Vampire syndrome
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「元の世界への帰り方が分かりましたよ。一週間後の日曜の夜に寮へお伺いしますので、お別れの挨拶を済ませておいて下さいね」
ある日突然、何の前触れもなくクロウリーからそう告げられて驚いたものの、漸く帰れる事に喜びを噛み締めていたユウ。
側で話を聞いていたグリムは「良かったな」と言ってくれたが、その大きな耳はぺしょりと寝ていた。
次から次へと様々な事が立て続けに起こり、その面々とも交流を深めてきた訳で、別れを告げなければいけない時期に直面したともなれば、寂しさが胸を埋める。
残された時間を大切に過ごさなければと身を引き締めた翌日の朝、いつものHRには担任ではなくクロウリーがやって来た。
ざわつく教室内で咳払いを一つし、クロウリーはクルーウェル不在の理由を明かす。
「突然ですがクルーウェル先生は療養の為、暫くお休みします。一週間後の検査結果が良好であれば復帰予定ですが…長引いてしまう可能性もあります。いいですか皆さん、呉々も問題を起こさないようにして下さいね。復帰したクルーウェル先生から大目玉をくらいたくはないでしょう?」
では良い一日を…と残して去った直後、ユウの両隣にいたエースとデュースは他のクラスメイトと同じく療養の原因に食い付いた。
「クル先、何の病気だと思う?」
「検査結果によって復帰って事は、風邪とかじゃなさそうだな」
「療養って言ってたけど、怪我なら事故に遭ったとか言うじゃん?」
「どちらにせよ心配だな…早く良くなるといいけど」
二人の会話を耳に、ユウは膝の上に乗せていたグリムを抱く手に力を込めた。
「あの…この世界ってちょっと変わった病気とかあるの?」
「あー…まぁ色んな種族がいる訳だし、あるんじゃね?」
「そうだな、監督生がまだ知らない病気や症状は多いと思う」
説明には誰が適任かと首を傾げた二人は、魔法医術士を母に持つ厳格な寮長を同時に思い浮かべた。
その提案に礼を述べたユウは昼休みに話を聞きに行ってくる旨を告げ、大事な話がある事も付け加える。
*****
クルーウェルが休んでいる経緯の噂話は二、三日も経つとすっかり落ち着いた。
その間、ユウは複雑な心境でいたが、直に訪れる別れの時を思い、親しくなった者達への挨拶を着々と済ませていく。
驚きを露わにした者、厄介払い出来ると安堵を浮かべた者、寂しげな表情を浮かべた者、祝福を口にした者、別れを惜しむ者…
反応はその個性の通り十人十色。
これで最後と魔法史の授業を終え、トレインに深々と頭を下げてお礼の言葉を残し、放課後はバルガスの元を訪れた。
そして購買で買物をし、サムにも事の次第を伝えるとオマケに可愛らしい絆創膏を貰う。
「この後はどうするんだい?」
「土日は入れ替わりでお泊り会です!でもその前に…クルーウェル先生の所へお見舞いに行きたくて」
「…OK.じゃあこれを持って行くと良い。それからスペアキーも貸しておこう。教員用の寮へ行けるよ」
部屋は101ね♪と付け足し、サムはいつもの笑顔を浮かべ片手を振った。
ずしりと重い紙袋と、クリアカラーの魔法石がついたアンティーク調の鍵を受け取り、ユウはお世話になりましたと改めて頭を下げる。
薄暗くなった空の下、飲み物や軽食の詰まった紙袋と預かった荷物を抱え直し、ユウは鏡舎へと足を急かした。
新緑の香りを孕んだ風に頬を撫でられ、もうすぐ訪れる夏に過ぎた一年を回顧する。
当初、冷たく厳しそうな外見の担任には身を竦ませたものだが、内面は生徒思いのとても優しい教師だった。
