに言われてみれば、今日のローファーは、彼女の白いワンピースを引き立てているような気がする。より一層白く、より一層眩しく。その様は、思わず目を背けたくなるほどに綺麗で、真っ黒なパーカー姿の私など、たちまち洗い流されて消えてしまいそうだった。
ハナの謝罪はいつも、挨拶みたいだと思う。義務的な社交辞令で、中身が無い。空っぽの挨拶には、空っぽの作り笑顔で応じるのが一番だ。私は答える。ううん、大丈夫だよ。
許されたハナの興味は、既にこの後のお喋りの方へ向いていた。近くにあったベンチを指差して、「ここがいいね」と言うと、私の腕を引いて座らせた。隣に自分も腰掛けながら、ハナは早速口を開いた。
「でさ、今日、すごいこと思いついちゃったの。話してもいい?」
すごいことの内容は大方察しがついた。彼女の書いている小説のことだろう。私とハナは小説仲間なのだ。
「もちろん」
引かれた腕を軽くさすりながら、口角を吊り上げて、できるだけ明るい調子で答える。ハナは満足そうに目を輝かせ、津波のように話し始めた。
「前にさ、主人公の友達が殺されるって話したじゃん? でさ、その時の犯人、主人公の師匠とかどうかなーって。胸熱でしょ! 友達を殺した犯人を倒すために、その犯人に弟子入りしちゃうんだよ! 良くない? どうかな? どう思う? トーコ先生!」
タカハシトーコというのが私のペンネーム。本名の冬子を音読みにしただけ。ハナのペンネームは鷹音ハナ。高嶺の花。いかにも彼女が考えそうな名前だ。
私はハナの話に笑顔で相槌を打ち、適当な言葉を返す。
「うん、すごく良いと思う」
ありきたりで大衆ウケしそうな設定で。そんな言葉を喉の奥にしまい込む。笑みは不自然ではないだろうか。唇の角度を気にしつつハナを見ると、彼女はまるで遊園地に来た子供のようにはしゃいでいる。
「だよね! トーコならそう言ってくれると思ってた! でね、その師匠がさー」
私はその話の間、ずっと彼女の目を見ていた。ハナの目は茶色っぽくて、イマドキ美人なパッチリ二重瞼。対する私は、燻んだ黒い瞳に細長い一重瞼。もし狐に生まれていたら美人だったのかもしれないと、鏡を見るたびに今世を呪う。
ハナの瞳はいつも茶色く光り輝いていた。カラコンをしているのだと聞かされたことがある。本当はトーコと同じ黒い瞳なんだよ、と苦笑いしながら言っていた。瞼だって、小さなプラスチックを入れて二重にしているらしい。なんだか良くわからないが、顔に異物を入れてまで、容姿を偽るのはアホらしい。
「でさ、ここで誰が来ると思う?」
茶色い瞳の輝きが更に増し、私の顔を覗き込んできた。一瞬の沈黙で、今彼女が私に意見を求めていることを悟る。
「え、誰だろう? ごめん、全然わかんない」
話の内容など全く耳に入っていなかった。てきるだけ申し訳なさそうな声で謝り、とりあえずターンをハナへと渡す。
「えー? ほら、トーコが前に好きって言ってた、主人公の兄だよ!」
「へー! 嬉しい! いいね!」
言葉の中にはできる限りの感情を詰めた。感情さえ詰まっていれば問題ない。本心など、どうせこの人は欲していない。ただ聞き役が欲しいだけなのだ。自分の頭の中に咲いている最高のストーリーを、全肯定してくれる人形に披露したいだけなのだ。
そう思った時、私は、なぜだかふと自分の靴を見たくなって、ハナから視線を逸らした。高校時代から毎日履いている、ボロボロのスニーカー。真っ白だった表面は薄茶色く汚れて、黒かった紐は白く霞んでいる。
同時にハナの靴が目に入った。傷一つない真っ白なローファー。昨日はピンクのを履いていたが、それも傷一つなく輝いていた。毎日わざわざ、服に合わせて靴を替えているらしい。確かに言われてみれば、今日のローファーは、彼女の白いワンピースを引き立てているような気がする。より一層白く、より一層眩しく。その様は、思わず目を背けたくなるほどに綺麗で、真っ黒なパーカー姿の私など、たちまち洗い流されて消えてしまいそうだった。