第六章 君が好き
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君が好き~土井半助 其の参~
弥生、梅の花が咲く時期に六年生たちは卒業してそれぞれの道を歩みだした。忍術学園は春休みに入った。
私は半助さんときりちゃんの家にお邪魔していた。三人で地図を見ている。明日から梅夢三脚烏大社へ旅行に行くことになっている。
「山をいくつも越える長旅になるからくれぐれも無理をしないように」
『はい』
「ユキさん絶対に強がったらダメだからね」
『何かあったらちゃんと言うね』
二日後、私たちは梅夢三脚烏大社へと出発した。小春日和で風が暖かい。きりちゃんも私も初めての長期旅行に大はしゃぎだ。
『「百パーセントゆーうきー!もうやる気るしーかなーいさー!」』
歌いながらぴょんぴょん跳ねていると街道を反対側から歩いて来る人にクスクス笑われる。でも、気にしなーいっ。
「体力を消耗するから大概にするんだぞー」
『「はーい」』
半助さんに声をかけられて振り返ると、半助さんは五十メートルほど後ろで笑っていた。私がハアハア息をし、後ろ向きに歩きながら大きく半助さんに手を振っていると、カチャリと胸元で音が鳴った。
胸元に手をやる。そこには紐にネックレスのように巾着がぶら下がっていて、中にはギメルリングが入っている。
ギメルリングとは別名双子指輪。
これは十六世紀から十七世紀のヨーロッパで結婚・婚約指輪として流行った指輪で、二本の指輪が組み合わされて一本になる指輪の事をいう。
一対は父と母が夫婦の証として持っていた。父は金の指輪にブルートパーズがついたもの、母は銀の指輪にガーネットがついた指輪。
もう一対は私と弟で持っていた。私は金の指輪にアメジストがついたもの、弟は銀の指輪にエメラルドがついた指輪。
私はこちらの世界に来る時、指輪クリーニングに出していたこれらの指輪を全て手元に持ってこちらへやってきた。
私はきりちゃんが養子になった時に彼に弟が持っていたエメラルドがついた銀の指輪を親子の証として渡していた。
『きりちゃん私さあ』
「なあに?」
『この旅行を新婚旅行にしてやろうと思っているんだ』
きりちゃんが立ち止まってポカンとした。
「えっ・・・」
『母さん一世一代の勝負に出るわ』
「ぐえ!?もしや夫婦になって下さいって言うつもり!?ユキさんから?!」
『断られたら気まずい道中になりますがどうぞ宜しく』
「宜しくされたくない!」
『片膝ついて指輪を差し出すわ』
「凄く似合いそう」
『花束も用意した方がいいかな?』
「うーん。そうだね・・・」
きりちゃんは曖昧な返事をしながら眉を寄せた。
この世界の星空は美しい。満天の星空の下、夫婦になって下さいと申し込むのはとても素敵だと思う。タイミングを見計らって実行しようと心に決めていると半助さんが追い付いてきた。
「あそこにある一本松まで行ったら昼食にしよう」
私たちは松の下に腰かけてお弁当のおにぎりを頬張る。酸っぱい梅干しが入っていて食欲がそそられる。因みに私が焚くとおかゆになる可能性大ということでご飯を炊いてくれたのは半助さんだ。私ときりちゃんは握る係。
「梅夢三脚烏大社には本当に三本足のカラスがいるのかなぁ?」
三本足のカラスは八咫烏で日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に出てくる。梅夢三脚烏大社では導きの神鳥として信仰されている。
『きっといると思うよ。お参りに来る私たちを見てくれているはず』
「導きの神鳥だから、家に無事に戻って来られるようにお守りが欲しいと言っていたね」
半助さんに頷く。
『二人ともちゃんと私のもとに戻って来られますように』
教師をしながら危険な任務をこなしている半助さんに、これから上級生になるにつれて危ない課題も出てくるきりちゃん。私には二人の無事を信じて待っていることしか出来ない。せめてお守りの力にあやかれればという思い。
たっぷりと半日歩いた私たちは旅籠についた。
一日中歩いた足はぐったりとしていて、夕食を頂けば既に眠くなっている。まだまだ先は長い。私は寝る支度をしてさっさと布団を敷く。
『おやすみ世界!』
くかー
