第六章 君が好き
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
1.君が好き~土井半助 其の壱~
今度こそ駆けだそう
あなたに伝えたい
君が好き、この想いを今
伝えよう――――――――
走り出した私はハタと気がついた。
今、授業中では?
『ダメじゃん!』
勢いをくじかれた私はガクッと廊下に膝を着いた。この溢れる想いは苦しいほどに胸を圧迫している。
しかし、ふと思った。半助さんが私を好きだと言ってくれてから時間も経っている。今も私を好きだとは限らない。そう思うと急に想いを告げるのが怖くなってきた。
だけど、伝えたいな。どん引かれないようにゆっくり距離を詰めていこう。
・・・会いたい。
でも、授業中で無理だから、少し雰囲気を感じるだけでも。
中庭に出て見れば半助さんの声が上の教室から聞こえてくる。生徒に説明する先生らしいハキハキとした声が止まる。
「きり丸っ寝るんじゃないっ」
きりちゃんったら・・・。
息子の怠惰に頭を抱えていると、「ユキ」と上から声が降ってくる。顔を向ければ半助さんが窓から顔を出していた。あっ、授業を止めてしまった。気配がだだ漏れってやつだろうか。
申し訳ないと思っていると窓からひょこひょこと一年は組の生徒たちが顔を出す。
「ユキさんだー!」
元気に私の名前を呼んでくれたのは乱太郎くん。
「今起きたのー?」
きりちゃんが大きく手を振る。
『そうだよ!さあ、みんな、後でゆっくり話そう。静かして授業に』
私の静止は虚しく、一年は組のみんなは一斉に私に向けて話しかけてくれる。可愛いやら、授業を中断して申し訳ないやら。何を言っているか分からない私はアハハと笑いながら一緒にお昼を食べようと言った。
「「「「「うん!」」」」」
元気な一年は組は半助さんに促されて窓辺から離れていく。最後まで窓辺に残っていた半助さんに頭を下げると、優しい笑みを浮かべてくれた。
新野先生のもとへ戻って分かったこと、私は二日も寝ていたらしい。通りでお腹が減っていたわけだと言ったら、そこですかと笑われてしまった。
私は元気いっぱいで、退院を許された。事務室へ挨拶に行くと落ち着くまで休んでいいとの事。明後日に復帰出来たらと思う。
ご迷惑をかけるお詫びを言ってぐーぐーお腹を鳴らして部屋で休んでいるとカーンとヘムヘムが鳴らす鐘が鳴る。
『ごはんだ!』
ルンルンと食堂へスキップして行けば一年は組の良い子達が駆けて来てくれる。皆とワイワイ話しながら今日のお昼ご飯のうどんを受け取っていただきます。
「どうしてオーマガトキ領地までいっちゃったのさ」
『迷子』
「壮大な迷子だね」
兵太夫くんと三治郎くんに言われて苦笑い。
「食べ物なくてお腹減ったでしょう」
しんベヱくんが眉を下げ、
「ユキさん頑張ったね」と伊助くん。
「頑張ったから僕の蒲鉾あげる」
「僕のも」
優しい団蔵くんと虎若くんが私にうどんに乗っていた厚切り蒲鉾をくれた。
「ユキさんが喜三太と一緒にちゃんと戻ってきてくれて良かった」
隣に座っていた金吾くんがギュッと抱きついてくれる。
「ユキさんがいたから怖いの乗り越えられたよ」
反対の隣に座っていた喜三太くんもギュッと私に抱きついてくれる。かわゆいのう。
『早く食べないとおうどん伸びちゃうよ』
皆でお喋りしながらご飯を食べればあっという間に良い時間。皆で食器を下げて廊下に出る。
午後からは実技だそうで、一年は組のみんなは私に手を振って一斉に駆け出していった。
去って行った一年は組から視線を外して後ろを向けば半助さんが食堂から出てきて、私を確認してニコリと笑った。
チャンスだ。
私はドドドドドと早鐘を打っている心音を聞きながらふっと一つ息を吐き出す。
『先程は授業を中断させてしまってすみません』
「いや。私がつい名前を呼んでしまったのが悪かったんだ。それに一年は組の良い子たちの気は授業に退屈していて既に逸れて・・・自分で言っておいて胃が痛くなった」
