Short dream
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ユウが捻れた世界にやってきてから、はや三年。
個性が強過ぎる面々と関わり、問題解決に奔走したり巻き込まれたりなすがまま流されたり…
色々あったが、親しんだ年上達を卒業式で二回見送ったとなれば、自分の番ももう時期迫ってくる訳で、渡された進路希望調査の紙は未だ真っ新なまま、とうとう面談日を迎えてしまった。
「はぁ…」
今日何十回目か、それともとうに百を超えているのか、重い溜息を吐き出して扉の扉をノックする。
Comeと呼ばれるままに中へと入れば、広い講堂の中央に我等が彷徨える仔犬達の飼主、デイヴィス・クルーウェルがいた。
わざわざご丁寧に用意された椅子を指示棒で指し、担任殿はいつものようにSitと命令する。
言われた通りの事をするのは楽だが、社会に出るとそんな甘えなど言っていられない。
面談用にセッティングされた机と椅子が並ぶ壇上へと向かう足は、先程の溜息よりも重かった。
「さて、お前の進路だが…」
いくら数多の仔犬達を手掛けてきたとはいえ、自分程のイレギュラーは未だかつてなかっただろう。
一度口を噤んだ担任は、細く長い指を机の上で組んだ。
「学園長から進展は聞いたか?」
「いいえ…多分、帰る方法なんてないんだと思います」
「そうか…」
こればかりは誰も責められない。
異世界へ飛ばされた原因が掴めないのだから仕方がない…と考えるしかないと言った方が正確だった。
「帰れる保証がないまま時を過ごすのは無益極まりない。俺の言いたい事が分かるか?」
「はい。この世界で自立して生きていけるよう、地盤を固めたいと思っています」
Good girlと担任は小さく頷く。
何も良い事など無い。
そうする他ないだけで。
「卒業証明書等については心配無用だ。お前を元の世界に戻すより遥かに実現可能な事だからな」
「助かります」
NRCは男子校。
それも魔法を使えるエリート達が揃う有名校。
魔法の使えない女生徒がNRCの卒業証は貰うなんて荒唐無稽だろう。
同等の学校へ秘密裏に依頼をするのか、いくら積まれるのか、大人の事情はさっぱり見当もつかない。
「では本題だ。調査票を」
「はい」
「一般事務か…妥当だな」
特にやりたい事も得意な事もなく、苦し紛れについ先程書き殴った四文字に思わず視線を泳がせる。
適当過ぎると怒られるのは覚悟の上だったが、担任としてもそこは強く踏み込めないものなのか…
「魔法や専門的知識がなくても就職出来る企業を幾つかピックアップした。お前も今まで目にした企業もある筈だ。何処か気になる所はあるか?」
ピックアップというには些か分厚いファイルを取り出し、見てみろと促されるままページを捲る。
言葉の通り、ネットやテレビのCMで見聞きした事のある大企業の名が多い…
「でも…そんな超大手じゃなくても…」
「仔犬、お前今まで一人暮らしをした事は?」
「ありません」
「では家賃光熱費、その他管理費や維持費、食費について計算した事は?」
「ないですよ、未成年ですもん」
「それだけじゃない。家具や家電を揃えるのも金はかかる。いいか、生きている限り収入は必要不可欠なものだ。名の知れぬ子会社より大手の方が何かと福利厚生も整っている。吟味すべきだと俺は思うが」
「でも…自分に見合うかどうか…」
「それを決めるのはお前じゃなく企業だ。学生上がりの新入社員にベテランと全く同じ知識と技術を求める事はしない。寧ろそこまで育てる事こそが企業に課された責務だ。肝心なのはもっと基礎的な事にある」
トントンと指先が叩いたのは、今までの自分を数値化した成績表。
魔力無しの身ではどうにも出来ない授業も、与えられた課題をこなす事で難を逃れていた。
学んでも学んでもまだまだ知識は足らず、今まで何度ペンを放り投げては拾いに行く事を繰り返したか…
