誕生日


「君には、守りたい人はいるの?」

誰か一人を、特別視するつもりはない。
仲間ならば、序列化しているつもりもなかった。
皆等しく接している。
彼らも同じように接してくれるのだ。
それに何の疑問も持っていない。
そこまで返答すべき内容を考えたが、結局口に出た言葉は変わってしまった。

「…お前の意図が分からない」

言葉を呑み、選び損なうことの多い己にしては、珍しく素直な言葉が漏れたものだと自身に感心してしまった。
ダブルオーのコックピットに籠って定期メンテナンスを行う自身のサポートに付いていた沙慈は、彼自身も質問の意味を考えあぐねているのか困ったように首を捻る。
メンテナンスの手を止めることなく、沙慈の言葉を待つことにした。

「何て言うか…特別な人?僕にとってのルイスみたいな…好きな人みたいな存在」
「いない」
「そっか…」

反射的に言い切って、それも変なのかと一瞬思った。
全員を等しく扱おうとしても、好み一つでそれも叶わないのだ。
一人くらいは特別だと思える人間がいたとしてもおかしくはないのだろう。
自分のことでありながら、まるで他人事のように考え込む。

「…急にどうしたんだ?」

モニターに向けていた顔を上げ、そこで初めて奇妙な質問をした沙慈の顔をまじまじと見つめ返した。
俯きがちな目をこちらに向け、考えながら話すようにゆっくりとした口調で言葉を続けた。

「刹那は、僕に戦う理由をくれたけど、君が戦う理由は知らないなと思ってさ。君から理由を教えてもらったとしても、君の過去は僕には想像もできないし…」
「……」
「もし、刹那にも僕みたいに誰か特別な人がいるなら、僕の考えられる範囲で君を理解できるかと思っただけなんだ」

変なことを聞いてごめん、と苦笑を浮かべて頭を掻いた沙慈が、作業途中の端末に視線を戻した。
あれだけ戦うことに拒絶反応を示し、CBの在り方を否定していた彼が、こちらに歩み寄ろうとしていることに驚きよりも喜びが勝る。

戦う理由と言うなら、それは己の存在を否定したいために戦っているのだ。
幼さ故に両親の手を逃れ、洗脳の果てに家族を手にかけた。
少年兵という使い捨ての駒に成り果てていることに気づいた時には、ただ生き延びる為に逃げ回ることしかできなかった。
圧倒的な力を持つ『兵器』という神を見出だした頃には、既に帰るべき故郷を喪っていた。
そんな幼少期の己に残ったのは、世界への絶望と戦う術だけだった。
それを惨めだと思ったことはない。
ただ、こんな思いを他者にさせたくはない。
子どもたちの向ける無垢な瞳に、あの頃の己のような荒んだ絶望を映したくはない。
たったそれだけの理由なのだ。
世界を変えたいと願い、己の命を賭して戦うのは。

「…俺のような兵士を生み出したくないだけだ」
「そっか…だから、君は子どもたちを見守ってたんだね」

カタロンでのやり取りを思い出しているのか、沙慈はさらに苦笑した。
恐らく既に家族を喪ってしまったのだろう子どもたちの健やかな様子は、ただ心を穏やかにした。
そして、二度とその穏やかな輪の中には入れないのだと、背けようのない現実を自覚させる。
命を奪い続ける己の手で、子どもたちのまっさらな手を握ることはできない。

「その…てっきりあのお姫様が、君の特別な人なのかなって思ってたんだ」
「……マリナ・イスマイールのことか?」
「えっと…君がカタロンに連れていった人」
「あぁ」

彼女の名前を口にすると、あの儚い面差しが脳裡に蘇る。
碧い瞳も、艶やかな髪も。
そして、己を呼ぶ穏やかな声も。
彼女のことを、特別なのだと考えたことはなかった。
仲間とは違う扱いをしているのだろうとは思っている。
出逢いも、お互いの立場も主張も、何もかもが相容れない存在と言う他にない関係でありながら。
──彼女が平穏無事に過ごせているように、と。
無条件に思うしかないのだ。
己の手で彼女を護りたいという無謀な願いは抱いていない。
ただ、彼女の平穏を祈る気持ちはある。

「…彼女が無事なら、それでいい」
「そういう気持ちなら、僕にも理解できるよ。ルイスが生きててくれて、それだけで嬉しかった」
「……」
「なら、やっぱり君にとってその人は特別なんじゃないのかな?」

沙慈の明るい声が、チクリと胸の奥を刺した。
イアンに呼ばれて離れていく沙慈の背中を見送り、ようやくモニターに視線を戻した。
システム上は何の異常もない。
メンテナンスも終わってしまったが、モヤモヤとした胸の裡を処理できぬまま部屋に戻る気にもならなかった。
携帯端末を取り出して、酷くゆっくりとした手つきで端末を操作する。
世界中のニュースを表示しながら、中東方面のニュースを検索する。
情報統制がされているらしく、中東方面のニュースは数が少ない。
カタロンの基地を摘発した、連邦政府による解体が進んでいるといった不穏なものが少数報道されているだけだ。
国を治めていたはずの彼女は、今やレジスタンスに保護されて身を隠して過ごしている。
それが最善だったのかは解らない。
しかし、ここに居ても彼女が戦場の最前線にいることになるだけだ。
他者の死を忌避する彼女に、その状況は酷だろう。
過去のニュースを画面に表示し、幾つかを拡大する。
出逢った頃の彼女の姿が、画面に映った。
露出の少ない民族衣裳に身を包み、艶やかな黒髪が長く伸びる。
儚げな面差しは、日の光に照らされてなおも白い。
空のような、海のような碧い瞳は、悲しみを滲ませている。
彼女は、いつも泣き出しそうな顔をしていた。
上手く進まぬ現実に押し潰されながら、立っているのがやっとのようであった。
…何も、守れてなどいない。
彼女に救いを見出だしたというのに。
勝手な希望を押し付けて、彼女に救われた気でいる。
彼女は、今も苦しい環境に置かれている。
護りたいとは、口が裂けても言えやしない。
特別視しているのだとしても、それが彼女にとって良いことにはならないだろう。

「……マリナ」

画面に表示された彼女の眦をなぞるように指を触れる。
胸の奥では、言葉にできない想いばかりが渦巻く。
ただ、彼女に名前を呼んでほしい、と。
子どものような願いが思い浮かんでいた。
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