半助さんは顔を顰めて胃を摩った。
『今から部屋でお仕事ですか?』
「あぁ」
『一緒に戻ります。私も部屋で休もうと思っていたので』
私たちは長屋へと向かって歩き出す。
「ユキは体の方はどうだい?」
『今まで通りです。良く寝て、食堂のおばちゃんの美味しい料理を食べて、元気いっぱい!アンパンの妖精のように!』
「心の方はどうかな?」
スーパーマンのように天井に腕を突き上げたが華麗にスルーされた。え?聞こえなかったの?ああん?この上がった腕どうしろってのさ。
『そうですね』
私はゆるゆると上げていた手を下げた。
『どうなんでしょう。よく分かりません。利吉さんと仙蔵くんの言葉で今のところ落ち着いています』
「心に変化があったらいつでも相談においで。夜中だっていい」
『ありがとうございます』
私たちは長屋に入り、半助さんの部屋の前まで来た。
「それじゃあ」
『あの』
私は目を瞬いた。思いはあるのにすっかり言う言葉を考えていなかった。自分の阿呆さ加減に口をぽっかり開けてしまう。
「ユキ?」
顎を落として棒立ちになっている私を前に半助さんは首を傾げている。
『あの』
高速で鳴っている心音を聞きながらゴホンと咳払い。顎を閉じて、一息ついて、もう一回口を開く。さりげなーく、さりげなーく。
『次のお休み、何処かいゃませんか?』
・・・噛んだ。
半助さんが唇を噛んでプルプル震えている前で私は頬を紅潮させる。大事なところで、私ったらもうっ。
『決死の覚悟で誘ったその―――』
逢い引き?いや言えるか!
『その―――笑うなんて。酷いっ。ええと、ゴホン、私は半助さんとお出かけに、その―――』
急に断られる不安が襲ってきた。
『気乗りしないようでしたら・・・半助さんはお忙しいと思いますし・・・良かったら考えてみて下さい』
ニコッと口だけ笑ってくるりと回り、自分の部屋に駆け込みたい気持ちを抑えながら歩いていくと「ユキ」と名前が呼ばれる。
「次の休み、教えてくれるかい?」
振り向けば優しい笑顔。
トクリと胸が鳴って自然と期待してしまう自分がいる。
『はい』
私は胸を高鳴らせながら頷いた。
***
暑い。長月に入ったとはいえ、まだまだ夏の暑さは残っている。だが、カンカン照りの陽射しが気にならないほど私は浮かれていた。
「お待たせ」
『おはようございます』
「行こうか」
『はい』
何気ないやりとりでも言葉を交わせる嬉しさ。半助さんのことを好きだと自覚してからその思いは雪だるま式に私の中で膨れ上がっている。門をくぐって町へと出発。
『とても良い天気ですね』
まだ日の高くないうちからペカーンの光っている太陽に向けて言った。
「こまめに水分補給をするんだよ」
『はい』
今日は白虎町へ遊びに行くことになっている。二人でする話は主に一年は組の良い子について。あちこちでトラブルと笑いを巻き起こす彼らについて話題は尽きない。
話しているうちに町へと着いた。大きな町である白虎町は沢山の人で賑わっていた。
『早めですがご飯を食べましょう』
事前にしんベヱくんに教えて貰っていたお蕎麦屋さんへ着く。二人でざる蕎麦を頼んで待っていると大きなお腹の音が半助さんから聞こえてきた。
『すぐに来ると思いますよ』
「っ違う!今のお腹の音は私じゃあない」
『照れなくても大丈夫です』
ぐーきゅるるるる
盛大な音
『ふふ。朝ごはん抜いたんですか?』
「だーかーらっ。私じゃあないんだって」
だけど半助さんの方から聞こえたのだけどと思ったら、その上の格子窓から人が覗いていて引っ込んだ。その顔はきりちゃんと団蔵くん。半助さんの隣まで行って窓の外に耳を近づけると聞こえてくる声。
「見つかっちゃった?」
「目が合ったような気がしたけどセーフだと思う」
庄左ヱ門くんの問いにきりちゃんが答えている。
「まったくあの子達ときたら。隠れるならもっと上手く隠れて欲しいものだ」
半助さんが頭を抱えている。
『お腹も減っているみたいですし、中へ呼びましょうか』
「ハアアァ。そうだな」
