このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

夢を抱いてもいいですか

 なぜあの時、幼い私は、父の言葉を肯定してしまったのだろう。精神が弱い子だからだろうか。それとも、これは私の捏造した記憶だろうか。父は時に残酷なことを言う人だが、まさか小さい我が子にあんなことを言うとも思えない。常識的に考えたらおかしい話だ。子供の夢を折るなんて。
 大学の、誰もいない静かな教室で考える。落とした視線の先には、半分ほど文章で埋まったルーズリーフ。前の授業中、何か一本小説を書こうとして、先の展開が思い浮かばず挫折したやつだ。私には続ける気力というものがない。
 灰色の煙で満たされた後も、私は小説家になることを望んだ。ちゃんと書き始めたのは中学生になってから。ノートに書くのは三流のやることだと、わざわざ小さな文房具屋さんに足を運んで、原稿用紙を大量に買った。学校に原稿用紙を持ち込んで、休み時間になる度に汚い字で物語を綴った。内容は、自分の孤独について。自分は世界に見放されている。なんと嘆かわしいことか。そんな内容の物語。今思うと馬鹿げた話だが、当時は真剣だった。未来の自分自身に厨二病と診断されるとは知らず、ただただ言葉をぶつけるのが楽しくて、思いの丈をひたすら書いた。クラスの人に珍しがられて、高橋さんはすごいねって褒められた。
 高校生になっても、私は小説を書き続けた。物語を作るのは楽しいし、文字に起こすのは気分が良い。部活は迷わず文芸部を選んだ。小説を書く部活だと聞いたから。部には私と同じような人がたくさんいた。私より文章が上手い人、私より物語が面白い人、私より素敵な作品を生み出す人と、部活を通して知り合った。お互いの作品を読み合う会で、私の作品はいつも「読みやすいけど、なんか記憶に残らない」と評された。
 私はいつも言い訳を考えた。締め切り前日に書いたから。苦手なテーマだったから。そう自分に言い聞かせて、それでいて悔しくて、周りを超える作品を書こうと勢いづいた。作品を重ねる度に、文章力は上がっていった。結果、卒業前の最後の読み合いで「いつも通り、読みやすいですね」と評された。後輩には顔すら覚えてもらえぬまま、私は部室を後にした。
 今私は、大学の文芸サークルに所属している。夢を叶えるために必要だと思ったからだ。先輩も同級生も後輩も、みんな面白い小説を書く。中には賞まで持っている人もいる。小説家になるには、まずは賞を取った方がいいらしい。私は「小説 賞 取り方」と検索だけして、まだいいかと後へ回した。
 今、将来の夢は何かと聞かれたら、私は苦笑いをするだろう。そして「まあ一応、小説家です」と恥ずかしそうに言うだろう。咳を我慢する時みたいに、喉をしめて、小さな声で。
「うっわ、人いなっ!」
「休講イェーイ!」
「いやいや、休講とか誰も言ってないし」
 不意に響いた騒音に顔をあげる。誰もいなかった教室に、数人の学生たちが入ってきたらしい。おそらく次の講義の生徒たちだろう。私は慌てて荷物をまとめ、ルーズリーフをグチャグチャにカバンに押し込んで、まるで人目を忍ぶように、こそこそと教室を後にした。
2/6ページ
スキ