第一章 郷に入れば郷に従え
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遠くから鳥のさえずりが聞こえてきて、私は落胆と安堵の混じったため息をつく。長い夜が終わった。
『また寝られなかった』
布団をたたみ、身支度を整えた私は井戸へと向かう。山の端が明るくなっているので、もうじき朝日が昇るだろう。
眠れない原因は分かっている。静かすぎるせいだ。
私の家は田舎だったので都会よりはずっと静かだったが、それでも時計のカチコチという音や電子機器の音。それに文次郎と一緒に
寝ていた。
一年は組の子が泊まりに来てくれる時は良く眠れるのだが、私から一緒に寝てとは言いだせない。
夜が明けたばかりなのに、今から寝る時のことを考えて憂鬱になる。
『夜が怖い』
私は昇り始めた朝日にポツリと呟いた。
9.安眠の方法
廊下を歩きながらぐーっと伸びをする。
今日は何事もなく早めに仕事を終えることができたので夕食まで時間がある。
『こんにちは』
「ユキさん、こんにちは」
図書室の戸を開けるときりちゃんがいた。
今日は図書委員の当番の日だったみたい。
「図書室で会ったの初めてっスね」
『うん。はじめて図書室に入るよ』
「ユキさんの図書カード作りますね」
『長次くんに用事があってきたの。今日、当番だったよね?』
キョロキョロと辺りを見たが姿は見当たらない。
「中在家先輩なら本を返却していない人のところに行っていますよ。すぐ戻ってくると思うから待ってる?」
『そうさせてもらおうかな』
松千代先生や他の生徒もいないので図書室は私ときりちゃんの二人だけ。図書室って静かにしていないといけないから実はちょっと苦手。
「せっかくだから本借りる?」
『漫画とかなら』
「あはは。ユキさんらしいや」
『えー私ってどんなイメージなの?』
顔を見合わせてケラケラ笑う。
『そうだ。お菓子作りの本あるかな?』
「ありますよ。こっちの棚っス」
きりちゃんに棚まで案内してもらう。
こんなに沢山本があるのに全部の場所覚えているのかな?凄い!
「お菓子作るの?」
『前にきりちゃんから長次くんがボーロ作り上手だって聞いたから、今週末に教えてもらうことにしたの』
「へえ。良かったね!」
『うん。楽しみなんだ。ちゃんと作れるように頑張る』
きりちゃんは図書委員の仕事に戻り、私は本をペラペラとめくる。和食、民の料理、南蛮料理……あった。南蛮菓子の本。
『カステイラ、金平糖もある。カルメ焼き。これだ。ボーロ!』
挿絵を見ているだけで楽しく、美味しそう。
ただ、単位がグラムなどで書かれていないから全然わからない。文字もなんとなーくしか読めないから勉強したいな。教材は面白い物語だったら楽しく勉強できるかも。
私は図書室を回り、見たことのある題の本を手にとった。
『宇津保物語』
ページをめくる。
『うっ。全然読めない。面白そうなのに残念』
ため息をついて肩を落とし、本を戻す。
他の棚に移って読めそうなものを探す。
下の棚に昔話の本が置いてあった。
内容も桃太郎などの有名な話ばかり。
これなら文字の勉強に使えそう。
『……っ!』
本を持って立ち上がった瞬間、ふらっと揺れたかと思ったら、目の前が真っ白になった。
気づいたときには畳の上に倒れてしまっていた。一瞬気を失っていたらしい。
体の感覚が戻ってきて痛みを感じ、誰かがこちらに走ってくる足音が聞こえてきた。
「ユキさん!」
『あ、きりちゃん』
身を起こすのをきりちゃんが手伝ってくれる。まだ若干頭がグラグラしていて気分が悪い。
『立ち眩みしちゃって。アハハ、派手にこけて驚かせちゃったね』
「新野先生呼んでこようか?」
『急に立ち上がったのが悪かったの。だから保健室は行かなくていいよ』
『ありがとう』と頭を撫でるがきりちゃんは心配そうな顔で私を見つめている。
私は壁にもたれて体を楽にした。
ふと見ると障子から差し込む光が茜色に変わっていた。日はあっとゆう間に暮れてまた夜がやってきてしまう。
嫌だな……
「何か……悩み事があるんじゃない?」
『え?』
じっと私を見つめていたきりちゃんが口を開いた。
「だって来た時より顔色悪くなっている気がする。この前は廊下でぼーっとしているの