店を出て角を曲がれば壁に張り付いている一年は組の皆の姿がある。
『みんな!』
「「「「「「「おわわっ!」」」」」」」
『中へ入っておいで。一緒に食べよう』
顔を見合わせた一年は組の良い子たちは「「「「はーーいっ」」」」と元気なお返事。
「僕、ざる蕎麦五人前!」
しんベヱくんがパーを宙に掲げる。
尾行のことなどすっかり忘れた様子でお蕎麦に夢中だ。
私と半助さんは顔を見合わせてクスクス笑ったのだった。
皆で町を見て歩き、竹筒に冷やし飴を満たして町から出ていき街道を真っ直ぐ歩く。着いたのは池。そこには蓮の花が咲いていた。池には桟橋がかかっており、池の間を歩くことが出来る。
「ほにゃあ。綺麗だなぁ」
「近くまで行ってみよう」
喜三太くん、金吾くんを先頭に一年は組のみんなは橋を渡っていく。その様子を私と半助さんは微笑ましく見つめながらついて行く。
「今日はお出掛けの計画を立ててくれてありがとう」
『いえ。私が半助さんとお出掛けしたかったので。とても嬉しいです』
「~っ!」
私は半助さんを見上げた。遠くからは賑やかな一年は組の良い子たちの声が聞こえてきている。楽しい笑い声が伝染して私もクスリと笑う。
私たちは立ち止まった。
半助さんを見上げる。
『初めの出会いは衝撃的でした。初対面で飛び蹴りですもんね』
そう言うと半助さんは顔を顰めた。
「うぅ、やり過ぎたと思っているよ」
『でも、生徒思いなところが好きなんです。生徒だけじゃない。私にも温かな心を向けて下さいました』
半助さんと過ごした日々を思い出す。
『こちらの世界の生活に慣れない私を気遣って下さって、泣いていいと言ってくれた。私の心の支えでした』
優しい顔、厳しい表情、温かい笑顔。
『今回、オーマガトキ城に捕まって、自分の気持ちに気が付きました』
恐怖の日々から脱し、私が思ったこと、それは半助さんへの想い。
君が好き、この想いを今
伝えよう――――――――
『好きです』
蓮の柔らかな香りが初秋の生暖かな風に乗って鼻腔へと届いた。
『半助さんが私に想いを伝えてくれてから、随分経ちました。だから―――』
「まさか私が心変わりしたかもなんて言わないだろう?」
『え?』
半助さんの瞳の色に胸が甘く音を立てる。柔らかい眼差しは、私の間違いでなければ愛おしいものを見るように煌めいていて、私はその瞳に引き寄せられていく。
腕が引っ張られて半助さんの胸の中に体がすっぽりと収まる。
「君が好きだよ、ユキ」
囁かれた言葉に目を開く。
『半助さん・・・私と、御付き合いして頂けますか?』
そう言うと、くくっと喉の奥で笑う声が聞こえ、可笑しさを堪えるように半助さんの体が震え出した。
「ユキ、酷いな。いい所を全部持っていくじゃないか」
『すみません』
「ユキは本当に男前だ。きり丸を私から守ろうとして、山賊と戦って」
半助さんが私の髪を梳いた。
「慣れない環境で逞しく生きようとする。そんな状況の中でも他人への気遣いを忘れない」
半助さんは柔らかい笑みで微笑んだ。
「これからは恋人として宜しくな、ユキ」
『はい!』
君が好き
通じ合ったこの想い
私は歓喜の声を心の中で上げたのだった。
「「「「「じーーー」」」」」
じーっと見ているのを声に出して言っちゃう一年は組の良い子たちに私は声を上げて笑ってしまう。気がつけば、私たちの近くにある、池の真ん中の東屋に一年は組が大集合してこちらをニヨニヨと見つめていた。
「ユキ、この空気をどうしたらいいんだい?」
『あはは』
ユキと半助の元へわっと一年は組の良い子たちが駆けて来る。
「土井先生、良かったねっ」
伊助が飛び跳ねる。
「長い片想いでしたからね」
教え子である庄左ヱ門のしみじみとした言葉に半助は恥ずかしさに赤くなる。
「告白はどちらから?」
「何て言ったんですか?」
兵太夫と三治郎は興味津々の様子。
「もしかしたら土井ユキさんになる日も近いかも」
「そうかも!近いかも!」
団蔵と虎若が飛び跳ねる。
「そしたら祝言に出席したいな」
