石畳の玄関には左右に分かれて下足箱が置いてある。ところどころ持ち手の塗装が剥げた箒で細かな砂利を吐き出すと、外に出しておいたすのこを敷く。それらが伸びる先に、男湯女湯の入り口がある。
松竹錠という名前を知ったのはつい最近で、私は小さい頃からこの下足箱、更にはその木札の鍵が好きだった。
四角くポケットになっているそこに木札が差し込まれていて、靴を入れ抜き取ることでロックがかかる。マスターキーの“0”と書かれた木札を意味もなく隠し持ったりして、祖父母によく叱られていた。
箒を外の用具入れに片付け、腕時計を見れば、午前九時半。よおしと袖をまくってまた
みょうじ湯の中に戻った。
カラカラカラ。カラカラカラカラ。
まだ回っていないはずの扇風機の音が聞こえた気がして、懐かしい空気を胸いっぱいに吸い込む。多少レイアウトが変わっているものの、小さい頃の私が大好きだった銭湯が再び目の前に広がった。
番台を中央に仕切り壁が通り、向かって左側が男湯。右側が女湯と分かれている。玄関から入り、下足箱に靴を預けたら、男湯女湯とそれぞれ額縁が引き戸の上にかけられているので、家族連れやカップルはここでお別れ。青と赤の暖簾をくぐると、その先が脱衣所、そしてまたその先が浴室となっている。
ずっと昔はかごを置いていたらしい荷物置き場は現在はロッカーになっていて、まだまだ現役と言えるのは三台のマッサージチェア。男湯に二台、女湯に一台置いてある。牛乳専用の縦長ショーケースとアイス専用の横長ショーケースは二代目で、確か私が高校生のときに代替わりしたはず。これらは男湯と女湯にそれぞれ一台ずつ置いてあるが、男湯側のアイスケースは小さめだ。
みょうじ湯の客層は年配の方が多く、男性はアイスよりも牛乳の方が消費量が多いのである。
中央にはくつろぐための二人掛けすのこベンチが男湯女湯で二脚ずつ置いてある。あとはお釜式ドライヤー──よく美容院に置いてある、お釜のような機械を頭にすっぽり被り髪を乾かすもの──がマッサージチェアの隣に並べておいてあったが、これも世代交代。現在は利用料二十円のハンドドライヤーが設置されている。あとはトイレと洗面台があることくらいか。入り口付近に目隠しのパーテーションがあるのは女湯だけである。
籐タイルの床材が敷き詰められているので、掃除機をかけたら住居用ワイパーでさっと後追い。雑巾でとどめの一拭きをすることで脱衣所の掃除は完了。
「拭き掃除終わったか? 明日はお前にも手伝ってもらうから、こっちの掃除の仕方教えるぞ」
「はーい」
雑巾はひとまずバケツに引っ掛けておく。軽く手を洗ったら、濡れないようにジーンズの裾をまくり、尻ポケットに入れていたメモ道具を取り出した。
昨日、簡単な説明は受けたものの、実際に細かい業務に取り掛かるのは今日が初。なにより今日は祖母が入院して臨時休業していた明けの初日だ。“実際にやってみるのが一番”スタイルの祖父に従い、要点はメモに取る。家族経営で祖父母が代々守ってきた
みょうじ湯だ。携わるからには真面目に。真剣に。
浴室内に一歩足を踏み入れれば、奥に鎮座するタイル絵が私の目を引く。小さい頃からずっと見てきたものだけど、こうして大人になってから改めて見ると感じ方が違うのである。
銭湯といえば富士山のイメージがあるだろうが、
みょうじ湯ではペンキ絵でなくタイル絵で、北海道の大自然を描いていた。おじいちゃんのおじいちゃんが
みょうじ湯を建てる際に北海道という地を選んだそうだ。幼い頃の祖父が確かにその理由を聞いていたそうだが、なにずいぶん昔のことなので。孫の孫にとっても、過去に想いを馳せるにはやっぱりずいぶん昔すぎた。
けれどこの、溢れんばかりの自然の緑。美しい湖畔に熊の親子。背面にどっしりとそびえる山々はかの富士山にも引けを取らない。
ずっと見つめていれば吸い込まれてしまいそうな、そんな光景。
私が知る限り、銭湯一のタイル絵だ。
「
なまえ」
「今行く」
記憶の彼方