Short dream
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生まれて初めて目を奪われ、心も奪われ、そして恋をした。
溺れてしまった身はどうやら重症らしく、その姿を見るだけで顔が火照り心音が酷く乱れる。
日常会話もままならず口籠もってしまう様は我ながら酷く滑稽だ。
そして愛しい飼主の言い付け通りにレポート作成をする中で、たまたま手にした向日葵を、その花が持つ意味を言葉の代わりに贈ったのが事の発端。
しかし翌日、白山千鳥という花を贈り返され、絶望に打ち拉がれる。
『一目惚れ』に対し『間違い』だと一刀両断されてしまったのだ。
悲しくない訳がない。
それでもただ黙って涙を流すより、自分の一目惚れを間違いだなんて切り捨てられたくなくて、改めて花と想いを贈る事にした。
勿論、提出物のレポートも忘れずに。
今回選んだ花は紫のライラック。
対し、クルーウェルから贈られたのは白い薔薇の蕾。
薔薇という事は…!と期待しながら植物図鑑を捲り、沢山連なった花言葉の意味を目に肩を落とす。
『初恋』は『恋をするには若過ぎる』とあしらわれてしまった。
*****
夏の青空に映える白粉花科のブーゲンビリアは、鮮やかな赤色を選んだ。
花に見えるのは葉の一部で苞(ほう)と呼ばれており、その中心に咲いている小さな部分が本当の花らしい。
この日も準備室にクルーウェルの姿はなく、少しばかり安堵しながらレポートと花を置いて帰る。
そして翌朝を待ち侘びて、高鳴る胸の上に手を組んで瞼を閉じた。
そして迎えた朝、逸る気持ちに足を急かして階段を降り、そっと扉を開いて外側のドアノブを覗き込む。
そこには金具の取手が引っ掛けられたガラスの花差しと、一輪の花が微かに揺れていた。
見た事のない不思議な花だった。
緑の葉は中央部分が赤紫色をしており、その三枚の間からはすっと伸びた穂状の小さな花は愛らしい紫色…
名前はコリウスというらしい。
『あなたしか見えない』と贈った花言葉の返答は『叶わぬ恋』だった。
*****
いつも通りHRで毎朝顔を合わせ、授業で簡単な受け答えをし、放課後はレポートに明け暮れ提出をする。
その間、互いに花については口にしない。
このやり取りを知っているのは、世界で二人だけ。
一度のみならず立て続けにあしらわれ続けているが、その秘密裏な花便りはずっと続いていた。
筒状のふっくらとした花が群がるように咲く赤紫の花、ペンステモン『あなたに見惚れる』には黄色のチューリップ『望みのない恋』が返された。
均整のとれたピンク色の可愛らしい花梨『唯一の恋』には、菊のような細く長い花弁を幾重にもつけたピンク色のアスター『甘い夢』と返される。
どうせ見るなら貴方が良いとサギソウ『夢でもあなたを思う』を贈れば、矢車菊『教育』と学業に釘を刺された。
焦れてリナリア『この恋に気付いて』と駄々を捏ねれば、ラッパ水仙『報われぬ恋』とぴしゃり。
そんな邪険な扱いにも屈せずナズナ『あなたに全てを捧げます』を贈ったが、ジンジャー『無駄な事』と冷たく掃き捨てられた際は流石に落ち込んだ。
*****
食事もあまり喉を通らず、無気力な日々を過ごし、それでも諦めきれずに図鑑を捲る。
さぞ鬱陶しがられている事だろうと短く息を吐き、実際に咎めたり顔に出さない理由をあてもなく探った。
少しばかり日数を空けて、トリトマ『あなたを思うと胸が痛む』を贈る。
無視されるかと思いきや、捩花『思慕』が贈り返され、沈んでいた心が弾んだ。
確かに慕ってはいるけれど…と言葉遊びにワレモコウ『愛慕』を贈り、カモミール『親交』と返される。
同じ音ならこちらの方と水蓮『信仰』を贈れば、夕顔『罪』と返された。
思いを寄せる事すら許されないのかと、頬を濡らした朝。
暫く目は腫れたままだった。
しかし嗚咽を押し殺している内に、忘れていた点にふと気が付く。
相手は教師であり、自分は生徒であるという事に。
大人と未成年が超えてはならない線が、そこに冷たく横たわっている。
けれど、それでもー…
赤い花のゼラニウム『君ありて幸福』と告げた翌日、香りの良いラベンダー『沈黙』を受け取った。
*****
白いカーネーション『私の愛は生きている』を贈った日の次、返事は無かった。