「寝るの早っ」
きり丸は妙なテンションを振りまきながら五秒で寝た母親を見て呆れて溜息を吐き出した。
「きり丸も早く寝なさい」
「えーと・・・僕はちょっと土井先生にお話が」
「なんだい?」
「こんなこと僕が首を突っ込むことじゃないんすけど・・・」
だが、言わねばなるまい。
土井先生の為だもの、ときり丸は思う。
「率直にお聞きします。土井先生はユキさんと夫婦になりたいですか?」
教え子からの不意を突いた恋愛に関する質問に「なっ!?」と声を上げた半助は頬をほんのり赤くしながらも直ぐに余計なお世話だと眉を顰めて見せた。
「きり丸に話すことじゃあない。これは私とユキの問題だ」
「僕はユキさんの子供なので関係ありまくりっすよ」
「うっ・・・そうだな。だが!これに関してはユキと意思を確かめ合いながら進めていこうと」
「向こうはそう思っていないみたいですよ」
「どういうことだい?」
まさか全く夫婦になる気がないのだろうかと半助は心配になった。
ユキは仕事熱心で、仕事が好きだとよく言っている。出来ればずっと忍術学園で働き続けたいとも。恋仲になれども、夫婦になるのは望んでいないのではないのだろうか。ユキといられればそれもそれでいいのだが・・・。
顔を暗くする半助にきり丸はおずおずと切り出す。
「実は、ユキさん・・・この旅で土井先生に夫婦になって欲しいと申し込むらしいですよ」
「は・・・?」
ぽっかりと口を開けた半助。
ポーンと嬉しさで頭から花火が上がったが、次に思ったのは、これはまずい、という思いだった。恋仲になりたいと告白してきたのはユキからだった。まさか夫婦になろうというのまでユキに言われるわけにはいかない!
「必ず先手を打たないと」
「そうっすよねー」
「きり丸!ユキはいつ私にそれを言うと言っていたんだ?」
「明確には言っていませんでした。ですが、片膝ついて指輪を差し出し、花束も用意すると言っていました。ユキさん本気で計画立てていますね」
「どれもユキがされたいことと捉えていいのだろうか?指輪も用意したのか・・・?」
「指輪はこれっす」
きり丸は自分の胸元から銀色の指輪を取り出して、ギメルリングの説明をした。
「一つになっている指輪を捻ると、こうして二つに分裂するんすよ」
「凝っているなぁ」
自分にこれ以上のサプライズが出来るのだろうかと半助は不安になる。
「梅夢三脚烏大社につくまでまだまだありますので、頑張って下さい!応援していまっす!僕は寝まっす!」
言いたいことを言い終えたきり丸はさっさと布団に入る。彼の任務は終了だ。一方の半助の方はそうはいかない。
「ああああ。どうすればいいんだ~」
この旅で夫婦になろうと言うことは決めた。あとはユキが喜ぶような何かを用意したい。
野村先生のようなお方なら女性があっと言って喜ぶようなことが思いつくだろうに!
旅の道中、そんな野村はいない。自分で考えるしかないのだ。
旅路一日目、半助は眠れない夜を過ごしたのだった。
春の雨に当たることなく、私たちは梅夢古道に到着した。半助さんが上手にペース配分してくれたおかげで皆元気に歩いている。
この山道を登れば梅夢三脚烏大社に到着だ。
『凄い。清廉な空気で体が清められるよう』
「ユキさん沢山深呼吸しなきゃ」
『すーはーすーはー。出ていけ卑猥な考えよ』
「八咫烏さーん。ここに変態がいまーす」
『急に自分が罰当たりな人間なように思えてきた!』
「八咫烏にお尻突っつかれちゃえっ」
『私は八咫烏。きりちゃんのお尻を啄んでやろうっ』
「わーっ!」
私が手を鳥の嘴のようにしてきりちゃんのお尻を狙って走り出すと、きりちゃんはゲラゲラ笑いながら山道に作られた木の階段を駆け上がって行く。
「まったく!危ないし不謹慎だからって、ブッ。ユキ!変な踊りはやめなさい」
大きく足を開いてガニ股になり、両手を嘴の形にして左右にブンブン振っていると半助さんは噴き出して地面に笑い崩れていった。
私ときりちゃんは半助さんの元までタカタカ戻り、両脇に手を突っ込んで立ち上がらせる。
「ああっ。笑って涙がっ。お腹が痛いっ」
『私と夫婦になったら笑いの絶えない家庭にしますよ?』
布石を放つと半助さんは驚いた顔をした後、「それは楽しみだ」と笑ってくれた。よし、手ごたえあり!
