Short dream
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「クルーウェル先生、2月14日の放課後…少しだけお時間貰えませんか?」
授業を終え教材を纏めた担任に、ユウは様子を伺うようにそう尋ねた。
何か困った事でもあったのかと目を丸くし、だが一ヶ月近くも先の予定に戸惑い、一瞬手を止める。
確か面倒な会議はなかった筈…と脳内のスケジュール帳を捲り、恐らく問題ないと頷けば、緊張した面持ちのユウは表情を綻ばせた。
「課題か何かか?」
「えっと…ヒミツです」
「そうか、分かった。楽しみにしてる」
人差し指を唇に当てがい はにかんだ姿に、くしゃりと頭を撫でつけ次の教室へと足を向ける。
ふわふわと揺れるコートの尾を見つめ、ユウは第一関門突破に喜びを噛み締めた。
だがしかし、ここからが本番である。
残された時間は一ヶ月。
授業の他にもやる事は多く、全ての時間を割ける訳ではない為、何としても限られた時間の中で技術を身に付けなければならない。
最終目標の日程を取り付けた後は、優秀なコーチを探さなくてはと、ユウはハーツラビュル寮へと足を急かした。
副寮長として寮長を支えつつ、後輩のサポートも担い、同学年との交流や部活動もそつなくこなし、且つ自身の管理も怠らない男がいるのだ。
おまけにご実家はケーキ屋さんで、お菓子は勿論料理の腕もピカイチな上に教えるのも上手い。
彼、トレイ・クローバーを頼らずして一体誰を頼れば良いというのか…
「という訳で宜しくお願いします」
「期待に添えるかは分からないが、俺で良ければ」
困ったように笑いながら眼鏡に手をやるいつもの癖に、これ以上ない適任だと後押しをして早速お菓子作りに励んだ。
最初こそグリムやエース、デュースも同席していたが、摘み食い目的と茶化し目的の一匹と一人は早々にキッチンから閉め出され、生真面目なデュースからは精一杯の応援を貰っていた。
やがて飽きた一匹と一人に続き、部活があるからと申し訳なさそうに眉を下げたデュースに手を振り、入れ替わるように 入って来たケイトと談笑を交えつつ、映えにはまだ程遠いと肩を落とす。
一日、三日、一週間と、日にちは確実に経過していくものの、試作品が上手く出来上がる確率はまだまだ低かった。
焦る事はないさとトレイは励ましてくれたが、自身の不器用ぶりにほとほと嫌気が差す。
遂にはリドルまでキッチンに現れ、大事な片腕を独占してしまっている事に頭を下げたユウだったが、お菓子作りに勤しむその理由を聞くと、僕もやってみようかなと口にした。
そうしてもう一週間が経過し、漸くまともになってきたかと思った頃、次の試練が立ち塞がる。
かれこれ三十分程、ユウはミステリーショップで唸っており、サムは目を細めながらその様子を微笑ましく見守っていた。
カウンターには様々な柄のメッセージカードやラッピング用品、そしてお洒落な小皿とカトラリーが並んでおり、じっくり眺めては首を捻る。
アレも可愛いけどコレも捨て難い…
あっちはイメージに近いけれど、こっちのデザインも凄く合う…
うんうん唸り続け、お会計を申し出た頃には外はすっかり暗くなり、慌てて店を後にした。
「青い春だねぇ、羨ましい」
ニッヒッヒ♪と笑う肩と同調し、背後の影は両手でハートを作ると窓の外に見える小さな背中へ飛ばした。
*****
当日、多少の揺れでは中の品は崩れないという特別仕様のランチバックをトレイから拝借したユウは、僅かに息を切らせある扉の前で呼吸を整える。
一ヶ月間、猛特訓の末に作りあげた一品は、今までの中で一番の出来。
喜んでもらえるだろうか…
その前に今日の約束を覚えてくれているだろうか…
急にこんな真似をして迷惑がられないだろうか…
落ち着いていく息に合わせ、冷静になった頭にはそんな事がぐるぐると駆け巡り、いつもクルーウェルがいる魔法薬学準備室の扉を叩こうとした手が宙で止まる。
すると徐に扉が開けられ、comeといつものように呼び付けられた。
「丁度お茶が入った所だ。適当に座れ」
コートを脱ぎ袖口を僅かに捲っている姿は少し珍しく、新鮮に映る。
「覚えててくれたんですか?」
「他でもない仔犬からのお誘いだ。忘れる訳ないだろう」
そう薄く笑い、グローブを外した白く骨張った手が気品のあるカップを取る。
照れ臭さに俯きながら年季の入った椅子に浅く腰掛ければ、ソーサーがミルクピッチャーとシュガーポットを引き連れて目の前に鎮座した。
そしてふわりとやって来たもう一枚の小皿は、クルーウェルの好物であるレーズンサンドが大事に抱えられている。
「何か俺に話でも?」
「えっと…」
芳醇な香りを静かに上げるカップがソーサーの上に置かれ、様子を伺うクルーウェルに一つお願い事を口にした。
「目、瞑ってて下さい。私がいいって言うまで」
「悪戯でも始める気か?」
そう口元を緩めながら、愛用の椅子にかけたクルーウェルはそっと目を閉じ長い足を優雅に組んだ。