分からない事だらけの異邦人であるのに、懇切丁寧に、そして終始紳士的に接してくれていたお陰で、赤点三昧だろうと絶望した未来は免れた。
細やかな気遣いに甘え続け、魔法も使えない異性がこの学園で無事に一年を過ごせたのは間違いなくクルーウェルの存在があったからこそ。
それなのに最後に挨拶もせずいなくなるだなんて、恩を仇で返すような真似は出来ない。
そして一つ、どうしても気掛かりな事があった。
「えっと…101は…」
鏡舎の鏡に恐る恐る足を突っ込んで潜ると、拝借した魔法石付きの鍵のお陰で教員用のアパートへと移動する事が出来た。
そして教えられた部屋を訪れるべく、端の方へ足を向ける。
一階の一番端、目的の扉の前に辿り着くと大きく息を吸い込み、緊張で汗ばんだ手を伸ばしインターホンを鳴らした。
体調が悪いのに突然押しかけるような真似をしてしまい、気後れから心臓の鼓動は速まる。
しかし静寂ばかりが続き、やはり迷惑だったかと躊躇った後にもう一度だけとボタンを押した。
すると鍵の開く音が響き、ユウは荷物を抱え込む腕に力を込め背筋を伸ばす。
僅かに開けられた扉の隙間には、じゃらりとチェーンが揺れた。
「悪いが日を改めてくれ」
「あの、突然来てしまってすみません…」
「仔犬か?どうした」
隙間からはか細い声しか窺えず、ユウは覗き込むように身を傾ける。
「えっと、その…実は学園長から元の世界に戻れるって話を聞いて…先生には沢山お世話になったので、やっぱり顔を合わせてご挨拶したくて…」
「そうか…良かったな。見送ってやれずすまない」
「いえ、そんな…」
「向こうでも元気にやれよ」
扉一枚を隔て、聞こえてくる声色はいつもの通り優しかったが、消え入りそうな弱々しさを感じて一歩距離を詰める。
「お体の具合が悪いのに我儘を言ってすみません…少しだけ、お顔を見せて頂けませんか?」
最後だから…と鼻を啜った後、僅かに沈黙が流れた。
そして仕方がないと言わんばかりの長い吐息が漏れ、申し訳なさに俯くとチェーンが外される。
「先生…」
「Stay.それ以上近付くな」
扉に手を掛けた直後、クルーウェルは一歩後退り釘を刺した。
リドルから聞いた幾つかの病名が頭を過ぎり、ユウもまた足を止める。
室内は外よりも真っ暗で、暗闇に慣れ始めた目はぼんやりと浮かび上がるクルーウェルの姿を捉え始めた。
セットされていないツートンカラーの髪は頬にかかり、その青白い肌は目を奪われる程の妖艶さを持ち合わせている。
貴重なプライベートのオフショットにユウの心音は跳ね上がったが、久し振りに会えた喜びの方が上回った。
「あ、これ…購買で買って来たんですけど、良かったら召し上がって下さい。こっちはサムさんからです」
「気を遣わせたな」
「いえ…この一年、とってもお世話になりました。先生が担任で良かったです!ありがとうございました」
深く頭を垂れたすぐ後、くしゃりと髪を撫で付けられて視界が滲んだ。
こうして褒められたくて、がむしゃらに頑張ってきた日々が鮮明に蘇る。
「先生…」
ゆっくりと顔を上げた先には、穏やかに笑みを湛えるクルーウェルの顔。
そしてさらりと流れた髪から覗く絆創膏に、ハッと息を呑んだ。
乱れる鼓動はいやに体内に響き渡り、背筋には汗が滲む。
「それ…やっぱり…」
「気にするな。ほら、もう寮へ帰れ。グリムが待っているんだろう?」
「でもっ…」
「頼む」
目を伏せ、顔を背けるようにして帰りを促すが、ユウは一歩踏み込んで首を横に振り拒んだ。
「だってそれ、私の所為で—」
「違う、無関係だ。いいから大人しく帰ってくれ」
「リドル先輩から聞きました。完治しないって…」
「それがどうした。お前がそうならなくて良かったと、俺は心底そう思ってる」
「っ…どうして…」
ぼろぼろと溢れる涙に、クルーウェルは苦しげに顔を歪めた。
