Vampire syndrome
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就業時間を回っても未だ終わらぬクロウリーの小言タイムに、早々に飽きたクルーウェルは机の下で携帯画面に指を滑らせていた。
今日は何処で飲もうかと、酒に食事、そして店の雰囲気を服のように選び出してはや十数分。
ここじゃない、あそこも少し違うと指は行ったり来たりを繰り返し、これはだらだら宅飲みするパターンかと思い始めた矢先、「はい、じゃぁ今日もお疲れ様でした」と漸く締めの一言が発せられた。
全業務の中で地味に一番疲れる一仕事を終えた教師陣は、漸く解放されたと席を立ちわらわらと職員室を後にし始める。
その流れに乗ろうとした時、少しばかりトーンの高いテノールがクルーウェルを呼び止めた。
嫌な予感に苛まれ、ゆっくり振り返ったその顔を見るなりクロウリーはいやですねぇと苦笑する。
「そんな顔しないで下さいよ。傷ついちゃうじゃないですか」
「その話、明日じゃ駄目ですか?」
「おや、随分お疲れのご様子で…あ!そんなクルーウェル先生に朗報です!」
「だから今しなきゃいけない話ですか、それ」
「まぁまぁ、このお店なんですけどね」
有無を言わさず取り出した携帯画面を見せてくる上司に、勤勉な部下は嫌そうな顔をしながらもそれに付き合う。
そうでもしなければ最後の施錠も任され兼ねないと踏んだ苦渋の決断でもあった。
「ちょっと気になるお店があるんですけど、忙しくて中々行けないんですよねぇ…」
「はぁ…」
「だから代わりに行ってみてもらえません?」
「イヤー」
「私のツケにして構いませんので」
「仕方ありませんね」
「え、でも今イヤって」
「俺が学園長の頼みを断る筈ないじゃないですか。で、場所は?」
一拍置き、何か言いたそうな顔をしながらもクロウリーは店のURLを送り、更に名刺も手渡した。
「オーナーと知り合いなので、お店の方に渡してもらえれば話は通る筈です」
「…何か企んでません?」
「何を根拠にそんな事を⁉︎こっちは膨大な量の仕事を抱えて息も絶え絶えだというのに!こんな優しい上司を疑うだなんて悲し過ぎて仕事が手につきません!」
「じゃあ気が向いたら行きますね」
「あぁ、そこのオーナーは気分屋なので…明日も同じ場所に店を構えているか分かりませんよ」
「だったら尚更、自分でー」
「そろそろ施錠の時間ですね」
「お先に失礼します」
気付けば職員室内は二人だけとなっていた。
これ以上面倒事を押し付けられては困ると、クルーウェルは早々に踵を返す。
が、そうそうと口を開いたクロウリーに顔を顰めた。
「明日にして下さい」
「ユウ君の元いた世界へ帰れる方法が漸く見つかったんですが…ではこの話はまた明日にしましょうか」
「は?」
ひっくり返った声に背を向け、クロウリーは施錠をしなければと踵を鳴らす。
「いや、ちょ…どう考えても本題こっちでしょう⁉︎」
呆気に取られ立ち尽くしてしまったが、慌てて職員室を出て行ったクロウリーを追う。
しかし廊下には人影はおろか物音一つしない暗闇が広がるだけだった。
*****
釈然としないまま学園を後にしたクルーウェルは、散々迷った末に例の店へと足を向けた。
飲み屋が軒を連ねる場所から少し奥まった道を行き、ひっそりと佇むその店を仰ぎ見る。
真新しい訳ではないが、年季が入っているとも言い難いヴィンテージ風のバーは、別段これといって変わっているようには見えない。
あのクロウリーが関わっているというだけで穿った目を持つのは良くないと緩く首を振るなり、アンティークゴールドのドアノブへ手を伸ばした。
平日の夜にも関わらず店内は半分ほど席が埋まっており、正面から少し外れた箇所に置かれた姿見の鏡に目を留める。
バーに鏡とは珍しいと思いつつ、シルバーグレーの瞳は店内をざっと見渡した。
深いボルドーのベロア調のソファ席に、カウンターに並ぶ足の長い黒い椅子…
何処に陣取ろうかと改めて視線を彷徨わせた間際、酒を作っていた初老のバーテンダーと目が合う。
よければどうぞ、と促され座ったのはカウンター席だった。