見たし。どうしたのかなって思ってたんスよ」
気づかれていると思っていなかった私は目を瞬いた。
「僕じゃ頼りにならないかもしれないけど話してよ」と言ってくれる。きりちゃんが気づいてくれていたことに驚きと嬉しさが入り混じる。
『悩みって言っても大したことじゃないんだよ?』
「うん。いいよ」
『実は最近眠れなくってさ』
私は環境が変わって少々不眠気味だと白状した。恥ずかしながら夜が静か過ぎて怖いことも。
私の情けない話を真剣に聞いてくれる。まだ小さいのに思いやりがあって本当に良い子だな。
『聞いてくれてありがとう。悩みって話すだけで楽になるんだね』
「……でも、眠れないの辛いよね。何か良い方法ないんスかね?」
『戸を全開にして寝てみようかな。外の音聞こえて眠れるかも』
「それじゃ風邪ひいちゃうよ」
きりちゃんが顔を顰めた。
「あ!眠くなる本を読めばいいんスよ!」
立ち上がってタタッと棚の間を走っていくきりちゃんは一冊の本を手に持ってきた。タイトルは全部漢字。
「じゃーーん。これなら読んでいるうちに眠くなるよ」
『難しそう。誰の本?』
「学園長先生の自伝っス」
眠くなる本の代表で持ってこられた自伝。自信満々の顔のきりちゃんに私は堪えきれず吹き出した。
『そんなこと言ったら学園長先生に怒られるよ~』
ページをめくってみる。漢字だらけな上に崩れた文字。私は正直に字が読めないことを伝えた。
「ユキさんの世界と文字が違うんスね」
『せっかく勧めてくれたのにごめんね』
「今度、本が読めるように読み書き教えてあげるよ」
『きりちゃんの個人授業なら上達しそう。お代は安くしてくれる?』
「いいっすよ。特別価格にしてあげる」
ニシシと笑うきりちゃん。
私は昔話の本を借りる手続きをしてもらった。学園長先生の自伝も文字を覚えたら読んでみよう。
『なかなか長次くん帰ってこないね』
浦島太郎を読み終わり、本を閉じる。
「今回は延滞者が多かったから。でも、中在家先輩が行ったら確実に返却してもらえるんスよ。僕たちだと逃げられちゃうことあって」
『図書委員も大変ね。私も延滞しないよう気をつけます。っ長次くん!び、びっくりした』
いつの間にか長次くんが図書室に戻ってきていた。戸を開ける音も聞こえなかったのに、いつの間に帰ってきたの!?
「お疲れさまっス」
「全部回収できた。戻しておいてくれ」
「分かりました!ユキさんが中在家先輩に用があるそうですよ」
きりちゃんは手にいっぱいの本を棚に戻しに行った。こんなに延長者がいたんだ。長次くん大変だったろうな。
「待たせてしまったな」
『本読んでいたから気にしないで』
私の手にある本を見た長次くんは複雑そうな表情を浮かべていた。確かに“良い子のための昔話”にはコメントし難いよね。
話題を変えて長次くんに渡すものをポケットから取り出す。
『遅くなりましたがボーロの材料費です』
「……気にしなくていい」
『そういうわけにはいかないよ』
長次くんの手を取って封筒を無理やり握らせてしまう。こういう事はきっちりしておかないとね。特にこの時代の卵や砂糖は高いのだから。
『材料も長次くんに揃えてもらうし、私がボーロ作りを教えてもらうのだもの。お願いだから出させて』
「……わかった」
どうにか受け取ってもらえてよかった。用事も済んだし食事前にお風呂入ってしまおう。
私は『また後で』と二人に手を振り図書室を出た。
***
お風呂上がりで体をぽかぽかさせながら食堂に行く。
夕食は遅めに食べているので六年生と食べることが多い。中に入るといつもと同じテーブルで彼らは食事をしていた。
「ユキ」
『こんばんは、仙蔵くん。お茶持ってくよー』
今日こそ仙蔵くんが唸るくらい美味しい緑茶を淹れてやろう。だんだん上手く淹れられるようになっていると思うんだよね。
「今日は、茶はいらん」
めずらしいと思いながら、おばちゃんから夕食を受け取り、留三郎と伊作くんの間に座らせてもらい食べ始める。
魚の骨を集中して取り除いていた私は、みんなの視線が私に集中していることに気がついた。
『え?あげないよ?』
魚を腕で守るようにすると留三郎が「取らねぇよっ」とすかさずツッコミを入れた。反応が早くて嬉しい。
「私たちは長次からユキが不眠症だと聞いて心配していたのだ」