サラサラと流れる川の音がどこからか聞こえてくる。
期待をしながら歩いていた私たちの視界は急に開けた。
『「「凄い!!」」』
そこには百メートル以上あろうかという大きな滝があった。切り立った崖から流れ落ちる白い滝。水飛沫が飛んできて体を、心を癒してくれる。森の神、海の神、この滝にも神様がいるような気がすると思ってふと見ると、他の参拝客が手を合わせて滝を拝んでいた。
私たちも両手を合わせる。
「ユキさん何を祈ったの?」
『世界平和』
「懐が深いっ」
「ハハハ」
『笑っている半助さんこそ何を祈ったんですか?』
「私は美味しい川の恵みをいつもありがとうございます、と」
『模範回答!きりちゃんは?』
「今後も銭儲けをさせて下さい」
『飲み水売り、魚の販売、川の恵みだね』
私たちは山登りを再開した。
前にも後ろにもちらちらと人が歩いているし、梅夢三脚烏大社から戻ってきたであろう人たちも上から下りてくる。
登り切った先にあったのは朱色の御本殿。
圧巻の堂々とした佇まいに圧倒され、私たちは神聖な気持ちで姿勢を正した。
まずはお参りから。
「見て、ユキさん。八咫烏がいるよ」
きりちゃんが指さす先には狛犬に代わり八咫烏がいた。ちゃんと三本足のカラスだ。
『可愛いね』
「うんっ」
お賽銭を入れて拝む。今度は自分の事を祈った。大好きな人たちとずっとずっと一緒にいられますように。特に両隣の人たちのことを頭に思い浮かべて強く祈る。
『見て回ろう』
梅夢三脚烏大社はとても広い。
じっくりと見学させてもらっていた私たちがやってきたのはご神木。列が出来ていて、みれば皆ご神木に自然と出来た穴から体を通り抜けさせている。
不思議そうにしていると巫女さんが「通り抜けるとご利益があるのですよ」と教えてくれた。私たちも列に並んで通り抜けえることに。きりちゃん、私、半助さんの順だ。
『あっ!引っ掛かった!?!?』
きりちゃんの後に続いて這いつくばって御神木を潜っていた私は悲鳴に近い声を上げた。
『ど、ど、ど、どうしよう!』
脚が抜けない。あわわわわ。
「落ち着いて」
後ろから半助さんが声をかけてくれるが、落ち着いてなんかいられない。
「きりちゃん、引っ張って」
「うん!」
「ユキ、少し体を引っ張るぞ」
後ろから声が聞こえた。
半助さんが腰を持ち、きりちゃんが両手を引っ張る。
『え、待って。ぐっ!?』
体がみしっと鳴った。
噴き出す参拝客とクスクス笑う巫女さん。
脚の詰まりが取れた私は真っ赤になりながら『ご利益がありますように』と呟き、無事にご神木を潜り抜けたのだった。
神社近くのお茶屋さんでお団子とお茶を頂いていると、半助さんがきりちゃんに声をかけてどこかへ消えていった。連れしょんか?
