運命と踊る


ずっと考えていたことがある。
どうして自分は無力なのかと。
兄ほど政務に詳しくもなく、憧れの人ほど何にも負けぬ強さもない。
ただ二人に護られて、できるのは怪我の手当てくらいだ。
身体が弱いながらも国王として立つ兄を支えたいと願っている。
政務が及ばないなら、せめて自分の身で、何か助けになりたいと思っていた。
だから、今回の提案は驚いた以上に、逃せない好機だと思った。
使者という役目なら、力がなくても果たせるはずだ。
何かできるなら、些細なことでもいいからやりたい。



──夢であってくれ、と。
二十数年の人生の中で、そう願うのは二度目だった。

目の前で、頭を下げたまま微動だにしない彼女が幻影であってくれとも思った。
あの提案は、標的に仕組まれたものだ。
それを素直に受け入れるつもりはない。

「クレア……何故?」

穏やかに問いかける友人の声音は、微かに震えていた。
執務机に片手をついて、倒れてしまいそうな身体を支えている。
問われた彼女が、ゆっくりと頭を上げる。
凛と背筋を伸ばして、彼女は友人の目を真っ直ぐに見据えた。

「私も、お兄様の役に立ちたいのです」
「お前は、この不甲斐ない兄に寄り添ってくれるだけで充分な存在理由がある。それでは不満かい?」
「国の大事に、王家の一員として果たせる役目があるなら果たしたいと思うのは…お兄様の邪魔になるのですか…?」

滅多に動揺することのない友人が、小さく息を呑んだのが聞こえた。
私情で動いているのは此方なのだ。
彼女の方が、冷静に事態を見れているのかもしれない。
泣き出しそうに歪められても、なお真っ直ぐな彼女の視線を受け止めきれず、友人は静かに俯いた。

「……分かった。クレアの力を借りよう」
「クレト…良いのか」
「あの子の望みは、叶えてやりたい…それに、君がいるだろう?アレク」
「…あぁ」

執務机から手を離し、ゆっくりと彼女の方へと進んでいく。
固く握られた彼女の両手を掬い上げ、ようやく友人は妹の顔を見つめ返した。

「…クレア、不甲斐ない私を支えておくれ。けれど、決して無茶な事はしてはならない。それだけは守りなさい」
「はい、必ず」
「…うん、今日はひとまず休もうか。明日からお前も会議に参加することになるからね」
「はい」

再度彼女を私室に促し、私室の扉を閉めた友人が、深いため息とともに疲れたように椅子に背を預けた。
右腕で目元を隠すようにして、天井を見上げる。

「よく許したな」
「…あの子の成長を、喜ぶべきだと思ったんだ」
「だが、連中の目がお嬢さんに向くのは避けられないぞ」
「解っているよ」

何も知らないでいてほしかった。
醜い人間の本性も、命を削る愚かさも。
純真で、愛らしく、何の穢れもないほど無垢で、幸福なまま生きていてほしかった。
あの子は、自身が願った幸福を体現してくれる存在なのだ。
しかし、あの子は立派に育った。
己の役目を考え、それを果たそうとする強い意志を持った。
それが自身の願った幸福から乖離するのだとしても、あの子自身が選んだ道を否定するなどしてはならない。
あの子が選んだ道を、何の憂いもなく歩めるように整えるのが、あの子に救われた者の役目なのだ。

「私は、あの子の選択を尊重する。どんな結末が待とうとも、あの子を護るのは私の役目なのだから」
「…お前が良いなら、それで良い」
「アレク、君にも約束してもらうよ。あの子を…絶対に連中の手に渡さないと」

凛とした光を宿す強い眼差しは、この友人譲りなのだと思った。
どんな言葉を返しても不粋になる気がして、静かに頭を下げた。

「もし…あの子が人質になるような事態になれば、あの子を口実にこの国を攻めるだろう。もしくは、そのままあの子の血筋を使って他国に取り入るかもしれない……絶対に、それだけは許さない」
「仰せのままに」