軽く雑談でもして酒を飲みつつクロウリーの事を聞き出してみるかと思案し、ポケットから煙草を取り出す。
ずらりと壁に並んだ酒の瓶を見ているだけで楽しく、奥の方に置かれたピアノを目に悪友を誘えば良かったと笑みを含んだ。
「何にしましょう?」
「黒ビールを」
毛足の長いファーコートを脱ぐと、バーテンダーはポールハンガーを呼び寄せる。
被っている客の帽子を軽く持ち上げる素振りを見せ、黒い細身のポールハンガーは恭しくクルーウェルの手からコートを預かった。
丸みを帯びた脚で隅まで歩いて戻る姿に頬を緩めたすぐ後、黒ビールとナッツが置かれた。
どうもと軽く例を述べ、何処から切り出そうか考えあぐねた矢先にソファ席から酔っ払った声が届く。
「オリヴァー、今日もあの子は来ないのかい?」
「きっと気紛れにやって来るだろうさ」
「じゃあ来たら連絡くれよ」
「足を運ぶ間に帰るだろうな」
「それなら毎日ここへ来なきゃなんねぇじゃないか」
「毎度」
仲間とゲラゲラ笑う陽気な姿を軽く笑い、冷えたビールを喉に通す。
喉を下る炭酸と芳醇な香りに、乾いた喉と疲労にまみれた体を大いに潤し労った。
あっという間に空になったグラスにおかわりを頼み、動き出した胃が空腹を訴え始め、つまみのメニューへと目がいく。
気になったものを幾つか頼んだ後、二つほど離れた席で飲んでいる男二人の会話が耳に入ってきた。
「でも今日で丸一週間だぞ」
「連絡はとれないし、家に帰ってる様子もない…事故にでも遭ったんじゃないか?」
「それなら警察からうちの会社に連絡が来るだろう。それも音沙汰なしだ」
「じゃあ例の噂に巻き込まれたのかも」
「よせよ、そんな都市伝説。本当にいるなら俺もお目にかかりたいね」
「美女にお持ち帰りされるんなら本望だよな。会社行きたくなるのも分かるし、好きなだけヤれるっていうなら死んでもいいわ」
「バーカ」
男の精神年齢は十代と変わらんなと苦笑して煙草を咥え、取り出したオイルライターの蓋を鳴らす。
吸い込んだ息に先端が赤く燃え上がり、紫煙を燻らせ後ろを振り返るようにして再度店内の様子を伺った間際、開かれた扉の音に鏡を通して来客を窺った。
煙草を咥え、オイルライターの腹に埋められた魔法石をなぞり、もう一度蓋を鳴らす。
そしてカウンターに向き直りグラスに口を付けると、ゆっくりとしたヒールの音が木霊した。
緩やかに畝るプラチナブロンドの髪に白い肌に映える真っ赤なリップ、黒いスリットワンピースから覗く細い足にリップと同じ色のピンヒール。
目を奪うその容姿に心まで奪われた客達は呆然とその女に魅入っては言葉を失った。
「こんばんは」
涼やかな声で笑顔を振り撒き、ピンヒールは一直線にカウンターへと向かう。
「お隣り、良いかしら?」
「勿論」
灰皿へ先端の灰を落とし、クルーウェルは美女と視線を絡めた。
「私も同じものを」
新たに運ばれた黒ビールを真っ赤なネイルが指差し、オリヴァーと呼ばれたバーテンダーは軽く頭を下げグラスを手に取る。
隣に座った女は足を組みスリットから太腿を晒すなり、前屈みになってシルバーグレーの瞳をじっと見つめた。
「カミラよ、宜しく」
「サム・バルガスだ」
最後の一吸いをし、煙草を灰皿へ押し付けたクルーウェルは運ばれてきたビールにグラスを掲げる。
「この街の人?」
「いや、普段は輝石の国でデザイナーをしている。今日は仕事の打ち合わせでたまたま」
「そう、素敵なお仕事ね。私達を出会わせてくれたんだもの」
軽く重ねたグラスに揃って口を付け、芳醇な香りのアルコールに吐息を漏らす。
それから一つ二つと軽く談笑をする間、鈴を転がすようなカミラの笑い声に他の客達はこぞって耳を欹てた。
「ねぇ、飲み直さない?」
三杯目のグラスを互いに空にした所で、カミラはそう切り出して扉を指差す。
画面を伏せて置いていた携帯を手にし時間を気にかけつつ、クルーウェルはそのお誘いに承諾をした。
財布から取り出したマドルの下にクロウリーの名刺を忍ばせ、釣りはチップにと会計を済ませたクルーウェルへ、ポールハンガーが恭しくファーコートを広げる。
カミラはその腕をとり体を密着させると、満面の笑みを浮かべてヒールを鳴らした。