「まだですよ」
「分かった」
後ろ手に隠していたランチバックを膝の上に置き、中から慎重に小皿を取り出す。
そして別口に持って来ていたカップアイスとディッシャーを手に、少し柔らかくなったアイスを丸くくり抜き、ラズベリーソースを添えたフォンダンショコラの上に乗せる。
特別仕様のお陰でよれはなく、ショコラからは薄っすらと湯気が立ち上っていた。
「よし…」
「もういいか?」
「あっ、まだです!ダメダメ!」
飾りのミントをアイスに乗せ、慌てて立ち上がると今度は足音を忍ばせてポールに掛けられたコートへと近付く。
ラッピングした袋を整え、手のひらに収まる程の箱をポケットに仕舞い込み、またそそくさと席に戻った。
「お待たせしました!もういいですよ」
ゆっくりと目を開けるその瞬間にも見惚れ、ユウの心臓は鼓動を速める。
切長のシルバーグレーが目敏く机の上の変化に気付き、次いで落ち着かない様子の顔を見やった。
「お前が作ったのか?」
「お店の物と比べられちゃうと大分不格好ですけど…トレイ先輩に習ったので味はお墨付きです」
「どうしてまた急に…」
「私がいた世界でバレンタインデーというちょっとした慣習があるんです。私の生まれ育った国では少し特殊なやりとりなんですけど…でも日頃お世話になってる人への感謝の気持ちとして、お菓子や花束をあげる国も沢山あるんですよ」
「そうか…それでわざわざ俺に?」
「クルーウェル先生は…特別な人なので…」
尻すぼみになった自分の言葉に恥じ入り、真下を向いて爪を弄る。
「では有り難く頂こうか」
まさか手作りのスイーツをご馳走になれるとは思ってもみなかったクルーウェルは、謙遜するには上出来なその一品へ手を伸ばした。
波打つシルバーの縁取りの白い小皿に、薔薇があしらわれたカトラリーは食堂では見かけない。
コーチを担ったトレイから拝借したのだろうかと過ったが、恒例のお茶会で使われている品にしてはやけに真新しい。
もしやこの為にわざわざ購入したのではあるまいなと至ったところで思考を止め、手前に寄せた美味しそうなフォンダンショコラに改めて向き合う。
とろりと溶けたバニラアイスとベリーソースを纏い、横に添えられたカスタードクリームの上にはハートのチョコが連なっていた。
店で出される物と遜色ないその一品にフォークを二箇所差し込み、一口大に切り離された隙間から溢れ出る濃厚なチョコレートに思わず笑みを漏らす。
立ち上る湯気に出来立てを持って来てくれたのかと感心しつつ、頬張った一口は蕩けてしまうような甘さがいっぱいに広がった。
「ん、美味い。今まで食べた中で一番のフォンダンショコラだ」
「それは過大評価ですよ」
「事実を述べて何が悪い」
もう一口と続けるクルーウェルの満足そうな笑みに、C判定は免れたようだとユウは胸を撫で下ろす。
安堵の息を漏らすと、漸くカップに手を伸ばす事ができた。
「いつもお世話になってます。これからも宜しくお願いします」
「教師を買収しようなんて思わない事だ」
「そ、そんなんじゃないです!」
「分かってる」
揶揄うように笑うクルーウェルに、そう捉えられても仕方のない事をしてしまったと、今更ながら恥入って俯く。
そういう事を好まないのは想像に容易く、敢えて突き返さなかったのは提供されたのがナマモノだったから、こちらに気を遣ってくれたのかもしれない。
その優しさが却って苦しくなった。
「お返しは期待していいぞ」
「えっ…いえ、でも…お返しが欲しくてした訳じゃ…」
「俺がしたくてするんだ」
「!」
バレンタインの風習がない世界で、自分がしたくてした事を思い返し、それでも好きな人の一挙手一投足が喜びを齎す。
その嬉しさと気恥ずかしさに、頬が熱を持つのをありありと感じた。
あともう一つ、こっそり忍ばせたプレゼントも気に入ってもらえたのなら、何も言う事はない。
*****
緊張したお茶会は無事楽しい時間として終えられ、後ろ髪引かれる思いで一室を去った翌日の事。
いつも通りHRを行う為に教壇に立ったクルーウェルは、まだ寒い時期だというのにコートを腕に掛けていた。
そしていつもの白と黒のジャケットは着用しておらず、少しラフに見えるその姿にエースが率直な疑問を投げる。
「寝坊したんすか?」
「そんな訳あるか、この駄犬め」
「寒くねぇの?」
「朝から無駄吠えするんじゃない」
大人しく口を閉じていろと手を払い連絡事項を手短に話し始める中、ユウだけはその変化の理由に気が付いた。
黒いシャツに映える深いボルドーのネクタイを留める、シルバーのピン。
肉球の形をしたそのネクタイピンに一目惚れをして購入し、ラッピングやメッセージカードの準備に奮闘し、昨日そっとコートのポケットへと入れた品だった。
黒のレザークリップボードを開き出席をとり始めたクルーウェルと不意に目が合い、片目を瞑られる。
その威力の高さたるや、丸一日放心したユウは各所から心配される羽目になったとか。