「忍術学園でやろうよっ」
喜三太と金吾の気の早さにユキはクスクス笑っている。
「祝言には豪華なご馳走、じゅるる」
「それじゃあ僕は土井先生とユキさんの絵を描きます!」
ご馳走を夢見るしんベヱと手を挙げて名乗りを上げてくれる乱太郎。
「さあさあ、みんな帰るぞ。夕食に遅れてしまう」
半助に促された一年は組の頭はおばちゃんの作ってくれる美味しい夕ご飯に切り替わり、みんな一斉に駆けて行く。
残ってにししと笑うきり丸にユキは真面目腐った顔をする。
『きりちゃん、母さんに彼氏が出来たの』
「紹介してくれる?」
「やめてくれ〜」
半助は堪らず顔を覆う。
『彼氏の土井半助さんです。じゃーん』
ぱっとユキが半助を手で指し示すと、きり丸の笑みが深まる。
「おめでとうっ、ユキさん!」
『ふふ、ありがとう!』
きり丸はユキと半助をもう一度嬉しそうに見た後、先に行ってます!と皆の後を追って走って行く。
「ユキ」
半助が足を止めたのでユキの足も自然と止まる。
顔を見合せた二人の目はキラキラと輝いている。
ユキはゆっくりと瞳を閉じる。
柔らかで愛情のこもった口付けに、ユキは幸せに微笑んだ。
***
半助さんとお付き合いをして三ヶ月。師走となり、身震いする寒さの日が続いている。だが、私は人生初の彼氏が出来て浮かれているので寒さなど感じない。
浮かれているとはいえ、私と半助さんは落ち着いた付き合いを続けていた。実はこちらの世界に来て若返った私。実年齢がゴニョニョなので、初彼氏といえども年齢なりの浮かれ具合だ。妄想は大暴れしているが。
「ユキ、竹輪の和え物を食べてくれないかい?」
『いいですよ。代わりにその海老フライを一本下さいな』
「ええっ!?」
『あはは。冗談ですよ』
夏の終わりから付き合いを始めた私と半助さんは、休日が重なる時に外へと出かけていた。町を歩いたり、川原で涼んだり。秋になったら花畑に行ったり、きりちゃんと三人でススキを取りに行って三人でお月見もした。
「わーい」
『暗いから足元に注意するんだよ』
「雲も少なく、良く月が見えるね」
だけど、外で逢い引き(ふふふ。逢い引きだって!)するのにも限界を感じてきた。夏も暑くてお外デートはなかなかキツいものがあったが、冬も本格的になると外で過ごすのは辛い。
そろそろどちらかの家で過ごせたら良いのだけど。
私は私の部屋で多機能ナイフを作ろうと設計図を書いている半助さんを見た。
「どうかしたかい?」
『最近寒いですね』
「そうだね。正月もやってくる」
『私、お正月は忍術学園に残ります。小松田さんも吉野先生も家族と過ごしたいでしょうから』
「それなら私も正月はここに残ると希望を出しておこう」
『きりちゃんも加えてみんな一緒に年越し出来ますね』
「そうだね・・・ええと」
半助さんが筆を置いた。言い出しにくそうな事をえいっと出すように口を開く。
「今度、家に来ないかい?」
ゆっくりと、私の目が見開かれていき、顔に笑顔が広がっていく。望んでいた。半助さんも同じことを思ってくれていたことに嬉しくなって私は恥ずかしげもなくガッツポーズをしていた。
『いよっしゃ!』
「ぶっ」
半助さんが噴き出した。
「お待たせしていたようで申し訳ないね」
私の喜びように半助さんはクスクスと笑う。
『家にも是非遊びに来てください』
「ありがとう」
照れ笑いをしながら私たちは半助さんの家に行く日を決めたのだった。
週末、私、半助さん、きりちゃんは半助さんの家に向かっている。
『きりちゃんったら大荷物ね』
「週末に終わらせるバイトがあるからね」
『今回は何のバイト?』
「匂袋作りだよ」
「加減してバイトを取ってきたろうね?」
「三人でやれば明け方には終わると思う」
『きりちゃん~~!』
「あーっ。ユキさんがイチャイチャ出来る時間なくなって怒ってるー」
『きりちゃんっ!』
「ユキさんが怒ったー!」
わああと笑いながら走って行くきりちゃんを追いかける。ほんっとーに人を揶揄うのが上手いんだから!