お腹が吃驚しないように頂いたお水を少しずつ頂いているときりちゃんが戻ってくる。
「土井先生が呼んでいるよ」
『どこ?』
「連れていく」
お勘定をして、歩いて行くと急にきりちゃんは立ち止まった。
「顔見せて」
『ん?』
「確認してよかった。口にあんこがついている。やめて。袖で拭かないで。拭ってあげるから屈んで」
手拭いを飲み水で濡らしたきりちゃんは汗と汚れとあんこを拭ってくれた。
「そこの角を曲がったら土井先生がいるよ」
『きりちゃんは?』
「いいから行って」
『?』
皆目見当がつかないこの状況に首を傾げながら御神殿の角を曲がると半助さんがいた。
『えっと・・・』
「ユキ」
真面目な顔な半助さんは少し緊張しているようだった。私も自然と緊張しながら彼の前まで歩を進める。
「さっき梅の花が咲いていて、強い風が吹き、この花を落とし、手で捕まえたんだ。桜から始まり、梅に終わる。ユキと過ごしてきたこの一年は私に取って輝いていて、愛おしい一年だった」
半助さんの手から私の両手へ、ひらりと白い梅の花が掌に落ちる。
「明るく前向きに生きようとするユキの生き方が好きだ。周りを気遣う優しい心、困難に立ち向かう姿、君を尊敬している」
半助さんが跪き、手が差し出された。
『半助さん・・・』
私は漸く何が起こっているのか理解した。梅を乗せている手が震えてくる。
「私と、夫婦になって下さい」
ポロリと零れる涙。
胸から嬉しさが溢れ出す。
『はい。お願いします』
半助さんの手を取れば、私の手は包み込まれ、彼は蕩けるような笑みで笑った。私は胸に梅の花をそっと握りながら、立ち上がった半助さんの温かい抱擁を受ける。
「ユキ、愛している」
優しい声と幸せに総身を震わせる私は半助さんの胸に頬擦りした。
『好きです。ずっと一緒にいたい』
「これからの人生ずっと一緒に」
『はい』
顔を見合わせあった私たちは照れながら微笑んだ。半助さんの長い指が私の顔に伝った嬉し涙を拭ってくれる。
ゆっくりと近づいていく私たちの顔。合わせた唇は柔らかく、温かだった。優しく短い口づけの後、私は半助さんの首に腕を回して抱きついた。ああ!幸せ!
掌の梅の花を入れておくのにふさわしい場所がある。私は首に下げている袋を引っ張り出した。梅の花を袋に入れ、代わりに一対のギメルリングを取り出す。
『これはギメルリングといいます。私の父と母のものでした。夫婦の証としてもらって頂けたら嬉しいです』
指輪を捻るとカチッと音がして二つに分裂する。私は金色の指輪を半助さんに差し出した。
『合う指があればいいのですが』
色々試した結果、左手の薬指中ほどがちょうど良さそうだった。だが、忍者なのでこの指輪は外されるだろう。持っていてくれるだけで嬉しい。
「ユキの指につけても?」
『はい!』
半助さんを見上げた私。彼の瞳の中に映った私の顔はキラキラして嬉しそうに蕩けていた。半助さんの手によって左手薬指に指輪がはめられる。その指輪は私には少し大きくて、逞しい母の事を思い出した。
『病める時も、健やかなる時も、愛を持って生涯お互いを支え合うことを誓います』
「私も誓う。信頼と愛情を持って、助け合って家庭を築き、ユキただ一人を愛し抜くことを」
柔らかく降り注ぐ春の陽射しはユキと半助を包み込み、
二人の唇は再び重なる
金の指輪と銀の指輪は光に反射してキラリと輝いた
『ふふふふふ。初めまして、こんにちは。土井ユキになりました!』
私は指輪をはめた拳を天に突き上げた。
「ユキさんが通常運転に戻ったので出てきました。土井先生、にしし。ユキさんと夫婦になれて良かったっすね!」
「きり丸は私が父親になってもいいかい?」
「っ!」
きりちゃんは目を見開いて真っ赤になった。
私を見上げるきりちゃんにニコッとして頷くと、きりちゃんは恥ずかしそうに表情を崩してコクリと一つ頷いた。
「下山しようか」
『「はーい」』
きり丸を真ん中にして、右に半助、左にユキ。
