それが一瞬でも永遠に刻む愛標(ラギー✕監督生/連載/すれ違い)
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自分は水辺に浮かぶ花びらのような存在だ。
あるべき所から離れ、ただ漂い、流され、誰の目にもとまらない。
寄る辺がないことが、こんなにも不安だとは思わなかった。
信じられる大人はおらず、衣食住は保障されても、心の安寧はない。
絶対が、ない。
友人には恵まれた。騒がしい相棒もいる。
でも。
それでも。
揺らがず、漂わずにいられる場所が、ない。
夜が怖い。耳が痛いほどの静けさに怖じ気づいた。
眠れない夜。頼りない足取りで迎える朝。
そして、沈むような眩しさのある昼間に、私は出会った。
生命に溢れた、あのひとに。
強い眼差し、揺らがない足取り、迷わない道を行くひと。
雨降り後の日差し降り注ぐなか、水溜りに浮かぶ知らない花びらを見て、彼は笑った。
生きるのには、なんの足しにもならないと。
物に例えるぐらいなら、明日の食い扶持を考えた方が何倍もいいと。
そして、羽のような軽さで走り去った。
波紋を起こして、花びらを沈めて、前を向いて。
だから、ユウは、花びらを辞めた。
バイト代が出た。財布は潤い、心なしか重い。
「グリム、買い物行こう! 買い物!」
「ツナ缶か!」
生活費を分けた後に、グリムを持ち上げはしゃぐ。
「ツナ缶も買うぞー!」
「やったんだゾ!」
バイト先ではグリムは皿洗いとして雇われていた。グリムのバイト代は、大事に貯めてある。
何があるかわからない世の中。
グリムが豊かに暮らせるよう、ささやかな相棒心だ。
「肉も買うぞー!」
「贅沢なんだゾ!」
「ひゅー!」
くるくる回り、オンボロ寮に笑い声が満ちる。
バイト代が出た日の恒例となる光景だ。
ユウはグリムを降ろすと、デュースから譲り受けたスポーツカバンを用意した。
これは何でも入るから重宝している。
エースのお古であるTシャツとジーンズを身に着け、グリムをゴーストに任せてお出かけだ。
グリムは一見すると可愛い動物だが、モンスターであることは変わりないので、かわいそうだがお留守番である。
街のひとを驚かせるわけにはいかない。
ただ、バイト先で顔見知りも増えてきているので、近い将来には一緒に行ける日が来るかもしれない。
「ツナ缶、頼んだからな!」
「おう!」
勇ましく拳を突き上げ応える。
ユウは鏡舎へと歩き出した。
賢者の島の中心街は、今日も賑やかだ。
僻地とはいえ、観光地。
訪れるひとは多い。
迷わないように、ぶかぶかのスニーカーを踏みしめ煉瓦道を歩く。
電線のない空と、この世界の動力を供給する役割のある電灯のような細いシンプルな鉄柱が一定間隔あけて設置されている。
よくはわからないけれど、霊脈と呼ばれるマナスポットから力を汲み上げているらしい。
そうして、魔力がなくとも不便なく暮らせるのだ。
建ち並ぶ店を眺め、ユウは目的地を目指す。
今居るメインストリートは、洗練された店ばかりでユウには関係ないのだ。
上品な道を抜けると、アーケード状の場所に出る。
吊るされた看板には、【福呼鳥横丁】の文字が。
色んな匂いが混じる、どこか馴染みやすい。ここは下町のような雰囲気のある商店街だ。
食品が多く売ってるが、服飾品もある。
ただ、お値段はかなりリーズナブルでセンスはあまりないけれど。
そういうのは、メインストリートの方が豊富なのだ。お値段は考えたくないけれど。
「よっし、買うぞー!」
ユウは気合いを入れた。戦いのゴングが鳴る。
「おじさーん」
まずはお肉屋さんから攻めるのだ。
顔見知りの店主が、歯を見せ豪快に笑う。
「ユウちゃんじゃないか! 良い肉あるぞ!」
「本当!? たくさん買うから安くして!」
交渉が始まる。
ここの店は、値切りやすいと教わってからの常連だ。
世間話をしながら値切りは終わり、重い包みをスポーツカバンに仕舞う。
すると店主は、ああそういえば。と、少し苦笑いをして話し出した。
「ラギーのヤツなんだが」
その名前に、ユウの心臓がどくんと跳ねる。
あまり接点はない、学校の先輩。
だけど、心に深く刻まれた存在。
「ラギー先輩が、どうかしたの?」
平静を装いつつも、僅かに声が震えた。
とくとく早くなる心音。
静まれ、大人しくして。願うけれど、叶わない。
「いやあ、アイツも隅に置けないよなあ。あんな美人となあ」
「え……?」
ユウの心拍音が遠くなる。
周りの音たちが、離れていく。
ユウの心情を知らない店主は、とっておきの秘密を明かすかのように声をひそめた。
「見ちまったんだよ。夜のように黒いドレスを着た美人と歩いていたのを」
ユウは重いスポーツカバンを下げ、メインストリートを歩いた。
頭がぼんやりとしている。
先ほど聞いた店主の声が反響していた。
あれは、本当の話なのだろうか。
ラギーに、恋人が?
そんな噂、ナイトレイブンカレッジでは聞かない。
だが、閉鎖された世界だから、皆知らないだけなのだろうか。
ユウは、ぎゅっと手に力を入れた。
わかっている。
自分には、彼のことをとやかく言う資格がない。
ただの後輩。
何度か話しただけの、特筆すべきことのない関係なのだから。
でも、それでも。
『そんなんじゃ、アンタはただ生きてるだけの、意味のない存在になるッスよ』
掛けられた言葉。
『頑張った。耐えた。それを評価せずに、アンタはその花びらみたいに知られずに消えるんスか?』
向けられた笑顔。
『そんなのまっぴらだと、アンタは怒っていいんだ』
波紋を広げた。
光が、眩しかった。
そして、水たまりはなくなり、ユウはユウとなったのだ。
彼にとっては些細なことだったのかもしれない。
でも、自分には鮮烈で全てをひっくり返される出来事だったのだ。
あの日から、ラギーはユウの特別になった。
「ラギー先輩……」
沈んだ声で名を呼んだユウは、自然と顔を上げた。
引き寄せられるように、手繰り寄せられた糸のように。
視線が定まる。
そこには、漆黒の美しい女がいた。
白磁の肌は夜色のドレスに包まれ、長いまつ毛が影を落とすアメジストの目。
神秘的な女は、男に寄りかかるようにしていた。
男は、よく知るひとで。
女を宝物ように大切にしているのがわかった。
「ラギー先輩……」
店主の言葉。
現実としているひと組の恋人。
ああ、そうか。
感じられない痛み、揺らぐ足もと。
歪む視界。
それらが、ユウに教える。
自分は、失恋したんだ。
ブティックに消える恋人たちから目を逸らし、ユウは走った。
重い、苦しい。
後から追いついてきた痛みに、ユウは耐えて、ただただ、走った。