楽しく話していれば町に着いた。
長屋の前には一度ご挨拶をしたことがあるおばちゃんと大家さんの姿。
「あら、半助、きり丸・・・と」
おばちゃんと大家さんは私を見て顔をさっと青ざめさせた。私たちは明らかに動揺しているおばちゃんと大家さんに顔を見合わせ合う。
「どうしたんですか?」
目を瞬く半助さんに大家さんは厳しい顔を向けた。
「半助、そのお嬢さんとの関係は?」
「へ。いきなり何ですか?」
忍者にしては珍しく顔を赤らめた半助さんを見て、おばちゃんが目を釣り上げた。
「半助」
重い声。
「奥さんが中にいらっしゃるわよ」
バッと半助さんの方を向くと一瞬半助さんはポカンとしたが、直ぐに「有り得ない!」と叫んだ。
「半助!奥さんは身重なのよッ」
『身重ですって?』
あんぐり。
「そんな目で私を見ないでくれ!何かの誤解だっ」
「半助、奥さんはこう言っていたぞ。連絡がつかないから家まで押しかけて来たって」
『それはそれは』
私はきりちゃんの手を握った。
『嘘であろうと真であろうと私たちは少し席を外した方が良いでしょう』
修羅場は勘弁。
「待ってくれ、ユキ」
『落ち着いたら私の家に来て下さい』
ニッコリと笑って背を向ける私に半助さんは手を伸ばしたまま固まっていた。
「顛末を見届けたら良かったのに」
きりちゃんがつまらなそうに言う。
『もしもってことがあるじゃない』
忍者だし、任務の関係で仕方なくってこともあったかもしれない。
うぅ。ズキリと胸が痛んだ。
「ユキさんったら落ち込んでいるバヤイじゃないよ。自分はどうするの?」
胸を押さえていると深刻そうなきりちゃんに見つめられていた。
『何だっけ?』
「僕たちの家ではユキさんの夫は利吉さんで、僕は弟の設定だけど」
『げっ』
忘れていた!サーっと血の気が引いていく。
『まずいよね』
「まずいね」
『走るよ!』
私は全力で走り出した。
私たちが引っ越してきた時に訪ねてきてくれた利吉さんは、女子供だけの暮らしは物騒だからと表だけでも自分を夫として近所に紹介したらよいと名前を貸してくれたのだ。
近所に何て説明する?半助さんが知ったら気分が悪いだろう。
ダダダと家まで帰ってくると、近所のおばちゃん、おばあちゃんが井戸端会議をしていた。
「お帰り、ユキちゃん!」
『お久しぶりです』
「きりちゃんもお帰んなさい」
「ただいま!」
「ユキちゃん、お願いがあるの。窓が壊れちゃって」
『任せてください』
背の高い私は何かと頼られている。
「ユキさん、それより早く言わないと」
きりちゃんがこそっと私に思い出させてくれる。
『あの、皆さん。実はお話がありまして』
「ユキ!」
息を切らせた半助さんがやってきた。おばちゃんたちはザワついた。
「花房牧之助だったんだ」
「えっ。土井先生の奥さん花房牧之助だったんですか?」
きりちゃんの言葉におばちゃんたちが再びザワついた。
「ユキさん、お久しぶりです」
そこへやってきたのは利吉さん。
ひょええええ。
おばちゃんたちは最高にザワついた。