山を下って行く三人の頭上に三本足のカラスが飛んだ。
***
新年度が始まり、新入生が入り、在校生も学年が一つ上がった。私も心機一転お仕事を頑張ろうと思っているのだが、最近眠くて仕方がない。春眠暁を覚えずだろうか。
「ユキちゃん辛そうだね」
「いえいえ、小松田さん。春だからぼんやりしているだけなんです。そうだ。お茶を淹れてきますね」
「火には気を付けるんですよ」
心配そうな吉野先生に見送られて厨へと向かう。そこには新六年生の姿があった。
「よお!」
私に気づいてくれた三郎くんにニコリとしながら皆の姿を見れば、忍装束は綺麗であるものの顔や体は傷だらけになっていた。
『実技の授業?』
「六年生になってから一発目の実技授業だったんだけど・・・求められるものが一段と高くなってへとへとだ。お風呂に入って汚れを落とし、着替えたところだ」
兵助くんが肩を落としながらハハハと笑った。
「改めて、中在家先輩たち先の六年生は凄かったんだって思い知らされる」
と雷蔵くん。
「まあ直ぐに追いつくけどな!」
勘右衛門くんがニッと笑った。
「ユキは水?お茶?」
優しい八左ヱ門くんが湯呑を棚から取り出してくれる。
『事務室に持っていくから三つお願・・・』
「ユキ?」
八左ヱ門くんが心配そうに眉を寄せる前で私は口を押えていた。むっとした魚の匂いが鼻腔を突いて吐き気を催す。
「大丈夫か?ほら、水」
『ありがとう、三郎くん』
だが、水の匂いも水独特の臭さで私は湯呑に口をつけられなかった。
『昨日の夜、盗み食いしたのが悪いのね』
「また変なもの食ったのか?」
『勘右衛門くん、またって何よ、またって。いやー・・・でも、大根輪切りにして酢をかけて食べるっていう料理とはいえないものを食べたんだけど』
「おほー。野性的だな」
「酢で胃が荒れたのかもしれない。新野先生に診てもらった方がいいよ」
『休み時間になったら診てもらう。ありがとう、雷蔵くん』
皆は次の授業に向かっていき、私はお茶を沸かしている間にこっそり盗んで食堂のおばちゃんが漬けた梅干を五つ食べ、事務室に戻ったのだった。
結局昼休みは忙しかったのとタイミングが合わずで保健室に行くのは今まで引き伸ばしになっている。
今の私は正門を隔てて花房牧ノ介と押し問答中。
「だーかーらー!戸部新左エ門と決闘の約束をしているんだ!」
『だーかーらー!戸部先生からあなたを通すなと言われていますっ』
「ハッ。戸部新左エ門ーっ。私が恐ろしくて逃げたのだなっ。ガッハッハ」
『笑いながらお引き取り下さいっ』
「え~~~っ。冷たい!」
『あなたはブラックリストに載っているんです。絶対にこの門は開けませんよ』
そう言うと、一瞬の静けさがあった後に大きな悲鳴が聞こえてきた。
これ、二回目ですね。同じ罠には引っ掛かりません。私は校舎の方へ帰ることに。
「酷いっ」
後ろから花房牧之助の啜り泣きが聞こえてきた。やはり襲われた演技をしていたらしい。引っ掛からなくて良かった。
「今回だけでいいから開けてくれよ~~~。お腹減った~~~」
『もはや目的がずれている』
門前で騒ぐ花房牧之助を放置していても良いのだろうかと考えていると楽しそうな笑い声とお喋りが聞こえてきた。学年が上がっても仲良しな乱きりしんの三人だ。
「「「ユキさ~~~んっ何しているのー?」」」
タタタっと三人は私のもとに駆けてきてくれる。
『花房牧之助に困っているところだよ』
「うわぁ。また来たんだ」
私にお疲れと労ってくれる目を向けてくれるきりちゃん。
「お腹減ったよ~~~~」
花房牧之助の言葉に同調するようにしんべヱくんのお腹が鳴る。
「なんだか花房牧之助が可哀そう」
『しんべヱくん、心を鬼にせねばなりません』
「そうだよ、しんべヱ。花房牧之助が忍術学園の中に入ったらまた騒ぎが起こるもの」
きりちゃんがしんべヱくんと乱太郎くんを促してここを離れようとした時だった。門の外から「痛い~~~」と叫び声が上がる。