途絶えてしまったやりとりは、朝の空気を一層冷たく感じさせる。
花に頼った便りもこれでおしまいかと思ったが、レポート提出はまだまだ続く。
植物園でのスケッチは終わったが、次の課題は山のように押し寄せた。
HRでは相変わらず毎朝顔を合わせているが、最近は視界に入れるのも苦しい。
迷惑な行いをしているのはこちら側だというのに、醜い被害者ぶりに吐き気がした。
ナンテン『私の愛は増すばかり』
ハナミズキ『私の想いを受けとめて』
酔仙翁『私の愛は不変』
返事も無いのにそう続けて贈ってしまったのは、いつかきちんと叱責して突っ撥ねてほしいと望んでしまったから。
その口から告げられる拒絶の言葉を耳にすれば、いい加減諦めもつくだろうと無様に縋ってしまったのである。
最低の嫌がらせだ。
自覚はあるのにやめられないなんて、ストーカーの素質があるのだろうかと思った矢先、開いた扉が懐かしい音を鳴らした。
幅の広い薄紫色の花弁に、黄色の雄蕊と赤く垂れ下がる細長い雌蕊…
料理にも使われる香辛料のサフランだと調べる事が出来たのだが、その花言葉を目にして吹き出してしまう。
「こんなピンポイントな花言葉ある?」
サフラン『濫用するな』
そして『過度を慎め』
しかし、わざわざそれを選んでここまで持って来てくれた事実が、今までの鬱屈した時間を拭い去った。
そして白いアスター『私を信じて』を贈る。
翌日に返されたのはナナカマド『私はあなたを見守る』
教師として、大人として、変わらぬ立ち位置に寂しさを覚えたものの、再開された秘密裏のやりとりは幸福を齎した。
*****
白いアネモネ『真実、希望、期待』に想いを託し、シクラメン『気後れ』を返された日は図鑑を三度見した。
今まであからさまな返答であったのに、ここに来て突然の変化球を貰ってしまっては狼狽するに決まっている。
調子に乗って赤いチューリップを送り付けてしまった夜は少し反省をしてから眠りについた。
だが翌朝、ドアノブに掛けてあったのは薄紅の蕾と白い小さな花を沢山つけた蘭草。
『愛の告白』に対しての『躊躇い』は、ひっそりと胸に期待の蕾をつける。
そうして少しづつ変わっていく返答の色味に、朝が待ち遠しくなった。
桃『あなたの虜』には布袋葵『揺れる思い』
カトレア『成熟した大人の魅力』にはプルサティラ『告げられぬ恋』
ほんの少し、本当に少しづつ変わっているのを肌で感じる。
風の匂いが季節の移ろいを告げるように。
そして桔梗を贈った後、驚くべき事にプリムラを受け取った。
『永遠の愛』と『無言の愛』
*****
完全なる無から躊躇へ、更に恋が愛へと変わった頃には、すっかり年月が経っていた。
その間、同学年の友達や先輩とは色々大変な目に遭ったけれど、振り返ってみればあっという間で。
寮長を務めていた面々は、同僚の後輩達へその座と責務を明け渡した。
下克上システムがあるというのに、結局自分の知る寮長達はその日を迎えるまで変わらず王座に君臨し続けて。
早くにその座に就いた寮長達も、四年生になる直前までその職務を全うし、それぞれ無事に戴冠式を終えたという。
そんな中で、四年生になった時の学外研修についての話を耳に、学年で誰よりも将来を憂いていた。
魔力もない異邦人なのに、この名門校を本当に卒業出来るのか…
元の世界へ帰る手立ては未だ皆無な上に、現実的な不安は次から次へと押し寄せる。
やりたい夢も、職業の希望も無い。
親もおらず肩身の狭い二者面談は本当に憂鬱だった。
魔力を持たずとも就職出来る一般企業や、学外研修の受入れ先がある事を教えてもらった時に感じたのは、安堵よりも迷惑をかけてしまった後ろめたさの方が大きい。
まずは単位とB判定以上の評価取得の為、リストアップしてくれた企業を慎重に選ばなければならない。
「…明日、提出しても良いですか?」
「あぁ、構わない。よく考えて選ぶように」
「…はい」
何年経っても実際の会話はこんな調子である。
勿論、視線は変わらずタイの結び目。
成長の欠片もないとは全く情けない。
四年生になれば、毎朝HRで顔を見る事な出来なくなる。
魔法薬学も、錬金術も、薬草学の授業もない。
与えられた課題もこれで最後…
言葉の無い花の便りのやりとりも、もうおしまい。
今まで贈った花とその意味は、どれくらい届いたのだろうか。
