Short dream
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オンボロ寮の監督生ユウは、その日まで恋をした事はおろか一目惚れの経験すらなかった。
友達が「○○君って格好良いよね!」とはしゃいでいても特にそうは思えず、かと言って突き放す事も出来ずに曖昧に共感してきた日々が霞む。
捻れた世界で、不純物の一切ない透き通る氷のように冷たく美しく、燃え上がる炎のように熱く鮮烈な一人の男、デイヴィス・クルーウェルに出会うまで。
威圧感のある切長の目が、鋭い光を放つシルバーグレーの瞳が、さらりと流れる白と黒の髪が、思わず触れたくなるような白い肌が、そこへ影を作る長い睫毛が、美しく通った鼻筋が、黒いピアスの光る薄い耳が、犬歯を覗かせる形の良い唇が。
鼓膜を震わす低い艶のある声が、話す度に上下する喉仏が、赤いグローブに隠された骨張った白い手と長い指が、コートの下からちらりと垣間見える細い腰と、すらりと伸びた長い足が。
どうしようもなく眩くて、数秒見つめる事すら出来ないくらいに心も体も熱を上げていた。
どうしようもなく眩く、数秒見つめる事すら出来ないくらいに心も体も熱を上げていた。
移動教室の合間に姿を目にした日は終始浮かれ気分で、偶然にも目が合おうものなら殴打されまくるエースかデュースの肩が決まって犠牲になる。
あまりにも深刻な顔をして痛みを訴えるものだから、最近はそうならないようタイの結び目を見るようにして何とかその衝動を抑え込んでいた。
初めての感情に揺さぶられながら、魔法のある男子校で喋る魔獣と寮生活を送るのは中々に大変なもので、知らぬ常識と知識達には授業が終わった後も魘されている。
見兼ねた担任のクルーウェルが助け舟という名の補習をつけてくれたのだが、これがまた嬉しくもあり悩みの種でもあった。
「…終わりました」
「よし、見せてみろ」
おずおずと差し出したノートを赤いグローブが受け取り、万年筆が今日の出来を厳しくチェックしていく。
その音を聞きながら持て余した時間をやり過ごすべく、空いた手を膝の上で握ったり開いたりと繰り返した。
好きな人と同じ空間にいられるのは単純に幸せなのだが、補習ともなれば自分の不出来を晒す訳で、針の筵でもある。
「Good girl.きちんと復習出来ているな。次のステップへ進もう」
「…はい」
大好きな筈の顔が机を隔ててこんなに近くにあるのに、否、だからこそ直視出来ない。
視線はずっとベストの一番上の赤いボタン。
そこより上に行くと顔が火照ってしまう為、決して他意がある訳ではないと示せる自分なりに見つけ出した限界点である。
「来週から植物園に通え。毎日五種類づつスケッチと共に特徴を書き出し、調合に使われる魔法薬とその効果をレポート提出するように」
「…はい」
「何か質問は?」
「…ない、です」
「俺がいない日はここに置いておけ。戻り次第チェックする」
「…分かりました」
嬉しくも悩ましいこの距離から解放され、今度は寂しさが足元から這い上がる。
直視出来ない癖に側にいたいだなんて、とんだ天邪鬼であると辟易した。
*****
授業で植物園内に入る事は何度かあったが、あくまで目的の物を学ぶ時間だった為、何処にどんな物が咲いているのかはよく分かっていない。
教科書を抱えて手頃な場所に腰を降ろし、観察を始めて分かった事が幾つかある。
魔法が存在するこの異世界特有の、魔力を持った草花が多く管理されている中で、元いた世界で見たごく普通の草花も何種類か見受けられたのだ。
懐かしさを覚え、図書館で図鑑を借りては少しだけ余分な知識を齧って息抜きをする。
この日もまた、レポートを書き終え日が沈みきるまでの間、気侭に園内を歩いて花々の美しさと香りを楽しんでいた。
そんな中でふと鮮やかな黄色の花に目を惹かれ、誘われるように足を向ける。
夏の象徴とも言える向日葵に魅了され、懐かしさもあり何の気無しに手を伸ばした。
指先が軽く触れた直後、ぽとりと落ちてしまった一輪に慌てふためく。
「どうしよう…!?」
みだりに刈り取った訳ではないが、不用意に手を出してしまった事実は否めない。
申し訳なさに眉を下げ、地面に横たわる黄色い花をそっと掬い上げる。
きらきらした細かい粒子が花弁や茎に煌めいて見え、ちりんと涼やかなベルのような音が耳元で鳴った気がした。
「…妖精の悪戯かな?」
きょろきょろと辺りを見回してみたが、それらしい姿はない。
魔力があればもっと鮮明に見る事が出来るのだろうかとぼやきつつ、茎を摘みくるくると回転させながら花を見つめる。
「綺麗…懐かしいな…」
この世界にも自分の知っている物がある嬉しさを噛み締め、後片付けをしながらぱらぱらと図鑑を捲り、あっさり見つけた箇所を開いたすぐ後。
燦々と降り注ぐ陽を一身に浴びる向日葵の写真と、名前の下に記載された花言葉に目を留める。
憧れ、あなただけを見つめる、情熱…と並ぶ更に下側には、本数によって意味合いが異なる旨も記されていた。
薔薇と似ているなどと思い耽り、指先でその意味合いをなぞった手が不意に止まる。
一本の向日葵が持つ花言葉は『一目惚れ』
それはあまりに重くのしかかり、深く深く心臓を貫く一言。