仙蔵くんの言葉にみんなウンウンと頷いている。
『もしかして、きりちゃんとの会話……』
「すまん。聞いていた」
ということは字が読めないくだりも聞かれていたのか。
ちょっと恥ずかしい。
「夜が怖くて寝られないとは可愛いぞ!」
『小平太くんっ。髪グシャグシャになる~』
「僕たちに相談してくれたらよかったのに。眠れないなんて辛かったでしょ」
『伊作くん……(優しい)』
「眠れない原因は夜が静かすぎるから、だったか?変わった原因だよな。普通うるさい方が眠れないだろ?」
留三郎が首を傾げている。
『静かだと時間の感覚が分からなくなって、無重力空間に閉じ込められている気がして息苦しくなるのよ。それに今まで文次郎と一緒に寝ていたから独り寝は寂しくて……』
「っ!」
「文次郎、顔が赤くなっているぞ」
「あ、赤くなどなっていないっ」
仙蔵くんにからかわれた文次郎くんが顔を紅潮させた。
「見ての通り、この文次郎に添い寝は難しそうだ。なんならユキの安眠のために私が
添い寝をしてやってもいいぞ」
「お、おいっ」
さらに顔を赤くする文次郎くんに思わず私は笑みを零す。
『ありがと。でも、遠慮しとく。仙蔵くんが隣に寝ていたら安眠どころか永眠させられそうな気がするもの』
「フッなかなか手ごわいな」
『何か言った?』
「いいや」
仙蔵くんは何故か楽しそうな笑み浮かべていた。
「よし。おしゃべりはここまでだ!ユキ、夜のランニングに行くぞ」
『ランニング!?しかもこれから?』
戸惑う私の手を引く小平太くん。
助けを求めるように振り向くと伊助くんが「実は皆で一つずつ安眠方法を考えたんだ」と言った。驚きで目を丸くする私の前には笑顔のみんな。
「まずは私とランニングだ。体を軽く動かすと寝つきがよくなるぞ」
「帰ってきたら私が鎮静作用のある紫蘇茶を淹れよう」
『仙蔵先生……』
「僕は部屋にお香を持っていくね」
『伊作くん、ありがとう!』
「俺は寝るときにツボを押してやろう。快眠間違いなしだ」
「やらしーぞ、文次郎」
「っ留三郎。お、俺にはお前みたいな下心など、な、ないっ」
「俺が持ってきたのは湯たんぽだから下心なんてない。しかも見ろ!アヒルカバー付きだ。」
「フン。悪趣味で悪夢を見る。」
「んだと文次郎っ!」
ギャイギャイと言い合う二人は喧嘩を始めてしまった。
武器まで取り出したよ!どうしよう……
「いつものことだ」
『こ、これが?』
私の心を見透かしたように呟く長次くんに食堂から連れ出された。バキバキ物が破壊される音が聞こえるけど、本当に大丈夫なのかな?
「小平太と軽く走って来るといい……ユキの部屋で待っている……」
「行こう、ユキ!いけいけどんどーん!」
みんなに気にかけてもらえて嬉しい。
『長次くん、ありがとう!』
「っ!!」
私は長次くんに感謝の抱擁をしてから小平太くんの後へと続いた。
『おぶってもらっちゃってごめんね』
「ユキは羽みたいに軽いぞ。もっと太っていいくらいだ」
夜のランニングは思っていたよりも本格的で私は裏山の獣道を爆走するという貴重な体験をすることになった。
下山したところで文字通り一歩も動けなくなってしまった私を背負ってくれる小平太くんは涼しい顔。
天真爛漫な彼が見せる男らしさに私は少々戸惑い気味。
「走ると気分がスッキリするだろう?」
『うん。良く眠れそうな気がする』
「それなら毎晩付き合おう!」
『毎晩!?』
私の裏返った声を聞いた小平太くんが楽しそうに笑う。
「ユキは運動神経が良いから、今日のように鍛錬すれば裏山往復くらい軽く走れるようになるぞ」
『“軽いランニング”だったはずだよね?』
「細かいことは気にするな!」
『えぇっ!?』
私は小平太くんの背中をポカポカと叩いた。
井戸で汗を拭いて自分の部屋に戻ると中でみんなが待っていてくれた。
『わぁ~良い香り』
部屋に満ちた上品で爽やかな香りを胸いっぱいに吸い込む。うさぎの形をした香炉から白い煙が細く出ている。
『森の中にいるみたい』
「よくわかったね。ヒノキのお香だよ。精神を安定させて安眠を導く効果があるんだ」
ふんわり微笑む伊作くんに促されてお布団に入る。
『あったかい……』
足元に感じる温かさに自然と顔が緩む。