他人事だと思って楽しんでいるのは明らかだ。
『えーと、皆で中に入ってお茶にするのが良いでしょう』
「頂きます」
「・・・。」
私はニコニコする利吉さんと不機嫌なオーラを背負う半助さんから背を向けて家へと入っていったのだった。
き、気まずい。
私たち四人は丸くなってお茶を飲んでいた。
『えっと』
「どうして利吉くんがユキの家を訪ねたのかな?」
半助さんが私の声に重ねていった。
「いけませんか?」
『利吉さんっ』
私が利吉さんを目を細くして睨むとふぅと息を吐いて肩を竦めた。その表情は真剣なものに変わる。
「今日は報告を持ってきただけですよ」
そう言った利吉さんは表情を引き締めて私を見た。
キンとした冬の空気の中に響く言葉。
「生きていましたよ、あの男」
私の中の時が止まる。
『えっ・・・あの男って・・・』
「あの男です」
利吉さんが言っているのは一人しかいないオーマガトキ城で私が襲われ、反撃して殺したであろうあの男だ。
『本当、なんですか・・・?私への気休めではなく・・・?』
「はい。仕事でオーマガトキ城へ行きましてね。ついでだから調べたんです。そうしたら生きていました」
ガタガタガタと体が震えて私は顔を覆った。安堵が体の底から込み上げてきて、全身を震わせた。
『あぁっ・・・』
良かった。あの日から堪えてきた思いが一気に溢れ出してくる。
『ありがとうございます、ぐず、利吉さん』
「いいえ。お伝え出来て良かった」
利吉さんは優しい笑みを浮かべて立ち去っていく。
利吉は思う。あの男が囚人を逃がして罰せられたことは言うまい。
利吉は軍規を破りユキを襲った男の末路を伝えなかった―――――
部屋には訳がわかっていないきりちゃんと私の背中を摩ってくれる半助が残されている。
『言葉がっ、うっ、出てきませんが・・・』
半助さんは私の体を抱きしめ、何も言わずに頭に口づけを落としてくれた。
『ありがとう、ございます』
暫く泣き終えた私はゴシゴシと袖で目を擦って顔を上げる。
「前にも言ったけど、擦るのは良くないよ」
「手拭い冷やしてくるよ」
『きりちゃん、外寒いから自分で行くよ』
「いいから、いいから!」
きりちゃんが井戸水で冷やしてくれた手拭いで目を冷やしていると、さて、と半助さんが言った。その顔はニコーっと笑っている。後ろに黒い空気を背負って。
「利吉くんと訳アリのようだね」
『うぐっ。流してくれなかった』
「どういうことかちゃんと説明してくれるよな?」
半助さんに片頬を引っ張られる私は助けを求めるようにきりちゃんを見た。
「うん!包み隠さず説明しますね!」
ペラペラと説明を始めるきりちゃんと、半助さんの様子を窺う私、笑みを深めていく半助さん。
「ふうん」
半助さんが鼻を鳴らした。
「夫婦か」
『ただの対策ですよっ』
「私の存在はどうする気だい?間男とでも説明するかい?」
『な、なんてこと言うんですか!ちゃんと、ちゃんとっ』
「ちゃんと?」
気が付いた。半助さんは全然怒っていない。私で楽しんでいる!