「大変だ!」
あぁ、心優しき少年よ・・・。
乱太郎くんは正門の潜り戸を開けてしまった。
入ってきたのはニヤニヤ笑いの花房牧之助。
「戸部新左エ門ー勝負だー!の前に腹ごしらえだっ」
「しまったーっ!」
「食堂のおばちゃんのご飯を食べつくしてやるっ」
「ええっ。そうはさせないぞ!」
乱太郎くんとしんべヱくんが花房牧之助を追いかけていく。
潜り戸を施錠して私も追いかけていこうとしたのだが、くらりと視界が揺れてその場に蹲った。
「ユキさん!?」
背中を摩ってくれるきりちゃん。
「眩暈?」
『眩暈と吐き気が』
「歩ける?それとも人を呼んでこようか?」
『もう少ししたら落ち着くと・・・』
あぁ、早く花房牧之助が忍術学園に侵入したと伝えに行かなければ。戸部先生にもご迷惑をかけるだろうな。それにしても気持ち悪いと考えていると隣のきりちゃんが安心した声を上げて立ち上がった。
「土井先生!良かった。こっちこっち!来てくださーい」
手を口に上げながら顔を上げれば半助さんが走ってきてくれるところ。心配そうなその様子に申し訳なくなってしまう。
「どうしたんだい?」
「眩暈と吐き気があるって」
「ユキ、真っ青だ。新野先生に診てもらおう。抱き上げるから私の首に腕を回して」
『花房牧之助が・・・』
「それなら綾部喜八郎の穴に落ちて捕縛されたから大丈夫だよ」
『良かったです』
「良くないのはユキだ。さあ、腕を回して」
「お世話になります」
吐き気があると言う私を半助さんは慎重に運んでくれた。隣をきりちゃんが心配そうについて来てくれる。
新野先生はいらっしゃって診察を受けることに。まずは問診から。
「最近寝ても寝ても眠いと」
『はい』
「胃もむかつくんですね」
『そうです。なんだか最近匂いに敏感で・・・ハッ。ついに私も忍の才能が開花したとか』
「では、食欲がないんですね」
新野先生は私の才能の開花に興味を持たずに問診を続ける。
『いえ。空腹感はあるんですよ。昨日の夜中も生の大根を輪切りにして酢をかけて食べました』
「酸っぱいものを好む傾向が?」
『そうですね。酢の物、梅干・・・』
「分かりました。脈を診ましょう」
苦い薬を処方されませんように。
それを念じていた私の視界にそわそわしている人が映った。半助さんだ。
『?』
目の合った半助さんに首を傾げると、緊張したような笑みが返ってきた。
『?』
新野先生の指が手首から離れる。新野先生の優しい顔が更に優しくなって、顔に微笑が浮かんだ。
「おめでとう」
『?』
「妊娠三ヶ月だね」
『でえっ!?』
「わああっユキさんおめでとう!」
吃驚体を跳ねさせる私と歓声を上げてくれるきりちゃん。私はあんぐり口を開けたままお腹の父親を確認しようとしたのだが、視界は真っ暗になった。
「ユキっ」
視界が暗くなった原因は半助さんだった。正座する私のことを立膝をついた半助さんが抱きしめてくれている。
「ありがとう、ありがとうっ」
『半助さん・・・』
喜びの滲んだ震える声に私も涙がこみ上げてくる。
ぎゅっと抱きしめ合う私たちは幸せを噛みしめる。
『きりちゃん!兄弟が出来るよ』
「うんっ。楽しみ!」
きりちゃんは手を頭の後ろに組んでニシシと笑った。
子宮の位置を摩る。ここに小さな命がいる。喜びと・・・不安。私は半助さんを見上げた。
「一緒に育てていこう」
頼もしい半助さんとだったら大丈夫。
私は頬を緩ませ、頷いたのだった。
忍術学園での仕事は危険ということで、私は一時退職して半助さんときりちゃんの家で住むことになった。私ときりちゃんの家は家賃の更新を打ち切った。
「ユキちゃんがいないと寂しくなるわぁ」
『子供が元気に生まれたらまた便利屋さんしに来ますから!』
近所のおばちゃん、おばあちゃんに別れを告げて半助さんの家へ。そこでは私も顔馴染みの近所のおばちゃんと大家さんが待っていてくれた。
「この長屋も賑やかになるなぁ」
「ユキちゃん、おばちゃんが手伝ってあげるから何でも言ってね」