ただの子供の遊びと、若しくは戯れる仔犬にボールを転がしてくれていただけなのだろうか。
真意はその人にしか分からない。
卒業まであと一年。
今まで以上に関わる事は少なくなる。
この密やかなやりとりも、記憶の隅へと追いやられてしまうかもしれない。
けれど、最後に一つの花を選び、最後のレポートと希望の学外研修先を記した申請書を提出しに行く。
通い慣れた魔法薬学準備室は、今日も今日とてノックしても返答はない。
静まり返り薬品の香りが漂う、少し薄暗いその部屋へと立ち入り、整頓された机の端にいつも通り提出物と花を置く。
が、今日は先客がいた。
捻れたデザインの細いガラスの一輪挿しに、自分が持って来た物と同じ花が活けてある。
「先生…」
疑った自分を愚かしく思う。
滲む視界に鼻を啜り、一輪挿しから青い花を抜き取って、代わりに持って来た方を活けた。
ごそごそとポケットを漁り、髪を結ぶのに使っていたストライプのリボンを取り出して、活けた花の茎にそっと結び付ける。
「私も同じ、です…」
青いアネモネ『あなたを信じて待つ』
・
・
・
迎えた卒業の日、厳かな式典を終えるなり、世話になった恩師の姿を探して廊下を走る。
初めてこの世界に来た時も、こうして走っていた。
まさかあんな出来事が起こるなんて思いもせずに。
しかし、今はあの不安な気持ちは無い。
この日を待って、待って、待ち侘びて、ずっと待ち望んでいたのだから。
「クルーウェル先生!」
人気のない廊下に佇むその背は、漏れる穏やかな日差しを浴び、毛足の長いファーコートをきらきらと輝かせていた。
呼び止めた声にゆっくりと振り返る姿は変わらず美しいままで、あぁ やっぱり好きだと改めて思う。
「先生、私っ…」
「Stay」
飼い主の命令は絶対。
それは三年間みっちり体に叩き込まれたルール。
数歩離れた所で足を止め、きゅっと口を噤むと、目の前の美しい人は表情を和らげた。
今までまともに顔を見てこなかったが、凛々しい表情か悪い仔犬を叱りつける印象が強烈だった為、こんな穏やかな顔をする事に驚いてしまう。
「卒業おめでとう、俺の可愛い仔犬…いや、もう仔犬じゃなくなったな」
そうだ。
卒業するという事は、飼い主の手から離れるとイコール。
これで接点は本当になくなってしまう。
今日この日を以って。
「Good girl.本当によくやった」
くしゃくしゃと頭を撫でられ、嬉しさと気恥ずかしさが混ざり合う。
けれど好きな人があまりにも嬉しそうに笑うものだから、それだけで今までの苦労も報われる思いがして、ぼろぼろと涙を溢してしまった。
「お前の未来に、これからも幸多からん事を…」
乱れた髪を手櫛で直され、もっと甘え上手な仔犬だったら良かったのにと後悔をする。
「あの、先生…」
「まだお利口さんにしてろ」
「はい…」
再び口を閉じた矢先、愛しい飼主はシルバーグレーの目を細めて笑った。
何がおかしいのか全く分からないが、楽しそうにしてるなら何よりだ。
「冗談だ。お前は誰よりお利口だった。もう我慢しなくていい」
「?」
本当に?本当に誰よりもお利口だった?
気持ちの押し付けをずっとしてきた悪い駄犬だったのに?
「俺ももう我慢はしない」
「…え、と…?」
「待たせて悪かった。…というよりは、思い続けてくれた事に感謝しなければな」
「!」
そう言って差し出されたのは、赤よりも赤い深い色味の薔薇。
時間が止まったかのようで、息をするの忘れてしまった。
そして自分もまた慌てて赤い薔薇を差し出す。
いつも自分からだったのに、最後の最後に先を越されてしまうなんて…
「先生、屈んで」
控えめにファーコートを引っ張ると、了承して身を屈めてくれた。
が、それだけではなく唇に柔らかな感触が降る。
鼻の触れ合う程の距離で見る愛しい人の顔は、甘く美しく瞼に焼き付いた。
ふわりと漂う香水に包まれ、薔薇を握る手に力が篭る。
くすりと笑う声に全身の血流が騒ぐように巡り、耳まで熱くなった。
そっと取られた手に視線を落とし、握られていた薔薇が赤いグローブの元へと移る。
目を閉じその香りを楽しんだ愛しい人は、再び瞼を上げると改めて薔薇を差し出した。
それを両手で受け取り、胸を満たす充足感にどちらからともなく笑い合う。
溢れ出さんばかりの幸せは、正に薔薇色だった。
『あなたを愛してます』