私は顔を赤くしながら膨れて口を噤んだ。
「言いなさい」と目で言っている半助さんの前で抵抗していた私だが、圧力にとうとう屈して固く閉じていた口を開く。
『恋人だって訂正してきます』
「宜しい」
判子があったら花丸を額に押されていたような、ポンっととした声で半助さんは言ったのだった。
「え~っと。僕、お邪魔ですか?」
ニヤニヤ笑いのきりちゃん。
『一緒に外にいる近所のおばちゃんのところに言ってくれる?謝って、訂正しないと』
昼ドラどろどろ展開を期待してワクワクしているおばちゃんたちに謝って、訂正をした。
怒られるか不愉快な思いをさせると思ったが、おばちゃんたちはカラカラと笑って許してくれた。そして半助さんは質問攻めに・・・。その間に私は近所の便利屋さんと化した。
『皆さん。目標は子の刻に寝ることです』
「頑張るぞ!オー!」
夕食後、きりちゃんがもらってきたアルバイトを始める。
針仕事をしながら取り留めもないお喋り。私の世界の話をしたり、半助さんが製作中の多機能ナイフの話を聞いたり、きりちゃんから日々の話を聞いたり。
囲炉裏に薪をくべていると、ぐらんときりちゃんが船を漕いだ。
半助さんがきりちゃんの手から針を取り上げてくれる。
「ふあ」
「もう寝なさい」
「明日までの、バイト」
「私とユキで終わらせておくから」
きりちゃんがぼんやりと私を見た。
『お布団敷くね』
私が布団を敷き、半助さんがきりちゃんを抱き上げて布団へと運んでくれる。寒くないように肩まで布団をかける。
『本当に可愛い』
「そうだね」
私と半助さんは顔を見合わせて微笑み、針仕事の続きをする。
二人でせっせせっせと針を動かし、どうにか子の刻までに仕事を終わらせることが出来た。肩こりと眠気を感じながら布団を敷く。
家はとても狭い。玄関直ぐに囲炉裏のある部屋があるだけ。だから、囲炉裏を囲むように布団を敷くしかない。きりちゃんの頭と私の頭、私の足と半助さんの足が近いように布団を敷く・・・ん?
布団がもう一組ない!?
『え』
利吉さんが寝ていた布団があったはずだけど・・・あ!きりちゃん売った!?そう言えば、そんなことを言っていた気がする。
私は後ろに仰け反った。
『半助さん。布団がもう一組あったと思ったのですが、なくて・・・なので、私の布団で寝て下さい』
「ユキはどうするんだい?」
『読みたい本があるので』
「こんなトロンとした目で読書は無理だよ」
半助さんはさっと布団を敷いて掛布団をまくった。
「私はその辺に寄りかかって寝るから。ユキ、寝なさい」
『そういうわけにはいきませんよ!』
「じゃあ一緒に寝るかい?」
揶揄うような視線にパッと赤くなるが、ここで私の負けず嫌いが発動した。私はにっこりと半助さんに笑いかける。
『襲わないって自信がおありなら』
「ほう」
ツカツカと歩いてきた半助さんに腕を取られたと思ったらグンと抱き上げられ、布団の上に横たわらせられる。
「忍の三禁の一つだ。必ず守ると約束するよ」
『ちょ、え、冗談』
布団から逃げようとするが後ろから抱きすくめられる。
『は、放して下さいっ』
「静かにしなさい。煩くするときり丸が起きるよ」
『子供と同じ部屋で!』
「何もしないんだろう?」
キイイイイイィィ
私は黙るしかない。
「ゆっくり寝なさい」
寝られるわけないだろうううううう!!
心臓をバクバクさせていた私は、
温かいなぁ
五分で寝た。
「はあぁ」
ぐーすか寝ているユキの後ろで半助は溜息をつく。これでは心臓が持たない。
忍の三禁と半助は心の中で唱える。
『しゃむい』
緩まった自分の腕の中で、ユキはゴロンと寝返りを打って半助と向かい合わせの体勢になる。しかもあろうことか、暖を取ろうと半助の体に自分の体をぐりぐりと押し付け始めた。
忍の三禁、忍の三禁、忍の三禁
『ん~しゅき、半助さん』
忍の―――――もう限界だ!
布団から出た半助は囲炉裏の火をつけ、火の番をしながら頭の中に浮かんでくる妄想をプツプツと消して長い夜を過ごしたのだった。