『ありがとうございます』
「大家さん、おばちゃん、ユキを宜しくお願い致します。私も出来るだけ家に帰ってくるようにします」
「ユキさんくれぐれも体に気をつけてねっ」
近所のおばちゃんに料理を習い、産着を作ったり、自作の絵本を描いたり。春が過ぎ、梅雨が過ぎ、私は半助さん相手に理不尽に爆発し、カンカンと太陽が照らす夏が来て、私はまた半助さん相手に理不尽に大噴火を起こし、山から秋の風が町へと流れ込んできた。
「ただいまー!」
佃煮を作っていると元気なきりちゃんがガララと戸を開けて家に入ってきた。
『おかえり』
「いい香りだね」
『ふふ。半助さん、味見してみます?』
「うん。その前に赤ちゃんにご挨拶だ。元気にしていたかな?」
半助さんがしゃがんで私の大きなお腹に耳を当てている。
『火の前で危ないですよ』
「料理は僕がやるよ」
きりちゃんが木べらを私の手から抜き取ってくれた。
「上に上がって休んでいてよ」
『ありがとう。甘えさせてもらうね』
「腰が痛そうだ。腰痛体操を手伝うよ」
『おねがいしま・・・』
半助さんに手を借り、腰を支えられて歩いていた私は脚を止めた。
ブッシャ
ブチッと音がしたと思ったらジャッと水が出てパンツを通り越して土間を濡らした。量的に尿漏れとは違うような・・・。
私は半助さんを見た。半助さんは目を見開いてポカンと口を開けている。
私と半助さんはポカンと顔を見合わせ合った。
「二人ともしっかりして下さいよ!」
きりちゃんの声でハッと我に返る。半助さんも同じだったらしいが、こちらは明らかにテンパっていた。
「急いでお湯を沸かそう。あああ佃煮が煮えているから出来ない。こうなれば外で焚火をして。ああああ佃煮から焦げた匂いがしてきた。落ち着け。まずはユキを寝かせて。あああああ佃煮が鍋に焦げ付いてきた」
「土井先生、落ち着こう」
きりちゃんが竈の火を消した。
「まず、土井先生はユキさんを布団に寝かせてください。僕は隣のおばちゃんに声をかけて産婆さんを呼んできますから」
「それから私はお湯を沸かせばいいのかい?!」
「ユキさんの隣についていてあげて下さい。その方がユキさんも安心すると思いますから。お産の準備は・・・ユキさん、おばちゃんと相談してあるでしょう?」
『うん』
「それじゃあ、おばちゃんたちに任せましょう。じゃあ、行ってくるっす」
落ち着いていてキビキビ動くきりちゃんは頼りになる。一方の半助さんはと言うと全力でオロオロしていた。その様子をクスリと笑いながら私は手伝ってもらって布団の上へ移動する。
『ん・・・』
「陣痛が始まったんだね」
『そうみたいです。でも、長丁場になると思いますから肩の力を抜いて下さい』
「ユキ、直ぐに産婆さんが来るからな。ああああやっぱりお湯を沸かした方が!」
『・・・。』
引いては寄せる波の如く
陣痛が始まってからは長かった。初めのうちは陣痛の間隔も長くて、半助さんときりちゃん含めて、来てくれた産婆さんやおばちゃんと話す余裕があったし、少しだけ喉ごしのいい冷やしうどんもお腹に入れた。
真夜中になり、陣痛が10分ほどの間隔になってきた時には半助さんときりちゃんは大家さんの家へと移ることに。
「何かあったら叫んでくれ。直ぐに駆けつけるからなっ」
「土井先生、行きますよっ。ユキさん、応援しているね!」
『おう!任せといて。スポーンと生む予定だから!』
「あはは。カッコいい」
半ばきりちゃんに引きずられるように家を出て行った半助さんは何故かしきりに天井の方を確認していた。彼が忍の技を使わないことを祈るのみだ。きりちゃん、もし半助さんが暴走しそうだったら止めて欲しい。
『アアアア。やめたいっ。もう限界、もう限界』
丑の刻。
部屋には私の引き攣った声が響いていた。
『産んだら禁止されていたもの端から食べてやるっ。あああいいたいっ。生の刺身、生卵ご飯、刺激物ッあああああッ』
無理無理無理無理。股裂ける!!!