拭っても零れ続ける涙に嗚咽を漏らし、何度も目を擦っていると手首を掴まれ阻まれる。
その手は氷のように冷たく、血の気を感じさせないものだった。
「お前には笑っていてほしい。そう願う事は罪か?」
「でも…でもそれじゃー」
「お前も調べたなら分かるだろう。薬はある。だがこうして抑えていられるのも時間の問題だ」
「先生…」
「俺を“良い担任”のままでいさせてくれ」
頼む…と再び紡ぎ、ユウの手首を離した白く冷たい指先が目尻をなぞった。
濡れた指先が離れ、辛そうに笑うクルーウェルに胸が締め付けられる。
疑念は確信へと変わってしまった。
事の発端は少し長引いてしまった補習の帰りに、クルーウェルが寮まで送り届けてくれた先週の金曜の夜まで遡る。
労りの言葉と礼を交え、玄関先で別れを告げようとした直後、一羽の蝙蝠に襲われかけた。
それが未然に防がれたのは、クルーウェルが庇ってくれたから。
牙が掠めたのか、頬に出来た細い傷跡を心配するも、問題ないと片を付けられてしまう。
その翌日にふらりと現れたクロウリーから元の世界へ帰れると告げられ、意識はすっかりそちらへ流れてしまっていたのだが…
休み明けに教壇に立ったのはクルーウェルではなかった。
あの夜、一羽の蝙蝠が齎したのは吸血衝動を発症させる恐ろしい感染病。
抗生物質の効く細菌とは異なり、ウイルスには一切無効である為、一度体内に取り込まれてしまっては完治は不可。
クルーウェルが口にした“薬”は、血を求め攻撃的になる衝動を一時的に抑える為のものであって、決して特効薬などではない。
吸血病を患ってしまった者は死ぬまで危険人物として監視され続け、一度問題を起こせば政府公認の機関から然るべき裁きを受ける。
危惧される問題といえば専ら血を求めた末の傷害ないし殺人事件であり、法を犯せば一切の情状酌量は求められず、専門家によって手を下されると知ってしまっては、このまま踵を返す訳にはいかなかった。
全てが繋がってしまった今、竦んだ足はまるで言う事を聞かない。
「先生、私…」
震えた声に、指先を舐める赤い舌が艶かしく動く。
途端、シルバーグレーの目が鋭くユウを射抜き、張り詰めた空気に白い喉が鳴った。
「早く行け」
「出来ません…だって—」
「やっと帰れるんだぞ。お前自身がずっと願っていた事だろう」
「それでも…私は…」
「迷うな。これを逃したら二度目はない」
「…でも…」
どさりと抱えていた荷物を手放し、クルーウェルはユウの腕を掴むと手荒に壁へと縫い付ける。
突然のその衝撃に固く目を瞑ったが、恐る恐る瞼を上げると恐ろしく整った顔がすぐそこに迫った。
強張る体から手を離し、クルーウェルは何かを堪えるように肩で大きく息をしながら壁に爪を立てる。
「これで最後だ。行け」
低く唸る声に怯えた顔をしたユウは、それでもふるふると首を横に振った。
恐怖で動けないのではない。
後ろめたさに囚われた訳でもない。
何冊も読み漁った記述に残された最後の手段をとる責務が、そうさせていた。
「早く俺を突き飛ばして行ってくれ…頼むから…!」
「………」
「ユウっ…」
絞り出された懇願の声に抗い、ユウはゆっくりと冷たい頬を両手で包んだ。
見開かれたシルバーグレーの目をじっと見つめ、壁に深い傷が刻まれる音に鼓膜を震わせる。
生唾を呑んで上下した喉仏に、直にそこを通る自分の血を思って息を潜めた。
「駄目だ…このままじゃ俺は…お前をー…」
薄く開いた形の良い口からは荒い息が漏れ、筋の通った鼻が触れそうな距離に狭まったクルーウェルの秀麗な顔に心臓は痛い程に脈動する。
そして妖しげな光が瞳に灯り、癖のない髪が頬を撫でた次の瞬間、首元に走った激痛に意識を手放した。