手を伸ばして引っ張り出してみるとアヒルのぬいぐるみが出てきた。黄色いくちばしにまん丸の目。とぼけたような顔に見つめられてクスクス笑いを零す。
『これ、すっごく可愛い』
「お、おう。用具委員のアヒルボート湯たんぽだ(っ!ユキのくせに可愛い……)」
『アヒルボートって足で漕ぐあれのこと?』
「あぁ。池にニ代目がある。今度乗りにくるか?」
『乗りたい!』
天気の良い日にのんびりボート漕ぐの気持ちいいんだよね。
「お茶が入ったぞ」
『ありがとう』
「熱いから気をつけろ」
優雅な所作の仙蔵くんから手渡されたお茶から優しい香り。
「青紫蘇と赤紫蘇のブレンド茶だ」
綺麗な水色のお茶を口に含むと紫蘇の香りかふわっと広がった。ほっこりするなぁ。
「鎮静作用があり風邪にも効果がある。他にも殺菌、整腸、食欲増進……は必要ないな」
『私から大食いのイメージ捨ててよぉ』
ニヤリと笑う仙蔵くんに頬を膨らませる。
「さて、いよいよムッツリ文次郎の番だな」
「っ留三郎!」
『……』
「お、俺を変な目で見るな。やましい事など考えてないぞ」
『プッ。ごめん。反応が面白いから。よろしくお願いします』
「おう(からかわれていたのか……)」
私の後ろに回り込んだ文次郎くん。
ツボ押しって痛むのだろうか……ちょっと怖いかも。首筋に手が触れて思わず身を固くする。
「こら。固くなるな」
『だって痛いかなって』
「心配しなくていい」
優しくなった声に肩の力を抜くと大きな手が私の首筋を包んだ。
『……ん』
「痛むか?」
『ううん。そこって何というツボなの?』
「安眠というツボだ。そのまんまだな」
『面白いね』
「お前、肩もこってるな」
『そうかな?』
「ついでだ。背中のツボも押してやる」
『わーい。ありがとう』
文次郎くんに甘えさせてもらってうつ伏せに横になる。
慣れない正座で事務作業しているから肩がこってて困ってたんだよね。背中を撫でてくれる大きな手。
みんなが行ってくれた安眠対策の効果もで始めて、体はポカポカ、頭もぼんやり。
そこにギューと肩甲骨に痛気持ちいい感覚。
『ッンア―――ンン……』
「す、すまん」
『違うの。凄く気持ちよくて』
私の声に驚いてバッと手を離した文次郎くん。
『驚かせてごめん』と謝って私は再び枕にボスっと沈んだ。眠くて気持ちよくて天国にいるみたい。
「……続けるぞ」
『……うん……あ、そこ』
「ここか?」
『ん……気持ち、いい。はあぁ、んっ』
「……」
『ァン……文次郎、くん……』
「な、なんだ?」
『もうちょっと奥まで』
「……痛くないか?」
『うん……すごく、上手だね……あっ……ん』
「っ!?(理性が飛ぶっ)」
肩のコリがほぐれていく。文次郎くんはマッサージの天才だよ。
「ちょ、長次、本持ってきてたよな」
『?留三郎、何でどもってるの?』
枕から顔を上げると真っ赤な顔の留三郎が慌てふためいた。彼に何があったのでしょう?
不思議に思いながら長次くんを見ると何故か彼も真っ赤。
その彼の手には一冊の本。
『宇津保物語だ!』
「読みたいと言っていたのが聞こえてな」
『嬉しい!読んでくれるの?』
顔を赤くしたままコクリと頷いてくれる長次くん。
今は、式部大輔、左大弁かけて―-――――――
長次くんの落ち着いた温かな声が耳の奥底で優しく響く。私は溶けるような安心感に浸りながら心地よい夢の中へと落ちていった。
「寝たみたいだね。ふふ、可愛い寝顔」
「頬をつつくな、伊作っ」
「そういう留三郎も布団からもっと離れろ」
「お前こそいいかげん布団から下りろ、文次郎」
「五月蝿いぞ。ユキが起きてしまうだろう」
「そういう仙蔵もちゃっかり手を握っているね。早く離しなよ」
「(伊作!?)……あぁ。っ!?小平太、なにをしている!?」
「目が覚めて一人だと可哀想だからな。私はユキの隣で寝るぞ」
「ば、馬鹿言うなっ(何か踏んだ?)」
「痛っ。文次郎、てめぇ人の手を!」
「二人とも落ち着いて!ユキちゃんが起きちゃうよ!」
「眠れないなら、私が夜通し相手をしてやるさ」
「ユキのほっぺは柔らかいなっ!」
ユキの布団を囲んで騒ぎはどんどん大きくなってくる。
「……お前たち」
一斉に振り返った彼らが見たのは血も凍りつかせるような長次の笑顔。
ユキは朝までぐっすり眠ることが出来たのだった。