『ギブアップ、ギブアップ。股からスイカ出すとはこのこと、違うッ鼻からスイカだった!』
「よしよし、もう一息よ。頑張ろうね」
おばちゃんは宥める声で優しく私の汗を拭いてくれた。
山の端は白み始め
「頭が見えたからもうひと踏ん張りじゃよ!」
秋の冷たい空気を温める柔らかな日差しが格子窓から差し込んでくる
「いきんで!」
『んんんんんんんんんんっっ!!!』
光の領域が部屋に広がっていき、私の顔にも七色に輝く光の粒がかかる
「男の子ですよ。頑張ったね、お母さん」
元気な産声が部屋に響いた―――――――
忍者ではない私でも分かる気配が戸の向こうにある。
「半助、呼ばれるまで入ってはいかんぞ」
「生まれた!生まれた!ユキ、大丈夫かい?」
『大丈夫ですよー』
ぐったりとした声で戸に向かって言うと、良かったという声が安堵の息と共に吐きだされたのが分かった。
血液と胎脂を洗い流された赤ちゃんが私の横にやってきた。体も何もかものパーツも小さくて、ほにゃほにゃでとても愛らしい。
「半助たちを中に入れてもいいかしら」
『はい、おばちゃん』
おばちゃんが戸を開けると、半助さんは思いがけずパタッ、パタッとゆっくりと家の中に入ってきた。感動して動きが鈍くなっている様子に私の目にも涙が滲む。
赤ちゃんの隣に膝をついた半助さんは潤んだ目を細めて赤ちゃんの顔を覗き込んだ。
『男の子ですって』
「男の子。元気にすくすく育つんだよ」
慎重に半助さんが赤ちゃんのほっぺに指を寄せると、赤ちゃんはくすぐったそうに顔を揺らした。
「名前を決めてあげないとな。決めているのかい?」
大家さんの言葉に私と半助さんは顔を見合わせ、ニッコリときりちゃんを見た。
「ん?」
不思議そうな顔で自分を指さすきりちゃんに半助さんはお願いをする。
「きり丸に名前を決めて欲しいんだ」
「ええ!?僕!?」
目を真ん丸にして私を見るきりちゃんに頷く。
『弟の名前を決めてあげて』
「でも、僕が・・・」
『この子にもきりちゃんのように明るく元気な子に育って欲しいと思うの。だから、きりちゃんに名付け親になって欲しい』
「私からもお願いだ」
きりちゃんの驚いていた顔が段々と緩んでいく。
「うん!」
赤ちゃんを覗き込むきりちゃんの顔は既にお兄ちゃん。
「これから宜しくね!」
一面の蓮華畑
薄紅色の花が風に揺れている
「わあっ」
きゃっきゃと走っていた四歳の少年がどてっと思い切り顔から転んでうわああんと泣き出した。
「大丈夫かい?痛かったね」
半助は少年を立たせて傷の具合を見て、顔の表情筋を全部使って泣いている彼の頭を優しく撫でる。
『お母さんが痛いのを飛ばしてあげる。ちちんぷいぷいのぷーい。飛んでいった痛みは何処に行くのかな?お父さんの口の中!』
「ぱくっ。もぐもぐ。ごっくん。飲み込んじゃったよ」
「ほんとう?」
「本当だよ。痛いのは消えていったかな?」
「うん!」
少年は痛みを忘れて足元の蓮華に興味を移す。
「お兄ちゃん早く来ないかなぁ」
その時、大きな声が少年の名前を呼んだ。
「伝助ー!」
パッと顔を輝かせた半助とユキの息子の伝助は兄のきり丸のもとへと走って行き、そのまま彼の胸に飛び込んだ。
山田伝蔵から一字と半助から一字とって伝助。きり丸に名付けられた彼はスクスクと育っている。
「おにいちゃん、ばいとおつかれさま」
『きりちゃんお疲れ様』
「お腹ペコペコだよ」
「ご飯にしよう」
れんげ花畑に大きな布が敷かれ、四人家族は――――
『ここでご報告!お母さんのお腹に赤ちゃんがいます!』
わっと上がる歓声。
柔らかな日差し、少し焦げた唐揚げ、キラリと光る指輪
家族五人は温かな時間を過ごしたのだった。
おしまい
┈┈┈┈┈後書き┈┈┈┈┈┈┈
君が好き~土井半助編~【完結】
今まで長い間お支え下さりありがとうございました!
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