初めて会ったあの日から、目も心も奪われている。
しかし片や名門校の教師、片や魔力を持たない異世界の生徒。
海溝より深く険しいこの溝はどうにも埋められそうになく、その自覚は胸を締め付け、到底そんな事を口になど出来ないもどかしさに ただ喘いだ。
窓の外はとうに日が沈み、暗がりが広がっている。
それに合わせ、植物園の入口のランプに明かりが灯り、慌てて帰る支度を整えた。
いつも書き終えたレポートを提出してから寮へ帰るのだが、この日ばかりは足が重い。
気付いてしまった自分の気持ちは蓋をしようにも上手くしまらず、漏れ出した感情はぐるぐると脳内を駆け巡った。
気付いてほしい。
知られたくない。
好きだと口にしたら…
嫌われてしまったら…
もう少し近付いてみたい。
遠くで見てるだけで良い。
どうせ相手にされない…
笑われて終わるのかも…
浮かび上がっては弾けて消える欲望と懸念は、魔法薬学準備室に到着するまでずっと繰り返し自身を苛めた。
「…失礼します…」
ノックをしても応答はなく、声を絞り出して恐る恐る扉を開く。
室内に主の姿はなく、ここでも安堵と寂寞を味わい、複雑な思いで整理された机の上にレポートを揃えて置いた。
「………」
そしてその上に、大事に抱えていた花をそっと乗せる。
堂々巡りを続ける脳内の秤は、かたんと片側に傾いた。
*****
長引いてしまった会議を終え、溜息混じりに己が城である魔法薬学準備室へと戻ってきたクルーウェル。
乱雑に資料を机へ放り、愛しい毛皮と暫しの別れを告げポールハンガーへと預ければ、今日も溜まった仕事に手をかけるべく革張りのソファに身を沈め込んだ。
愛用の指示棒を軽く振り、ケトルとポット、カップにソーサーがふわりと浮かぶ。
今日のお茶受けは何にしようかと思案しながら、取り掛かるべき書類にざっと目を通す中で、A4のルーズリーフの上でお行儀良くお座りしている鮮やかな花が是非と主張をした。
「サンフラワーか…」
どうしてまた…と考えるより先に、摘み上げたそれを目線の高さに持っていき、そして はたと目を剥いた。
「………いや、まさかな」
極端に口数が少なく引っ込み思案な仔犬の計らいにしては、妙に色が付いている。
まともに目も合わせず会話もままならないあの様子では、この花言葉を受け取るには些か自意識過剰というもの。
有り得ないと失笑しては、真逆の考えも降って湧いて出た。
いや…と首を捻り、夏の到来を告げる花を見つめる事を繰り返して数分…
手近にあったビーカーに魔法で水を注ぎ、そこへ花をゆっくりと差し込む。
何とも味気ない居場所になってしまった事を心の内で謝罪し、クルーウェルは携帯を取り出すなり通話ボタンを押した。
*****
夜更かしを楽しんだ金曜が終わり、いつもと変わらぬ起床をした土曜の朝。
ふぁ…と大きな欠伸をし、ぐっすりねむるグリムを置いて階段を降りる。
玄関周りの雑草がすくすくと元気過ぎるくらいに育ってしまっている為、日が高くならない内に草毟りをしようと思っての事だったが、まだまだ眠い。
二度寝してからでも良かったかも…なんて思いながらスリッパからサンダルへと履き替え、ガチャリと扉を開けた瞬間、何かが扉に当たる音がした。
首を傾げ そろりと隙間から顔を覗かせると、何かがドアノブに引っ掛かって揺れている。
金具の取手がドアノブにかけられ、こつりと扉に当たるガラスには薄紅色の花が活けてあった。
そしてガラスの淵にはネクタイと同じ色のリボンが巻かれており、その花を届けた訪問者を鮮明に物語っている。
「!」
一気に眠気が吹き飛び、恐々と伸ばした手は僅かに震えた。
両手でそっとドアノブから取手を外し、大事に胸に抱え込んで部屋へと戻る。
乱れた息をそのままに鞄から図鑑を引っ張り出し、机に広げ汗ばむ手でページを捲った。
小さい鳥の形に似た花を沢山付けている薄紅色のその名は、白山千鳥。
花言葉は五つ。
『美点の持ち主』『素晴らしい』
『陽気』『誤解』
そしてー…
「間違い…」
三つの意味は端から異なると否が応でも理解出来る。
しかし残り二つは『一目惚れ』の応えとして明確な意味を宿していた。
ずきりと痛んだ胸が呼吸を妨げる。
無理矢理に吸い込んだ息は涙を誘い、堪えようとすればする程に嗚咽が混じった。
ほら、やっぱり…と声がする。
しかし、やらなければ良かったという後悔は不思議と湧いてこない。
碌に会話も出来ずにいたのに、一輪の花を以て繋がりを持てた事の方が上回っていた。
奥が痛む鼻を啜り、罪のないガラスの花差しを机の端に置くとまたページを捲り始める。
そう来るのならば こちらも花を便りにするまで。
初めて抱いたこの気持ちが、決して誤解でも間違いでもない事を証明するにはー…
「ライラック…確かあの辺に…」
昨日散策した植物園内の隅にあった筈だと記憶を引っ張り出し、長い戦いの予感に深く息を吸い込んだ。
『初恋』
あの人に、デイヴィス・クルーウェルに初めて恋をした事を告げなければ、まだ始まってもいないこの密やかな戦いは幕を引けない。
口に出来ない代わりに、想いの丈を贈りたいと願った末に、罹った病がある。
恋わずらい、ならぬ花わずらい。
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