ギリギリの所で平均を保っているその評価の羅列に、しょんぼりと肩を落とす。
「そう項垂れるな」
「でも選べる権利を持てるのは成績の良い人達です。私に抜きん出た武器はありません」
「キングスカラーが何故留年したか、知らない訳ではないだろう」
思わず吹き出してしまいそうになるのを寸での所で耐える。
あんなにも頭のキレる人材がそんな羽目になったのは、ひとえに単位を落とし続けたから。
怠惰を具現化したようなその人にとってはこの狭い箱庭はさぞ退屈で、その外の世界にすら何の希望も映らなかったのだろう。
僅かな情報を元に見えぬものを探れる秀逸な能力を持っているのだ。
回転の早すぎる頭というのは見切りを付けるのも同じ速度なのだろうと頷ける。
「成績とは今までの積み重ねだ。勉学は勿論、そこには生活態度も含まれている。企業としては与えられた仕事を責任持ってやり遂げられるか、自分だけの判断を下さず周りに指示を仰げる柔軟性を持っているか、毎日きちんと出社出来る心身の健やかさ等を重要視している」
赤いグローブが嵌められた指先は、成績表のある欄を滑った。
魔力がない身でも頑張れる事など、出席くらいしかない。
授業の全てをその場で理解出来なくとも、遅れたりサボったりした事はなかった。
「企業によっては成績の数字よりもこちらを採用の判断基準にする所もある。寧ろその傾向は多い。要は人間性だ」
人間性…
それはあまりに曖昧で、いまいちピンと来ない。
雑用係として体よく使われている事が多いが、それは果たして加点ポイントになり得るのだろうか?
「そんな難しい顔をするな。実際、ここの生徒から雇用の件で声をかけられた数は0ではないだろう」
「レオナ先輩やカリム先輩からは侍女にどうだと言われましたけど、まぁ冗談でしょうし…トレイ先輩とアズール先輩からスタッフとして働かないかとお誘いを受けました。凄く嬉しかったです。就職先をどちらかに決めてしまおうか暫く悩んだ時期もありました。でも…」
「でも?」
「それじゃ駄目だなって…きっと甘えてしまうし、仕事以外でも頼ってしまいそうで」
優しさに、甘い言葉に溺れてしまう。
そうしてしまえば楽だろうが、一人でも生きていける力を身に付けなければ。
世の中はこの箱庭よりもうんと広くて、とても残酷だろうから。
「体の丈夫さくらいしか取り柄はありませんが、それが武器になるのなら色んな企業を見てみたいです」
わざわざ作ってくれたであろうファイルは、持ち上げるとかなり質量があった。
沢山の仕事がある中でわざわざこうして時間を割いてくれた担任の思いに報いる為にも、自分に合った企業を精査しなくては…
「そうか…お前は強いな」
「単に鈍いだけなのかもしれませんよ」
僅かに口角を上げた担任へそう返せば、くしゃりと髪を掻き乱された。
「様々な経験を積み見聞を広めろ。世界はお前の知らない事で満ち溢れている」
「はい」
「勿論、順調にいく事を祈ってはいるが…疲れたらいつでも俺の所へ戻って来い」
「?」
「永久就職先は確保してある。割と良い物件だ」
「!」
意味深な笑みに頰が熱を持つ。
言葉を鵜呑みにしてしまって良いのか、思考は停止したままに。
「卒業しても、甘え頼られたい人間がここにいるという事を忘れるなよ」
自分でも驚くほど小さな声で返事をするのがやっとだった。
「以上で面談を終了する。来週行われるオリエンテーションで希望の研修先を三つ記入して提出するように」
もし、そこへ唯一無二の研修先を書いたのならー…
とくとくと鳴る心音に俯き、渡された用紙とファイルを胸に抱え椅子を引く。
相手にされる筈がない事は分かりきっていたのに、こんなにも甘い囁きを耳にしてはすぐにでも追い縋ってしまいそうになる。
真っ赤になった顔を見られてしまわぬよう、足を急かして部屋を後にした。
いつもより柔和な色の瞳に見守られているとも知らず…
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