次の日の会議では、姫の承諾が得られたとして奴らが提案した案を利用することになった。
三日に渡る会議の結果、二週間後が決行日になった。
使者は一度帰国し、騎士団を率いて決行前夜に再び訪れる予定らしい。
それまでに騎士団の練度が上がるとは思えないが、数が揃うなら駒としては多少はマシになるかもしれない。
友人とともに使者を見送った彼女は、整った顔を強張らせ、微かに震えていた。

「お嬢さん?」
「クレア…怖いかい?」
「戦場に立つことを思うと…少し、不安になります…」
「そうだね…お前の役目は重いと思う。けれど、お前は一人じゃない。私も、彼もいるよ」
「はい」

健気に微笑む彼女の姿が、無性に心をざわめかせる。


友人に許可を得て、彼の護衛を暫く離れることにした。
代役の護衛はルインに選定させ、その間、訓練場に籠ってはルインと剣を交える。
すっかり今回の件に纏わる憂鬱なことを忘れ、ただ剣を振るって敵を屠ることだけに意識を集中させた。
多少鈍っていた感覚もだいぶ戻ってきている。

「─姫様が、戦場に出られるというのは本当なのですか?」
「…あぁ。お前にその護衛を任せることにしただろう」
「それはそうですが…あの方の存在が、国にとってどれだけ重要なのかは理解しているつもりです」
「そうか…お嬢さんの為に死ねとは言わないが、命を懸けるつもりでいろよ」
「覚悟しています」

ルインの言う国とは、友人と己を指しているのだろうと思った。
面白くなさそうな顔をするルインの様子に、重要度の高い面倒な役目を任せた不満でも言うのかと思った。
見込んで任せているのだから、もう少し気楽に構えてくれていても良いのだが。

「姫様に贈り物でもしたらどうですか?」
「──は?」

ルインに向けて真っ直ぐ伸びていた剣先がぶれて、奴の左側へと逸れてしまった。
突然何を言っているのかと軽く睨み付けてやったが、ルインは構えを解いて考え込んでいる。

「貴方に護衛を任されて姫様のお側にいますが、明らかに気落ちしている様子があります。緊張もあるのだとは思いますが、貴方が怒っているのではないかと思っているようですね」
「…お嬢さんには何も言ってないが」

ため息を吐いたルインが、完全に剣を納めた。
休憩がてら訓練場の片隅に置かれたベンチに腰かける。
傍らに立ったままのルインは、まだ何か言葉を続けるつもりらしい。

「貴方に何も言われないことが不安なのでは?元々口数が多くないのに、さらに普段よりも黙り込んでいれば気にはなるでしょう。しかも、姫様に冷たく接した前科もありますし」
「……それとさっきの話がどう繋がる?」
「死地に赴く兵士が、出征前に想い人に贈り物をするというのはよくある話です。姫様は自分が護衛に付きますが、団長の心も姫様の側に在りますということを示すのに良いと思いまして」

いつもよりも饒舌な右腕の様子に、嫌な予感を覚える。
ルインの語ることは、朴念仁と言われることの多い己でさえ理解できる。
彼女が戦場に赴くことが、今何よりも心を乱している自覚はある。
信頼するルインに彼女の護衛を任せたものの、それでも不安は拭えない。
友人ではないが、側に居てやれたらと思わないこともない。

「……」
「言っておきますが、クレト様にはこの提案は伝えてあります」

嫌な予感が当たり、天井を仰いだ。
ルインの勝手な提案ならば笑って流してしまえば良いと思っていた。
妹が絡むと面倒な男になる友人に既に話が行っているなら、もはや逃げ場はない。
このまま決行日まで関わらなくてもいいだろうと思っていたのに。
これ以上、心を乱されるのは勘弁願いたい。

「今日は宝石商の来訪予定らしいですので、クレト様に団長をホールに案内するよう指示を受けています」
「……お前もグルか」
「人聞きの悪いことを言わないでください。自分だって、貴方の幸福を願っているんですよ」

苦笑混じりの右腕に背を押され、仕方なく訓練場を後にした。
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